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経済・政治・国際

2018年1月19日 (金)

北朝鮮の平昌五輪参加、どうなる朝鮮半島の今後

◆開幕まで20日ばかりとなった平昌冬季オリンピック。ここにきて、昨年末まで一顧だにしなかった北朝鮮が急に参加すると言い出した。それも韓国と共催するような形をとり、不人気な平昌五輪を自分達の参加によって、平和を演出し、盛り上げてやろうというスタンスらしい。この辺に北朝鮮らしい巧妙、狡猾な外交姿勢と韓国文在寅政権の八方美人的政治姿勢が透けて見えてくる。

◆北にとっては平和の祭典に参加することによって、目前の脅威であるアメリカの先制攻撃と米韓共同軍事演習を先延ばしにさせることが可能だ。さらに自分たちは米の核の脅威から自国を守るために止むを得ず核・ミサイルを開発するのであって、同胞である「南」に向けるものではない。話し合いにはいつでも応じる用意はある・・と言う、いかにも寛大な国家であるかのような姿勢を世界中に見せることに役立つ。朝鮮半島を巡る東アジアの情勢や過去の北の犯罪(謀略、暗殺、拉致、旅客機爆破等々)を知らない、もしくは目をつぶる世界の国々は、直接脅威に晒されていないから、悪いのはアメリカで、「北」はいじめられているだけだという虚偽のイメージに乗せられやすいのではないか。

◆その融和姿勢の背景には、国連決議に基づく経済制裁がボディブローのように効いてきて、制裁を止めさせる必要があること、さらにミサイル技術の最終開発にはもう少し時間がかかると言うことだろう。その時間稼ぎのためにも平和の祭典への参加は好都合となる。過去に幾度となく国際スポーツ大会を政治に利用してきた国だ。競技そのものより、美女軍団を大量に送り出し、オーケストラで芸術を演出して、世界の耳目を集め、最大限に「微笑み外交」を演出する。結果、国際社会は南北対話を好意的に見守ろうとする。その化けの皮が剥がれることは、過去のスポーツ大会での南北統一が全て一過性に終わって、長続きしないことを物語っている

◆「北」の外交が巧妙なことは、平和の祭典に積極的な協力姿勢を見せることによって、「反北勢力」がアンチ北の姿勢をとれないようにすることだ。そして最大限に利用されたのが本来の主催国である「韓国」であり、まさに「庇を貸して母屋を取られる」の言葉通り。北シンパの文政権はそれも承知の上で、自国の国旗は横において、朝鮮半島をかたどった統一旗のもとで、南北合同入場行進を融和のシンボルとして実施すると言う。また500人もの大量の要員の旅費交通費も負担するというから、甘すぎないか。

◆そこまでして北に媚びを売る理由は何だろうか。文大統領は平昌五輪を梃子に北朝鮮の頑な姿勢を融和ムードに改め、核・ミサイルの放棄、国際社会との協調、将来的な南北統一を描いているようだが、これは全くの同床異夢だろう。その証拠に現在行われている南北対話でも、「一言でも非核化に触れれば、破局的結果を招く」と脅されている。これが融和を目指す姿勢か?文さんは日本に対しては強硬な姿勢を見せるが、北に対してはどんなにコケにされようが、あくまで「寛容と忍耐」の姿勢を貫く。北の本音は「経済は南が、軍事は北が持つ」、その上で北主導の統一国家を目指すというもの

◆ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが統一されたのは1990年だった。この歴史的事実が朝鮮半島にも当てはまるか。仮に、北朝鮮で民衆が蜂起し金王朝を倒して、38度線に跨る軍事境界線を両国民が協力して排除すれば可能だが、現実はドイツのようには行かないだろう。親北、太陽路線をとる大統領は金泳三、金大中、盧武鉉といたが、いずれも保守系大統領と同様に哀れな末路を辿った。文在寅も同じ運命を辿らないという保証はない。

2018年1月11日 (木)

新年早々の朝鮮半島問題(下)

