2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ

最近のトラックバック

日記・コラム・つぶやき

2017年9月20日 (水)

死後の世界は存在するか(後)

◆人は何故、亡くなったら葬儀をし、お墓を建て、命日やお彼岸に墓参するのか。宗教や風習の違いはあっても基本的には同様のパターンを辿る。ひとつには死者との生前の関りにもよるが(肉親であれば猶のこと)、死者とのお別れの儀式であり、けじめをつける儀式が葬式に他ならない。しかし死んだ人にはその思いは届かない。(死後の世界はないのだから)。その意味するところは送る側の精神的追慕の念であったり、死者の功績に対する敬意の現われであったり、生前世話になった御礼、もしくは自己の精神的充足や世間体等様々な要因が考えられる。

◆式を執り行うためにはその道の専門家である僧侶、牧師、さらには葬儀屋等に頼ることになる。最近問題になっているのが、僧侶に対する布施や戒名の高額化、葬儀費用の高騰、墓地購入・建立の困難さなど、葬儀は金銭問題にも転化していることである。そこで、その反動として質素な家族葬を行い、墓地は建物内の小さな区分所有、埋葬は樹木葬、海洋散骨など自然葬が増えてきている。むしろ地方で檀家を引き継いだ世代ほど苦慮しているという話も聞く。

◆ではお墓は何のために建てるのか。それはその人がこの世に生きていた証を表すために建てるものだ。さらに故人の霊(敢えてこの言葉を使う)に向かってお参りするためにも、形がなくてはならない。それがお墓だ。ところが近年の傾向だが、地方に実家があり、お墓もあるが、子供たちは皆実家を離れ、遠いところに生活の拠点を置いた場合、子供の代まではいろいろな機会を利用して墓参りを行う。ところが年月が経ち老齢化が進むと墓参りも次第に困難になる。孫の世代になるといよいよ足が遠くなり、50年も経てば誰もお墓を見なくなる。そうして墓石だけが山のように積まれて風化していく。このため子供が近くにお墓を引っ越す動きもあるが、要は100年も経てば墓石は無用の産物となってしまう。

◆ただ、例外的に200年経っても300年経っても参拝者が後を絶たないお墓もある。それは後世に名を残した歴史上の人物や、所謂偉人と言われる人達の墓だ。こうした歴史的に価値のある墓は残していくべきだし、これからも名を残したい人物の墓は必要だろう。自分のような凡人の墓は故人の遺志や遺族の意思があれば別だが、無理に作る必要はないというのが自分の考えだ。ついでながら葬式は質素な家族葬、僧侶・戒名は不要、自然葬だからお墓も不要(遺骨は自然界に帰すから)。その大きな理由は「死後の世界は存在しない」からだ。また、お墓を造れば残された遺族の負担にもなるから、それは避けたいという思いがある。

◆前段で取り上げた米・カリフォルニア工科大学のシーン・キャロル教授だが、決して頭から宗教や信仰を否定しているわけではなく、新たな段階の議論が始まることを期待しているという。即ち「死後の世界を信じるためには物理学の標準モデルを超えた理論が必要になる」という。宗教と科学の関係はこれまでとは異なる新たなステージで話し合われるべきであり、人間と意識がどのように機能しているか、もっと興味深い研究分野が拓ける。むしろ、超新科学がスピリチュアルを説明する可能性があると主張している。そういえば今週はお彼岸だ。明日にでもお墓参りしてくるか。

Photo

2017年9月18日 (月)

死後の世界は存在するか(前)

◆「人は死んだらどうなるか」、「死後の世界は存在するか」・・・人類始まって以来の永遠の課題である。この問題に米・カリフォルニア工科大学の物理学者で宇宙学者でもあるシーン・キャロル教授は、物理学の法則を広範に研究した結果、死後の世界にまつわる議論に自ら終止符を打った。その結論とは死後の世界は存在しないということだった。

