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経済・政治・国際

2018年9月15日 (土)

自民党総裁選と憲法論議(後)

安倍総理は9条(1)項の「平和主義」と(2)項の「戦力不保持」はそのまま維持し、新たに9条の2として「自衛隊の存在」を明記し、法的根拠を与えようとする考えを打ち出した。即ち、現実をそのまま認め、宙ぶらりん状態の自衛隊を正式に認知しようというもの。これなら現状と大きく異ならず、比較的国民に受け入れられやすいと判断したのだろう。
        ◇         ◇         ◇

ところが、この案に対しては「実質、現状が変わらないのであれば、何も憲法を改正する必要がないではないか」と、左派系政党をはじめ、憲法改正反対派から声が上がる。また、安倍さんは「史上初めて憲法改正した総理として名を残す考え」ではないかと、穿った見方する人もいる。しかし、もっとも大きなポイントは、(2)項の「戦力不保持と交戦権の否認についてそのままにした上、いくら憲法上に自衛隊を明記しても、戦力ではないという従前からの主張の矛盾については、何ら解決策にはなっておらず、対立の図式は変わらない。
        ◇         ◇         ◇
対立候補の石破氏はまさにこの点を突き、安倍さんの提言は「まやかし」であるとして、大胆にも(2)項の「戦力不保持と交戦権の否認」を削除し自衛隊を通常の軍隊であることを明記し、保持を定める。その上で国際法上の「交戦権」を認めようとするもの。もちろん自衛隊の暴走を防ぐため、文民統制(国会や内閣による)の原則を明確に定めるという。
        ◇         ◇         ◇
さて、どちらの議論が正しいか。理論的には石破氏の提言が正しい。自衛隊は軍隊ではないなどという非現実的なところを改め、矛盾がなくなり、スッキリした形になる。しかし、この憲法案だと、反対勢力から逆に「戦争ができる国にしようとしている」などと喧伝され、それに乗じて、中・韓・北朝鮮あたりから「右傾化だ、軍国主義の復活だ」などと逆宣伝されるだろう。そして(1)項で平和主義の貫徹を謳っているにも拘らず、そのことには目もくれない。その辺りを意識してか、持論の改正案については、「緊急課題ではない、理解無き憲法改正をスケジュール感ありきでやるべきではない。」とトーンダウンしている。これはこれで「機を見るに敏」な政治家の姿勢をよく表している。ではいつ理解を得られるのか?
        ◇         ◇         ◇
結局総理の案は「現実」を直視した案で、自衛隊員の立ち位置について「」に訴えた形ではあるが、根本的な矛盾を孕んだままであるのに対し、石破氏の案は「理想」を追求した案で正論ではあるが、現実性に欠けるきらいがある。これほど難しい安全保障や憲法改正について国民に判断せよといっても簡単ではない。為政者は安全保障上の長期的ビジョンと国益を第一とした外交方針を示したうえ、そのための憲法改正の必要性を丁寧に説明して、理解を得るしかない。このまま何もせず、放置したままで、「他国侵略の難」が起こったときに、「時すでに遅し」では済まされない。(終)

2018年9月13日 (木)

自民党総裁選と憲法論議(前)

