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日記・コラム・つぶやき

2018年8月31日 (金)

少年時代の夏の日の怖い思い出

昭和20年8月9日、長崎に原爆が投下され、両親、祖父母と一家5人は長崎港外の漁村に移り住んだ。当時まだ2歳頃で全く記憶がない。記憶にあるのは幼稚園に上がったころで、毎日祖父の肩車に担がれ、教会に敷設された幼稚園に通い始めた頃である。昭和25年4月、市街地の小学校入学と父の通勤のため、長崎の元の実家の近くに転居した。祖父母はそのまま残り、一家4人で(疎開先で弟が生まれていた)引っ越した。10数軒あった貸家は全て焼け出され、何も残っていなかったという。
     ◇         ◇          ◇
長崎の家から港外の祖父母の家まで直線で6kmほど、数10年前に周囲が埋め立てられ陸続きとなり、バスで往還可能となった。しかし当時は長崎港から40分ほどの定期便船を利用するしかなかった。学校が休みに入ると、よく祖父母の家に出かけた。磯や砂浜のある海岸まで歩いて5、6分。地元の子供達や島の自然との触れ合いが大きな楽しみだった。そんなある日、島の真ん中の小高い山の中を子供達2,3人で探検した。灌木が鬱蒼と生い茂り、両側が背丈より高い叢の中に紛れ込んだ。人一人通れるほどの道があり、突き当たったところに、蔦や葉っぱに覆われた横穴を塞ぐ、レンガの壁が見えた。小さな明り取りがあって、わずかに中が見えるが、真っ暗で何も見えない。すると、何かの気配を感じたのか、ぞーッと悪寒が走った。皆我先にその場から走って逃げた。昭和26年~27年頃、神の島という長崎港外の島で、小学校低学年頃の話である。
     ◇         ◇          ◇
それから時が経ち、1990年代後半から長崎に行く機会が増えた。長崎訪問の際は、祖父母の墓があるこの地も何度か訪れた。そうした中、2012年2月、長崎ガイド協会に所属する小学校の友人の案内で、実に60年振りに、少年時代に怖い思いをした赤レンガの壁のある建造物を訪れることができた。なんと草深い怖いイメージは一掃され、今は「神の島公園」となって市民の憩いの場となっていた。怖かったレンガ造りの横穴の周囲は綺麗に整備され、ここがかつて砲台であったことを示す看板が架かっていた。60年前の怖い思い出は、戦後まだ6、7年しか経っていなかった頃の話で、ひょっとして兵士たちの怨霊があちこちに残っていたせいだったかもしれない。
     ◇         ◇          ◇
公園の最高地点に立つと、細長い長崎港が外に向かって広がっている様子が手に取るようによく見える。この少年時代の体験のわずか10年前、昭和17年5月20日夕刻、港内にある三菱重工長崎造船所で建造された戦艦「武蔵」が、最終艤装工事のため、呉工廠造船ドックに向かって出航した。長崎港では厳戒態勢が敷かれ、市民は港内を覗くことさえできなかったという。しかし神の島のこの砲台では、守備兵たちがその巨体に度肝を抜かれながら見ていたはずだ。因みにこの数年前工業高校を卒業した父親は、設計技師の端くれとして三菱重工に就職し、「武蔵」の電気系統設計にも従事したと聞いた。そんなことに思いを馳せつつ、2005年に完成した女神大橋や昔ながらの高鉾島、四郎ケ島、伊王島などを眺めていた。
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神の島公園より、女神大橋を覗く。「武蔵」はこの狭い港を外に向かって出航していった。

Photo_2 戦艦「武蔵」




2018年8月12日 (日)

