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経済・政治・国際

2017年11月12日 (日)

「保守」と「リベラル」を考える

◆今年の「新語・流行語大賞」の候補30語がノミネートされた。小池百合子氏が喋った「アウフヘーベン」、「共謀罪」、「忖度」、「フェイクニュース」・・これらが候補に上がった理由はよくわかる。ところが全く意味も分からない、初めて聞くような言葉がいくつかあった。それは毎回のことだから年のせいだと気にもしていない。今回も政治に関わる話題で恐縮だが、昔からよく使われてきた「リベラル」という言葉。今年ほどよく耳にし、目にしたことはかつてなかった。この「リベラル」が候補に上がってもよかったかなと思った次第。

◆日本の「リベラル」はやや左傾化した勢力に対して使われるケースが多い。何故だろうか。本来リベラル(Liberal)」とはLiberty(自由)の派生語で、「自由主義的」の意である。日本の自由民主党は英文ではLiberal Democratic Party。従って自民党の方がより正しく「リベラル」を使っていると言える。ところが、リベラルには「個人の自由や個性を重んじ、寛大な心の広い」という意味も備えている。また自由を意味するFreedomに比べて「抑圧からの解放を意識して使われることが多い」と言う。

◆日本の自民党はタカ派(=保守派)とハト派(=リベラル派)の二つの勢力が存在し、一強体制を維持してきた。アメリカの共和党(Republican  Party)は一般的に保守主義で、民主党(Democratic Party)はリベラル的立場をとっていると言われる。要するに民主党は労働運動、労組重視、マイノリティ、死刑廃止・不法移民容認・同性愛容認・宗教多様化容認等の立場に立って、共和党に対峙し、その政治姿勢が「リベラル」と目されてきた。然し、決して社会主義を目指すものではない。こうしてアメリカではこの二大政党が互いに切磋琢磨して、政権交代を繰り返してきた。

◆日本のかつての民主党の英文名は Democratic Party of Japan 、また民進党はThe Democratic party と称した。リベラルという言葉は使っていない。ところがかつての民主党や改称した民進党の左派系の人達、及び分裂して誕生した立憲民主党、社民党などをひっくるめてリベラル派と呼んでいる。本来リベラルとは路線や枠組みの問題ではなく、「何をやるか」である。アメリカの民主党が誰を対象に何をやるか、はっきりした目的・政策を持っているのに対し、日本のリベラル系と言われる左派系が路線問題や観念的対立に明け暮れ、離合集散を繰り返しているのとは対照的だ

石橋湛山鳩山一郎吉田茂など戦後日本の名だたるリーダーたちは、第一級のリベラリストだった。石橋湛山は「斬新な思想は自由な社会から生まれる。将来の為に、言論の自由は徹底して確保しておかなければならない」と述べた。左派も含め、あらゆる主張に耳を傾け、政策に盛り込んでいくという姿勢を持つ保守の健全な精神を持つ人たちが、リベラルと呼ばれていたという。ところが、現在多くの人がリベラルと聞いて想起するのは、左派的なリベラルだ。「冷戦終結以降、かつての社会主義者や市民運動家がリベラルと言う名の心地よい椅子に座り始めた。『リベラル』に保守派リベラル革新的リベラルのふたつの流れができてしまったのが今日の混乱の始まりではなかろうか。

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2017年11月 4日 (土)

与野党国会審議について考える

◆自民党執行部は、予算委員会など各委員会の質問時間を議席数に応じて配分するよう見直すべきだと主張し、これに対し野党が一斉に反発を強めている。質問時間の配分については自民党が野党に陥落した時に、それまでの与党3、野党7だった配分を、時の民主党政権を攻めるため、与党2、野党8に強引に持っていった経緯がある。その慣例が与党に返り咲いた今でも続いていたが、この衆院選の勝利を皮切りに当選3回目の若手達が質問時間の少なさに不満をぶつけ、自分達も民意を得て議席を得たのだから、平等に質問時間を与えて欲しいと執行部に強く求めたことに端を発した。