9月20日に投開票される自民党次期総裁選。我々一般人には1票を行使する権利はないが、事実上時期総理の決定であり、注視せざるを得ない。メディアの予想では、国会議員票(405票)では8割程度が現職安倍総理・総裁に、約104万人といわれる党員票(405票に比例配分)では、地方に人気がある石破氏が過半数を上回る見込みだと言う。しかし、全体では安倍さんの有利は動かないと言う見方が大勢を占めている。
      ◇        ◇       ◇
本格論議を極力避けている安部さんに対し、石破氏は正々堂々と議論し、世論を味方につけ、その勢いで党員票の大幅獲得を狙う。しかし北海道地震や、総理のロシア極東会議出席で、その論戦の場は狭まった。メディアの報道にしても表面的な現象や評論的な立場に終始し、国民が最も知りたがっている、石破さんが総裁になったら日本はどうなるのか安倍さんが続投したら、どう変わるのか、あるいは変わらないのか、その辺のところは全く触れられていない。この二人の政策で大きく違うところは「外交安全保障」とそれに関連する「憲法改正」問題だ。その辺に焦点を絞り、考えてみたい。
       ◇        ◇       ◇
憲法9条の「戦争の放棄」と「戦力及び交戦権の否認」についての改正問題は自衛隊の存在の規定を巡って、70年に亘り違憲か合憲かの不毛とも思える論争を繰り返してきた。即ち、1項では、「日本国民は国際平和を誠実に希求し、戦争及び武力による威嚇・行使は国際紛争解決の手段としては永久に放棄する」と平和主義を貫徹することを謳っている。その上で、2項において「前項の目的を達成するために、陸海空軍その他の戦力を保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と規定している。この規定は世界に類を見ない完ぺきな平和憲法であり、世界が目指すべき崇高な目的ではある。しかし、理想だけでは現実社会の統治が困難であることは、真剣に取り組む政治家ほど実感するのではなかろうか。
       ◇        ◇       ◇
長年問題となってきたのは第2項の規定であり、自衛隊は陸海空軍その他の戦力に当たるのか当たらないのかと言う問題である。しかしながら戦後70年を経て、自衛隊は国民の間に定着してきた。交戦権は認めないといっても、自衛権まで否定されるものではない。近年では近隣諸国による日本の領土・領海への侵略のみならず。サイバー攻撃などでインフラを麻痺させようとする戦略にも対応を余儀なくされている。
       ◇        ◇       ◇
こうした現実に直面しているにも拘らず、「自衛隊は戦力ではない」という苦しい弁明が70年ほど続いてきた。国民もこうした矛盾に慣らされ、「憲法上に規定されていなくても実効があればいいんじゃないの」という軽い気持ちで憲法問題や安全保障問題を捉えているのではなかろうか。問題なのは憲法上に自衛隊の存在、機能、制限など何の規制もないまま自衛隊が存在していることだ。海外から見れば立派な軍隊であり、戦力ではないと言っても全く通らない話だ。(続く)

2018年4月17日 (火)

明治150年の歴史から何を学ぶか(6)

【統帥権とは】
前回の最後の部分で統帥権のことに触れたが、統帥とは、軍隊を統べ率いることである。大日本帝国憲法第11条には、「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」とある。これを根拠に軍部は統帥事項を内閣や議会の管轄から独立させ、昭和に入ってからは、陸海軍当局が天皇直結であると拡大解釈して、暴走したことがことの本質だった。元来は、政争の道具として軍隊に利用されないように、元勲が企図したものだった。明治の頃にはまだ元老たちが健在で、軍が勝手な行動をとらないよう睨みを利かせていたから、鬼っ子が暴れ出すまでには至らなかった。


統帥権は慣習法的に軍令機関(陸軍参謀本部・海軍軍令部)の専権とされ、シビリアン・コントロールの概念に欠けていた。統帥権に基づいて軍令機関は帷幕上奏権(天皇に直接上奏する権利)を有すると解し、軍部の政治力の源泉となった。それ故、帝国陸軍及び海軍は立法府や行政府に対し、一切責任を負わないものとされたから、およそ民主主義の概念からかけ離れたものであった。昭和に入ってからは、軍部がこれをおおいに利用し、「陸海軍は大元帥である天皇から直接統帥を受けるものであって、政府の指示に従う必要はない」とした。これに口を挟もうならば「統帥干犯」として、恫喝された。満州事変から始まる一連の軍部の大暴走は政府の決定など全く無視した行動で、神国思想を糧に次第に鬼っ子が肥大化していき、結局日本を崩壊させてしまった異胎の時代となった。

◆明治憲法は今の憲法と同様に、立法・行政・司法の三権分立を謳った憲法だったが、昭和に入って変質した。統帥権が次第に独立し始め、ついには三権の上に立ってしまった。司馬さんは日本を「鬼胎」にした正体ーそれはドイツから輸入して大きく育ってしまったもの、即ち「統帥権」だったと喝破する。軍の統帥権の実際の運用にあたっては、当然ながら政府と議会がチェックする必要があった。しかし、そのチェック機能も統帥権を盾にした軍部の前には効かなくなっていった。軍部は統帥に関する決定権はすべて天皇にあると主張、ところが実際は天皇自身が決められる訳ではなく、軍の中枢を成す部課長が決定。軍はその結果を天皇に上奏するだけで、天皇の意思をしばしば無視して押し切っていった。