◆古来より多くの宗教によって「死後の行き先」の存在が示され、「死後の世界」はもはや前提となっている。死者を弔う儀式、いわゆる葬式も多くの場合、死者を次の世界へ「送る」というコンセプトで執り行われている。それは人間の死生観に基づくものであり、そこに道徳・宗教・哲学が入り込む余地が生まれる。死後の世界は誰も見たことがない故、人間の想像が生んだ産物であり、結論はあって無きようなものだ。しかし、キャロル教授によれば死後の世界が存在するということは、「脳内の情報を死亡後に維持する」ということであり、それは不可能であると結論づけた

◆即ち、「日々の出来事の基礎となる物理学の法則は完全に理解されており、すべての出来事は可能性の範囲内で起こっている」、「もし死後の世界が存在するのであれば、我々の”意識”が肉体から完全に分離できるものでなければならないが、物理学の見地からそれは不可能である」という。さらにキャロル教授によれば我々の意識もまた究極的には原子と電子の組み合わせによる現象である。そして宇宙の基本法則は、我々の肉体的な死後に肉体から分離した要素の存在を許さないということだ。

◆キャロル教授がその主張の論拠としているのが「場の量子論」である。どのような粒子やエネルギーも一定の”場所”を占めているとする考え方だ。光子であれ電子であれ、質量がないように思われる最小構成要素にも自分だけのテリトリーがあるということになる。したがってもし「死後の世界」があるならば、場の量子論的には死後の世界や魂の”場所”がなければならないということになる。しかしそのようなスピリチュアル(精神的な、霊的な)場所はこの宇宙に存在しないという。場の量子論を含む物理法則の観点からは、死後に肉体から何らかの要素が分離して生き延びる方法も場所もないということになる。

◆自分はこのネット情報を読んで、普段漠然と思っている疑問がスッキリした感じがした。人は死ねば一般的に火葬され、骨や灰の9割は炭素となって埋葬される。他の殆どの元素は気体になって蒸散してしまう。即ち宇宙に溶け込んでしまうのだ。スピリチュアルなものでない単なる元素や素粒子として。しかし、人は死後の世界は存在しないと解っても葬儀、埋葬、供養等の長年馴染んだ習慣とは簡単に縁が切れるものではない。後段ではその部分に焦点を当てて考えてみたい。(続く)

Dscf1794 (野ボタン)

2017年8月29日 (火)

ハウステンボスの「変なホテル」に宿泊

夏休みの家族旅行の一環で、長崎ハウステンボスに隣接する話題の「変なホテル」に泊まった。チェックイン・カウンターの真ん中には美女が、両隣には恐竜のロボットがそれぞれテレビで見た通り並んでおり、「いらっしゃいませ」と声をかける。美女にはドギマギするので、一方の恐竜のカウンターで受け付けするが、若い人達のようにはスムースにいかず、結局係員を呼ぶ羽目に。

Dscf2270 Dscf2266 Dscf2272

このホテル2年前にオープンしたが、ロボットが受付するということで当時大変注目を集めた。人手を省力化して、極力ロボットに任せようというコンセプトらしいが、すでに今年の3月には浦安に、8月には愛知県蒲郡に3店目をオープンさせるなど人気は高まっているようだ。しかし、若い世代や子供たちはすぐに溶け込みやすいが、シニア世代は予めよく調べるなり、説明を受けていないといきなり行ったのでは戸惑うことばかり。室内にはかわいい(?)案内ロボット「チューリーちゃん」がいるが、声をかけ、時折相手をしてやらないとだんだん不機嫌になる。なんでわざわざ佐世保くんだりまで出かけ、ロボットのご機嫌をとらなくちゃなんないのか、こっちの方が不機嫌になる。