(2)慰安婦問題の蒸し返し
◆2015年12月28日、当時の岸田外務大臣と韓国の尹外交部長が並んで会見した慰安婦問題。「最終的かつ不可逆的な解決」を確認した日韓合意は全世界に好意的に受け止められた。当時この報に接し、やっと解決したかと思うと同時に、韓国は本当に蒸し返してこないのだろうかと、一抹の不安を持ったものだ。その時の気持ちを、2016年1月7日のブログに書き留めていた。その一部を抜粋する。
 -略- 年末の日韓外相会談で、いわゆる「従軍慰安婦問題」について、「最終的かつ不可逆的に解決する」とした日韓合意は、案の定というべきか、早くも韓国側で反対意見が賛成意見を上回り、ポピュリズムを優先する韓国政府は国民の説得に苦慮する事態となった。日本側はソウル大使館前の「少女の慰安婦像」の撤去が問題解決の大前提とし、早期撤去を強く求めるが、韓国側は民間が設置したものだから、撤去は困難との立場を崩していない。またしても韓国の口車に乗せられたお人好しの日本外交になるのか。これでは世界が注目した歴史的合意も反故にされかねないではないか。-攻略- 
つまり1週間経つか経たずで、早くも韓国側の雲行きが怪しくなっていたのだ。


◆今回韓国の康外相が発表した「2015年の日韓合意への対応方針」は、本来見直すべきものではなく、粛々と実行段階にあるべきものだが、文大統領が選挙の公約に掲げたものだから仕方ないとしても、その内容は、合意は公式なもので、日本に再交渉を要求しない。(当然だろう) 日本が拠出した10億円を韓国政府予算で充当し、今後の処理方法を日本と協議する。(意味不明)、日本が元慰安婦の名誉と尊厳の回復に努力することを期待する。(これ以上何を期待するのか) ④当事者の意思を適切に反映していない合意は真の問題解決にならない。(韓国の前政権が約束したことが間違いだったから、その責任を日本に押し付けようということか。)

◆この日韓合意の再交渉を日本に要求しないと述べたところは、それを通せば世界の物笑いになると一応は分っているらしい。一方日本が拠出し、慰安婦の7割に渡ったという元慰安婦支援の財団への出資金(10億円)は韓国が肩代わりし、10億円は日本に返すということなのか。日本が協議に応じる訳がないだろう。要するに韓国政府は慰安婦たちの支持者らが組織する「挺対協」(慰安婦少女像を作成した団体、北寄りとされる)の反日運動との板挟みにあって、苦し紛れの対応方針を発表したに過ぎない。

◆韓国政府のやるべきことは、日韓合意に反対する世論に迎合するのではなく、その世論を変えるための努力をすることだ。その前に文大統領に民主主義とは何か、教える必要があろう。大衆に迎合することが民主主義ではないと。八方にいい顔をすれば結局信用されなくなり、身体窮することになろう。過去の韓国大統領のほとんどが哀れな末路を辿っている。文大統領も今のままでは同じ運命を辿ることは間違いなかろう。安倍総理が平昌五輪への出席を見合わせたという。当然だ。(終わり)

2018年1月10日 (水)

新年早々の朝鮮半島問題(上)

喧騒の申・酉年から笑いの戌へ年が変わってはや10日。韓国と北朝鮮は9日、軍事境界線上の板門店で閣僚級会談を開いた。同じ日、韓国の康外相が2015年12月末の慰安婦問題を巡る日韓合意への対応方針を発表した。この二つの問題に関連はあるのか、ないのか。日本はどう評価し、どのように対応すべきなんだろうか。

(1)南北会談の評価
◆まず最初に感じたのは、北朝鮮への米国の軍事的圧力と、国連参加国の経済制裁がジワジワ効いてきて、「北」がいよいよ厳しい状況になってきたという事なんだろう。特に中国とロシアが限定的とは言え制裁に加わったことが危機感を抱かせ、その打開策として最も身近で、取り込みやすい韓国との融和ムードを演出するという手段を取ったものだ。