◆自民党執行部はこれを受け、議席数に応じて与党7、野党3に改めるべきだと主張するが、これは掛値であって、本音は与党4、野党6くらいで決着したいところだろう。実際の所、自民党若手にとっては、野党議員が質問する場面はTVで何度も流されるのに対し、自分たちはそういう機会が皆無に等しいので、不平等感を解消したいという気持ちを持つことは分からないでもない。政府にとっても野党の質問時間は短い方が議事運営上も好ましいところだ。ところが野党にとっては政権与党を攻め立て、自分たちの存在意義を最大限に発揮したいところだから、「妥協の余地はない」と普段はバラバラでも、この点に関しては一致団結して猛反発する。しかし、あまり突っぱねてばかりいては審議そのものが開かれず、ズルズル先送りされてしまうというジレンマを抱えている。

◆自民党の中でも石破氏のように「与党は法案、予算を提出する前に政府と散々やり取りする。その分は割り引かねばならない」とする意見も多い。本来、国会は国の重要な外交問題、安全保障問題、経済問題、税制・財政問題、社会保障問題など当面する様々な課題について大所高所から深く議論し政府の政策についてチェックすると同時に全体の均衡を図り、時には提案する場であっても良い。ところが現状はどうか。森友・加計問題に見られるように政府の失策のように見えるスキャンダラスな問題が起これば、「ここぞチャンス」とばかり、全野党が同じような質問を繰り返す。政府の説明も悪いが、野党の態度とそれに呼応するメディアの姿勢も褒められたものではない。もっと重要な政策課題はあるのにメディアが取り上げるのはこんな問題ばかり。国民も難しい政策論議より分かりやすいスキャンダラスな問題に関心を示す。危機は身近に迫っているというのに、「平和ボケの証拠」かもしれない。

◆そもそも国会質疑は野党が一方的に質問を浴びせ、政府は平身低頭して答えるのみ。これを見ている限りにおいてはどちらが偉いのか分からない。国会は議論する場ではなかったのか。そうであるなら、質問中に答弁者から逆質問があってもよい。「ではあなたならどうすればよいと考えるか」、「対案があるのか」等々。丁々発止互いにやり合い、説得するなどして、議論を活性化しなければならない。揚げ足取りや重箱の隅をつつくなどはいい加減止めて欲しい。また日本の国会は総理を延々と委員会に縛り付けることが多すぎる。野党が得点を稼ごうという算段だろうが、そろそろ国会質疑の在り方自体を抜本的に改めるべきではなかろうか。

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2017年10月29日 (日)

小選挙区制度の見直しは?

◆衆院選の結果を受けて、朝日新聞や毎日新聞などのメディアは野党が一本化していれば、与党が3分の2を超える大差で圧勝することはなかったというような論説を展開している。得票結果を見て「野党一本化なら63選挙区で勝敗逆転」などと分析結果を報じているが、まるで「なぜ野党が一本化して与党に立ち向かわないのか」とか、「与党一強体制を存続させてよいのか」といったような論調にも聞こえる。換言すれば善良な多くの選挙民が現体制を容認しているのが「悪」であるかのように嘆いているようだ。

◆また、野党からは小選挙区の負の面(第1党が得票率に比べて獲得議席数の比率が高くなり、死票が多くなる。死票は過去最大50%を超えた時があった。)を取り上げて、選挙制度の見直しに言及する議員もいた。もともと自分的には小選挙区制に積極的な賛成派ではない。但し、一挙に現政権を倒し、政権交代を成しうる制度であることも確かだ。旧民主党の時代の2009年、歴史的な政権交代を果たし、その3年後にはまるでオセロゲームのように安倍政権が劇的な政権交代を成し遂げた。自分達が不利だったからと言って、制度を云々するのはあまりにもご都合主義と言えよう。

◆選挙制度にベストな選挙制度はない。日本では選挙が終わるたびに、判で押したように「現行の一票の格差は憲法違反だ」と訴える馬鹿な弁護士グループが存在する。最高裁が概ね1.0から2.0以内であれば合憲とする判断をしているにも拘らずだ。仮に限りなく平等に近づけるとするならば、全国1区の大選挙区にならざるを得ない。かつて参議院の全国区という選挙区があったが、全国組織を有する団体、有名人に限られてくる。さらに少数政党が乱立しやすくなり、不安定さを増す。

