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経済・政治・国際

2019年9月 8日 (日)

韓国経済の様子をしばらく静観しよう。

◆「腫れ物に触るような」という言葉がある。機嫌を損なわないように恐る恐る接するという意味だが、近年の韓国に接する態度がまさにこれだった。このまま放置し続けるならば、腫れ物は大きくなり、ますます膿が溜まる。痛くとも一度は切開して膿を出しきらねば、両国の将来の為にならない。政府は3品目の輸出規制の厳格化と輸出ランクをAからBへと降格した。韓国にとってはあの弱腰の日本が「まさか」という暴挙に見えたのだろう。日本政府にとっては想定以上のリアクションだったに違いない。

◆次なる懸念は、徴用工裁判で差し押さえられた日本企業の資産が売却された時だ。その一手として金融面の措置が考えられる。NET上には韓国の「カントリーリスクを引き上げろ」と言った声もあるが、確かに日本政府がそれをやれば、邦銀は韓国に与えている貿易の「信用状」の保証を止めやすくなる。日本の銀行(みずほと三菱UFJ)は韓国輸出入銀行他2行に貿易の「信用状」を保証している。韓国の銀行は経営状況が悪化しており、邦銀の保証がなければ世界各国は韓国の「信用状」を受け取らない。日本の銀行がその保証を止めれば、韓国は貿易(特に輸入が)ができなくなるという訳だ。しかし、この方策は日本単独では困難。有効なのはアメリカのFRBあたりがマーケットにウォンの通貨不安のサインをチラチラ投げかけることだ。

◆米国は景気後退への懸念が高まっている。米国経済が後退局面に入ると、韓国のみならず世界経済は足を引っ張られることになる。そうなると、韓国の輸出はさらに落ち込むことが想定される。企業業績悪化の懸念から外国人投資家は韓国株を手放し、韓国から海外へ資金や資本が流出する。韓国経済が自力でその状況に対応することは困難であり、今回はIMFはサポートしない。すでにウォン安、株安は長期的に低落傾向にある。外貨準備高は約4000億$と言われているが、即換金性があるのは3分の1ほどではないかと見られている。韓国の国債の殆どは$建て債券(外国からの借金)であり、償還に支障を来たせば即デフォルトの危険性が高まる。輸出に頼る脆弱な体質の韓国経済は最も世界経済の影響を受けやすい。

◆文政権は韓国の経済、雇用環境の悪化に対する国民の不安を「反日」に向けさせることで目をそらし、将来の「北」との統一というバラ色の未来図を描いてみせた(バラ色より暗黒の可能性が高いのに。)文大統領は自らの立場を守るために、国家の安保体制の維持強化に欠かせない米軍との関係を蔑ろにしたことで、米軍の軍事・安全保障の専門家達を怒らせてしまった。トランプ政権は12月までに、在韓米軍の駐留費を現行の5倍に引き上げるよう大幅な増額を求めている。米軍撤退を望んでいる文大統領は、これを蹴ったり無視すれば、アメリカの金融制裁はいよいよ表面化するだろう。国内では文氏の側近で、反日の急先鋒である法相候補がスキャンダルで追い詰められている。内憂外患の文政権だが、これから年末にかけて正念場を迎えることになろう。日本はじっと静観していれば良い。


 

2019年9月 4日 (水)