部屋は2階建て、12室の棟が7~8棟、アパートのような、ロッジのような、リゾートホテルというにはやや狭いし、都会のビジネスホテルに毛が生えたようなもので、設備面では料金と対比してやや不満が残る。
朝食は独立したレストラン棟「オーラ」で、ビュッフェ形式。こんなに泊まっていたのかと思うくらい続々人が集まる。中では中国語が飛び交い賑わっている。地元長崎の食材や郷土料理なども並び、食事はGoo!ガラス部屋の野菜工場では、レタスや葉物などが生き生きとした姿を見せ、新鮮な取り立て野菜が食せるようになっている。
しかし、ホテルや旅館はサービス業の最たるもの人と人との繋がりがあってこそのサービス業だろう。ロボットに委ねようという発想も、分からなくもないが、やはり「変なホテル」であることに変わりはない。


Dscf2257
長崎稲佐山展望台レストランより、世界三大夜景を見る。

Dscf2283_2
ハウステンボス、光のページェントの中、運河を航行する。

Dscf2301_3
奥の方に発売当時1億円した分譲住宅が並ぶ。運河に面した自分の家の庭にはkルーザーやヨットが停泊できる。
Dscf2310_3
大村湾の出口、針尾瀬戸に架かる西海橋。小学6年(1955年)に完成し、その年、見物に出かけた記憶がある。現在はこの橋に並行して新西海橋ができていた。干潮満潮の動きで渦潮ができ眺望スポットになっている。

2017年8月13日 (日)

史上最強内閣‥夏の夜の夢

政治の劣化が叫ばれてから久しい。8月3日、安倍総理は内閣を断行し、支持率は幾分持ち直したものの、改造の成果が表れるのはこれから。仕事師内閣の本領が問われるところだ。「夏の夜の夢」というシェークスピアの喜劇があるが、真夏の夜のひと時、夢見ながら時空を超えて「これぞ史上最強の内閣」というものを思い描いてみた

内閣総理大臣       聖徳太子
財務金融大臣       徳川吉宗
総務大臣女性活躍    北政所
(秀吉の正室・寧々殿)

法務大臣          大岡越前守
外務大臣          勝海舟
文部科学大臣       新渡戸稲造
厚生労働大臣       光明皇后
農林水産大臣       二宮尊徳
(金次郎)

経済産業大臣       渋沢栄一
国土交通大臣       岩崎弥太郎
環境大臣少子化担当   与謝野晶子
防衛大臣          西郷隆盛
官房長官          大久保利通
国家公安防災担当    長谷川平蔵
(別名鬼平)

沖縄北方担当       高田屋嘉兵衛
経済再生行政改革    上杉鷹山
科学技術地方創生    平賀源内


【記者席寸評】
・「聖徳太子の総理大臣はどなたも異存ないでしょう。名前に『徳』 が表れています」・「官房長官の大久保利通は実務派で、睨みが効きそうですね。しかしその大久保と防衛大臣の西郷が旨くやっていけるか心配です」・「財務大臣の徳川吉宗は質素倹約が持ち味ですから、膨大な国の借金を減らすには適任者ですね」・「経済関係閣僚の渋沢、岩崎、上杉鷹山、二宮尊徳あたりは大いに期待が持てそうです」・ 「科学技術地方再生の平賀源内、沖縄北方担当の高田屋嘉兵衛も面白い存在ですな」・「女性大臣に北政所、光明皇后、与謝野晶子の三人が選ばれました。それぞれ持ち味を発揮すれば素晴らしい内閣になるでしょう」・「この聖徳太子内閣は全体として重厚しかも皇室から、将軍、官僚、学者、商人など多士済々、まさに史上最強の内閣と言っていいんじゃないでしょうか」・「他に意見があったらどうぞ」

2017年7月22日 (土)