◆中選挙区に戻そうとする意見も散見されるようになった。そうなれば第一党が複数の候補者を立て、また派閥政治に逆戻りしかねない。野党分裂のままでは政権交代はますます遠ざかる。もともと野党は偏波で狭量、妥協を嫌うという性格を持っている。それらが野党共闘で一本化すること自体、選挙民はその真意を見透かしている。小沢一郎が「オリーブの木」構想を打ち出している。かつてイタリアで野党合意による連立政権を誕生させた例に倣ったものだが、長続きしなかった。理念や主義主張・政策の一致を見ないまま政権に就いたとしても、いずれ内部分裂を起こし、破たんすることは目に見えている。

◆なお、ついでながら最高裁判所の裁判官の国民審査について触れてみたい。これは衆院選挙に合わせて、必ず付いて回るもので、憲法第79条の2項、3項に規定されているが、いくら国民の権利とはいえ、国会議員の審査(選挙)と違い、その裁判官を罷免するかどうかの判断を国民に求めるのは酷と言うものだ。過去の実態でも常に数%の「不可」があるが、罷免されたためしはない。まさに形式に流されていると言わざる得ない。これについては審査される最高裁裁判官以外の全裁判官、及び検察官弁護士などの専門家にその権利を付託するなどの改憲案を考えてもよいのではなかろうか。憲法改正事項はいくらでもある。
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2017年10月24日 (火)

総選挙に見る希望の党と立憲民主党

安倍総理が無理筋とも思える解散・総選挙に打って出た「賭け」は、前原氏の民進党解体・希望の党への合流という「奇策」と小池氏のオウンゴールのお陰で、思いもかけず与党は解散前とほぼ同じ3分の2の勢力を維持した。一番ホッとしたのが安倍総理自身だろう。国民も賢い選択をするものだと感心した。

【希望の党の敗因と今後】
◆小池氏の「排除発言」が国民からソッポを向かれた大きな原因とされるが、政党である以上、原理・原則に大きな隔たりがあれば、いずれ争いが表面化することは必至。だから、そのこと自体大きな問題とは思わない。問題はそのことより、小池氏自身、都知事選・都議選の結果を天祐とせず、自分の実力と過信したことによる。人事を含めた組織のルールを軽んじ、「私がルール」だとばかり、勝手に刺客や落下傘部隊を決め、選挙民の意向を全く考慮せずに突っ走った結果だった。相撲の立ち会いで焦って突っ込んだが、自分から滑って転んだようなものだった。


◆国政に進出するには、手足となる地方議会の議員を数多く輩出して、地道な政治活動を続けること、それが確かな近道となる。ガラスの天井を破ったからといって、落下傘部隊を上から降ろしただけでは、風向き次第でどこに漂着するか心もとない。彼女が言うシガラミの無い政治とは地域に密着しない、風に乗った政治家の量産ということらしい。こうした候補者を数合わせで無理に擁立すること自体、国民を舐めている言われても仕方がない。人様にはいつも「情報公開」を訴えながら、実は自分がブラック・ボックスだったとは笑うに笑えない。希望の党は将来に希望を持てそうにないが、小池氏を総理候補として再浮上させることができるかどうかに掛かっていると言えよう。

【立憲民主党の勝因と今後】
◆今回特筆すべきは、立憲民主党が公示前の15議席から55議席へ大きく伸ばし、第二党に躍進したことだ。しかしこれは枝野氏が積極的に仕掛けたというより、希望の党に排除され、仕方なく立ち上げたというのが本筋だろう。それに判官贔屓の日本人気質と、「打倒安倍一強に賛成だが、共産党はどうも」と言う声が一挙に押し寄せた結果だ。その証拠に共産党は公示前の21から12へと大きく議席を減らした。