想像力が欠けているのは岩波・朝日の連中だ。

◆日韓の対立が深刻化し、修復が困難な状況になってきた。ここにきて、このままでは日本のマイナス面が顕在化するので、話し合いを進めるべきだという意見も目立ってきた。週刊朝日は「元徴用工など歴史認識に端を発した問題に対して、経済面にまで拡大したのはやはり安倍”害”交と言うほかない。韓国では日本製品不買運動が加熱し、韓国旅行客の激減で日本全国から悲鳴が上がる。結局、国益を損ねただけだ」などと相変わらず日本が悪いと強調する
◆7月末には、識者と言われる一部の人たちが「韓国は『敵』なのか」と題する声明を発表。日本の韓国向け輸出規制の撤回を求め、「両国関係がこじれるだけで、日本が得るものは全くない。解決には冷静で合理的な対話以外にない」と訴え、8月末までに約9400人が賛同し、署名したと言う。さらに、8月末に朝日新聞や岩波書店などが修復を訴える集会を開き、「日韓関係は泥沼に入り、収拾がつかなくなっている。圧力で相手が屈するとの考え方には、相手への想像力が著しく欠けている」と指摘したと言う。
◆こうした考え方は一見正論に見え、事情をよく知らない人達はもっともだと思うかもしれない。だが、今回一見強硬と見える日本の動きに、韓国側は今までとは違うなという驚きを感じているらしい。即ち、1965年の日韓基本条約及び請求権協定で両国間の問題が解決し、未来志向で動き出したはずの両国がその後、竹島問題、教科書問題。旭日旗問題、靖国問題、慰安婦問題、徴用工問題などを事あるごとに韓国側が取り上げ、騒ぎの元になってきた。その元になった主因のひとつに朝日などの左派系メディアが自身のフェイクニュースも含めて、政府批判の論調を展開してきた背景がある
◆韓国側はこれらを奇貨として、時の政権の浮揚策に反日運動・日本叩きを大いに利用してきた。日本は戦前の植民地政策という負い目もあって、その都度「まぁいいか」という大人の態度で対応してきた。韓国は「日本は強く出れば譲歩してくるもの」と自信を持った。つまり、日本は対韓政策で甘やかし政策をとってきたが、それが裏目となって跳ね返っているのだ。単に表面的に問題を収めるだけの話し合いは同じことの繰り返しとなり、将来的に大きな禍根を残すことになろう。
◆今回の安倍政権は今までの対応とは異なった。三品目の輸出規制の厳格化、ホワイト国からの格下げは韓国が単に輸出の手続きを国際ルールに則り正しく運用すれば済む話で、逆上して経済戦争などと大騒ぎする話ではない。ここに韓国の本質、体質というより『北』の主体思想に毒された大統領以下の指導体制に見る思いがする。しかし、韓国内にも「反文在寅」の動きも出てきた。文氏は8月15日のスピーチで日本との対話のシグナルを送ったというが日本が求めてくるなら会ってやってもよいという上から目線のもので、とても本心からではない。ここで朝日新聞等がいう「対話に応じるべきだ」はまさに「歴史を顧みず、想像力に欠けた態度」と言わざる得ない。過去の諸問題を横に置いて輸出規制の撤廃に妥協するような解決策をとるならば、まさに韓国の思うつぼ。対話するならば、過去と同じ轍を踏むことを止め、この際全てを清算するのだという覚悟で、徹底的にケンカすることが必要ではなかろうか

2019年5月 4日 (土)

「平成」に積み残してきたもの

◆「令和」の時代が始まった。世の中が新しい気分になるのは結構なことだが、現実の世は1日で大きく変わるほど単純なものではない。平成の世に大きく変わったものは数多いが、変わらないのは日本の政治だ。戦後の一時期、昭和22年6月から翌23年2月にかけて、社会党片山哲を首班とする連立政権が成立したが、短命に終わった。以来昭和30年に、いわゆる55年体制と言われる保守政権の自民党対万年野党の社会党という構図が出来上がった。この体制は平成の世になり、同5年(1993)8月、野党8党・会派による「細川連立政権」が発足するまで、約40年続いた。

◆この間、金権政治、派閥政治、腐敗した権力構造などと批判されながらも、日米安保体制のもと、高度経済成長の波に乗って、国民の暮らしは向上し、日本の国際的地位は高まっていった。まさに昭和元禄と言われた時代だった。ところが、長く続いた一党独裁政権の弊害が顕著となり、政治改革が叫ばれるようになった。そうした中で「細川連立政権」が成立し、55年体制は崩壊したかに見えた。しかしこの政権は「反自民」というだけで集まった野合政権で、瓦解するのも早かった。一旦政権を失った自民党はなり振り構わぬ政権奪還を目指し、翌H6年6月に村山社会党委員長を首班とする「自社さ」連立政権を発足させた。

