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日記・コラム・つぶやき

2017年6月19日 (月)

時の流れを感じる今日この頃

梅雨の谷間にポッカリ空いた隙間、その間から夏の陽射しが顔を出した。すっきり、爽やかな風が肌に心地よく、昨日までのジメジメした空気をどこかに吹き飛ばしてくれたようだ。世の中、いやな事ばかり続くが、梅雨の谷間に晴れ間があるように、いいこともある。そんなことを期待して日々の暮らしを送っている。

年を経るとともに、時間の流れも速くなる」とはよく聞く話だ。そんなことを人生の峠を越えたあたりから、実感として感じている。 ある大先輩から聞いた話によると、
「10歳の時に感じる時間を1とすると、20歳で1.4倍、50歳で2.5倍の速さになるという。年齢比の平方根で時間の感覚が短くなるのだそうだ。20歳と80歳では年齢比が1:4だから、その平方根で2倍違うという事になる。自分の場合、10歳の時と比較すると2.7倍も時間の流れが速くなっていることになる。
確かに少年時代の夏休み40日間は長かった。暇で長かったのではない。充実して長かったように思う。時間だけではない。距離も長く、空間も広かった。因みに60歳の頃小学校の校庭を訪れたことがある。「えっ!こんなに狭かったか」と驚いた。そんな経験は誰しも持っているだろう。空間も年齢比の平方根で感覚が狭くなるのだろうか。


「歳月は人を待ってくれない」という。70の峠を越えた今、むなしく馬齢を重ねただけだろうか。いや、まだまだやり残したことはある。限られた時間の中で、日々ひとつづつ片づけていくしかない。
ベランダのハイビスカスが今を盛りと咲き誇っている。これも普段から過保護にならない程度世話を焼いているからだろう。この花のようにもうひと花、ふた花咲かすような野心は持ち合わせていないが、「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」で、良い方に変わっていくよう、残された齢を過ごしたいものだ。


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  (2017年6月19日、ベランダで)

2017年6月 6日 (火)

小田原提灯作りの話

◆JR小田原駅の改札を出ると、目の前に天井からぶら下がった大きな提灯が目に入る。また、小田原漁港の入り口の防波堤には灯台の役目を兼ねて、大きな小田原提灯が建っている。小田原と提灯と言えば、童謡「お猿のかごや」が思い浮かぶ。
江戸時代、旅人の間に暗い夜道の携行に適し、しかも旅にマッチした提灯のニーズがあった。東海道の宿場町であった小田原ではそうしたニーズを汲み取って商品開発した。言い伝えでは小田原在住の職人・甚左衛門が、畳んだ時に胴の部分が蓋に収まるように造ったのが最初と言われる。即ち、明るいときにはコンパクトに折り畳んで収納し、暗くなれば伸ばしてぶら下げ、足元を照らすという画期的なものだった。


Photo_2◆小田原提灯として全国的に有名になったが、提灯の産地として現在も存続しているのは、八女提灯岐阜提灯讃岐提灯などごくわずか。小田原では2015年5月時点で、提灯屋自体が2店のみで、まさに風前の灯となっている。
それは提灯の用途を考えると当然の成り行きだった。盆提灯や御神燈など祭礼・儀式に使われる高度な職人技を必要とするものは伝統技法を伝えた有力な産地のみが残った。小田原提灯は懐中電灯に取って代わられ、民芸品、インテリア、土産物などとして細々と生き続けるしかない。年一度小田原提灯祭りの時のみ、息を吹き返す。普段は体験ツアーのツールとして観光客相手や小学校の工作体験に供している。