◆しかしながら健全な野党は日本にとっても必要だ。単に「安倍一強体制を倒す。憲法改正反対」だけでは共産党と同じだ。国民に甘い言葉だけでなく、時に耳に痛い言葉であっても真に必要であれば勇気を持って説得しなければならない。国民が安心して政権を任せるだけの実力を蓄え、外交・防衛の一貫性は堅持し、内向きの姿勢を改めて、国際的地位を高める努力を続けることが重要になる。何でも反対の姿勢はそろそろ止めた方がよい。そして総理候補なり得る人物が現れるか、そうでなければ万年野党の域を出ることは難しかろう。自民党は間違いなく総理になり得る人材を抱えている。言うまでもなく小泉進次郎だ。

2017年10月19日 (木)

なんだか空しい衆院選

◆安倍総理が突然解散総選挙を表明したのは9月25日。28日には衆議院が解散され、10月10日に選挙戦に突入。3日後の22日には投開票が行われる。表明から投票までわずか4週間。ずいぶん昔の出来事だったような気がする。この間あまりにも変化が多すぎたからだろう。希望の党の立ち上げ、民進党の分裂、立憲民主党の立ち上げ・・・。

◆本来なら政治の大きな変化で世間は盛り上がるはずだが、少なくとも自分にとっては次第に関心が薄くなり、しらけムードになっている。盛り上がっているのは当事者やメディアだけ。TVが党首や幹部の一方的な主張を放送し、無味乾燥な政見放送が流れだすとついついチャンネルを回してしまう。一方通行で独りよがりの選挙PRのため、選挙民との意見交換が見られない。10年1日のような相も変らぬ選挙運動とその体制。無関心になるのは50%台そこそこまで低下した投票に表れている。メディアは議席獲得予想にしのぎを削り、まるで競馬の予想屋だ。

◆安倍総理の自己都合による解散を「けしからん」と野党は批判した。解散権の乱用は別の次元で論じなければならない。(憲法改正に組み込むとか) もともと野党は「打倒安倍一強」とか「安倍辞めろ」、「内閣不信任案だ」と終始主張していた。だとすればそのチャンスを与えてくれたのだから、大いに感謝しなくてはならない。仮に政権交代となれば安倍さんに対し「感謝状贈呈」ものだろう。

◆しかし選挙戦に突入すると、例によって例の如く、与野党とも批判の応酬合戦。選挙民の歓心を買いそうな甘い政策ばかり訴える。そもそも予算を伴う法案を提出するには50議席以上の獲得が必要だ。その目途もないのに大風呂敷を広げる党もあるから嘘が透けて見えるのだ。幼児教育無償化、高等教育無償化、結構だ。だが年間いくらかかるのか。どこからその財源を持ってくるのか。議員削減、歳費削減、公務員給与削減、いいだろう。だが年間いくら削減できるのか。自治労、日教組等の話し合いの見込みは?それらの具体的数字を示した政党はあっただろうか。そもそも1000兆円をこえる莫大な借金を減らすことを考えず、増やすことだけ考えている政党ばかりではないか。財政再建は自分達の代では必要ないと思っているのか。

◆立憲民主党の枝野氏の評価が上がっている。真面目さ、ひたむきさは伝わってくるが、政権担当能力を回復したとは思えない。民主党時代の華々しい「事業仕分け」は何だったのか?家の近くにある公益事業財団もやり玉に挙がったが、その後、これ見よがしに綺麗な建物に建て替え、敷地も整備してまるで火事後の焼け太り状態だ。結局何の拘束力も持たないパフォーマンスに過ぎなかった。枝野氏は安倍総理の元では憲法論議をしたくないという。まるで子供の論理だ。

◆共産党は決まり文句のように、「市民と一体となって云々」と言う言葉を使う。共産党と一体でなければ市民ではないのか?自分も市民の一人だと思うが、共産党に協力した覚えはない。共産党が言う市民とは、共産党シンパの市民であり、体制批判のためにデモしたり、妨害する市民団体のことである。これから市民と言う言葉を使う場合は「共産党に賛同する市民」と表現を改めて頂きたいと思う。
この程度の国民だから、この程度の政治家しか生まれない」という言葉がある。政治を変えるには国民自らが変わらなければならない。それが分っているから、虚しさだけが残る。