◆平成の世はバブルの絶頂期から始まり、バブルが崩壊すると、大震災・経済危機など数々の試練に直面。世界的には東西冷戦の終結で、安定した平和の時代の到来かと思いきや、逆に紛争や大規模テロが頻発、新たな無秩序が広がった。H20年にはリーマンショックという世界的金融危機が起こり、日本経済は出口が見えない長いトンネルに入ってしまった。政治の世界では政権交代可能な選挙制度の導入ということで、小選挙区制が施行され、3度の総選挙を経て、H21年(2009)9月、民主党が単独で過半数を大きく上回る大勝利を果たした。自民党以外の政党が単独で過半集を獲得した戦後初の政権が誕生。多くの人は(筆者も含めて)新しく発足した「鳩山内閣」に希望を託した。しかしその期待は後の菅内閣、野田内閣と三代続いた民主党政権に大きく裏切られる結果となった。

◆民主党政権の失敗は、沖縄辺野古基地の混迷化、東日本大震災と福島原発事故の対応の不味さ、尖閣諸島をめぐる対中国との稚拙な外交等、未熟さが表面化したものだが、要するに政策遂行能力の欠如、官僚機構に対する統治能力の欠如が主因だ。万年野党で染みついた批判体質、責任転嫁体質、財源の裏付けのない人気取り政策、バラバラの外交安保政策・・一口で言えば政権担当能力の欠如としか言いようがなかった。国民はバラ色の幻想を抱き、それに踊らされたが、その反動はH24年12月に第二次安倍政権が成立したことに現れた。その政権が6年4か月と史上最長の長きに亘って続いている現状を見ても、前民主党政権への絶望が大きかったことを物語っている。

◆今、野党は「安倍一強打倒!」とか「政権奪還!」とか「統一候補の擁立!」とか叫んでいる。離合集散を繰り返し、数の寄せ集めと「敵失と風頼み」で、「夢よ再び」という訳か。憲法、原発、外交安保などの各論になると意見はバラバラ、纏まらない。いや纏める気がない。奪還姿勢はポーズだけ、今叫んでいることは枝葉末節の事。前回敗戦の本質論に踏み込んでいない。国民は安倍政権に満足しているわけではない。政権担当能力のない野党よりは増しだという程度。本当に政権奪還を果たそうとするならば、目指す政権の旗印はこうで、顔はこうだ、と目に見える形で国民に示せるようでなけらばならない。結局、平成の世に積み残してきたもの、それは野党が政権担当時代に負った「多くの負の遺産」だ。その清算を果たさないまま、再度政権を任してもらおうなんてあまりにも厚顔無恥すぎる。

2018年10月18日 (木)

韓国と北朝鮮 根っこは同じ

文在寅韓国大統領は、フランスのマクロン大統領と会談した際、北朝鮮は「米国が相応の措置を取れば、現在保有している核兵器と核物質をすべて廃棄する用意がある」と語ったという。(そんなことは今年6月「シンガポール米朝首脳会談」の共同声明で、「北朝鮮は朝鮮半島の完全な非核化に向けて取り組む」と謳ったはずだ。何をいまさら。本当にやる気があるなら条件を付けずに、具体策を示せと言いたい)

◆さらに続けて「金委員長は誠実で冷静、礼儀正しい」と評し、「国際社会が依然として疑念を持っていることに不満を感じている」と主張。「困難の末に合意にこぎつけたこれらの努力へ、報いるべき時が来た」と述べ、「非核化は正しい決断だったと保証する必要がある。金委員長が核兵器の廃棄に向け、戦略的な決断をしたことを確信した」と仏紙に述べたという。(早く朝鮮戦争終結宣言をせよと言うことか)