◆プライドだけは強い「北」は自ら頭を下げて会談したいという態度はとりたくない。ちょうど良いことに韓国は平昌五輪を目前に控えている。韓国は平和を演出するためにも「北」に参加して欲しい。そこに付け込んで会談の切っ掛けを持った。そもそも五輪参加のエントリー締め切りを全く無視。開幕1ヵ月前になって、参加を表明しても韓国もIOCも拒否する訳がないと見くびっている訳で、こんな我儘な北朝鮮に対し、どうして世界は甘いのか。「何とかに刃物」というが、とにかく「触らぬ神に祟りなし」というところか。

◆「北」は韓国主催の五輪に協力してやるのだから、その見返りを求める。それは南北の軍事的な緊張関係を解消して、会談を続けることを約束させることにある。今は南北融和ムードを演出し、国際社会の制裁を緩和させることが主眼だ。今ならまだ強い「北」を演出し、会談をリードしていける。経済制裁が長引けば、いよいよ抜き差しならぬ状況まで追い詰められ、弱みを見せた上での交渉にならざるを得ない。米・日が言う「対話」とはその時を指す。その前に韓国が取り込まれた訳だが、果たして「吉」と出るか、「凶」と出るか。

◆「北」の本音は食料・石油・資金などの経済援助を引き出すことだが、足元を見られないためそれはおくびにも出さない。韓国が遠慮がちに「核・ミサイル」のことを持ち出せば、「アメリカの脅威から朝鮮半島を守っているのだから、韓国のためでもある」という脅しを使う。「南北間の問題は、他の国を間に挟まず、同じ民族同士で対話と交渉を通じて解決していこう」と、事情を知らない若い世代をその気にさせる理屈を持ち出す。

◆要するに今回の会談の目的は日米韓の同盟に「風穴」を開けることにある。対「北」融和路線の文在寅大統領が、就任早々様々なサインを送り続けたにも拘らず、無視続けた北朝鮮。ここに来て何故態度を変えてきたのか、文大統領は北の真の狙いはどうでもいいのか。北との和平に向かって功を焦っているとしか見えない。過去何度北に裏切られてきたのか、全く懲りていない。それとも北主導の南北統一を夢見ているのだろうか。(続く)

2017年12月16日 (土)

中国来年にも尖閣諸島を奪取?

◆「中国が日本の尖閣諸島を軍事攻撃で奪取する作戦計画を進めている」という警告がアメリカ議会筋からの報告で明らかになったと、産経新聞ワシントン特派員が報じた。
同報告書によれば、「中国は尖閣諸島の現状を日本側による不当な支配と見なし、日本から尖閣を物理的、軍事的に奪う作戦を少なくとも3種類、実際に立案しているとして、その内容を米海軍第7艦隊の諜報情報部長を務めたジェームス・ファネル大佐らの証言として発表していた」という。


【作戦①】 「海洋法規の執行作戦」と呼べる中国海警(日本の海上保安庁に当たる)主体の尖閣上陸である。この方法は中国海警が尖閣を自国領と見なしての巡視や陸地接近を拡大し続け、日本の海上保安庁巡視船を消耗戦で疲弊させ、隙を突き、軍事攻撃ではなく視察や監視という形で上陸する。中国側は近くに海軍部隊を配備させておくが、あくまで戦闘は避ける姿勢を見せ、尖閣諸島に中国側としての公共施設などを建て始める。日本側はその時点で衝突を避けるため中国の行動を黙認して、尖閣を放棄するか、軍事行動でその動きを阻止するか、という重大な選択を迫られる。(海上保安庁だけで阻止するのは無理があり、かと言って、自衛隊を出動すれば彼らの思う壷となろう)

【作戦②】 「軍事演習の偽装作戦」である。①の方法が成功しなかった場合の作戦で、中国軍は尖閣近くで中国海警を含めて大規模な陸海空の合同演習を実施し、日米側にはあくまで演習と思わせ、その意表をついて一気に尖閣に奇襲をかけて占拠する。実態は「短期の鋭利な戦争」とする。

【作戦③】 「水陸両用の正面上陸作戦」である。正面からの尖閣上陸作戦で、中国軍は尖閣規模の離島への上陸用舟艇も、空挺作戦用の戦略的空輸能力も、ヘリでの急襲能力もみな十分に保持している。その総合戦力を投入し、尖閣の完全占領を図る。日米両国部隊との正面衝突も辞さない。