2017年10月15日 (日)

枝野氏の「立憲民主党」について

◆枝野氏が総選挙を前に立ち上げた「立憲民主党」が脚光を浴びている。逆に、ブームに乗るはずだった「希望の党」の影が薄くなった。もともと旧民進党全員で、希望の党に合流しようとしたところ、「あんた達はダメよ」と小池氏に袖にされ、止むを得ず行き場を失った仲間たちを糾合して立ち上げたというのが真相だろう。
結果的には、保守系から左系まで幅広く抱えた民進党が、希望の党・立憲民主党・無所属・参議院民進党の4つに分かれてしまった。仮に旧民進党が丸ごと「希望の党」に合流していれば、ひょっとしてブームに乗って第一党に躍り出て、総理の目が見えてきたかもしれない小池氏。都政のシガラミを切って出馬していたら、ついに政権交代、女性初の総理大臣誕生となっていたかもしれない。

◆しかし、それから先は小池氏が描くシナリオとはまるで違っていただろう。まさに「ひさしを貸して母屋を取られる」の例え通り、小池氏子飼いの実力ある腹心たちが皆無の中、リベラル派と言われる旧民主党の守旧派が幅を利かせ、ことあるごとに彼らとぶつかって、政権維持はおろか、内閣不信任案、解散総選挙と国政は再び混乱を来たすだろう。
小池氏もそれが分っているから、敢て「踏み絵」を踏ませ、ふるいにかけたに違いない。そもそも一挙に過半数獲得を目指し、経験薄い候補者たちをかき集め、都議選勝利という二匹目のどじょうを狙ったのが拙速だったと、自分でも悟るのではなかろうか。俄作りの政権が旨く行かないことは、「細川政権」、「自社さ政権」で十分経験しているはずなのに、「功を焦った」としか言いようがない。


◆さて今回、枝野氏は政党名に民主主義の根幹をなす大事な要素である「立憲主義」を改めて大きく掲げ、「立憲民主党」と命名した。私が受けたその印象は、「何と古めかしい名前を引っ張り出してきたのか」だった。一般的に現在における「立憲主義」とは憲法が個人の権利や自由などを保障し、巨大な権力を有する国家はその憲法を遵守する必要がある。つまり憲法によって国家権力が制限されるということになる。戦後は「立憲主義」が当然のような政治形態になっており、ことさら持ち出すこともなくなって、政党名に冠すことは殆ど無くなった。

◆枝野氏は今の安倍政権が「立憲主義にもとっている」という判断なのだろうが、こういうことを自由に主張できて、正々堂々と反対行動に打って出ることができる世の中にいるということ自体、立憲主義が確立されているという証左ではなかろうか。これが北朝鮮や中国だったりしたら・・考えただけでゾッとする。安倍政権が「立憲主義」にもとっているかどうかは個人の判断だ。総選挙で一定の答えが出るだろう

◆枝野氏の主張で一点だけ同意できる部分がある。それは「総理の解散権の制限」だ。今回の解散自体いろんなところから疑問が指摘されている。私も以前このブログで、この問題を取り上げた。解散権は総理の専権事項だとして従来から踏襲してきたが、これは憲法七条の拡大解釈に過ぎない。本来憲法を素直に読めば衆議院の解散は「内閣不信任案が可決された時(信任案が否決された時)」か「任期満了に伴うもの」に限るとするべきだ。枝野氏がそう思うならば、安倍総理の元では憲法改正論議は一切しないなどと駄々を捏ねないで、まともに取り上げ、正々堂々と論議すべきだろう

2017年10月 9日 (月)

こんな政治家はいらない

◆安倍総理が何を感じたのか、かなり危険な賭けに出た今回の解散・総選挙
彼の思いとは裏腹に小池都知事が夏の都議会選挙の大勝利の余波をかって、美酒を再びとばかり、「希望の党」を立ち上げた。ところが野党第一党の民進党前原代表はそっくりそのまま「希望の党」に合流するという奇策に打って出た。落ち目になったとは言え、まだ明確な国政政党としての体を成していない「希望の党」へ鞍替えするというのだから、日本憲政史上初めての驚天動地の出来事と言ってよいだろう。