◆文氏に言いたい。いくら同胞とはいえ、年下の若造にそこまで懐柔されたのかと。「国際社会が依然として持っている疑念」とは何か、祖父・父親という独裁者の血を引く三代目が誠実で冷静、礼儀正しいという人物ならば、政敵とは言え叔父を粛清し、兄貴を白昼堂々と暗殺するだろうか。北朝鮮は今年核兵器とミサイルの実験を停止しているが、核実験場を爆破した際に国際査察官を招くと言う約束を反古にした。舌先三寸で相手を惑わす得意技は衰えていない。口先だけの核廃棄で、世界中が経済制裁を解くならば、北にとって文大統領は功績大なりとして表彰状ものだ。

◆文氏がいみじくも述べているが、金正恩が核兵器の廃棄に向けて、戦略的な決断をしたとはまさに言い得て妙。「核兵器の廃棄」を餌に様々な交渉で、取るものだけ取って究極的なもの大切に仕舞い、いざと言うときの切り札にとって措く。ということはいずれ南北が統一されれば、統一された朝鮮半島は核保有国となり、米・中・露とは対等に立ち向かい、日本を下に見ることができる。なるほど「核兵器の廃棄に向け戦略的な決断」とはそういうことだったのか。文氏が揉み手をして、金正恩に寄り添う姿に納得がいくではないか。

◆「恨」の国、朝鮮半島。日本から受けた恨みは2000年経っても忘れることはできないと前大統領は言った。ところが、1950年に38度線を超えて朝鮮戦争を勃発させた北朝鮮。1987年、北の工作員によって乗員・乗客115名が命を絶った大韓航空爆破事件。こうした北による数々の事件・暴力・拉致などはすべて水に流すという大寛容の精神を文氏は持っているらしい。その一方で、1965年の「日韓基本条約」、1998年の「日韓共同宣言」、2015年の「最終的かつ不可逆的な合意」という「反省と未来志向に向けた国と国の取り決め」には不誠実だ。逆に、慰安婦問題、竹島問題、歴史認識問題などは韓国国民の世論だとして繰り返し利用しながら、金正恩と協調して世界平和を演出する。韓国歴代大統領は不幸な結末を招いた歴史があるが、もともと朝鮮半島のDNAを引き継ぐ二人、果たして文大統領は?そして金正恩の将来とは?

2018年9月15日 (土)

自民党総裁選と憲法論議(後)

安倍総理は9条(1)項の「平和主義」と(2)項の「戦力不保持」はそのまま維持し、新たに9条の2として「自衛隊の存在」を明記し、法的根拠を与えようとする考えを打ち出した。即ち、現実をそのまま認め、宙ぶらりん状態の自衛隊を正式に認知しようというもの。これなら現状と大きく異ならず、比較的国民に受け入れられやすいと判断したのだろう。
        ◇         ◇         ◇

ところが、この案に対しては「実質、現状が変わらないのであれば、何も憲法を改正する必要がないではないか」と、左派系政党をはじめ、憲法改正反対派から声が上がる。また、安倍さんは「史上初めて憲法改正した総理として名を残す考え」ではないかと、穿った見方する人もいる。しかし、もっとも大きなポイントは、(2)項の「戦力不保持と交戦権の否認についてそのままにした上、いくら憲法上に自衛隊を明記しても、戦力ではないという従前からの主張の矛盾については、何ら解決策にはなっておらず、対立の図式は変わらない。
        ◇         ◇         ◇
対立候補の石破氏はまさにこの点を突き、安倍さんの提言は「まやかし」であるとして、大胆にも(2)項の「戦力不保持と交戦権の否認」を削除し自衛隊を通常の軍隊であることを明記し、保持を定める。その上で国際法上の「交戦権」を認めようとするもの。もちろん自衛隊の暴走を防ぐため、文民統制(国会や内閣による)の原則を明確に定めるという。
        ◇         ◇         ◇
さて、どちらの議論が正しいか。理論的には石破氏の提言が正しい。自衛隊は軍隊ではないなどという非現実的なところを改め、矛盾がなくなり、スッキリした形になる。しかし、この憲法案だと、反対勢力から逆に「戦争ができる国にしようとしている」などと喧伝され、それに乗じて、中・韓・北朝鮮あたりから「右傾化だ、軍国主義の復活だ」などと逆宣伝されるだろう。そして(1)項で平和主義の貫徹を謳っているにも拘らず、そのことには目もくれない。その辺りを意識してか、持論の改正案については、「緊急課題ではない、理解無き憲法改正をスケジュール感ありきでやるべきではない。」とトーンダウンしている。これはこれで「機を見るに敏」な政治家の姿勢をよく表している。ではいつ理解を得られるのか?
        ◇         ◇         ◇
結局総理の案は「現実」を直視した案で、自衛隊員の立ち位置について「」に訴えた形ではあるが、根本的な矛盾を孕んだままであるのに対し、石破氏の案は「理想」を追求した案で正論ではあるが、現実性に欠けるきらいがある。これほど難しい安全保障や憲法改正について国民に判断せよといっても簡単ではない。為政者は安全保障上の長期的ビジョンと国益を第一とした外交方針を示したうえ、そのための憲法改正の必要性を丁寧に説明して、理解を得るしかない。このまま何もせず、放置したままで、「他国侵略の難」が起こったときに、「時すでに遅し」では済まされない。(終)