「クジラ食文化」の復活を

1週間ほど前、鎌倉市の由比ガ浜海水浴場に、体長10.5mのシロナガスクジラの子供と見られる死骸が漂着した。クジラの迷い込みや漂着はそれほど珍しいことではない。数年前、相模湾に面した我が家の近くの砂浜でも、6mほどのザトウクジラの子供の死骸が打ちあがった。しかし、シロナガスクジラの漂着は非常に珍しく、国内では初めてらしい。
    ◇        ◇         ◇
推察だが、国際捕鯨取締条約によって1970年後半から、シロナガスクジラなどの大型クジラの捕鯨が禁止され、1986年から商業捕鯨が完全に規制された。これにより許可された一部の調査捕鯨のみとなり、大型クジラにとって天敵の人間から捕殺されることがなくなった。その結果、シロナガスやナガスクジラなどの生息数も増えて、日本近海にも回遊するケースが増えてきたのではなかろうか。ところが大型クジラが増えてきたため、イワシやサンマなどの小魚が減り、それらを餌とするマグロなどの漁獲高も減ってきている。
         ◇         ◇        ◇
クジラが増え過ぎたという科学的なデータはまだ確認されていない。しかし、ある程度増えた段階では、国際的合意を前提に捕獲可能種類や頭数などを取り決め、捕獲を認めることを検討してもよいのではないか。なお、その際入札制度を採用するなどして、その資金はクジラ資源の保持のために充てればよい。鯨食文化は何も日本の専売特許ではない。世界各地の沿岸部では古くから鯨肉を食していた。中世ヨーロッパにおいては、特にイルカが食用として好まれた。今では信じられない話だが、イルカは比較的最近まで欧米諸国で食用とされた経緯があり、英国の宮廷では17世紀頃までイルカの肉が供された。
           ◇         ◇        ◇
しかし、沿岸鯨類資源は乱獲により次第に枯渇していき、漁場が沿岸から遠洋へと移動するにつれ、冷蔵・冷凍技術がない当時においては、徐々に食用とすることができなくなっていった。それにも拘らず19世紀から20世紀にかけて競うように捕鯨が継続された理由は、鯨油やクジラヒゲなどに工業原料としての価値があった為である。欧米全体で見ると、鯨を食用とする発想そのものが失われていった。但し、ノルウェーやアイスランドなど沿岸での捕鯨が継続された地域では、例外的に鯨肉食が残存している。北極圏の先住民にも、鯨食の文化があり、今でも国際捕鯨委員会より特定の鯨の捕獲が認められている。
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伝統と歴史のある日本のクジラ食文化については他国と本質的に異なることは改めて述べるまでもないが、南氷洋の国際捕鯨が禁止に転じてから、日本のクジラ食が批判に晒されることになった。クジラを食することが野蛮な行為と映り、「可哀そう」という情緒的感情が先だったからに他ならない。また、半世紀近い鯨の食文化の断絶で、若い世代を中心にそれを受け入れる傾向が増えてきたことは残念でならない。日本は増え過ぎによる弊害や適性数の維持について科学的に説得する努力を継続しなければならない。和食が世界的な評価を得ている。鯨肉もその食材の一環であるという理解を得るような努力も必要ではなかろうか。
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2018年8月 2日 (木)

韓国の土用の丑の日

今年の土用の丑の日は7月20日と8月1日。できるだけこの日は避けて、夏に1~2回はウナギの蒲焼きを食すことにしている。夏バテ防止に効くような気がするが、スーパーで安いものを見つければほとんどが中国産。国産は年々高くなっている。
さて、お隣の国韓国でも夏の盛りに、3回訪れる「付日」(ポンナル)と呼ばれる日に、滋養食を食べる習慣があるそうだ。この食材が鰻ならぬなんと犬肉。もともと犬肉を食用にする文化は中国や朝鮮半島に古くからあった。「羊頭を懸けて狗肉を売る」という諺があるくらい、犬肉(狗肉)は古くから食されていたのだろう。

       ◇         ◇          ◇
2000年頃、犬を扱う精肉店はソウル近郊の犬肉市場で約50店ほどあったが、現在は20店に減ったと言う。韓国では若者の犬食離れが進んでおり、世論調査でも「最近1年間に犬の肉を1回でも食べたことがあるか」の問いに、50~60歳以上で50~60%、50歳未満で20~40%、全体では「ある」が30%、「ない」が70%と若者世代ほど「ない」が多くなっている。また「犬の肉を食べることをよく思うか」の質問には44%が良くないと答え、「良い」の37%を上回った。
       ◇         ◇          ◇ 
「読売新聞」のこの記事を読んで、大いに驚いた。韓国の犬食文化は子供の頃聞いてはいたが、今だに続いていたのかという驚きである。韓国ではソウル五輪(1988)、平昌五輪(2018)を通して、欧米メディアや一部アスリートたちが犬食習慣を批判した他、海外の動物愛護団体が犬肉食の禁止を韓国政府に迫った。政府も一時的に禁止の措置をとったが、長続きしなかった。中高年を中心に根強い食の志向が強いからである是非の論争は40年以上続いてきたが、歴代の韓国政府は対応を後回しにしてきた。
       ◇         ◇          ◇
韓国の畜産法ではは「家畜」として扱われている。ところが「畜産物衛生管理法」では家畜には当たらない。このため、犬肉は合法でも違法でもない「グレーゾーン」として取引されてきた。その結果、政府は実態を把握しておらず、業者任せだという。このため、精肉業者らの団体は犬にも衛生管理法を適用し、販売を合法的にせよと主張する。もしこれを明文化すれば国際社会からの批判が強まる。一方動物愛護団体などは、犬の食肉処理は動物保護法違反だとして、禁止を求める。
       ◇         ◇          ◇
人類は2~3万年前から狼を飼いならし、人間の相棒として「犬」を作り出し、またペットとして信頼関係を築いてきた。そうしたDNAは人類共通のものだと思っていたが、中国や朝鮮半島では、まだ異文化が残っている。先進国の仲間入りしたはずの韓国で、犬は「家畜かペットか」の問題を解決できないまま、この問題を放置してきた。こうした現状こそ、韓国人気質そのものを表しているように思えてならない。