◆作戦③は日本が尖閣に公共施設や防衛体制を敷いた場合であり、何もしていない場合は①や②の作戦が有力だ。しかし、いずれにしろ中国は国際社会の批判を浴びるだろうが、それも見据えた上の作戦に踏み切る可能性を否定できない。日米は共同で奪還作戦を展開するが、こじれば全面戦争に拡大しかねない。最も可能性が高いのが①作戦で、多くの世論が戦争に拡大することを恐れ、尖閣放棄を主張して、国としてそれに従えば、世界は日本の弱腰を嘲笑し、中国の海洋進出の野望を防げなかったと批判されるだろう。あくまで防衛の主体は日本であることを行動で示さないと、日米同盟といっても、米国は黙って日本を助けることはしないだろう。まさに日本国民一人一人の防衛に対する考え方が問われる時が目前に迫っていると言える。

2017年12月 1日 (金)

いつまで続けるモリ・カケ問題

◆今特別国会で、衆参予算委員会が4日間開かれた。その大半が森友問題加計問題に費やされた。野党側は真相究明と意気込み、何とか存在感を示して安倍政権に打撃を与えようと必死だ。一方政権与党は丁寧に説明すると言いながら、疑惑解明の詳細には至らず、このまま幕引きを図りたい様子。しかし我々国民から見て、いつまで埒の開かないモリ・カケ問題をやっているのか?そんなに固執するほど国家存亡に関わる重大問題なのか?と思わざるを得ない。特に左翼・リベラル系と言われる野党は他に山積する国内外の問題より、この問題の方が重要だと思っているらしい

◆結局、森友問題の本質は、安倍総理夫妻が籠池氏の経営する森友学園の教育方針に感銘を受け、応援する姿勢を見せたことに端を発する。ところが籠池氏側は最大限これを利用し、詐欺まがいのやり方や、学園建設用地の地中ゴミの撤去費用を不当な値引き交渉に利用するなど手練手管を駆使して、国有地を安く買い叩いた。安倍総理側は彼の正体が分かるにつけ、身を引こうとするが、森友学園開設の動きに官僚・役人たちは総理が関わっている案件と過重に忖度する事態を生み出した。会計検査院は8億円値引きの根拠が不透明だと指摘するにとどまり、それらの過程を示す文書の存在が不明なまま平行線を辿ることになった。即ちこの問題は、一人の悪人に対する安倍総理側の軽率な動きとそれを忖度する官僚たちの役人根性がなせる業だったと言えよう。

加計問題本質はより明瞭である。獣医学部の新設は、医大の設置などとともに設置認可を申請してはいけないという文科省の告示(平成15年3月)があったと言うのだ。だとすれば、これは新規参入を認めない中世のギルドのようなもの。これを盾に文科省と結託して50年間築いてきた既得権益を死守しようとする勢力(反安倍)と、これに対し国家戦略特区を設けて、規制緩和を推進しようという勢力(親安倍)との争いがことの本質と言える。

◆野党、特に立憲民主、社民党、共産党は朝日新聞等のメディア操作の追い風を受け、安倍総理と加計学園の理事長が友人であることを盾に「便宜を図ったのではないか」などど問題視する質問を繰り返す。この二人の間で贈収賄でもあればそれこそ問題だが、そんな証拠は一切ない。この問題に関しては旧民主党時代に今治市を構造改革特区に格上げして、獣医学部新設を嘆願していたのも民主党議員だったというが、何故突然豹変したのか不可解だ。また前川前事務次官の不思議な夜の行動もメディアのもみ消しが功を奏したらしい。

森友問題にしろ、加計問題にしろ、これが国家の行方を左右する大問題なのか。何か月もかけて国会で「やったろう」、「やってない」の水掛け論を続けることが国益になるのか。「そうではない、あくまで重要な問題だ」と主張するなら、この先何年でも不毛な論議を続けたらよい。野党は国民にソッポを向かれるだろう。安倍政権は疑惑を持たれないように常に「瓜田に履をいれず、李下に冠を整さず」の姿勢を貫かねばならない。野党は感情的で、安倍降ろしが究極の目的であるかのように見えるが、自分たちが政権を担う場合もあることを遠望し、国家のため国民のため「他山の石を以て、玉を治むべし」の心構えで、日々精進して欲しい。