2018年9月13日 (木)

自民党総裁選と憲法論議(前)

9月20日に投開票される自民党次期総裁選。我々一般人には1票を行使する権利はないが、事実上時期総理の決定であり、注視せざるを得ない。メディアの予想では、国会議員票(405票)では8割程度が現職安倍総理・総裁に、約104万人といわれる党員票(405票に比例配分)では、地方に人気がある石破氏が過半数を上回る見込みだと言う。しかし、全体では安倍さんの有利は動かないと言う見方が大勢を占めている。
      ◇        ◇       ◇
本格論議を極力避けている安部さんに対し、石破氏は正々堂々と議論し、世論を味方につけ、その勢いで党員票の大幅獲得を狙う。しかし北海道地震や、総理のロシア極東会議出席で、その論戦の場は狭まった。メディアの報道にしても表面的な現象や評論的な立場に終始し、国民が最も知りたがっている、石破さんが総裁になったら日本はどうなるのか安倍さんが続投したら、どう変わるのか、あるいは変わらないのか、その辺のところは全く触れられていない。この二人の政策で大きく違うところは「外交安全保障」とそれに関連する「憲法改正」問題だ。その辺に焦点を絞り、考えてみたい。
       ◇        ◇       ◇
憲法9条の「戦争の放棄」と「戦力及び交戦権の否認」についての改正問題は自衛隊の存在の規定を巡って、70年に亘り違憲か合憲かの不毛とも思える論争を繰り返してきた。即ち、1項では、「日本国民は国際平和を誠実に希求し、戦争及び武力による威嚇・行使は国際紛争解決の手段としては永久に放棄する」と平和主義を貫徹することを謳っている。その上で、2項において「前項の目的を達成するために、陸海空軍その他の戦力を保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と規定している。この規定は世界に類を見ない完ぺきな平和憲法であり、世界が目指すべき崇高な目的ではある。しかし、理想だけでは現実社会の統治が困難であることは、真剣に取り組む政治家ほど実感するのではなかろうか。
       ◇        ◇       ◇
長年問題となってきたのは第2項の規定であり、自衛隊は陸海空軍その他の戦力に当たるのか当たらないのかと言う問題である。しかしながら戦後70年を経て、自衛隊は国民の間に定着してきた。交戦権は認めないといっても、自衛権まで否定されるものではない。近年では近隣諸国による日本の領土・領海への侵略のみならず。サイバー攻撃などでインフラを麻痺させようとする戦略にも対応を余儀なくされている。
       ◇        ◇       ◇
こうした現実に直面しているにも拘らず、「自衛隊は戦力ではない」という苦しい弁明が70年ほど続いてきた。国民もこうした矛盾に慣らされ、「憲法上に規定されていなくても実効があればいいんじゃないの」という軽い気持ちで憲法問題や安全保障問題を捉えているのではなかろうか。問題なのは憲法上に自衛隊の存在、機能、制限など何の規制もないまま自衛隊が存在していることだ。海外から見れば立派な軍隊であり、戦力ではないと言っても全く通らない話だ。(続く)