◆軍部はついには「統帥権は無限・無謬・神聖」と唱え始め、三権を超越した存在であると考え始めた。こうなると、日本国の胎内に別の国家ー統帥権国家ーができたともいえる」と司馬さんは述べている。また参謀本部所属の将校しか、閲覧を許されなかった秘密文書の復刻本「統帥参考」を入手した司馬さんが、その中の一節を次のように紹介している。
統帥権本質ニシテ、其作用ハ超法規的ナリ 云々」と。まさに昭和の日本が破滅に向かって一直線に進んでいった本質を炙りだしている。「間違った思想・考え方が一国を滅ぼす」という教えを現代に生きる我々は身を挺して学ばなければならない。(続く)

2018年4月 9日 (月)

防衛省の日報問題の本質を探る(下)

◆憲法は前文の中で、「日本は恒久平和を求め、世界の平和を維持するため、同じ価値観を持つ国際社会の一員として、名誉ある地位を目指す」という趣旨を謳っている。PKOは国連決議に基づく、国際的な平和や安全を維持するための活動であり、専守防衛を標榜する日本が自衛隊を海外に派遣する根拠ともなっている。派遣する際は国会の承認を得ることになっているが、憲法9条の「戦争放棄、戦力及び交戦権の否認」との整合性を盾に、必ずしも国論が一致しないという問題点を孕んでいることがこの背景にある。

◆自衛隊法の規定には、「首相が『内閣を代表して、最高の指揮監督権』を持つ。内閣の一員である防衛相が常時自衛隊を統括する」とある。これ即ちシビリアンコントロールであり、実力組織である軍隊の上に文民が立って統制することを明確化している。防衛省の主な任務は「我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、我が国を防衛すること」と規定されている。戦闘能力を持つ武器を合法的に使用できる国内最大の実力組織だ。問題はこれだけの組織と実力を持ちながら、あい矛盾する憲法9条との整合性において、70年経っても未だその地位が明確になっていないことにある。

◆自衛隊は「自衛のための必要最小限度の実力を持つもの」と定義されているが、この「必要最小限度」とは実に曖昧なもの、どう捉えるかは人により異なるもので、周辺諸国の状況の変化や技術の変革等で変動するものだ。防衛費は2018年度予算案では6年連続で増額し、5兆1911億円。4年連続で過去最高を更新した。世界の軍事費では日本は上位8位にランクされている。これを多すぎると見るか、いや足りないと見るか、これらの説明が足りないから、多くの国民は防衛問題、安全保障問題に戸惑いを覚え、コンセンサスを得にくい状況となっている。

◆安倍総理は自衛隊を憲法に明記するよう提案した。しかし、その必死さが伝わってこない。まずは防衛問題に限らず、すべての問題に対して追及から逃げるのではなく、真摯に向き合うことだ。野党を説得できずして、国民がついてくるだろうか
内閣の命運をかけてでも、「何故PKOが必要なのか」、「自衛隊はどうあるべきなのか」、「日本の安全保障をどうすべきなのか」、「何故憲法9条の改正が必要なのか」、こうした基本的な問題について、反対勢力を説得し、国民の理解を得る努力をすべきだ。最終的には安全保障に関する国民のコンセンサスを築かなければ、いつまで経ってもこの国の防衛問題は解決できない。自衛隊の身分が憲法上明確になっていないからこそ、廻り回って末端の自衛隊員の日報問題にまで行きつくことになる。国防に関する明確な指針がなく、法的な整備も不十分なまま、国民と政府と自衛隊の信頼関係を築くことができるのか。これなくして自衛隊が本当に機能するのか、いかにも心許ない。(本稿終り)

2018年4月 8日 (日)

防衛省の日報問題の本質を探る(中)