2017年11月12日 (日)

「保守」と「リベラル」を考える

◆今年の「新語・流行語大賞」の候補30語がノミネートされた。小池百合子氏が喋った「アウフヘーベン」、「共謀罪」、「忖度」、「フェイクニュース」・・これらが候補に上がった理由はよくわかる。ところが全く意味も分からない、初めて聞くような言葉がいくつかあった。それは毎回のことだから年のせいだと気にもしていない。今回も政治に関わる話題で恐縮だが、昔からよく使われてきた「リベラル」という言葉。今年ほどよく耳にし、目にしたことはかつてなかった。この「リベラル」が候補に上がってもよかったかなと思った次第。

◆日本の「リベラル」はやや左傾化した勢力に対して使われるケースが多い。何故だろうか。本来リベラル(Liberal)」とはLiberty(自由)の派生語で、「自由主義的」の意である。日本の自由民主党は英文ではLiberal Democratic Party。従って自民党の方がより正しく「リベラル」を使っていると言える。ところが、リベラルには「個人の自由や個性を重んじ、寛大な心の広い」という意味も備えている。また自由を意味するFreedomに比べて「抑圧からの解放を意識して使われることが多い」と言う。

◆日本の自民党はタカ派(=保守派)とハト派(=リベラル派)の二つの勢力が存在し、一強体制を維持してきた。アメリカの共和党(Republican  Party)は一般的に保守主義で、民主党(Democratic Party)はリベラル的立場をとっていると言われる。要するに民主党は労働運動、労組重視、マイノリティ、死刑廃止・不法移民容認・同性愛容認・宗教多様化容認等の立場に立って、共和党に対峙し、その政治姿勢が「リベラル」と目されてきた。然し、決して社会主義を目指すものではない。こうしてアメリカではこの二大政党が互いに切磋琢磨して、政権交代を繰り返してきた。

◆日本のかつての民主党の英文名は Democratic Party of Japan 、また民進党はThe Democratic party と称した。リベラルという言葉は使っていない。ところがかつての民主党や改称した民進党の左派系の人達、及び分裂して誕生した立憲民主党、社民党などをひっくるめてリベラル派と呼んでいる。本来リベラルとは路線や枠組みの問題ではなく、「何をやるか」である。アメリカの民主党が誰を対象に何をやるか、はっきりした目的・政策を持っているのに対し、日本のリベラル系と言われる左派系が路線問題や観念的対立に明け暮れ、離合集散を繰り返しているのとは対照的だ

石橋湛山鳩山一郎吉田茂など戦後日本の名だたるリーダーたちは、第一級のリベラリストだった。石橋湛山は「斬新な思想は自由な社会から生まれる。将来の為に、言論の自由は徹底して確保しておかなければならない」と述べた。左派も含め、あらゆる主張に耳を傾け、政策に盛り込んでいくという姿勢を持つ保守の健全な精神を持つ人たちが、リベラルと呼ばれていたという。ところが、現在多くの人がリベラルと聞いて想起するのは、左派的なリベラルだ。「冷戦終結以降、かつての社会主義者や市民運動家がリベラルと言う名の心地よい椅子に座り始めた。『リベラル』に保守派リベラル革新的リベラルのふたつの流れができてしまったのが今日の混乱の始まりではなかろうか。

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2017年11月 4日 (土)

与野党国会審議について考える

◆自民党執行部は、予算委員会など各委員会の質問時間を議席数に応じて配分するよう見直すべきだと主張し、これに対し野党が一斉に反発を強めている。質問時間の配分については自民党が野党に陥落した時に、それまでの与党3、野党7だった配分を、時の民主党政権を攻めるため、与党2、野党8に強引に持っていった経緯がある。その慣例が与党に返り咲いた今でも続いていたが、この衆院選の勝利を皮切りに当選3回目の若手達が質問時間の少なさに不満をぶつけ、自分達も民意を得て議席を得たのだから、平等に質問時間を与えて欲しいと執行部に強く求めたことに端を発した。