◆そうした中で、小田原なりわい交流館に孫たち家族を案内して提灯づくりを体験させてみた。ボランティアの指導者がついて、教え、手伝ってくれるので誰でも簡単に作ることができる。費用は材料費込みで1000円。時間は1時間半ほど。作ってみて、江戸時代に大人気商品となった訳が少しは分る気がする。細い竹ひご10数本を型にリング状にまとめ、予めデザインされた和紙を張り、蛇腹状にして上蓋にそれら胴の部分が全て収まるようになるから、最小の体積となり、携行には最適状態になる。また、通常の提灯とは異なり、中骨が平たく、紙との糊代面積が大きいために剝がれにくく、雨や霧に強かったとのこと。そして作業工程は比較的に簡単なため、安価であったという。しかし実用品には芸術的・美術的価値は皆無であった。

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小田原なりわい交流館:かつては鰤御殿と言われた建物を移築したもの。)

2017年6月 2日 (金)

復元された大磯「旧吉田茂邸」を訪問

◆戦後日本の復興の礎を築き、その後の保守・親米路線を決定づけた政治家吉田茂。「ワンマン宰相」、「バカヤロー開散」、「大磯詣で」、「吉田学校」など数々の逸話を残し、昭和42年(1967)に没し、戦後初の「国葬」で葬儀が行われた唯一の政治家である。(因みにその後国葬は廃止され、1975年6月に佐藤栄作の葬儀が国民葬で行われた)。

吉田茂は昭和20年から、生涯を閉じた昭和42年まで、養父の後を継いで大磯の別荘を本邸として過ごした。約9000坪の敷地に900㎡の邸宅は「吉田御殿」とも呼ばれ、政界引退後も多くの政治家が「大磯詣で」を行い、内外の賓客はもとより、当時の皇太子と美智子妃殿下も招かれた。没後、邸宅は西武鉄道(大磯プリンスホテル)に買い取られたが、地元住民の保存運動が起き、近代政治史の歴史文化遺産として保全・活用が検討された。2012年から神奈川県の管理下に置かれ、隣接する「県立大磯城山公園」の拡大地域として一般公開されることが決定。ところがその矢先、2009年3月、漏電が原因と見られる火災が発生、総ヒノキ造りの本邸が全焼してしまった。

◆余談ながら筆者は2006年夏、小田原に越して以来、国道1号線に面した吉田邸前を何度も往来していたが、焼失する前に一度だけ邸内を見学したことがある。但し、建物の中には入れず、広大な庭と銅像を見学しただけだった。旧吉田邸は大磯町が町有施設として再建することになり、本年4月ようやく復元工事が完了した。公開から2ヶ月足らずで入館者が年間目標の3万人を突破したという。その直後、先週金曜日に小雨の中を訪問・見学してきたという次第。

◆近代数寄屋建築風の総ヒノキ造りの新館は、新築独特の木と畳の香りが優しく鼻腔に届く。全体にシンプルですっきりした造作は自然の明るさをふんだんに取り入れ、日本建築の粋をいかんなく発揮し、広大な庭園とよく調和している。落ち着いた応接間、広い食堂、愛用した書斎があって、さらに金の間(居間)、銀の間(寝室)からの眺望もすばらしい。船の形をした檜造りの風呂桶は西洋風バスタブをイメージしたものか。

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2階書斎からサンルームを見る。                広い食堂

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  2階書斎                    2階浴室 檜造りのバスタブ

◆庭園の一角に「七賢堂」がある。元々、明治36年に伊藤博文が、維新の元勲のうち岩倉具視大久保利通三条実美木戸孝允の4人を祀った「四賢堂」を自身の大磯の邸宅「滄浪閣」に建てたものだった。伊藤博文の死後、婦人が伊藤を加えて、「五賢堂」とした。昭和35年に吉田茂邸に移設され、37年に吉田茂が西園寺公望を合祀した。吉田の死後、昭和43年に佐藤栄作が吉田茂を合祀して、「七賢堂」と改めた。正面の扁額「七賢堂」の文字は佐藤栄作が揮毫したもの。
兜門やサンルームとともに焼失を免れ、旧吉田邸の歴史を感じさせる貴重な建築物となっている。美しい日本庭園は、海外赴任生活が長かった吉田茂の嗜好の多様性の現れであり、バラ園、洋風樹木など様式に捉われない構成で、特徴が色濃く反映されている。