2018年4月17日 (火)

明治150年の歴史から何を学ぶか(6)

【統帥権とは】
前回の最後の部分で統帥権のことに触れたが、統帥とは、軍隊を統べ率いることである。大日本帝国憲法第11条には、「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」とある。これを根拠に軍部は統帥事項を内閣や議会の管轄から独立させ、昭和に入ってからは、陸海軍当局が天皇直結であると拡大解釈して、暴走したことがことの本質だった。元来は、政争の道具として軍隊に利用されないように、元勲が企図したものだった。明治の頃にはまだ元老たちが健在で、軍が勝手な行動をとらないよう睨みを利かせていたから、鬼っ子が暴れ出すまでには至らなかった。


統帥権は慣習法的に軍令機関(陸軍参謀本部・海軍軍令部)の専権とされ、シビリアン・コントロールの概念に欠けていた。統帥権に基づいて軍令機関は帷幕上奏権(天皇に直接上奏する権利)を有すると解し、軍部の政治力の源泉となった。それ故、帝国陸軍及び海軍は立法府や行政府に対し、一切責任を負わないものとされたから、およそ民主主義の概念からかけ離れたものであった。昭和に入ってからは、軍部がこれをおおいに利用し、「陸海軍は大元帥である天皇から直接統帥を受けるものであって、政府の指示に従う必要はない」とした。これに口を挟もうならば「統帥干犯」として、恫喝された。満州事変から始まる一連の軍部の大暴走は政府の決定など全く無視した行動で、神国思想を糧に次第に鬼っ子が肥大化していき、結局日本を崩壊させてしまった異胎の時代となった。

◆明治憲法は今の憲法と同様に、立法・行政・司法の三権分立を謳った憲法だったが、昭和に入って変質した。統帥権が次第に独立し始め、ついには三権の上に立ってしまった。司馬さんは日本を「鬼胎」にした正体ーそれはドイツから輸入して大きく育ってしまったもの、即ち「統帥権」だったと喝破する。軍の統帥権の実際の運用にあたっては、当然ながら政府と議会がチェックする必要があった。しかし、そのチェック機能も統帥権を盾にした軍部の前には効かなくなっていった。軍部は統帥に関する決定権はすべて天皇にあると主張、ところが実際は天皇自身が決められる訳ではなく、軍の中枢を成す部課長が決定。軍はその結果を天皇に上奏するだけで、天皇の意思をしばしば無視して押し切っていった。

◆軍部はついには「統帥権は無限・無謬・神聖」と唱え始め、三権を超越した存在であると考え始めた。こうなると、日本国の胎内に別の国家ー統帥権国家ーができたともいえる」と司馬さんは述べている。また参謀本部所属の将校しか、閲覧を許されなかった秘密文書の復刻本「統帥参考」を入手した司馬さんが、その中の一節を次のように紹介している。
統帥権本質ニシテ、其作用ハ超法規的ナリ 云々」と。まさに昭和の日本が破滅に向かって一直線に進んでいった本質を炙りだしている。「間違った思想・考え方が一国を滅ぼす」という教えを現代に生きる我々は身を挺して学ばなければならない。(続く)

2018年4月 9日 (月)

防衛省の日報問題の本質を探る(下)

◆憲法は前文の中で、「日本は恒久平和を求め、世界の平和を維持するため、同じ価値観を持つ国際社会の一員として、名誉ある地位を目指す」という趣旨を謳っている。PKOは国連決議に基づく、国際的な平和や安全を維持するための活動であり、専守防衛を標榜する日本が自衛隊を海外に派遣する根拠ともなっている。派遣する際は国会の承認を得ることになっているが、憲法9条の「戦争放棄、戦力及び交戦権の否認」との整合性を盾に、必ずしも国論が一致しないという問題点を孕んでいることがこの背景にある。