2018年7月16日 (月)

酷暑の日本列島、大丈夫か「東京オリンピック」

◆西日本に甚大な被害をもたらし、200人を超える人命を奪った記録的な大豪雨。いまだ6000人余の人達が避難生活を送り、関係者やボランティアの必死の復旧作業の中、熱中症で倒れる人も続出していると言う。大雨・洪水の後は、日本中が連日の猛暑で、悲鳴に近い声もあがっている。人の体温を超えるような炎天下の気温は、まさに殺人的だ。

◆連日の猛暑に、日本を訪れた外国人観光客は経験したこともないあまりの暑さにダウン寸前。少しでも涼しいところを求めてさまよっている。彼らは日本の夏の暑さが半端でないことを実感したようだ。

◆2年後の2020年、7月24日から8月9日にかけて、東京オリンピックが開催される。また、8月25日から9月6日にかけてはパラリンピックも開かれる。自然現象であるから予断はできないが、開催中の気温は最低でもこの夏の気温と同程度と想定した上での計画でなければならない。

◆水泳競技、ヨット・ボート・カヌー等の水上競技、冷房が効く屋内競技は問題ないだろうが、マラソン、競歩、サッカーなど屋外の長時間競技は厳重な暑さ対策が求められる。選手への対策と同等以上に観客への暑さ対策も重要だ。競技中に死者が出たなんてことになったら、大会運営当事者だけでなく、日本全体が批判にさらされる。それ以上に何故こんな時期にオリンピックの開催を決めたのか、根本的な問題が問われるだろう。

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2018年6月23日 (土)

国歌「君が代」に思う

サッカー・ワールドカップ ロシア大会。初戦の強豪コロンビアに快勝したことで、日本中が盛り上がっている。次のセネガル、ポーランド戦の健闘が期待されるところだが、スポーツの国際大会ほど、国がひとつになるということを実感させられることはない。特に国旗掲揚国歌演奏では、どこの国民であっても、誰しもが自国への愛着を感じる瞬間だろう。「日の丸」の掲揚、「君が代」の演奏は、学校行事で敢えて反抗する教師だろうが、憲法改正反対を唱える野党であろうが、考え方の右・左に拘らず、こうした国際スポーツ大会にあっては、国への愛着心が自然発生的に芽生え、「日の丸」の掲揚と「君が代」の演奏が自然に受け入れられている証ではないだろうか。
       ◇         ◇        ◇
国歌「君が代」の誕生の経緯については様々言われているが、明治期早々、日本が海外諸国との交流に当たって、外交儀礼の場で国歌が必要であることを知るようになる。当時、日本には国歌という概念自体がなかった。このままでは文明国扱いされないので、急遽作ることに相成った。いい歌詞はないかと既成のものを探したところ、『古今和歌集』の詠み人知らずの短歌「君が代」が選ばれた。
       ◇         ◇        ◇
当初は「我が君は」で始まったが、平安時代末期に「君が代は」に言い換えられたと言われる。歌詞の内容は、「君」というのは天皇だけでなく、将軍という意味や、目の前の「あなた」という意味でも1000年ぐらいの間に使われ、その人が「千代に八千代に」健康で長寿であるようにとの祝いの歌として使われてきた。江戸時代にはポピュラーソングだったという歴史さえあったという。英国はじめ多くの君主国は、「国王万歳」という国歌を作っている。「君」を天皇ととらえれば、これはちょうどいいとなったようだ。
       ◇         ◇        ◇
作曲は国歌の制定を進言した英国人軍楽隊長フェントンが当たったが、讃美歌調のため不評だった。そこで宮内省の奥好義が付けた旋律に、雅楽奏者の林廣守が曲を起し、ドイツの海軍軍楽教師エッケルトが五線譜に直して、西洋和声をつけて編曲、1880年に「君が代」が完成した。この「君が代」は子供の頃は歌いにくく、古臭くて好きではなかった。しかし齢を重ねるに従い、その良さが分かってきた。この歌には1500年近い日本の歴史と伝統を感じさせ、庶民にも愛されてきた歌であり、重厚・荘厳な曲調であり、また明治期の国際化の中で外国人も一翼を担って誕生したという背景を併せ持つ。
国際スポーツ大会において、選手たちには「気を引き締め、奮い立たせる」歌であり、サポーターには「選手たちと心をひとつにさせてくれる」歌でもある。まさに日本の国歌として最高・最適な国歌ではなかろうか。