◆しかし民進党は、多少の屈辱は我慢しても、小池頼りが勝利の近道とばかり合流したグループと、今更先行した若手の股をくぐれるかと言って無所属で戦う大物議員達のグループ、そして希望の党に撥ねられ、男の股間じゃない、沽券に係わることだから、それをバネにしてより革新的な道を進もうとする枝野氏や旧社会党系グループの3つに分裂してしまった。「立憲民主党といっているが、「一見民主党ではないかと揶揄される始末。

◆そこで問われるのが我々有権者の選択眼となる。政治家は自己PRに余念がないから、投票するに当たって「こんな政治家はいらない」という、「笑点」流の基準を設けた。

・「違うだろー! このハゲ~!」と怒鳴り散らす政治家。
・しばらく雲隠れして、ほとぼりが冷めたら、しおらしく「無所属で立ちます」という政治家。
・国会では「風林火山」のように鋭く政府を攻めながら、国会を離れると「フーリンカーサン」に変身する母親政治家。
・前回選挙で、全国で一番最後にギリギリで当選した元総理大臣経験者。
・「あれもやります、これもやります」と言っていながら、その財源を聞かれると「困っちゃうな」と言う人気取り政治家。
・全選挙区に候補者を立てながら、他党の動き、選挙区の都合により、降ろしたり配置換えしたり、まるで手品師のように人間を取り扱う独裁的政治家集団。
・国会にわずか2議席程度しか支持を得ていないのに、TVでは他党と同等以上に大きな顔をする某党と某党。
・選挙民に耳当たりのよい公約(負担は少なく、給付は多く)を吹き込みながら、当選すれば儲けもの、公約を果たせなくとも「与党じゃないから、と言い訳してきた万年野党の政治家」。
・国会乱闘の際、スカートのまま机の上に飛び乗って、目をそらせた女性政治家。
・都知事を続けるのか、国会議員となって総理総裁になるのか、ギリギリまで思わせぶりな態度で、周りを翻弄する「希望の党」党首。

 
 「気を付けよう  甘い言葉と  暗い道」

◆野党、特に左傾は「安倍1強を倒すことが先決。そのためには大同団結して当たることが必要」と叫ぶ。しかし、思いが叶って倒したとしても、そのあとの体制のことを考えているのだろうか。何の青写真もなくただ倒すことが目的では、その先の瓦解は目に見えている。薩長連合をはじめとする討幕軍は、幕府崩壊後の新体制について坂本龍馬をはじめとする有志達が新政府の青写真を描いていた。そして見事に明治新政府を樹立したという歴史上の史実から学ぶべきことは多いはずだが。

2017年9月30日 (土)

「原発ゼロ」は人気取り政策か

小泉純一郎元首相の行くところ、常に「原発ゼロ」という言葉が付いて回る。
新党を立ち上げた小池百合子氏との会談においても、「いいね。原発ゼロだよ」、
街頭に立って聴衆を前に演説するときも、「原発ゼロ、原発ゼロ」を連呼する。
まるでお題目のように「これさえ唱えていればすべてがうまくいく、幸せになれる」と訴えているようだ。そう言えば、だんだん「原発ゼロ教」の教祖様に見えてきた。


このお題目、一聞「単純・明瞭」で世間に浸透しやすい。「原発は怖い、だから廃止するのだ」。実に分かりやすい。しかし、人はこれさえ唱えていれば明日から原発はすべて消えてなくなると信じているわけでもなかろう。だが、ひょっとしてそう思い込む無知な人がいるのかもしれない。新興宗教は無知な人につけこみ易いからだ。
原発ゼロ」とはどういう状況を指すのだろうか。それは現在全国にあるすべての原発を廃炉にして、建設以前の状態に戻すことを指しているのか。また使用済み核燃料を含む膨大な廃棄物の処分も完ぺきに終了したこともって、ゼロというのだろうか。現在、その最終処分地を引き受ける自治体さえ決まらない状態だが・・。


