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映画・テレビ

2017年2月14日 (火)

映画「アラバマ物語」を鑑賞して

Photoグレゴリー・ペックは最も好きな俳優の一人だ。「ローマの休日」、「白鯨」、「大いなる西部」、「ナバロンの要塞」など、幅広く深みのある演技が印象深い。ところが彼がアカデミー主演男優賞を取った「アラバマ物語」は、見る機会がなかった。たまたま東宝シネマの「午前10時の映画祭7」で上映していたので、やっと鑑賞する機会を得た。
映画『アラバマ物語』は1962年製作、原作は1960年に発表されたハーバー・リーの同名の小説。彼女の自伝的小説『アラバマ物語』(原題:To Kill a Mockingbird)は1961年度のピューリッツァー賞を受賞、翌1962年に全米で900万部を売り上げる大ベストセラーとなった。そして同年12月には映画が完成した。


◆舞台は1930年代、アメリカ南部アラバマ州の田舎町。まさに西部劇の世の中が終わり、馬に代わって車が普及し始めた時代だが、まだ西部劇の面影が色濃く残っていた。人種的偏見が根強く残るアメリカ南部で、白人女性への暴行容疑で逮捕された黒人青年の事件を担当する弁護士アティカス(グレゴリー・ペック)の物語。映画は主人公が担当した裁判を中心に展開するが、この作品は単なる法廷ドラマに終わらず、子供の視点から見た大人の世界や、周囲の人々に対する純粋な好奇心などをノスタルジックに描いている。

◆妻と死別した主人公(グレゴリー・ペック)は公平で穏やか、その知性と人柄で周囲から厚く信頼されている町の弁護士。小学生の兄と妹、二人の父親でもある。こうした古き良き時代のアメリカの田舎町を背景に、弁護士としての公平な仕事を通して、人種差別や貧困など社会の「悪」の一面を、無垢な子供の目を通しても描かれている
人種差別の激しいアメリカ南部で、黒人の弁護をする弁護士は、周囲の心無い人々から中傷を受けるようになる。裁判当日、陪審員は全て白人、被告にとっては絶望的な状況の中で、主人公は被害者、被告、証人らの証言の矛盾を突き、真実を暴き出す。最後に全白人男性の陪審員に向かって「先入観を持たず、明白な証拠をもって審議してほしい」と訴えるが・・2時間後、陪審員達が出した結論は・・無情にも有罪だった。


◆近年ハリウッド映画はカネをかけたド派手なアクションものやCGを駆使したコケ脅しものが多く、殆ど見る気がしない。かつてハリウッドは映画の都と言われるだけあって、健全な娯楽もの、文芸物、社会派ものなどで、全盛時代を築いた。この「アラバマ物語」は2007年にアメリカ映画協会が選んだ”映画ベスト100”中、第25位にランクされ、2008年には同映画協会によって最も偉大な法廷ドラマ第1位に選出されたそうだ。確かにその先駆的な実績は見て取れる。

2016年12月19日 (月)

映画「海賊とよばれた男」を鑑賞

読んでから見るか、見てから読むか」、題名は忘れたが、ある映画のPR用キャッチフレーズだったと思う。かつては「本から先に入ったケース、逆に映画やドラマを見てから原作を読んだケース」など数多くあった。しかし、近年そうしたケースは少なくなり、多くは原作よりも映像のみで終わるというケースが多くなった。長文の活字に眼が疲れるようになったせいかもしれない。

前回の「永遠の0」もそうだったが、百田尚樹原作の「海賊とよばれた男」も大ベストセラーとなり、小説が映画化され、映画も大ヒットしている。今回も原作はパスして、映画だけ覗いてきた。昨年の山崎貴監督、岡田准一主演の『永遠の0』は岡田が日本アカデミー賞・最優秀主演男優賞を受賞、山崎監督も最優秀監督賞を受賞した。その同じコンビが野心作「海賊とよばれた男」に挑み、気心知れたスタッフが再び集結して、制作に当たった訳だから面白くないはずがない。

明治から戦前にかけて、政治家や軍人など所謂偉人たちは小説、ドラマ、映画などに何度もヒーローとして登場している。しかし経済界・実業界からヒーローとして取り上げられる例は多くない。日本の石油業界の草創期から身を起こし、一代で民族系石油元売り会社に育て上げた出光佐三の名前とアポロマークを知らない人はいないだろう。しかし、その実態は殆ど知らなかった。この映画を見て、日本にこれほどの優れた経営者、指導者がいたのかと、改めてその人物像に触れて、大きな感銘を受けた。