◆自衛隊法の規定には、「首相が『内閣を代表して、最高の指揮監督権』を持つ。内閣の一員である防衛相が常時自衛隊を統括する」とある。これ即ちシビリアンコントロールであり、実力組織である軍隊の上に文民が立って統制することを明確化している。防衛省の主な任務は「我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、我が国を防衛すること」と規定されている。戦闘能力を持つ武器を合法的に使用できる国内最大の実力組織だ。問題はこれだけの組織と実力を持ちながら、あい矛盾する憲法9条との整合性において、70年経っても未だその地位が明確になっていないことにある。

◆自衛隊は「自衛のための必要最小限度の実力を持つもの」と定義されているが、この「必要最小限度」とは実に曖昧なもの、どう捉えるかは人により異なるもので、周辺諸国の状況の変化や技術の変革等で変動するものだ。防衛費は2018年度予算案では6年連続で増額し、5兆1911億円。4年連続で過去最高を更新した。世界の軍事費では日本は上位8位にランクされている。これを多すぎると見るか、いや足りないと見るか、これらの説明が足りないから、多くの国民は防衛問題、安全保障問題に戸惑いを覚え、コンセンサスを得にくい状況となっている。

◆安倍総理は自衛隊を憲法に明記するよう提案した。しかし、その必死さが伝わってこない。まずは防衛問題に限らず、すべての問題に対して追及から逃げるのではなく、真摯に向き合うことだ。野党を説得できずして、国民がついてくるだろうか
内閣の命運をかけてでも、「何故PKOが必要なのか」、「自衛隊はどうあるべきなのか」、「日本の安全保障をどうすべきなのか」、「何故憲法9条の改正が必要なのか」、こうした基本的な問題について、反対勢力を説得し、国民の理解を得る努力をすべきだ。最終的には安全保障に関する国民のコンセンサスを築かなければ、いつまで経ってもこの国の防衛問題は解決できない。自衛隊の身分が憲法上明確になっていないからこそ、廻り回って末端の自衛隊員の日報問題にまで行きつくことになる。国防に関する明確な指針がなく、法的な整備も不十分なまま、国民と政府と自衛隊の信頼関係を築くことができるのか。これなくして自衛隊が本当に機能するのか、いかにも心許ない。(本稿終り)

2018年4月 8日 (日)

防衛省の日報問題の本質を探る(中)

◆自衛隊制服組と防衛省背広組の身分・待遇格差については先に触れたが、今回の日報問題の発覚過程を見ると、制服組の背広組に対する反乱ではないかと思える節がある。「南スーダンPKOで起きた銃撃戦」の日報に書かれた「戦闘」という表現がキーワードになっていたと言う。現場では攻撃を受けたら止むを得ず自衛のために応戦することはあるだろうが、それを「戦闘」と表現した。これが建前上不味いとされ、報告書を隠蔽しようとした一因となった。何故ならPKOにおいては自衛隊は戦闘しないという建前になっており、国会等で野党から追及されるからだ。しかし、この隠蔽が発覚し、結局「資料を出せ、無い」の騒ぎとなり、「犯人扱い」された自衛隊制服組は防衛省の不正をマスコミに流す事で反撃に出た。最終的に当時の稲田防衛大臣、事務次官、陸上幕僚長が退任や辞任に追い込まれた。

◆結果的に陸自が事務次官のクビを取ったが、騒動はこれで収まらず、官僚による報復や制服組のさらなる暴露合戦が続いている。問題は「戦闘」を「衝突」などと言い繕って、その場しのぎで胡麻化したことだ。野党も露見した隠ぺい問題を取り上げ、文民統制が機能していないなどと追及する。すべて正直にありのままに国民に説明し、理解を求めていればこれほど大きな問題になっていなかっただろう。但し、防衛機密上公開できないこともあり得る。それらは一定の時間が経ったら公表する。そのルールを明確にすることが大切だ。しかし、これらは問題の本質ではない。