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七賢堂

Dscf2172 吉田茂銅像:昭和58年建立。日米講和条約の地、サンフランシスコと首都ワシントンの方角に顔を向けていると言われている。銅像付近からの眺望はよく、富士山、伊豆半島、箱根、相模湾、房総半島、三浦半島などが一望できる。

(この点だけは我が家と同じか)

2017年5月31日 (水)

核・ミサイル攻撃を防ぐ妙案

北朝鮮が3週連続で、ミサイルを日本海に向けて発射した。日本政府は例によって厳重な抗議をするとともに、制裁強化のため関係国と調整を図る。北朝鮮にとっては「どこ吹く風」とばかり屁とも思わない。逆に日本が世界に向けて騒げば騒ぐほど、「標的は在日米軍基地に留まらず、全土に拡大するぞ」と脅しをかける始末。
そこで核とミサイルの開発と実験を止めさせる妙案を考えた。


①【自爆誘導作戦】 誘導ミサイルはGPSを利用して、搭載したCPに予め標的に向かう情報をインプットする。そこで発射前にそのCPに向かってサイバー攻撃をかける。進路を変更して、発射地点に戻り、そこで爆発するようにプログラムを書き換える。また発射基地のシステム全体にサイバー攻撃をかけ、混乱させる。北朝鮮は発射実験をすればするほど結局自殺行為となり、大打撃を受けることになる。そこで北は開発・実験を中止することとなり、メデタシ、メデタシと相成る。
この作戦の難点は、サイバー攻撃要員と北の情報収集するためのスパイの養成が必要となり、日本独自では時間が掛かりすぎるという欠点がある。


②【西部劇風決闘作戦】 北朝鮮は迎撃ミサイルの実験も行い、成功したと吹聴した。そこでアメリカはその技術を褒めて、どのくらいのものか試してみようと持ち掛ける。西部劇では背中合わせから10数えて歩き、振り返りざま発射するというシーンをよく見かけるが、それにあやかって予めルールを決める。日時を決めて同時にミサイルを発射する。標的は太平洋の真ん中として人への影響がないところが良い。
攻撃ミサイルの発射後、今度は互いのミサイルを迎撃するミサイルを発射する。迎撃ミサイルで撃ち落とされた方が負け。北が勝てば「核・ミサイル保有国」と認め、仲間入りさせる。負ければ核とミサイルを放棄し、今後一切開発しないと約束させる。その代り、国際協調で食料・経済援助を約束する。これで四方すべてが丸く収まる。メデタシ、メデタシ。ちょっと、マンガティック過ぎるかな?(笑い)

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2017年4月19日 (水)

「教育勅語」と「十七条の憲法」

◆森友学園問題に端を発した「教育勅語」が俄然注目を集めるようになった。私の友人で明治神宮まで出かけ、ペーパーをもらってきた人がいる。その印刷物には、「教育勅語原文」及び「口語文訳」、発布の意図を分かりやすく説明した「明治天皇と教育勅語」、そして勅語の要点を記した「教育勅語の十二徳」がA4一枚に収められている。

◆「十二徳目」のうち前半の6項目は、個人として立派な人格、平和な家庭、道義的な良い社会づくりを目指すものであり、後半の6項目では勉学、人格向上、社会貢献、遵法・秩序など教育の向上を指針としている。「教育勅語」と呼んでも、明治天皇に限らず、いつの世でも目指す指針は不変のものと思われる。
但し、最も問題視されているのが最後に謳われた「義勇」即ち、原文では「一旦緩急アレハ、義勇公ニ奉ジ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」と述べられている点だろう。口語訳では「非常事態の発生の場合は、真心を捧げて国の平和と安全に奉仕しなければなりません」と書かれている。これとて普通に考えれば、自国が他国から攻められようとすれば、愛国心があれば祖国を守ろうとする気持ちを持つのは自然の成り行きと言える。