映画は戦争を挟んでいくつものエピソードが展開されていくが、もっとも手に汗を握るシーンが1958年(昭和28年)の日章丸事件を扱った部分だ。当時産油国イランは英国メジャーの横暴のため、石油を国有化した。英国はイランに圧力をかけるため、イランからの輸入をストップするよう働きかけ、海上封鎖した。実際にイタリアのタンカーが拿捕されている。主人公鐡造は無謀と反対されつつも、社有のタンカー日章丸(1万9千トン)を秘密裏にイランのアバダンに派遣する。

売り先が無くなったイランは国を挙げて大喜び。しかしイランに到着した時点で、国際的な事件として認知された。日本でも武装していない一民間企業が、当時世界第二の海軍力を誇っていた英国海軍に「喧嘩を売った事件」として連日報道された。日章丸は国際世論が注目する中、イランのアバダン港を出港。浅瀬や機雷などを突破、イギリス海軍の裏をかき、マラッカ海峡を避けて遠回りをするが、行く手に軍艦らしい船影が・・。船影は英国フリゲート艦と判明。グングン近づきあわや正面衝突!(この辺は映画上の創作部分か)

ストーリーはテンポよく時代を行き来する。20代の血気盛んな青年から、50、60の働き盛り、90代の老人まで一人の俳優が演じる。その演技力の凄さとそれを裏付けるメークアップの技術力にも驚かされる。また全編を通して特撮や不自然さを感じさせないCGによる仕上がりが素晴しい。良い原作と素晴らしい演技力、作り上げた監督の映画力、まさに三拍子そろった映画だと言えよう。

2016年10月26日 (水)

名作「七人の侍」を鑑賞

◆今年の「午前10時の映画祭」の19番目の作品「七人の侍」を鑑賞してきた。この映画は日本を代表する映画であるだけでなく、世界の最高峰にランクされる映画でもある。『七人の侍』は1954年(昭和29年)4月に公開された時代劇で、監督は黒澤明、主演は三船敏郎と志村喬。上映時間は途中5分の休憩を挟んで、3時間27分という超大作だ。今まで、劇場で再上映されたもの、テレビで再放送されたものなど何度も見ているが、映像や音声が古いところが難点だった。今回は高品質の4Kデジタルで復活し、鮮明化された映像とクリアな音響効果もあって、細部までじっくり鑑賞できた。そして新しい発見もあった。

1黒澤監督はこれまで歌舞伎などから影響を受けた時代劇を、根底から覆すリアルな作品を撮ることを考えていた。戦国時代の浪人は武者修行の折に、どうやって食べていけるのかを調べていったところ、農民たちに飯と宿を与えてもらう代わりに寝ずの番をして「野伏せり等の夜盗」から村を守ったと言う話を見つけた。そこから「武士を雇う農民」をストーリーの根幹に据えることにしたという。綿密な時代考証の元、橋本忍小国英雄の脚本家を加えた3人は熱海の旅館に45日間閉じこもって、綿密なシナリオを練り上げ、時代劇におけるアクション映画の金字塔を確立した。

4◆七人のリーダー格を演じる志村喬はこの映画の2年前に「生きる」の主人公で、定年を目前に癌を宣告された弱々しい、小役人を演じた。ところがこの映画では堂々とした温かみのある武士のリーダーを演じている。役者とはいえ、これが同じ人物かと思えるほどの変わりようだ。
型破りの乱暴者だが、コミカルな面を併せ持つ菊千代約の三船敏郎、百姓の出で百姓の内面・外面すべてを熟知した野性味豊かな役柄を演じている。
また凄腕の剣客久蔵役の宮口精二は口数が少なくあまり感情を表わさないが、根は優しいという側面を時折見せる。宮口の役は「ルパン三世」の登場人物の石川五ェ門のモデルになったとも言われている。この他、稲葉義男加東大介千秋実木村功といった今は亡き、個性豊かな面々が、貧しい村と村人の命を守るため、自分の命を懸けて野武士集団と戦う。