星影の話

♪月なきみ空に きらめく光 嗚呼その星影 希望のすがた♪ 「星の界(よ)」、
星影やさしく またたくみそら あおぎてさまよい こかげを行けば♪ 「追憶」、
星影さやかに 静かに更けぬ 集いの喜び 歌うはうれし♪ 「星影冴やかに」、
また、演歌「星影のワルツ」、「星影の小径」etc. 星影という言葉は歌や詩などでよく耳にする。だが、「星影」って何だろう。星の影? 星に影があるのか? 辞書を引くと「星の光、ほしあかり」とあり、用例として「星影の明るい夜、またたく星影」などと使われる。国立天文台 渡部潤一教授はコラム「星空の散歩道」の中で「星影とは古い言葉で、『星の光』を意味します。光があるところには必ず影がありますから、その連想で星影=星の光という言葉が生まれたのでしょう」と書いている。


Photoところで、同氏は地球上の物体に影を生じさせる天体は、太陽、そして金星、さらになんと天の川の四つだけだという。確かに月は満月の澄み切った夜に自分の影をはっきりと地面に映し出したことを体験している。
金星は太陽と月を除けば最も明るい天体だ。「明けの明星の場合は、夜明け前の暗いとき、地平線から上がったばかりの頃、宵の明星の場合は逆に夕闇が消えて、西の地平線に沈みかけた頃、それぞれ白い紙の上に手をかざしてみると、金星の光で影ができているのがわかる」という。都会では無理だろうが、何もない自然の中で試してみる価値はありそうだ。

さて、もう一つの天体天の川は最近では見ること自体難しい状況であるが、子供の頃九州の西の片隅でも空気の澄んだ夜にははっきりと見ることができた。光害がなく、透明度が高い夜空が見えるところでは天の川の光で、地面に自分の影ができるそうだ。と言っても我が国では無理のようで、南半球のオーストラリアの原野で見られたという体験を渡部教授はコラムに書いている。

「天の川の中でも最も明るい部分は、夏に見えるいて座の方向。いて座の方向とは天の川銀河の中心部で、凸レンズ状の最も厚い部分だ。2000億個もの星の大集団『天の川銀河』を横から見たもので、その方向が太く明るく見えるという。いて座は南半球の中緯度では頭の真上にやってくるから、確かに影は作りやすい。天の川が真上に来るような場所では影ができるのも不思議ではない」という。

さらに続けて、「オーストラリアの中心部、アウトバックと呼ばれる乾燥地帯に出かけた。地平線までほとんど減光のない透明度の高い夜空に、深夜になると天の川の中心部、いて座が真上にやってきた。すると、あたりはほのかに明るくなっていった。白いシートの上に立つと、ぼんやりとした自分の影が銀河の中心と反対方向にできているのがわかった。手をかざして動かすと、それにつれてぼんやりとした手の影が動くのが見えた。確かに天の川で影ができたのです。」(要旨)と書いている。あんなかすかな星明りで影ができる。まさにこれこそ正真正銘の星影だ。
(参考:国立天文台教授 渡部潤一氏のコラム「星空の散歩道」より「星影を楽しむ」)

2017年7月11日 (火)

梅雨明け間近

◆梅雨明けを思わせるような、真夏の陽射しが二日続けて降り注いだ。そう言えば、昨日の朝(7/10)、今年初めてセミの鳴き声を聞いた。去年は11日に初鳴きを聞いている。去年より1日早まったことになるが、それだけ温暖化が進んでいるのだろうか。カラーっと晴れているようで、ムシムシした湿気は居座っている。梅雨はまだ明けていない証拠だろう。

◆北部九州の福岡県と大分県に跨る地域で、集中豪雨の被害が凄まじい。遠く離れた有明海で遺体が発見されるなどあまりにも痛ましい。近年、茨城県常総方面、広島県などの集中豪雨のように毎年のように大災害が発生しているが、水害に限らず、地震、津波、台風、大火事、竜巻など日本に住んでいる限り、どこにいても災害に襲われる危険性と隣り合わせだ。これだけはどうすることもできない宿命と諦めるしかないのだろうか。