◆問題なのは、かつての日本軍は軍国主義を推し進めるために、この規定を拡大解釈して、「教育勅語」そのものを国が求める人材の在り様に利用したことにある。御上からの押し付けが結局この国の歴史に大きな過ちを残した。戦後昭和23年、国会で勅語の排除と失効が決議されたことで決着しているはずだ。
ところがこの葬られたはずの「教育勅語」が忘れた頃に頭をもたげてくる。その要因は現代社会における道徳心の欠如、社会秩序の乱れ、倫理観の喪失などと裏腹の関係にあると言っても過言ではない。「戦後の道徳教育がないがしろにされてきた結果の顕れである」とはよく聞く話である。


◆明治天皇を1400年ほど遡った祖先の一人、聖徳太子が604年に「十七条の憲法」を定めた。現代語訳を読んでみたが、これは法典というより道徳律であり、当時の朝廷に仕える諸氏族、役人に対して、守るべき態度・行動規範を示した服務規定ともいうべきものである。これが現代でも政治家・役人・勤め人等にそのまま当てはめられるのではないかと思われる。「教育勅語」のように子供たちに直接押し付けるのではなく、まず教える側の教師や教育者に対して、「十七条の憲法」を参考にした「期待される教師像」を明文化してみてはどうだろうか。子供は後姿を見て育つものだ。

 閑話休題:新解釈笑辞典
  ・「教育勅語」・・子供達には暗唱を強要しながら、それを指導した教育者は
   真逆なことをして、国会で糾弾されたり、破産することを指す。 

2017年4月11日 (火)

桜は満開になったが・・

小田原でも桜の満開は例年になく遅く、8~9日(土・日)頃満開になったようだが、
気持ちは少しも弾まない。
それもそのはず、ここ1週間ほど雨、曇り、小雨の繰り返しで、まさに
菜種梅雨と呼ぶにふさわしい春雨前線にスッポリはまってしまったようだ。
今日も朝から小雨が降り続き、冷え冷えとしている。

桜はスカッとした青空を背景にしてこそ、その美しさを100%発揮する。
今年の桜は週末までもってくれるのか、それとも散ってしまうのか。
ちょうど今のような時期の桜の哀れを詠んだ和歌を見つけた。


 花は散り その色となく ながむれば
          むなしき空に  春雨ぞ降る


                        (式子内親王 『新古今和歌集』)

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2017年4月 5日 (水)

桜はまだかいな

4月も5日を過ぎたというのに、ここ小田原の桜はやっと二分咲きか三分咲き。
東京では満開というのに、どうしたことだろうか。
例年、東京とほぼ同時期に満開を迎えていたはずだが、
今年はふざけ過ぎた冬の後で、当てが狂ってしまったのか。

歌心はないが、昔から桜を詠んだ歌は数が多い。すぐいくつか思い浮かぶ。
満開を歌ったものより、散る桜を詠んだものが多いようだが、
桜は散り際がよいということなのか。


・青丹によし 奈良の京は 咲く花の
          にほうがごとく  今さかりなり    小野 老
・いにしえの 奈良の都の 八重桜
          けふ九重に にほひぬるかな    伊勢大輔
・世の中に 絶えて桜の なかりせば
          春の心は  のどけからまし     在原業平
・久方の  光のどけき  春の日に
          しづ心なく  花の散るらむ      紀 友則
・花の色は 移りにけりな  いたづらに
          我が身世にふる ながめせし間に  小野小町
・高砂の 尾上のさくら さきにけり
          とやまの霞  たたずもあらなむ   前中納言匡房
・春風の 花を散らすと 見る夢は
          覚めても胸の さわぐなりけり     西行法師 
・ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の
          花も花なれ 人も人なれ      細川ガラシャ (辞世)
・風さそふ 花よりもなお 我はまた
          春の名残を いかにとやせん    浅野内匠頭 (辞世)
・敷島の 大和心を 人問はば 
          朝日に匂う 山桜花          本居宣長