2 3宮口精二

◆黒澤のリアリズムは「一人の人間が何十人もの相手を切るって言うのは嘘だ」と語っており、「何十本の刀を用意して刀を替えながら戦った」という剣の名人足利義輝に倣って、菊千代に刀を地面に立てさせ、何人かを斬る毎に刀を替える場面を挿入している。
黒澤監督はこの映画で、村人に「自分たちの村を守るのは村人本人だ」、「武器をもって侵略者と戦うのだ」、「自分達(七人の侍)はそのお手伝いするに過ぎない」と、「自衛」と言う考えを述べているように思える。この年(昭和29年)7月に防衛庁と自衛隊が発足しているが、黒澤監督は国家の防衛というものをどのように考えていたのか、知りたいところだ。

2016年10月 5日 (水)

黒澤監督作品「生きる」に感動

Photo◆雪の降る夜、公園のブランコに揺られて、「ゴンドラの唄」を口ずさむ初老の男性。この名シーンは眼に焼き付いて離れない。TVで何度か見て、ストーリーは分っているつもりでいたが、劇場映画としてデジタル映像と音声で鮮やかに蘇った名画「生きる」を全編通して(143分)鑑賞し、改めてこの映画の素晴しさに感動させられた。「人間」は同じ作品を観ても、その時の年齢、立場、環境等によって受け止め方が大きく異なることを実感。

◆東宝が全国で展開している「午前十時の映画祭7」で、現在上映中の「生きる」(昭和27年・1952作)を鑑賞してきた。粗筋は書くまでもないが、癌を宣告され、余命幾ばくもないと悟った市役所勤務のしがない課長である主人公(志村喬)がこれまでの無意味な人生を悔い、最後に市民が要望しながら、なかなか実現しなかった小公園の建設に奔走する。死を目前にして体の不調も省みず、活動する真摯な姿を描いたヒューマンドラマだ。同時にお役所仕事に代表される官僚主義、形式主義を批判した社会派ドラマでもあることを今回改めて認識した。「日本映画史上ベスト・テン」(キネマ旬報発表)に何度もランクされ、各種映画賞を受賞し、内外ともに評価の高い傑作であることに納得がいく作品である。

Photo_2◆「ゴンドラの唄」を歌うのは、雪の公園のブランコに揺られたシーンだけではなかった。「死」への不安から、これまでの自分の人生の意味を見失い、貯めた金をおろして、居酒屋で知り合った三文小説家(伊藤雄之助)の案内で、夜の街をさまよう。昭和26、27年当時の場末の居酒屋から、パチンコ、ダンスホール、キャバレー、ストリップ劇場などの姿が描かれている。銀座の大きなキャバレーと思われる店で、ブーちゃんこと市村俊幸が演じるジャズピアニストが弾くチャールストン、ブギウギなどの陽気なリズムに合わせて嬌声が飛び交うシーンは戦後わずか6、7年しか経っていないのに、ここまでアメリカナイズされていたのかと、日本という国の変わり身の早さに驚かされる。

◆市村が客にリクエストを求める。志村が押しつぶされたような声で「いのち短し・・」とつぶやく。市村は場違いと思いながら、ジャズ風にアレンジした「ゴンドラの唄」を弾き始める。しわがれ声でしみじみと歌いだす志村の歌声に店内は静かになり、ブルースを踊り出す客も現れる。歌いながら志村の眼に涙が溜まり、ツーっと一滴頬を伝う。この辺も泣かされるシーンだ。


【ゴンドラの唄】
 (作詞:吉井勇  作曲:中山晋平  大正4年)

いのち短し 恋せよおとめ  朱き唇 あせぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に 明日の月日のないものを

いのち短し 恋せよおとめ  黒髪の色 あせぬ間に
心のほのお 消えぬ間に  今日はふたたび来ぬものを

2016年9月 7日 (水)

映画「シン・ゴジラ」を観て

◆「ゴジラ」の第一作は1954年(昭和29年)で、小学5年か6年の頃に見ている。特撮と分っていても、その迫力に興奮したものだ。その後何度か続編が作られたが、1~2度見た程度で、成長するにつれ、安直な怪獣映画には全く興味がなくなった。しかしその間「ゴジラ」は世界的なキャラクターとなり、日本からメジャー選手として米大陸に上陸したり、2014年にはアメリカ版”GODZILLA”が制作されて、日本に再上陸するなど想定外の大成長を遂げてきた。