◆自衛隊制服組と防衛省背広組の身分・待遇格差については先に触れたが、今回の日報問題の発覚過程を見ると、制服組の背広組に対する反乱ではないかと思える節がある。「南スーダンPKOで起きた銃撃戦」の日報に書かれた「戦闘」という表現がキーワードになっていたと言う。現場では攻撃を受けたら止むを得ず自衛のために応戦することはあるだろうが、それを「戦闘」と表現した。これが建前上不味いとされ、報告書を隠蔽しようとした一因となった。何故ならPKOにおいては自衛隊は戦闘しないという建前になっており、国会等で野党から追及されるからだ。しかし、この隠蔽が発覚し、結局「資料を出せ、無い」の騒ぎとなり、「犯人扱い」された自衛隊制服組は防衛省の不正をマスコミに流す事で反撃に出た。最終的に当時の稲田防衛大臣、事務次官、陸上幕僚長が退任や辞任に追い込まれた。

◆結果的に陸自が事務次官のクビを取ったが、騒動はこれで収まらず、官僚による報復や制服組のさらなる暴露合戦が続いている。問題は「戦闘」を「衝突」などと言い繕って、その場しのぎで胡麻化したことだ。野党も露見した隠ぺい問題を取り上げ、文民統制が機能していないなどと追及する。すべて正直にありのままに国民に説明し、理解を求めていればこれほど大きな問題になっていなかっただろう。但し、防衛機密上公開できないこともあり得る。それらは一定の時間が経ったら公表する。そのルールを明確にすることが大切だ。しかし、これらは問題の本質ではない。

◆そもそも何故、PKO(国連平和維持活動)に参加するのか。もともと日本は憲法上の制約があり、自衛隊の海外派遣は憲法違反の疑義ありとして、消極的だった。1990年代初頭において、湾岸戦争が勃発すると、日本の国際貢献が問われる事態となった。日本は軍隊を出せない代わりに巨額の資金を供出した。これが結局「日本は金は出すが、汗をかかない」と不興を買った。その結果、1991年に自衛隊の掃海艇がペルシャ湾に派遣され、一応の面目を保った。こうしたチグハグな態度の根本要因は、最終的に憲法問題に帰するところが大きい。

◆1990年代以降の海外情勢の変化に伴い、日本では1992年にPKO協力法を成立させた。派遣にあたっては、紛争当事者間の停戦合意、紛争当事者の受け入れ同意、武器使用は必要最小限とする、などの「参加五原則」を設けた。しかし、実際の現場では、「原則が歪められたから、ハイ、サヨナラ」とはいかないこともあるだろう。現場では参加各国との協調姿勢も大切だ。PKOは、情勢により危険を伴う任務もあり、日本が今後どのように関与していくかについて、実際に経験した制服組の意見も呈して、議論されなければならない。要は現地指揮官と統幕、防衛省、官邸との信頼関係こそ大切だ。(続く)

2018年4月 7日 (土)

防衛省の日報問題の本質を探る(上)

◆「隠蔽されていた陸上自営隊の日報が見つかった」、「シビリアンコントロールが機能していない」、「大問題だ!」などと政界もメディアも大騒ぎだ。確かに組織内の文書管理の在り方、情報公開のルール等はより明確化され、遵守されなければならない。しかし、ことの本質はこれだけの話ではない。本質はどこにあるのか、探ってみたい。
そもそも自衛隊に問題があった場合、現場の最高責任者である陸・海・空・
幕僚監部や統合幕僚長を国会に招致して喚問すればよい。ところが、どういう訳だか自衛官は委員会等に参加できないと言う不文律があると言う。どうもこの辺に問題の本質に迫る糸口がありそうだ。

◆防衛省に関連する問題の国会答弁や、予算割り振り、人事権などの重要事項の決定権は防衛者の背広組、即ち官僚が行っており、彼らは現場に立つ自衛官制服組)よりも偉いと勘違いしているようだ。それでいて、いざというときには命を張って、最前列に立たされるのは制服組であり、防衛省と自衛隊は明確に区別されている。何故なら自衛隊は旧日本軍の残滓と位置づけされ、未だその名残を引きずっていると見られているという。