 春爛漫の花の下  花よりもなお お酒かな     昼提灯

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2017年4月 3日 (月)

天皇陛下の退位問題を考える。

◆昨年8月、天皇陛下が退位を示唆する「お言葉」を発して8か月余が経った。多くの国民は理解を示したものの、国会においては「特例法か、皇室典範の改正か」で与野党が対立し、政争の様相を呈したが、最終的には共産党も含め、正副議長の取りまとめに合意した。天皇制の問題は日本の国の形を表す憲法の第1章に掲げられた最重要事項であり、与野党が一致して合意したことは喜ばしい。ところが自由党(小沢党首)だけは天皇のお言葉を忖度していないとして反対しているらしい。本当にどうしようもない一派ではある。

◆特例法の名称は「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」とし、典範付則に退位の文言を明記。付則に特例法は典範と「一体をなす」との根拠規定を置き、今回が将来の「先例となり得る」とした。政府は5月の大型連休後、特例法案と皇室典範の付則の改正後、皇室経済法など関連法の改正案を国会に提出し、今国会中に成立させたいとしている。

◆さて問題はこれからだ。平成30年(2018年)中に今上天皇が退位され、皇太子が即位されるとすれば、58歳での即位となる。因みに今上天皇は56歳で即位されたので、85歳の退位となり、在位30年となる。現皇太子も30年は在位されると想定すると、2048年に88歳で退位となる。その場合、継承順位の第一は秋篠宮に変わりないとすれば、秋篠宮の天皇即位は83歳となる。高齢での即位となるため、在位期間は短くなるが、90歳で退位されると仮定すれば、2055年に今の悠仁親王が即位されることになる。悠仁親王はその頃50歳になるが、その男子が皇太子として存すれば特に問題は無い。

◆昨日、たまたまTVの番組で-池上彰緊急スペシャル「皇室がわかれば日本がわかる」-を見た。皇室の在り方について、国民一人一人が考える時ではないかと結んでいたように思うが、具体的には男系男子が存在しなくなった場合に備えて、どのように対応するかという問題に置き換えてもよいのではないかと思う。

◆この場合三つの方途が考えられる。
(1)継体天皇の即位に倣って(507年)、歴代の天皇を5代ほど遡り、その子孫を見つけ出す。然しながら今は一般人であり、国民がどう受け止めるかという問題が残る。
(2)女性宮家」の創設を認め、安定的な皇位継承を図る。しかし、これについてもどこまで認めるかの課題がある。おそらく天皇直系の孫に限定すると現在3名。男系女性の天皇は過去に推古天皇、持統天皇など何人かの例があり、女性天皇を認めるならばこの辺までは異存がなかろう。ところがその女性天皇の男子を天皇として認めるとなれば、1700年以上継続されたとする「万世一系」の系譜が崩れることになる。即ち、その男子の父親は天皇家と異なる一般人となるであろうから、それを国民がどう判断するかにかかっている。
(3)後継者が無くなったことを機に、天皇制を廃止するという意見がある。この場合、国の形が根本的に変わることになり、憲法改正が必至となる。また、2000年近く続いた世界に比類ないレガシーとしての天皇制を2000年後の我々日本人だけの判断で捨て去ってよいのかという問題に関わってくる。いずれにしろ難しい問題だ。

2017年3月27日 (月)

自虐史観からの脱出と道徳教育の再興

◆戦後の歴史教育は日本の歴史の負の面ばかり強調して、あまりにも偏った歴史観を国民に植え付けてきたという見方がある。確かに誤った皇国史観や軍国主義が日本を破滅に導いたことは否定できない。そして「自虐史観」と言われる歴史認識が蔓延し、その教育を受けた結果、「自分の国の歴史に誇りを持てない」、「昔の日本は最悪だった」、「日本は反省謝罪を」という意識が根付いた。特に左翼系や進歩的と自称する多くのメディアは、ことある毎に「自虐史観」を働かせてきた。