       「君が代」        歌詞:古今和歌集「詠み人知らず」
                      作曲:林 廣守
 
       
君が代は  千代に八千代に  さざれ石の 
                巌となりて    苔のむすまで

        


    

2018年6月18日 (月)

江戸の敵を長崎で討つ

「江戸の敵を長崎討つ」という慣用句がある。偶然予想もしなかったような場所で、積年の恨みをはらす、の意味で使われていたようだが、今日ではこの慣用句自体廃れてきた感がある。しかし、この慣用句は間違って伝わったもので、もともとは「江戸の敵を長崎討つ」というのが正しいのだそうだ。
 ものの本によれば、江戸時代、文政年間に大阪の一田七正郎という職人が巨大な涅槃像を竹細工で作り、浅草で展示に供した。これが大好評を博したが、江戸の職人たちにとっては面白くない。江戸っ子気質で負けてはならじと、布袋の像を作って対抗したが、にわか作りのこととて、大阪陣に完敗を喫してしまった。
 ところがちょうど同じころ、江戸で、長崎からきた興行師がオランダ船の見世物を打った。あちこちが機械仕掛けで動くカラクリ使用の模型船で、大砲の轟音までおまけについていた。人気は非常に高く、先の大阪の竹細工は大きく水をあけられた。
そこで、「江戸の敵を長崎が討った」と言われ始め、いつの間にか由来が忘れられて、「長崎」が、「長崎」に変わっていったのだという。

~で」は場所を表し、「~が」は主語を表す。大きく意味は異なるが、「北朝鮮が非核化を目指す」が、いつの間にか「朝鮮半島の非核化に」変わってしまった。主語と場所が曖昧になると、こういうぼやけた表現になるという典型例ではなかろうか。

2018年6月15日 (金)

「女」の付く字を分析すれば

漢字に纏わる面白い記述を見つけた。
」という字はもともと、左右の手を重ねて、科(しな)を作り、ひざまづいている女性のさまをかたどった象形文字が原点となっている。
その「女」を部首にした漢字には、(若い女の美しさ、好ましい、好む、よい)、(アイ、目元が美しい、美人)、(ケン、うつくしい、見目がよい)、(キ、ひめ)、(ミョウ、たえなる、しなやか)、(シャク、麗しい)、(キョウ、なまめかしい)など、さすが女性の美しさをもとにして作られた字が多い。

だが、そうでない漢字も少なくなく、だれが考えたのか、その字源のナゾを解けば、女性からおしかりを受けそうなコジツケがあると言うのだ。

としてもっともいときが「」時代、(たそがれ)ないうちに挙げるのが結式。新郎に抱かれて寝に横たわると夫婦生活が「」まる。夫に体をせて身をわせると「妊娠」する。亭主の鼻につくようになると、女編に鼻と書いて「かかあ」と呼ばれる。息子が色気づいてばかり目が向くと、勉強の「げ」になると教育ママがる。夫の浮気を嗅ぎだしてはのようになって「(や)」き、相手の女が(にくい)と、ヒステリックに「(ねた)」む。この現象を嫉妬と呼ぶ。着飾ってクラス会とやらに出かければ、女三人寄って「(かしま)しい。若い男に言い寄られると、柳を描いて「(こび)」を売る。
そろそろ我が家でも「」をって孫の顔でも見たいと息子に「(めと)」らせる。女も長い間やっているとくなり、「」(しゅうとめ)と言われて煙たがれる。肌もうって「」となり、頭にをいただいて「(やもめ)」となる。最後はいて「(うば)」となって女の一生は終わる。