◆自民党執行部はこれを受け、議席数に応じて与党7、野党3に改めるべきだと主張するが、これは掛値であって、本音は与党4、野党6くらいで決着したいところだろう。実際の所、自民党若手にとっては、野党議員が質問する場面はTVで何度も流されるのに対し、自分たちはそういう機会が皆無に等しいので、不平等感を解消したいという気持ちを持つことは分からないでもない。政府にとっても野党の質問時間は短い方が議事運営上も好ましいところだ。ところが野党にとっては政権与党を攻め立て、自分たちの存在意義を最大限に発揮したいところだから、「妥協の余地はない」と普段はバラバラでも、この点に関しては一致団結して猛反発する。しかし、あまり突っぱねてばかりいては審議そのものが開かれず、ズルズル先送りされてしまうというジレンマを抱えている。

◆自民党の中でも石破氏のように「与党は法案、予算を提出する前に政府と散々やり取りする。その分は割り引かねばならない」とする意見も多い。本来、国会は国の重要な外交問題、安全保障問題、経済問題、税制・財政問題、社会保障問題など当面する様々な課題について大所高所から深く議論し政府の政策についてチェックすると同時に全体の均衡を図り、時には提案する場であっても良い。ところが現状はどうか。森友・加計問題に見られるように政府の失策のように見えるスキャンダラスな問題が起これば、「ここぞチャンス」とばかり、全野党が同じような質問を繰り返す。政府の説明も悪いが、野党の態度とそれに呼応するメディアの姿勢も褒められたものではない。もっと重要な政策課題はあるのにメディアが取り上げるのはこんな問題ばかり。国民も難しい政策論議より分かりやすいスキャンダラスな問題に関心を示す。危機は身近に迫っているというのに、「平和ボケの証拠」かもしれない。

◆そもそも国会質疑は野党が一方的に質問を浴びせ、政府は平身低頭して答えるのみ。これを見ている限りにおいてはどちらが偉いのか分からない。国会は議論する場ではなかったのか。そうであるなら、質問中に答弁者から逆質問があってもよい。「ではあなたならどうすればよいと考えるか」、「対案があるのか」等々。丁々発止互いにやり合い、説得するなどして、議論を活性化しなければならない。揚げ足取りや重箱の隅をつつくなどはいい加減止めて欲しい。また日本の国会は総理を延々と委員会に縛り付けることが多すぎる。野党が得点を稼ごうという算段だろうが、そろそろ国会質疑の在り方自体を抜本的に改めるべきではなかろうか。

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2017年10月29日 (日)

小選挙区制度の見直しは?

◆衆院選の結果を受けて、朝日新聞や毎日新聞などのメディアは野党が一本化していれば、与党が3分の2を超える大差で圧勝することはなかったというような論説を展開している。得票結果を見て「野党一本化なら63選挙区で勝敗逆転」などと分析結果を報じているが、まるで「なぜ野党が一本化して与党に立ち向かわないのか」とか、「与党一強体制を存続させてよいのか」といったような論調にも聞こえる。換言すれば善良な多くの選挙民が現体制を容認しているのが「悪」であるかのように嘆いているようだ。

◆また、野党からは小選挙区の負の面(第1党が得票率に比べて獲得議席数の比率が高くなり、死票が多くなる。死票は過去最大50%を超えた時があった。)を取り上げて、選挙制度の見直しに言及する議員もいた。もともと自分的には小選挙区制に積極的な賛成派ではない。但し、一挙に現政権を倒し、政権交代を成しうる制度であることも確かだ。旧民主党の時代の2009年、歴史的な政権交代を果たし、その3年後にはまるでオセロゲームのように安倍政権が劇的な政権交代を成し遂げた。自分達が不利だったからと言って、制度を云々するのはあまりにもご都合主義と言えよう。

◆選挙制度にベストな選挙制度はない。日本では選挙が終わるたびに、判で押したように「現行の一票の格差は憲法違反だ」と訴える馬鹿な弁護士グループが存在する。最高裁が概ね1.0から2.0以内であれば合憲とする判断をしているにも拘らずだ。仮に限りなく平等に近づけるとするならば、全国1区の大選挙区にならざるを得ない。かつて参議院の全国区という選挙区があったが、全国組織を有する団体、有名人に限られてくる。さらに少数政党が乱立しやすくなり、不安定さを増す。