◆信じられない話だが、自衛隊がクーデターなどを起こさないように監視しているのが防衛省であり、文官(キャリア官僚)や背広組と呼ばれている連中だと言う。これが文民統制、いわゆるシビリアンコントロールの実態であり、防衛官僚は自衛隊を見下し、自衛隊は防衛官僚を憎悪している図式が生じる。なお、国家安全保障会議には防衛省の官僚(背広組)は参加しているが、幕僚等の自衛官は参加していないという。これが安全保障会議の実態だとすれば、国の防衛は本当に大丈夫なのかと疑わざるを得ない。

◆こうした歪んだ軍隊を作ってしまったのが、戦後の日本政府と国会、引いては「日本国憲法」に行きつく。だから国会喚問で、自衛隊制服組を招致しないのは、与党にも野党にも何か不味いことがあるのかと勘繰りたくなる。国防という国の基本政策に、軍の経験もない事務屋さんが防衛省のトップになるのは、「日本軍を復活させないため」という大義名分があるという理屈らしい。背広組と制服組の身分・待遇格差は、2015年に紛糾した安保関連法で変更された。背広組と制服組を対等に位置付けた改正防衛省設置法で、制服組は安全保障政策の意思決定に関与できるようになった。とは言っても、防衛省のトップである事務次官にはまだ防衛官僚しかなれないという。(続く)

2018年3月11日 (日)

憲法9条改正前に、「前文」を見直そう (下)

◆憲法前文に書かれている内容は、高尚なことが述べられているとは誰が読んでも、何となく分かる。しかし、日本語としてはどうも不自然だ。しっくりこないとはこういう文章を言うのだろう。それもそのはず、その理由はこの憲法の成立過程に起因するからだ。終戦間もない昭和21年2月3日、GHQ司令部は憲法草案作成を指示。2月13日GHQは松本憲法試案を拒否。別途GHQが作成した草案を政府に手交した。それをもとに3月6日幣原内閣は「憲法改正草案要項」を発表。その間わずか20日足らずだった。国の根幹をなす憲法が追っ付け仕事で、翻訳調、またあちこちの文献をコピペしたような跡は見て取れる。ついでながら、この年11月3日吉田茂内閣のもと、新憲法が公布された。

この憲法の前文を要約すれば
【国民主権】 主権は国民にあり、国民は正当な選挙で選ばれた国会議員のもとで行動する。 国政は国民の厳粛な信託のもとに成り立つ。 権威は国民に、権力は国民の代表者に、福利は国民が享受する。 自由と人権を尊重する。
【恒久平和】 日本国民は恒久の平和を念願し、政府は戦争の惨禍を繰り返さない。 平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼し、その信頼のもとに日本国民の安全と生存を保持していく。 日本国民は平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去すべく努力する。 同じ価値観を持つ国際社会の一員として、名誉ある地位を目指す。 日本国民は、全世界の国民が、恐怖と貧困を免かれ、平和の中で生存する権利を有することを認める。
【国際協調】 どこの国も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない。 この政治道徳は普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務である。
【憲法遵守】 この憲法に反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。
と言うようなことになろうか。


◆この憲法は、一国平和主義に陥らず、「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼し、その信頼のもとに日本国民の安全と生存を保持していく」と規定しているが、いささか諸国民(諸外国)の性善説に偏り過ぎていないだろうか。またこの憲法前文は誰が読んでも不自然であることは確かだろう。その憲法を分かりやすく平易な文章で表現することすら許されないとするならば、考えることを放棄せよと言っていることと同義語だ。むしろ日本語の見本となるような表現に改めることに躊躇すること勿れと言いたい。

◆一番問題なのは、日本と言う国は年号ができた「大化元年」から現憲法公布まで1300年の歴史を有するにも拘らず、その間の歴史は全く無かったかのように一切触れていないことだ。未曽有の戦争で負け、その反省に立った上での憲法であることに異存はないが、日本と言う国は1945年に成立したわけではない。少なくとも1300年以上の歴史の重みの上に成り立っている。まさに先人が築いた歴史と伝統と文化の上に現在の日本がある。そうした伝統と文化を大切に、未来まで引き継いでいく義務があると言うことを憲法に謳うことは右傾として排除されることだろうか。(本稿終り)