2018年6月 9日 (土)

「飛んで火にいる夏の虫」の話

「飛んで火にいる夏の虫」という諺がある。夏の夜、灯火を目がけて飛んでくる羽虫がその火に焼かれて死んでしまうことから、一般的には、自分から進んで身を投じることの例えに使われる。 「今敵陣に乗り込めば、それこそ飛んで火にいる夏の虫だ」というような使われ方をする。昆虫が光に向かって飛ぶ習性を利用して、害虫を駆除する誘蛾灯などに使われる。昆虫はその波長の光に最もよく感応することから、進んで飛び込んでいるように見えるが、ある昆虫学者の研究によると、光が好きで遠くから光を目がけて飛んでくるのではなくて、飛び立った空間を漂流しているうちに、光の刺激によって、嫌でもその光源に飛び込まされてしまうと言うのだ。
           ◇             ◇           ◇
つまり、昆虫が能動的に「光」に飛び込むのではなく、受動的に「光」に飛び込まされてしまうと言う説だが、虫などは心理活動を持たないから、光や熱などの自然界の要因から直接の刺激を受けて行動を変えさせられる。人間はそれらを克服しようとする意志を働かせるから、虫とは違う。我々の周りは刺激の源だらけだ。それを避けようとして余計に緊張を高めることがある。普通に打てば何のこともないのに、ハエを意識するあまり、強く叩いて結局打ち損じてしまうことがある。よくスポーツ選手で、練習では妙技を見せるのに、本番になると力を発揮できず負けてしまうケースが間々ある。これも心理的刺激を強く受けすぎるがための影響だろう。
           ◇             ◇           ◇
「失敗はすまい。あれだけは避けよう」と思い詰めていると、そういう感覚自体が刺激源となって、失敗の道に引き込まれてしまいがちになる。今年の読売ジャイアンツは昨年同様、心理的刺激を強く受け過ぎ、失敗の道に引き込まれてしまった感がある。セ・パ交流戦に入って、ついに最下位に転落してしまった。
巨人は他球団以上に観客が多く、いつも満席状態の中で、プレッシャーが強く働く。「失敗はしまい。いいところを見せよう」といった心理的刺激を自ら働かせ過ぎて、結局失敗の泥沼に陥ってしまっている。巨人から転出したDeNAのロペスや日ハムの大田など、水を得た魚のように伸び伸びと活躍している。一方他球団で活躍した外国人選手が巨人に入団した途端、期待外れの成績しか残していない。これらは正にそのことを如実に物語っていると言えよう。今求められるものは、夏の虫になって火に飛び込むことではなく、火を見て楽しむ余裕を持つことだ。

2018年6月 3日 (日)

数詞の三桁区切りと四桁区切り

数のケタ区切りは世界的には三ケタ区切りが一般的だが、本来日本では四ケタ区切りが主流だった。しかし、世界中どこの国を探しても、日本語の数詞ほど整然と首尾一貫して合理的な数詞は存在しない。日本では一、十、百、千、万と整然と位取りが上がる。九十九の上は十が10個で百、百が10個で千、千が10個で万と整然としている。さらに十万、百万、千万、一億、十億、百億、千億、一兆・・・と4桁ごとに位取りが上がるという整然とした理論で成り立っている。
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即ち、10の1乗=10、10の2乗=100、10の3乗=1000で、1にゼロが4個で1万(10の4乗)、ゼロが8個で1億(10の8乗・・1万の1万倍)、ゼロが12個で1兆(10の12乗・・1億の1万倍)、ゼロが16個で1京(10の16乗・・1億の1億倍)、というようにゼロが4個ずつ増えていくに従い、桁の呼びかたが変わっていく。因みに10の68乗が無量という呼び方になるが、まさに天文的数字が続くことになる。ゼロの数が多くなると(数字が多くなればなるほど)読み取りにくくなる。日本本来の数字の桁取りは4桁区切りだった。
例えば1(兆),2345(億),6789(万),0123などと4桁区切りで表示すれば、大変読みやすい。これを1,234,567,890,123と3桁区切りの表示にすれば、読み辛いこと甚だしい。