◆中選挙区に戻そうとする意見も散見されるようになった。そうなれば第一党が複数の候補者を立て、また派閥政治に逆戻りしかねない。野党分裂のままでは政権交代はますます遠ざかる。もともと野党は偏波で狭量、妥協を嫌うという性格を持っている。それらが野党共闘で一本化すること自体、選挙民はその真意を見透かしている。小沢一郎が「オリーブの木」構想を打ち出している。かつてイタリアで野党合意による連立政権を誕生させた例に倣ったものだが、長続きしなかった。理念や主義主張・政策の一致を見ないまま政権に就いたとしても、いずれ内部分裂を起こし、破たんすることは目に見えている。

◆なお、ついでながら最高裁判所の裁判官の国民審査について触れてみたい。これは衆院選挙に合わせて、必ず付いて回るもので、憲法第79条の2項、3項に規定されているが、いくら国民の権利とはいえ、国会議員の審査(選挙)と違い、その裁判官を罷免するかどうかの判断を国民に求めるのは酷と言うものだ。過去の実態でも常に数%の「不可」があるが、罷免されたためしはない。まさに形式に流されていると言わざる得ない。これについては審査される最高裁裁判官以外の全裁判官、及び検察官弁護士などの専門家にその権利を付託するなどの改憲案を考えてもよいのではなかろうか。憲法改正事項はいくらでもある。
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2017年10月24日 (火)

総選挙に見る希望の党と立憲民主党

安倍総理が無理筋とも思える解散・総選挙に打って出た「賭け」は、前原氏の民進党解体・希望の党への合流という「奇策」と小池氏のオウンゴールのお陰で、思いもかけず与党は解散前とほぼ同じ3分の2の勢力を維持した。一番ホッとしたのが安倍総理自身だろう。国民も賢い選択をするものだと感心した。

【希望の党の敗因と今後】
◆小池氏の「排除発言」が国民からソッポを向かれた大きな原因とされるが、政党である以上、原理・原則に大きな隔たりがあれば、いずれ争いが表面化することは必至。だから、そのこと自体大きな問題とは思わない。問題はそのことより、小池氏自身、都知事選・都議選の結果を天祐とせず、自分の実力と過信したことによる。人事を含めた組織のルールを軽んじ、「私がルール」だとばかり、勝手に刺客や落下傘部隊を決め、選挙民の意向を全く考慮せずに突っ走った結果だった。相撲の立ち会いで焦って突っ込んだが、自分から滑って転んだようなものだった。


◆国政に進出するには、手足となる地方議会の議員を数多く輩出して、地道な政治活動を続けること、それが確かな近道となる。ガラスの天井を破ったからといって、落下傘部隊を上から降ろしただけでは、風向き次第でどこに漂着するか心もとない。彼女が言うシガラミの無い政治とは地域に密着しない、風に乗った政治家の量産ということらしい。こうした候補者を数合わせで無理に擁立すること自体、国民を舐めている言われても仕方がない。人様にはいつも「情報公開」を訴えながら、実は自分がブラック・ボックスだったとは笑うに笑えない。希望の党は将来に希望を持てそうにないが、小池氏を総理候補として再浮上させることができるかどうかに掛かっていると言えよう。

【立憲民主党の勝因と今後】
◆今回特筆すべきは、立憲民主党が公示前の15議席から55議席へ大きく伸ばし、第二党に躍進したことだ。しかしこれは枝野氏が積極的に仕掛けたというより、希望の党に排除され、仕方なく立ち上げたというのが本筋だろう。それに判官贔屓の日本人気質と、「打倒安倍一強に賛成だが、共産党はどうも」と言う声が一挙に押し寄せた結果だ。その証拠に共産党は公示前の21から12へと大きく議席を減らした。