◆今年第29作目になるという「シン・ゴジラ」が制作され、今までとは大きく異なる社会性に富んだ作品として話題を呼んでいるというので、取りあえず観に行った。東京湾アクアラインの海底トンネルが原因不明の事故で破壊されるところから映画は始まる。巨大な尻尾のようなものが海上で見えたというので、巨大不明生物の仕業と判定。官邸は生き物なら簡単に駆除できるだろうと楽観するが、品川方面の川を遡る巨大な怪獣は津波のような災害を引き起こし、建物は軒並み倒され、住民は逃げ惑う。これらの被害状況を見て、政府は尋常ならざる事態と認識。災害対策本部を設置するが・・・。

◆実は2011年3月11日の「東日本大震災」こそ、この映画製作の大きな動機になっているようだ。想定の範囲を超えた大地震と大津波のような被害。緊急事態における人間社会の右往左往する混乱振り。対応する政府、自治体、警察・消防などの機能的動きを推進する指揮命令系統の不透明さ。省庁間の責任の押し付け。「マニュアルにない、法整備の不備」等を持ち出すお役人たち。そうして意思決定の遅さ緊急時の日本の行政の実態を露呈しているかのようである。

◆今回のゴジラの登場は福島原発事故も想起させた。即ち、体内に「巨大な原子炉」を抱えたような未知の怪獣が、海底に放置した使用済み核燃料を取り込み、エネルギー源として暴走。制御不能の状態で放射能を拡散させる。被害を食い止めるため、止むを得ず陸・海・空の自衛隊を出動させる。しかし国民を巻き添えにする恐れがあるため、最終決定者の総理は攻撃実行に苦悩するが、住民の緊急避難、疎開の措置をとりつつ「Goサイン」を出す。ところが日本の自衛隊が保有する武器等では、何の防御にもならない。

◆いよいよ日本では手に負えず、日米安保の適用、中露仏等を巻き込む国連安保問題へと発展していく。さらに日本を飛び越えて、「」使用を巡って議論が進むなど、国際問題へ広がっていく。ゴジラは何のため日本を、そして東京を襲ったのか。まさに日本の安全保障と、東京一極集中に対して警鐘を鳴らしているようである。また日本の領土・領海を侵略しようとする某国を念頭に、ハード・ソフト面の防衛力の強化を訴えているようにも思えた。映画自体も62年前の円谷監督作品とは比べるまでもないが、ゴジラ自体は荒唐無稽とはいえ、CGを駆使したリアルな映像は実写さながらに展開し、改めて技術の進歩に驚かされる。

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 画像は映画とは関係ない

2016年4月23日 (土)

映画「エヴェレスト 神々の山嶺」を観て

◆皇太子ご一家も鑑賞されたという映画「エヴェレスト神々の山嶺」を観てきた。第11回柴田錬三郎賞を受賞した夢枕獏の小説「神々の山嶺」を映画化したもの。我々俗界でノホホンと暮らしている身にとっては無縁の世界ではあるが、であればこそ惹きつけられる何かがある。エヴェレストの高度5200m付近で大規模ロケを敢行しただけのことはあって、臨場感、音声効果も抜群ならば、ヒマラヤの荘厳な風景も圧巻だ。この迫力は劇場映画なればこそのものだろう。

◆山岳写真家(岡田准一役)がカトマンズの骨董屋でクラシカルなカメラを手に入れるところから物語は始まる。それはあの有名な英国の登山家ジョージ・マロリーが1924年にエヴェレスト登頂に挑んだ時、成功したか否かが判断できるかもしれないカメラだった。マロリーは「なぜ山に登るのか」の問いに対して、「そこに山があるからだ」と答えたことで有名な登山家。英国が国威発揚をかけたエヴェレスト遠征隊に参加。1924年6月の第3次遠征に於いて、彼はパートナーと共に頂上を目指したが、北東稜の上部頂上付近で行方不明となった。マロリーの最後は、死後75年に亘って謎に包まれていたが、1995年5月1日に国際探索隊によって遺体が発見されたという。マロリーが世界初の登頂を果たしたか否かは、いまだに論議を呼んでいる。このこともこの映画の1つの要素になっている。