◆鴨長明の方丈記の一節を読み返す。日本民族は遊牧民や石造りの家に住む民族とは全く異なるイメージの棲家に住んでいる。当時の日本の住居の災害時の弱さは、はかないイメージそのものだが、現在でも大災害の前には大差はないといってよいだろう。長明は大火、辻風(竜巻)、飢饉、地震などの災害を経験している。棲家のはかなさを感じるのであれば、堅固な家に住めばよいわけだが、長明は一丈四方(四畳半の広さ)、つまり方丈の庵に閑居し、安静を得た。人の命のはかなさは水の泡のようなものだと、はかなさに徹する美学を実践した。すべての執着を捨ててしまえば怖いものはないのかもしれないが・・・。

2017年7月 7日 (金)

七夕の夜に思いを寄せて

◆今夜は七夕。そもそも「七夕」と書いて「たなばた」と読むのは何故だろうか?ものの本によれば、いにしえの日本の禊(みそぎ)行事として棚機(たなばた)というものがあった。選ばれた乙女は「棚機女」(たなばたつめ)と呼ばれ、機屋はたや)にこもって神様の為に心をこめて棚機を操作して着物を織った。乙女が織った着物を棚に備えて、神様を迎え、秋の豊作を祈り、人々の穢れを祓うというものだった。奈良時代に遣唐使によって「織女、牽牛の星の伝承」が伝わり、織姫・彦星となって、宮中行事に取り入れられた。やがて仏教のお盆を迎える準備として7月7日の夜に行われるようになり、「七夕」と書いて「たなばた」と読むようになった。

2◆しかし、今夜は「織姫と彦星が1年に1度のデートを楽しむ」なんてロマンティックな話はさて置いて、天の川を挟んで夏の夜空に輝く、こと座のベガ(織姫)とわし座のアルタイル(彦星)、この二人の橋渡しをする白鳥座のデネブの話を天文の観点から調べてみた。夏の夜、浮世の喧騒を離れて、天の川を背景にこの三つの星が描く「夏の大三角」に思いを寄せるのも一興かと・・。


◆地球から見える天の川は「天の川銀河」と呼ばれ、渦巻き状の銀河横から見たものだと言われている。大きさ・形状は直径約8万~10万光年のディスク状で、厚さは中心部で約1万5千光年、周縁部で約1000光年、凸レンズ状の形状を持つ。銀河には約2000億~4000億個の恒星が含まれていると考えられている。太陽から銀河中心までの距離は約26,000~35,000光年と見積もられている。

Photoしかし、銀河系が普通の渦巻き銀河ではなく、中心部は棒渦巻銀河であると考えられるようになったのは1980年代になってから。中心には超大質量ブラックホールがあると考えられている。相対的なスケールを考えると銀河系を直径130kmに縮めた場合、太陽系は約2mほどの大きさになるという。銀河系の中心は地球から見て、いて座の方向に約3万光年離れた所に位置しており、いて座Aの中心部に超大質量ブラックホールが存在することが確実視されている。(写真は棒状渦巻銀河の想像図)

ベガ織姫)は、こと座でもっとも明るい恒星で、地球から比較的近く、およそ25光年の距離にある。この星には塵のリングが見つかっており、惑星が存在するのではないかと考えられている。また、この星は写真に撮影された最初の恒星でもある。西暦13,000年頃には北極星になるらしい

アルタイル彦星)は、わし座で最も明るい恒星。非常に若い恒星(おそらくは数億歳)であるため、水素の核融合反応によって生じたヘリウムが中心核を形成し、35億歳前後で赤色巨星へと変化して最終的に白色矮星になると考えられている。