◆戦後の歴史観を「自虐史観」と呼ぶ人々は「日本の歴史学が戦後民主主義教育によって著しく歪められた」とする。一方でこのような主張は「歴史修正主義」であると、日本の多くの歴史学者や戦勝国であるアメリカの歴史学者なども批判する。「戦勝国」を名乗る中国や韓国からも教科書問題や歴史認識に関して、「歴史を捻じ曲げるもの、反省と謝罪が足りない」と、事ある毎に批判し続け、外交にも利用されている。

◆話は変わるが、「日本の総務副大臣が正式な外交関係のない台湾を公務で訪問し、日本の観光イベントの開幕式典に出席した」というニュースが日本の各メディアから一斉に報じられた。加えて、わざわざ「中国の反発が予想される」と付け加えている。このニュースを報じること自体、何ら問題はないが、わざわざ「日本政府はこんなことをしているんですよ。中国は日本政府を批判しないのですか」と言っているように見えないだろうか。彼らの根底に「自虐史観」が透けて見えるようだ。二つの中国を認めていないからといって、忖度する必要があるだろうか。

◆2014年1月、自民党は運動方針案に「自虐史観に陥ることなく日本の歴史と伝統文化に誇りを持てるよう、教科書の編集・検定・採択で必要措置を講ずる」と明記した。戦後教育を受け始めた我々世代には自由で民主的な教育は当たり前のものであったが、戦前の教育はずいぶん窮屈なものだったと理解できる部分はまだあった。「道徳」の時間は1958年から復活されたが、名ばかりで実態は無かった。戦前の「修身」のイメージもあり、道徳教育そのものが忌避される風潮があって、他教科に比べて軽んじられていたことは否めない。

◆それらの積み重ねが、少年犯罪の増加いじめ問題の頻発などの教育の荒廃を招いたといっても過言ではないだろう。政府は24日、来年度から使用する小学校の道徳高校教科書の検定結果を公表した。特に小学校の道徳は「考え、議論する道徳へ」大きく転換し、教科書の質量増強を図るという。また高校の地理歴史や公民では最新の政治情勢を反映して、領土問題なども正確に記述するとしている。遅きに失した感もあるが、戦後長く続いた自虐史観と中・韓に対する忖度の姿勢から脱して、ようやく左・右に傾かない本当の日本の姿勢が示されるものと期待している。

2017年2月22日 (水)

スーパー春一番

先日春一番が吹き荒れたと思ったら、20日(月)は近年まれにみる台風のような大荒れの一日となった。玄関ドアも風圧によって、開けるのも一苦労。鉢植えは倒れ、土は飛び散る。大粒の雨はサッシの溝を伝ってジワジワ溢れ出る。
春一番よりも勢力が強いから、「スーパー春一番」と言った方が的確だろう。明日23日も強烈な春の嵐が来襲するとの予報。いったいどうなっているのだろうか、最近の天候は?
まさか、強権(狂犬)トランプ大統領のせいではないでしょうな?
狂風ついでに「春一番」の替え歌を作ってみました。


     もうすぐ古希ですね

♪ 髪の毛が 白くなって 増えていきます
   物忘れも ひどくなって 思い出せません
   もうすぐ 古希ですね ちょっと洒落てみませんか

   風が吹いて 髪の毛を 飛ばしていきます
   前の方から 後ろの方へ 広がってきました
   もうすぐハゲですね ちょっと触ってみませんか

   つるりと寂しい感触  嘆いても仕方ない
   青春時代に若返り  忘れませんか
   もうすぐ古希ですね  恋をしてみませんか ♪

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