◆そもそも何故、PKO(国連平和維持活動)に参加するのか。もともと日本は憲法上の制約があり、自衛隊の海外派遣は憲法違反の疑義ありとして、消極的だった。1990年代初頭において、湾岸戦争が勃発すると、日本の国際貢献が問われる事態となった。日本は軍隊を出せない代わりに巨額の資金を供出した。これが結局「日本は金は出すが、汗をかかない」と不興を買った。その結果、1991年に自衛隊の掃海艇がペルシャ湾に派遣され、一応の面目を保った。こうしたチグハグな態度の根本要因は、最終的に憲法問題に帰するところが大きい。

◆1990年代以降の海外情勢の変化に伴い、日本では1992年にPKO協力法を成立させた。派遣にあたっては、紛争当事者間の停戦合意、紛争当事者の受け入れ同意、武器使用は必要最小限とする、などの「参加五原則」を設けた。しかし、実際の現場では、「原則が歪められたから、ハイ、サヨナラ」とはいかないこともあるだろう。現場では参加各国との協調姿勢も大切だ。PKOは、情勢により危険を伴う任務もあり、日本が今後どのように関与していくかについて、実際に経験した制服組の意見も呈して、議論されなければならない。要は現地指揮官と統幕、防衛省、官邸との信頼関係こそ大切だ。(続く)

2018年4月 7日 (土)

防衛省の日報問題の本質を探る(上)

◆「隠蔽されていた陸上自営隊の日報が見つかった」、「シビリアンコントロールが機能していない」、「大問題だ!」などと政界もメディアも大騒ぎだ。確かに組織内の文書管理の在り方、情報公開のルール等はより明確化され、遵守されなければならない。しかし、ことの本質はこれだけの話ではない。本質はどこにあるのか、探ってみたい。
そもそも自衛隊に問題があった場合、現場の最高責任者である陸・海・空・
幕僚監部や統合幕僚長を国会に招致して喚問すればよい。ところが、どういう訳だか自衛官は委員会等に参加できないと言う不文律があると言う。どうもこの辺に問題の本質に迫る糸口がありそうだ。

◆防衛省に関連する問題の国会答弁や、予算割り振り、人事権などの重要事項の決定権は防衛者の背広組、即ち官僚が行っており、彼らは現場に立つ自衛官制服組)よりも偉いと勘違いしているようだ。それでいて、いざというときには命を張って、最前列に立たされるのは制服組であり、防衛省と自衛隊は明確に区別されている。何故なら自衛隊は旧日本軍の残滓と位置づけされ、未だその名残を引きずっていると見られているという。

◆信じられない話だが、自衛隊がクーデターなどを起こさないように監視しているのが防衛省であり、文官(キャリア官僚)や背広組と呼ばれている連中だと言う。これが文民統制、いわゆるシビリアンコントロールの実態であり、防衛官僚は自衛隊を見下し、自衛隊は防衛官僚を憎悪している図式が生じる。なお、国家安全保障会議には防衛省の官僚(背広組)は参加しているが、幕僚等の自衛官は参加していないという。これが安全保障会議の実態だとすれば、国の防衛は本当に大丈夫なのかと疑わざるを得ない。

◆こうした歪んだ軍隊を作ってしまったのが、戦後の日本政府と国会、引いては「日本国憲法」に行きつく。だから国会喚問で、自衛隊制服組を招致しないのは、与党にも野党にも何か不味いことがあるのかと勘繰りたくなる。国防という国の基本政策に、軍の経験もない事務屋さんが防衛省のトップになるのは、「日本軍を復活させないため」という大義名分があるという理屈らしい。背広組と制服組の身分・待遇格差は、2015年に紛糾した安保関連法で変更された。背広組と制服組を対等に位置付けた改正防衛省設置法で、制服組は安全保障政策の意思決定に関与できるようになった。とは言っても、防衛省のトップである事務次官にはまだ防衛官僚しかなれないという。(続く)

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