あるいは現在、稼働中、点検中、建設中、計画中など、すべての原発の廃止を決定することをもって「原発ゼロ」とするのだろうか。福島第一原発の1~4号機は震災の翌年の4月に廃止が決定、残る5、6号機は2014年1月に廃止が決定した。廃炉・解体作業が終了するのは順調にいって2050年代の半ばと見込まれている。この間はゼロと言うのか、言わないのか。原発は廃止を決定すればそれで済むというものではない。廃炉作業に入るまでの維持メンテナンスは必要だし、廃炉作業に入っても長い時間と労力、膨大な資金が必要になってくる。「決めてしまえば、あとはお任せ」では、政治家たるもの無責任というものだろう。

震災前に28%あった全発電量に占める原子力発電の割合も、現在では数%。新規の建設をストップし、老朽化したものを廃炉にしていけば、やがて原発は無くなっていく。問題は廃炉に伴う膨大な資金を誰が負担するかだ。電力会社の負担とすれば利用者の料金に跳ね返ってくるし、「国が決めたのだから、国で」とするならば、いずれ税金になって跳ね返ってくる。さらには実際に廃炉を行う技術者の継承、育成も必要になる。
原発ゼロ宣言」したからと言って、人手、資金、時間を考慮すれば、一斉に廃炉作業に取り掛かることは不可能だろう。厳重な審査をパスした原発のみ稼働させることを前提にすれば、10~15%程度の発電のシェアを確保することができ、この間の廃炉コストの負担を軽減することができる。また、人材育成にも資するだろう。要は原発ゼロ」をお題目のように連呼する政治家は、単なる人気取り政治家に見えて仕方がない。

2017年9月28日 (木)

歴史に残るか、小池の政変

◆政変が起きる時は、予測も困難なくらい短兵急に事は起こるものだ。「大化の改新」、「本能寺の変」、「桜田門外の変」等々。
今回の安倍総理の突然の解散・総選挙は、与野党間に大混乱を惹き起こした。「解散に大義無し、自己中心の解散、疑惑隠し解散」など、与党の中でもブーイングがあったようだ。だからと言って、解散ボイコットなどの動きは起こってこない。一旦走り出せば、その動きは誰にも止めることはできない。その辺が日本の政治の不思議さだ。


◆しかも今回は「小池新党国政進出か」という予測もあり、民進党を中心に「バスに乗り遅れるな」とばかり離党ドミノが続発した。「機を見るに敏」な小池都知事、ここぞチャンスとばかり、若狭、細野二人の側近に新党立ち上げの準備を任せた。ところが予め計算していたのか、もたつく作業に業を煮やしたのか、「リ・セット」を宣言。小池氏自ら党首となる「希望の党」を立ち上げた。それから「あれよ、あれよ」と言う間に加速度的に政変が進んだ。

◆櫛の歯が欠けるように離脱者が続いた民進党は、前原代表が「一層の事、全員丸ごと合流を」と、とんでもない奇策に打って出た。あの頑固で左翼的な連中も自分の議席保持のため、見栄もプライドも投げ捨て、しぶしぶ事実上吸収合併のような合流を認めた。但し、民進党の党籍はそのままというのだから、実に分かりにくい。左右の路線対立は解消されたのか?今後の国会論戦でギリギリの選択を迫られた時、あっさり自説を曲げるのか?懸念されるところではある。まさにこの一連の動きは「小池百合子の変」と呼んでもよいくらいの政変になってきた。

◆しかし、小池百合子なる人物、「資金なし、人手なし、あるのは度胸と、愛嬌と、口車」の状態でよくやるよ。新党立ち上げの記者会見で他党から転がってきた14の国会議員を従えた姿はまさに女帝そのもの。但し、いやらしさを感じさせないところが彼女一流の演出か。小池さん、現状では「都知事」と「希望の党党首」という二足の草鞋を履くことになるが、先の知事選で、小池氏を選んだ都民に対する責任はどうなるのか。「二頭を追うもの一頭も得ず(?)」というが、女性初の総理大臣を目指すと言われる小池氏、全国の小池ファンの空気を読み取って、都知事の草鞋を捨てる批判をものともせず、総選挙に名乗りを上げる可能性は大いに在り得る。それが小池劇場の第二幕か。