◆岡田はカメラの逸話を調べるうちに、カトマンズに身分を隠してひっそり暮らす孤高のアルピニスト(阿部寛役)と巡り合う。他人に配慮しない登山をするために、孤高の人物となった彼の壮絶にして崇高な人生に触れるうちに、岡田の胸にある思いが生まれる。この二人の主人公の熱演が観る者をグイグイ惹きつけていく。阿部の目指すものはいまだ誰も成し遂げていない冬のエヴェレストの南西壁に単独・無酸素で登攀しようという無謀なものだった

◆この映画の一般の評価は割れているが、その一端は今の多くの若者達の山に対する畏敬のようなものが、我々の若い時と比べて相対的に低くなっていると思えるからだ。映画の中で岡田が阿部に「何故エヴェレストに登るのか」と聞く。阿部は答えた。「ここに俺がいるからだ」と。この映画は「山の真実は山でしか分らない。高度な技術と体力、精神力を擁し、命を懸けるだけの価値を見出した真の登山家に対して、軽々しく批判することはできない」と教えているようだ。自分の危険は省みず他者を救いに行く場面も、ラストで阿部がエヴェレスト山頂近くで銅像のような凍死の姿で発見されるのも、創る側の想いが凝縮されているように思われ、凄みを感じた。

◆余談だが、自分は「山は登るものではなく、遠くから見るものだ」という情けない考えだが、今まで登った最も高い山はハワイ島のマウナ・ケア(4205m)だ。いや、登ったというより運んでもらったというのが正確だが・・。4000mを超えると何か神聖なものを感じた事だけは確かだ。子供の頃、戦後まだ10年程しか経っていない昭和31年5月、日本の山岳会第三次隊が、先進国に挑むようにヒマラヤの高峰マナスル(8168m、世界8位)の初登頂に成功した。この世界的快挙に国民は大いに勇気づけられた。因みに、1950年代はヒマラヤ登山ブームで、8000m級は殆ど登り尽くされ、未登峰は僅かだったようである。参考までに高度10位までのランクと登頂した年号を列記する。

1位:エヴェレスト(8848m)  1953年  2位:K2 (8611m) 1954年
3位:カンチェンジュンガ(8586m)1955年   4位:ローツェ(8516m)1956年
5位:マカルー(8485m) 1955年     6位:チョオユー(8188m)1954年
7位:ダウラギリ (8167m)1960     8位:マナスル(8163m) 1956年
9位:ナンガバルバット(8125m)1953年  10位:アンナプルナ(8091m)1950年

2016年3月27日 (日)

久し振りに映画で大笑いしました。

山田洋次監督が、小津安二郎監督の名作「東京物語」(1953年作、主演:笠智衆、原節子)のリ・メイク版「東京家族」を制作し、公開上映されたのは2013年1月でした。今回はその「東京家族」のキャストそのままに、東京近郊に暮らす三世代の家族にスポットを当て、「家族はつらいよ」のタイトルで、本格的喜劇に仕上げておりました。

橋爪功と吉行和子演じる老夫婦の熟年離婚騒動をテーマに、家族を巻き込んだ喜劇で「寅さんシリーズ」より数十倍も面白い映画でした。 それは中高年世代の誰もが大なり小なり経験するような、またわが身に置き換え、思い当たる節がありそうな出来事がテンポよく展開され、映画館内でこれほど観客の笑い声が響きあう映画を観たのは本当に久し振り。

また、エンディングも小津さんの「東京物語」がテレビで放映されている場面を主人公が見ていて、東京物語の「終」の文字がクローズアップされると、それがこの映画の「終り」とオーバーラップするという「洒落た終わり方」を演出しており、山田監督ならではの作品でした。

2015年12月30日 (水)

映画「母と暮らせば」を鑑賞して

◆普通、映画を見たら大抵感想なり、映画評を書いてきたが、数日前この映画を観た時ほど、あまり言葉が浮かばなかったことはない。「母と暮らせば」は昭和20年8月9日の長崎と、3~4年後の同じ長崎が舞台。実際にあった場面に、架空の話をミックスして山田洋次監督が故井上ひさしの「父と暮らせば」の意思を引き継いで、制作したという。