デネブ白鳥座で最も明るい恒星。質量で太陽の15倍、半径は108倍、光度も太陽の54,400倍以上と、恒星としては非常に大きくて明るい白色超巨星である。ベガやアルタイルは質量や半径が太陽の2~3倍程度、光度も太陽のせいぜい数十倍程度であり、夏の大三角形の中ではデネブだけが突出している。3つの星が肉眼でほぼ同じ明るさに見えるのは、デネブだけが太陽系から極端に離れているからである。(太陽からの距離は約1400光年と推定) 仮にベガの位置にデネブがあったとすると、金星の最大光度よりも15倍も明るく、三日月とほぼ同じ明るさの点光源で見えることになる。デネブは恒星進化論に従えば、数千万年後には赤色超巨星を経て超新星爆発を起こして、中性子星かブラックホールに進化すると考えられるそうだ。いやー、宇宙って面白いですね。

2017年6月25日 (日)

郷土愛と愛国心

◆「この国が気に食わない、社会が嫌だ、政治が嫌だ」と言って、国や社会に対し斜に構えている人でも、オリンピックで日本選手が活躍したり、サッカーやラグビーのワールドカップで強豪相手に必死に戦っている姿を見れば、自然と応援に力が入るようになる。何故だろうか?それは人として意識しようがしまいが、日本人のアイデンティティという根源的なものが自然発生するからではないだろうか。ここに一種の愛国心が芽生える素地がある。これが行き過ぎて、観客同士の小競り合い、反発、暴動などに発展することがあるが、これはもう愛国心とは言えない。単に民度の低さを露呈しているに過ぎない。

◆同様に人は自分が生まれ育った郷土に愛着を感じるものだ。それは年齢を重ね、郷土を離れて遠くに住むほど、その思いは強くなる。自分は九州長崎の出身であるが、青春時代にはどこか遠い所、有体に言えば都会に住みたいと思っていた。そして半世紀を過ぎ、東京も含めていくつかの知らない土地に住んで、今は神奈川県小田原に住んでいる。そうして住んだところはそれなりに愛着を感じている。多分北海道に生まれ育っていても、沖縄に生まれ育っていても長崎と同様に郷土愛を持ったに違いない。都会に生まれ育っていれば、その人にはそこが郷土であり、そういう意味では日本全国にそれぞれの郷土愛があることが自然の成り行きというものだ。それが愛国心に発展するものであり、逆に言えば郷土愛の希薄な人は愛国心も希薄になると言えよう。

◆ケント・ギルバート氏著作の「儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇」を読んだ。長年日本と日本人について探求し、日本人が気づかない視点からの指摘や論評など、一読に値する。この書を読んで改めて中国や韓国に生まれ育たなくてよかったとつくづく思う。「愛国心」の観点がまるで違うのだ。氏は言う。最近の日本でも「」に対する意識が薄れてきているように思う。これはGHQによる戦後日本人の洗脳工作で、「日本は戦争で悪いことばかりした」と刷り込まれたことが大いに影響しているというのだ。

◆即ち、「国家に忠誠を尽くすことは非民主主義的であり、非人間的であり、ファシズムそのものであり、愛国心は悪だと思い込んだ国民は自分の祖国に誇りを持てない。国民の精神が荒廃すればその国の衰退は必然だが、GHQの洗脳教育の狙いはまさにそこにあった。この悪影響が大半の日本人の心の底流にある」と喝破している。日本人は本来「」の精神から出発し、そこから「」よりも「」を重んじる精神を培った。中国、韓国は全く逆で「公」より「私」の精神構造に支配されているという。思い当たる節は山ほどある。

Dscf2223 


2017年6月19日 (月)

時の流れを感じる今日この頃

梅雨の谷間にポッカリ空いた隙間、その間から夏の陽射しが顔を出した。すっきり、爽やかな風が肌に心地よく、昨日までのジメジメした空気をどこかに吹き飛ばしてくれたようだ。世の中、いやな事ばかり続くが、梅雨の谷間に晴れ間があるように、いいこともある。そんなことを期待して日々の暮らしを送っている。