◆ところで今回、衆院解散・総選挙の道を選んだ安倍総理だが、大誤算となって、「我、時期を誤てり!」となるか、思惑通り「してやったり!」とほくそ笑むか、その結論は来月22日。お灸を据える程度であればまだしも、小池新党が政権を取るようになれば、いかなスーパーウーマンといえど、一人で切り盛りするのは不可能だ。2009年9月から3年ほど続いた民主党政権の悪夢が再来(政権担当能力の無さを露呈)なんてことにならねばよいがと思うのみ。

2017年9月19日 (火)

総理の勝手な解散・総選挙は憲法違反?

◆内閣が解散総選挙を決める場合にその根拠となる法規定は言うまでもなく、憲法第69条【内閣不信任案決議の効果】に明確に規定されている。即ち、
「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決した時は、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない」と。これ以外に衆議院の解散を規定した条文は「四章:国会」、「五章:内閣」のどこにも見られない。

◆では何故、今回のように安倍総理の独断で、衆院解散・総選挙ができるのか?今までも「解散権は総理の専権事項だ」と言って、内閣の一存で、度々解散・総選挙が行われてきた。これを「7条解散」と言うそうだ。
憲法第7条には【天皇の国事行為】として「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。」と規定されている。その内容は
(1)憲法改正、法律、政令及び条約を交付すること。 (2)国会を召集すること。 (3衆議院を解散すること。 (4)国会議員の総選挙の施行を公布すること。(以下6項目省略)
これらは内閣が承認したことを形式的に認めるという手続き上の行為に過ぎない。天皇がこれらを直接行うとすれば、それこそ憲法違反になってしまう。


◆したがって、7条でいう衆議院の解散や総選挙の施行は、第69条で定められた解散・総選挙の事務的承認でなければならないはずだが、「総理大臣の専権事項」として解散・総選挙までを7条に適用できるとするならば、行き過ぎた拡大解釈と言える。何故ならそれをOKとするならば、(1)項に掲げてある「憲法改正」も「総理大臣の専権事項」として処理することも可能になってしまうではないか。

◆本来野党もメディアも、「総理の独断による解散権行使」は、憲法上の不備として、問題提起し、とっくに議論しておくべきテーマだったのだ。英国は最近「無闇な解散権行使を制限する」憲法改正を行ったという。9条改正反対だけが野党のスタンスではなかろう。安倍総理の抜き打ち解散を非難する前に、こうした憲法改正も訴えておくべきだった。本来衆議院の任期は4年と決められている。無事それを成し遂げることこそ本筋だと思うが、権力者は自分の権力を誇示したいのか、安倍さんも1年3か月の任期を残して、解散総選挙をやるという。600億円ともいわれる膨大な国費を費やして。解散風を煽るメディアにも責任の一端はある。

◆野党は、不意を打たれた解散・総選挙に「横暴だ、ズルい、森友・加計隠しだ、北朝鮮への対応を空白にするのか、体制が整っていないのに卑怯だ」等々、右往左往するが、逆に言えば安倍さんの策士振りが際立つ。世界の海千山千のリーダー達と渡りあっていくには時に権謀術数も必要だ。森友・加計問題をいつまでもゴチャゴチャやっている場合ではない。すでに司直や当該機関の手に移っているではないか。そんなことしか追及できないのかと能力を疑ってしまう。また野党統一候補擁立の動きも異様だ。選挙の時だけまとまるなら最初から一本化して合併してしまえと言いたくなる。仮に間違って過半数をとってしまい、政権運営する立場に立たされたらどうする気なのか。その先のシナリオは過去に何度か見せられて、結局国民にNOを突き付けられたではなかったか。あれから進歩しているどころか悪化しているように見えるのだが。

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