憲法9条改正前に、「前文」を見直そう(上)

◆安倍総理は昨年5月3日、TVの前で「憲法改正」に強い決意を表明した。国民の間に、自衛隊の存在が根付いている現状にあって、未だ「憲法違反だ」と主張する学者が多数存在し、この問題が事あるごとに混迷を続けている。この現状を打破するため、総理は2020年に新しい憲法を施行するという期限を区切って、「憲法9条に自衛隊を明確に位置付けるため、1項、2項はそのままに、3項として自衛隊の根拠規定を追加する」という大胆な提案を行った。ここにきてようやく、自民党改憲本部では「9条2項は維持すべきだ」、「いや、維持は矛盾だ。削除すべきだ」、「自衛隊の根拠規定をどう表現するか」など、喧しい議論が漏れ伝わってくる。野党は野党で冷淡で、指一本触れさせないなどと嘯いている。

◆ところで現憲法の「前文」を読んだことがあるだろうか。「前文」には、この憲法が拠って立つ理念、この国が目指すところ(所謂ビジョン)、骨格(国の形)を示し、日本はどういう国を創ろうとしているのか、国民に分かりやすい表現を使うことが求められる。その根底には右も左もない。あるのは日本国民というこの国を構成する一人一人の国民だ。少々長くなるが現憲法の「前文」を引用する。

【憲法前文】・・・引用
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と専従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信じる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。  ―引用終り―  (以下、次回に続く)

2018年2月12日 (月)

朝鮮半島に統一の日は来るか。

◆極寒の平昌冬季オリンピックが始まった。北朝鮮の直前のゴリ押しで、「統一朝鮮半島旗」のもとに南北の選手団が和気あいあいと入場する場面をテレビが報じた。演出された融和ムードに浸り、分断された南北朝鮮が統一する日はそう遠くないと錯覚する韓国民もいたのではなかろうか。南北合同入場行進は過去全ての国際大会を含めれば10回目だという。もし、国際スポーツ大会で、平和ムードが政治に直結するのであれば、とっくに統一されてもおかしくないのに、この国は過去の歴史を学ぼうとせず、統一という甘いお酒の夢を見て、何度も二日酔いという現実を味わってきた。この国の左派系と称する大統領や親北勢力は相当脳天気な連中ばかりかと思いきや、北の国旗や金正恩の写真を燃やす過激な輩もいるから、まともに付き合う方が疲れてしまうのだ。

2◆過去10回の南北合同入場行進は、文在寅大統領と同じ左派の金大中盧武鉉両政権時代に実現している。北に融和的であれば、「北」がそれを利用しない訳がない。その結果「北」への傾注の危険性が認識され、左派から保守政権へそして保守から左派政権へと振り子は振動した。その繰り返しの歴史だった。今回も制裁逃れを画策する金正恩独裁政権は美女軍団をチラつかせ、「平和五輪」という錦の御旗を最大限に利用して、やりたい放題だが、美女に弱いのは古今東西、「男の性」か。

◆近年、分断国家が統一された主な例は東西ドイツ、南北ベトナムがある。
・東西ドイツの場合:盟主ソ連を中心としたソ連・東欧圏の経済的不振が大きかった。東独は財政的破綻を迎えていたが、ソ連も経済的衰退が激しく、東独への援助を減額せざるを得なかった。西独からの援助で何とか凌いだが、結局政権が倒れ、民心は一気に東西ドイツ合体へと向かい、ベルリンの壁の崩壊へと繋がった。つまり共産主義経済の破たんが東西ドイツの統一をもたらしたと言える。
・南北ベトナムの場合:①南に加担していた米国が、北に加担していた中国との間で和平を成立させたこと、②米国内経済の不振脱出のため軍事費を削減したこと、③米国内に厭戦・反戦ムードが広がったことなどの情勢の変化で、米国はベトナムから撤退。北は中国との関係は怪しくなったが、ソ連との関係はそのままだったため、南北の軍事バランスが崩れて、北主導によるベトナム統一が成立した。