◆しかしながら健全な野党は日本にとっても必要だ。単に「安倍一強体制を倒す。憲法改正反対」だけでは共産党と同じだ。国民に甘い言葉だけでなく、時に耳に痛い言葉であっても真に必要であれば勇気を持って説得しなければならない。国民が安心して政権を任せるだけの実力を蓄え、外交・防衛の一貫性は堅持し、内向きの姿勢を改めて、国際的地位を高める努力を続けることが重要になる。何でも反対の姿勢はそろそろ止めた方がよい。そして総理候補なり得る人物が現れるか、そうでなければ万年野党の域を出ることは難しかろう。自民党は間違いなく総理になり得る人材を抱えている。言うまでもなく小泉進次郎だ。

2017年10月19日 (木)

なんだか空しい衆院選

◆安倍総理が突然解散総選挙を表明したのは9月25日。28日には衆議院が解散され、10月10日に選挙戦に突入。3日後の22日には投開票が行われる。表明から投票までわずか4週間。ずいぶん昔の出来事だったような気がする。この間あまりにも変化が多すぎたからだろう。希望の党の立ち上げ、民進党の分裂、立憲民主党の立ち上げ・・・。

◆本来なら政治の大きな変化で世間は盛り上がるはずだが、少なくとも自分にとっては次第に関心が薄くなり、しらけムードになっている。盛り上がっているのは当事者やメディアだけ。TVが党首や幹部の一方的な主張を放送し、無味乾燥な政見放送が流れだすとついついチャンネルを回してしまう。一方通行で独りよがりの選挙PRのため、選挙民との意見交換が見られない。10年1日のような相も変らぬ選挙運動とその体制。無関心になるのは50%台そこそこまで低下した投票に表れている。メディアは議席獲得予想にしのぎを削り、まるで競馬の予想屋だ。

◆安倍総理の自己都合による解散を「けしからん」と野党は批判した。解散権の乱用は別の次元で論じなければならない。(憲法改正に組み込むとか) もともと野党は「打倒安倍一強」とか「安倍辞めろ」、「内閣不信任案だ」と終始主張していた。だとすればそのチャンスを与えてくれたのだから、大いに感謝しなくてはならない。仮に政権交代となれば安倍さんに対し「感謝状贈呈」ものだろう。

◆しかし選挙戦に突入すると、例によって例の如く、与野党とも批判の応酬合戦。選挙民の歓心を買いそうな甘い政策ばかり訴える。そもそも予算を伴う法案を提出するには50議席以上の獲得が必要だ。その目途もないのに大風呂敷を広げる党もあるから嘘が透けて見えるのだ。幼児教育無償化、高等教育無償化、結構だ。だが年間いくらかかるのか。どこからその財源を持ってくるのか。議員削減、歳費削減、公務員給与削減、いいだろう。だが年間いくら削減できるのか。自治労、日教組等の話し合いの見込みは?それらの具体的数字を示した政党はあっただろうか。そもそも1000兆円をこえる莫大な借金を減らすことを考えず、増やすことだけ考えている政党ばかりではないか。財政再建は自分達の代では必要ないと思っているのか。

◆立憲民主党の枝野氏の評価が上がっている。真面目さ、ひたむきさは伝わってくるが、政権担当能力を回復したとは思えない。民主党時代の華々しい「事業仕分け」は何だったのか?家の近くにある公益事業財団もやり玉に挙がったが、その後、これ見よがしに綺麗な建物に建て替え、敷地も整備してまるで火事後の焼け太り状態だ。結局何の拘束力も持たないパフォーマンスに過ぎなかった。枝野氏は安倍総理の元では憲法論議をしたくないという。まるで子供の論理だ。

◆共産党は決まり文句のように、「市民と一体となって云々」と言う言葉を使う。共産党と一体でなければ市民ではないのか?自分も市民の一人だと思うが、共産党に協力した覚えはない。共産党が言う市民とは、共産党シンパの市民であり、体制批判のためにデモしたり、妨害する市民団体のことである。これから市民と言う言葉を使う場合は「共産党に賛同する市民」と表現を改めて頂きたいと思う。
この程度の国民だから、この程度の政治家しか生まれない」という言葉がある。政治を変えるには国民自らが変わらなければならない。それが分っているから、虚しさだけが残る。

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