◆実は筆者はこの映画の場面と同じ長崎市内にいて、同じ空気を吸っていたはずだ。しかし全く記憶が無い。記憶があるのは昭和24、5年の長崎港外の幼稚園生の頃。映画は原爆で火災を免れた港を見下ろす高台の集落で、生き残った市民が必死になって助けあいながら生きる様子を描く。主人公である母親(吉永小百合)は長男が南方で戦死。次男(二宮和也)は長崎医大の学生で、受講中に突然、あまりにも突然に被爆、一瞬にして命を失う。遺体は影も形も無い。一人残された母親は助産婦の仕事をしながら懸命に生きようとするが、次男のことが忘れられない。

◆3年経って諦めかけた頃、突然、自然な形で姿を現す。それも生きていた時と変わらぬ明るさで。亡霊ではあるが、映画ならではの親子だけに通じる世界を、明るく描いてファンタスチックである。この明るい亡霊に対して、ある雨の降る夜、長男が敗残兵達と一緒に夢枕に現れる。こちらは亡者の如く暗く寂しく描かれ、対照的である。戦争の悲惨さをリアルに表現したかったのだろう。実際の社会生活の場面では、食糧難のこと、闇物資の世界、戦死者・復員者情報受付所、複雑な対米感情など実にリアルに描いている。

ラストシーンは悲しくも、ハッピーな終り方であり、爽やかでもある。同じ吉永小百合が主人公の芸者「愛八」を演じた「長崎ぶらぶら節」(原作:なかにし礼)では、主人公の死が、寂しく悲しすぎるのとは対照的だ。山田洋次監督らしいほのぼのとした人間愛に溢れた展開の中に戦争・原爆の悲惨さを訴えたもので、是非時代を担う若い人達に観て欲しい作品でもある。

Photo 大浦天主堂

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港を見下ろす丘より長崎港を望む


2015年11月29日 (日)

原節子と映画「東京物語」

◆伝説の女優原節子が今年9月、95歳で亡くなっていたことが報じられた。代表作「東京物語」が制作、上映されたのは昭和28年(1953)、当時小学校の4年の時だったが、当然ながら記憶にない。その後数作品に出演し、1962年に銀幕から姿を消すまで、戦後を代表するトップスターであった。ハリウッドを彷彿させる現代的で、華やかな顔立ち、上品な立居振舞いの綺麗な女優のイメージはあったが、やはり一時代前の映画俳優で、どこか遠い世界の女優という感じだった。

◆長じてテレビで何回か「東京物語」を観たが、どうもイマイチ退屈で面白くない。ところが映画界における評価は年と共に高まるばかり。小津監督を敬愛する山田洋次監督が2013年に現代風に置き換えたリ・メイク版「東京家族」制作した。この作品で小津監督、山田監督が云わんとするところが、おぼろげながら分かってきた。「東京物語」は2009年には「映画人が選ぶオールタイムベスト100」で第一位に選出された。また世界の映画界においても、10年ごとに選出される英国の映画専門誌「サイト&サウンド」で毎回順位を上げ、2012年には「世界映画史上ベスト作品」で、世界中の映画監督358人による監督選出部門の第一位に選ばれた。

◆これほどの作品が理解できないのは自分が未熟だからか?そうしたら昨日NHK・BSプレミアムがタイミングよく、原節子さんを偲んで東京物語」を放映していた。NHKの最新の技術を駆使して、デジタル修正、画像・音声ともクリアに蘇っていた。この映画を撮った時、原節子は33歳。笠智衆の次男の嫁役で、夫を戦争で亡くした一人身の役。本当は辛い役どころだが、それを表には微塵も出さず明るく振舞う。因みにこの時の笠智衆の実年齢は49歳だったというから驚きだ。二人とも不器用だったからこそ小津監督の意に叶ったのだという。

◆地方から東京に出てきて職に就き、子供ができて家を購入。実家に残った父親はやがて退職。時間ができた両親は、子供や孫に会いに息子の家にやってくる。ごくありふれた光景だが、自分にも経験がある。「東京物語」は家族の細やかな愛情を描いているように見えて、実は現在の家族崩壊を予見させるような作品だったことが良く理解できる。自分もいつしかそんな年齢になっていたということなのだ。