◆このようにベトナムとドイツが統一を果たしたが、その要因は事実上の支配者だった米・ソの国内事情や国際情勢の変化、特に経済情勢の大きな変化がもたらしたものと言える。では最後に残された南北朝鮮半島の場合はどうだろうか。
統一を果たすために最も明確な方法は、南北が勝手に戦争して決着をつければ何の問題もないが、両国とも同胞が血を流すところは見たくない。中露は米国寄りの南主体の統一は望まない。米国も核・ミサイルを放棄しない北主導による統一は絶対に認められない。つまり国際情勢は朝鮮半島から核・ミサイルを排除しない限り、大きな変化は望んでいない。と言うことは当分の間、統一されない分断国家の現状は続くことになる。変わるとすれば、金正恩の身の上に何らかの変化、事故、事件が発生した時ではあるまいか。

2018年1月27日 (土)

平昌五輪開会式に総理が出席する意義

◆安倍総理が平昌五輪開幕を前にした1月24日、突如開会式への出席を表明した。当初は「慰安婦問題の合意見直し」に言及した韓国の態度に、国民の多くは反発を強め、出席を見合わせるものと想定していた。弊ブログでも1/11日の記事でそれを支持する旨の事を書いた。しかし、これは多分に一時的感情論によるものだったかもしれない。ここにきて総理は何故、方針を翻したのか。今一度、出席した場合、しない場合それぞれのメリット、デメリットを考えてみたい。

◆そもそも北朝鮮の突然の五輪参加の狙いは、平昌五輪参加によって南北融和ムードを作り出し、IOCはじめ国際社会に平和ムードを演出するためのもの。加えて日米と韓の間にクサビを打ち込み、韓国を離間させ、米国からの当面の攻撃を避けることが可能となる。少なくともオリ・パラの間は核・ミサイルの技術開発の時間稼ぎが可能だ。ここまでは「北」の巧妙な戦略に国際社会はハマっているように見える。

◆では総理が出席しない場合、世の中の受けとめ方はどうか。まずは2015年12月の「日韓合意」を見直した韓国の新方針に抗議するために、訪問すべきではないという大方の見方にマッチする形にはなる。また一部保守系の人達は「総理の訪韓は間違ったメッセージを送りかねない」という主張もあるが、総理は自民党の一部の反対意見を抑えてまでも、出席を決断した。 では出席しなかった場合のデメリットは何か。まず、日本は国際社会から慰安婦問題を政治問題化して、オリンピックというスポーツの世界を利用していると見られかねない。さらに日本の総理がオリンピックの開会式に参加しなかったと言うことで、韓国も「2020東京五輪」に大統領の参加を取りやめる可能性が高い。(もともと意趣返しの国だから)

◆それでは出席した場合のメリットとは何だろうか。
①主要な国の首脳の出席が懸念される中、安倍総理の出席は文大統領に貸を与えることになる。2020東京オリンピックにも好影響が見込まれよう。
②文大統領との会談により、合意見直しの真意を糺し、履行の着実な実行を求め、文氏に釘を刺すことができる。ひいてはそのことを世界中に訴えることが可能だ。
③北朝鮮が五輪参加を表明することによって日米韓の間にクサビを打ち込み、韓国を離間させることが狙いである以上、そこで何もせず、韓国を北に追いやることは得策ではない。


◆では出席した場合のデメリットは何だろうか。慰安婦問題の合意履行に強硬な姿勢をとるグループからの支持率が下がる可能性があること、また韓国が合意履行に消極的姿勢を打ち出すリスクがあること等のデメリットはある。しかしそれらは出席してもしなくても、その可能性があることに変わりはない。しかし、日本には総理の開会式出席には多くの反対意見がることを韓国に伝えることは悪いことではない。そこを敢えて大局的観点から出席することに意味があるのではなかろうか。総合的に判断すると、慰安婦問題の不可逆的な解決を履行させることを主眼に置くならば、総理の出席は意味あるものとなろう。

より以前の記事一覧