年を経るとともに、時間の流れも速くなる」とはよく聞く話だ。そんなことを人生の峠を越えたあたりから、実感として感じている。 ある大先輩から聞いた話によると、
「10歳の時に感じる時間を1とすると、20歳で1.4倍、50歳で2.5倍の速さになるという。年齢比の平方根で時間の感覚が短くなるのだそうだ。20歳と80歳では年齢比が1:4だから、その平方根で2倍違うという事になる。自分の場合、10歳の時と比較すると2.7倍も時間の流れが速くなっていることになる。
確かに少年時代の夏休み40日間は長かった。暇で長かったのではない。充実して長かったように思う。時間だけではない。距離も長く、空間も広かった。因みに60歳の頃小学校の校庭を訪れたことがある。「えっ!こんなに狭かったか」と驚いた。そんな経験は誰しも持っているだろう。空間も年齢比の平方根で感覚が狭くなるのだろうか。


「歳月は人を待ってくれない」という。70の峠を越えた今、むなしく馬齢を重ねただけだろうか。いや、まだまだやり残したことはある。限られた時間の中で、日々ひとつづつ片づけていくしかない。
ベランダのハイビスカスが今を盛りと咲き誇っている。これも普段から過保護にならない程度世話を焼いているからだろう。この花のようにもうひと花、ふた花咲かすような野心は持ち合わせていないが、「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」で、良い方に変わっていくよう、残された齢を過ごしたいものだ。


Dscf2205
  (2017年6月19日、ベランダで)

2017年6月 6日 (火)

小田原提灯作りの話

Photo◆JR小田原駅の改札を出ると、目の前に天井からぶら下がった大きな提灯が目に入る。また、小田原漁港の入り口の防波堤には灯台の役目を兼ねて、大きな小田原提灯が建っている。小田原と提灯と言えば、童謡「お猿のかごや」が思い浮かぶ。
江戸時代、旅人の間に暗い夜道の携行に適し、しかも旅にマッチした提灯のニーズがあった。東海道の宿場町であった小田原ではそうしたニーズを汲み取って商品開発した。言い伝えでは小田原在住の職人・甚左衛門が、畳んだ時に胴の部分が蓋に収まるように造ったのが最初と言われる。即ち、明るいときにはコンパクトに折り畳んで収納し、暗くなれば伸ばしてぶら下げ、足元を照らすという画期的なものだった。


Photo_2◆小田原提灯として全国的に有名になったが、提灯の産地として現在も存続しているのは、八女提灯岐阜提灯讃岐提灯などごくわずか。小田原では2015年5月時点で、提灯屋自体が2店のみで、まさに風前の灯となっている。
それは提灯の用途を考えると当然の成り行きだった。盆提灯や御神燈など祭礼・儀式に使われる高度な職人技を必要とするものは伝統技法を伝えた有力な産地のみが残った。小田原提灯は懐中電灯に取って代わられ、民芸品、インテリア、土産物などとして細々と生き続けるしかない。年一度小田原提灯祭りの時のみ、息を吹き返す。普段は体験ツアーのツールとして観光客相手や小学校の工作体験に供している。


◆そうした中で、小田原なりわい交流館に孫たち家族を案内して提灯づくりを体験させてみた。ボランティアの指導者がついて、教え、手伝ってくれるので誰でも簡単に作ることができる。費用は材料費込みで1000円。時間は1時間半ほど。作ってみて、江戸時代に大人気商品となった訳が少しは分る気がする。細い竹ひご10数本を型にリング状にまとめ、予めデザインされた和紙を張り、蛇腹状にして上蓋にそれら胴の部分が全て収まるようになるから、最小の体積となり、携行には最適状態になる。また、通常の提灯とは異なり、中骨が平たく、紙との糊代面積が大きいために剝がれにくく、雨や霧に強かったとのこと。そして作業工程は比較的に簡単なため、安価であったという。しかし実用品には芸術的・美術的価値は皆無であった。

Photo_3  Photo_5 

小田原なりわい交流館:かつては鰤御殿と言われた建物を移築したもの。)

より以前の記事一覧