◆経済発展に伴って大家族制度が崩れていくのは日本ばかりではない。世界の誰もが我が身を振り返って考えるような普遍性がある。家族と云う共同体が年を経ると共にバラバラになっていく現実を、小津監督は独特の手法、落ち着いた雰囲気で描いている。今から62年前の作品だが、現代にも通じるものがあり、決して古臭くない。そして戦後8年後の作品だが、戦後であることを感じさせない。ドイツのある著名な映画史家は「小津作品は最も際立った映画芸術の一つ。そして原節子は日本映画、そして小津の名作の化身」と語る。小津映画が世界で評価され、神話化されると共に、彼女もその化身として伝説化していった。原節子は戦後のこれからの女性の理想像(明るく聡明で、未来を積極的に切り開いていく姿勢)を、華やかで、凛とした気品と綺麗な日本語の言葉遣いで演じてくれた。その後の女優達や世の多くの女性達に大きな影響を与えたのではなかろうか。ご冥福を祈り、合掌。

2015年8月12日 (水)

映画「日本のいちばん長い日」を観て

◆この夏話題の映画「日本のいちばん長い日」を観てきた。この映画は当初、昭和42年(1967)に東宝が映画化したもので、48年振りにリ・メイクされたもの。前作は大宅壮一の名で発表された同名のノン・フィクションを、岡本喜八監督、橋本忍脚本、白黒映画で制作・公開された。実際の著者は当時文芸春秋社の社員だった半藤一利で、序文のみ大宅壮一が書いている。今回の「日本のいちばん長い日 決定版」は戦後50年に当たる1995年に半藤氏が前作に手を加え、文春社から刊行されたものを原作に、原田眞人監督により松竹が制作した。

◆ひと口で言うと、この映画は情報の詰め込み過ぎで、目まぐるしいほど早いテンポで展開するので、よく吟味する間もなく終ってしまう。登場人物名のテロップもなければ、ナレーションもないので、予め歴史の事実と登場する人物の知識がなければ、理解するのが困難ではなかろうか。その意味では先日NHKBSで放送された「玉音放送を作った男達」というドキュメント・ドラマや同じくNHK総合TVの「歴史秘話ヒストリア」の「昭和天皇が信頼した男=鈴木貫太郎と終戦秘話」が分かり易い。本映画では大声で怒鳴り合う台詞が多く、効果音(廊下を歩く音、ドアの音、爆裂音等)も必要以上に大きく耳に障り、聞き取りにくい。

◆ただ、昭和天皇をここまで正面から取り上げた映画も珍しい。原作でも天皇は少ししか登場しないが、本木雅弘演じる昭和天皇は気品と言い、役柄といい高貴そのもので、登場する場面も台詞も多く、「天皇が一方の主人公」として見事に仕上げている。
東条英機が土壇場に天皇に拝謁し、敗戦後も日本の軍隊が残るように請願する場面が印象的だった。生物学者でもある天皇を逆手にとったつもりか、「軍隊はサザエ(国民)にとって殻のようなもの。殻がなくなればサザエは死ぬ。日本も軍隊がなくなれば終りである」という主旨を奏上する。すると天皇はサザエの英文名をあげ、「いや英国・米国等はサザエなんて殻ごと捨てるんだよ」と身も蓋も無い返答をする。軍隊を滅ぼしても日本という国を残そうとする天皇を前に、東条は言葉に詰まり黙って引き下がった。昭和天皇に叱責された東条英機が小さく見えた。


◆この映画は天皇の信頼が厚かった鈴木貫太郎総理(山崎努)と阿南惟幾陸相(役所広司)が主人公であるが、阿南の天皇への忠誠と軍人としての責務の間で揺れる心が全篇を通して細かに描かれ、最後は責任をとる形で切腹に至るが、その顛末に至る描写が微に入り細に入り過ぎており、そこまで映す必要があったのか、ただ単に切腹後の姿を発見させる方が、インパクトがあったのではと思うのだが・・。2時間14分という長めの上映時間の中で、説明をできるだけ省き、その隙間に複雑かつ重厚な人間ドラマを詰め込んでいるので、とっつきやすい映画ではなかった。上映中館内で一人の大きなイビキが響いていた。

◆最後に蛇足ながらこの映画に関連して、ネット上に次のようなくだらぬジョークが出ていたので引用する。
Q:「日本のいちばん長い日」は夏至ではござらんのか? 
A:常識的には夏至でござる。しかし文学的には終戦日でござる。

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