             ◇       ◇       ◇
英語の場合、基数は 1(one)~10(ten)・・だが、日本式ルールに従えば11=ten-one、12=ten-two、13=ten-three、・・、19=ten-nine、20=two-tensとなるはずだ。ところが実際は、11=Eleven、12=Twelve、13=Thirteen、・・、19=Nineteen、20=Twentyとなる。21以上になると日本式ルールに近くなり、Twenty one、22=twenty two、23=Twenty threeとなる。
11=Eleven、12=Twelveは序数(物の順序を表現する言い方で、英語の"first","second",
"third"はそれぞれ「1」「2」「3」の序数)から来ているもので、基数と序数の混在がやや複雑化させている要因だ。1000=1 thousand (10の3乗)、百万=1million (10の6乗)、10億=1billion (10の9乗)と3桁ごとに位が上がっていく。即ち西欧式は3桁区切りであり、西洋式読み方にマッチしたもの。これを日本式に読むと大変読み辛い表記方法となる。

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しかし、近年は役所やビジネスの文書でも、マスコミや学校教育でも西欧方式の3桁区切りが浸透、日本本来のソロバンでさえ3桁区切りの仕様となった。本来優れた日本式数字の表記・呼称は今や西欧式のそれに駆逐され、3桁区切りがグローバル・スタンダードとなってしまった。PCまでに組み込まれてしまい、もはや4桁区切りに戻すことは不可能だ。しかし、このことは現在日本社会においても、相通じるものがあるように思える。日本は優れた技術や業績を残すことはあっても、それが世界的標準になることは少ない。何か特別な問題を抱えているのだろうか。

2018年5月27日 (日)

続・名字の話 (珍名・奇名篇)

名字のことを調べてみると、難読名字、洒落の利いた名字、成り立ちが気になる名字、中には珍名・奇名など、千差万別であるところが面白い。

手始めに数字に関わる名字から
四月一日 (わたぬき)  ・八月一日(ほづみ・ほうづみ) ・五百旗頭 (いおきべ)
一寸木 (ちょっき) ・四十物 (あいもの・よそもの)  ・四十住 (あいずみ)
五十里 (いかり) ・一青 (ひとと、しとと、しともと--女性歌手がいたね)
 (いちじく)--頓智だね。  ・一口 と書いて(いもあらい)--何でだろう。
一番合戦 (いちまかせ) ・四十万 (しじま) ・七五三 (しめ)
四十八願 (よいなら・よそなら) ・廿 (つづら・はたち) ・百目鬼 (どうめき)
百目木 (どめき・どうめき) ・八十一隣 (くくり)--9×9=81だから?
・「」と書いて、(いちたらず)、百に一足りないからか、(つくも)とも。99だから?


季節・天候・風流などに関わる名字
明保能 (あけぼの) ・月見里(やまなし) ・雲母(きらら) ・天生目(なばため)
月日 (おちふり)  ・日日(ひび) ・年年(ねんねん) ・明日(ぬくい あけひ)
栗花落 (つゆ、つゆり)--栗の花が落ちる頃、梅雨入りの季節だそうで。
水流 (つる、みながれ、みずなが) ・行方 (なめかた) ・小鳥遊 (たかなし)


知り合いにいた名前です。
我那覇 (がなは) ・喜舎場 (きしゃば) ・行天 (ぎょうてん)
・瀬〆  (せしめ)  ・青天目(なばため) ・横目 (よこめ)


その他気になる名前
 (そよぎ)  ・王来王家 (おくおか)  ・先生(せんぷ、 せんじょう)
鷹左右 (たかそう) ・ (もぎき、えだなし) ・忽滑谷(ぬかりや そかつや)


めでたいけど、名前がプレッシャーに?
恋仲  ・幸運  ・宝船(ほうせん) ・国宝 ・極楽  ・寿 ・極意 ・天命


こういう名前の家に生まれたら悲劇?
名無し (ななし) ・住所 (じゅうしょ) ・珍名(ちんな) ・南蛇井(なんじゃい)
浮気 (うき、ふけ) ・金玉 (きんぎょく)  ・女陰 (めかげ)
色摩 (しかま、しきま、いろま)  ・助平 (すけへい)
三分一所 (サブイッショ)--北海道出身か?
いやはや、日本にはいろんな名前があるものですな。

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