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旅行・地域

2019年6月12日 (水)

《道東ツアー》 独断 ’ベストスポット’ ランキング (下)

前回に続いて、ランキングの4位から8位までをUPしました。

第4位】 尾岱沼の遊覧と野付半島のトレッキング
オホーツク海の大自然が造った最大級の砂州尾岱沼。尾岱沼港から小さな遊覧船で対岸のトドワラ桟橋まで渡る。途中アザラシ一家が干潟で寝そべってこっちを見ている。のどかなものだ。下船後野付半島ネイチャーセンターまでトレッキング。30年前は白く立ち枯れした多くのトドワラを観たが、今では数本経っているのみ。その代り原野が大きく広がった。短期間の自然の大きな変化を実感する。狭い道には両側にブッシュが広がり、ハマナス、エゾカンゾウなどの花々が見られ、空にはヒバリがさえずり、灌木の中で郭公が鳴いている姿を堂々と見せている。30年前には建物など考えられなかったが、立派な野付半島ネイチャーセンターが迎えてくれた。

【第5位】 釧路湿原の木道散策とノロッコ号からの湿原観察
今回の旅行の目的のひとつが「丹頂」との出会い。風連湖の展望台やバスの車窓から数回その姿を見た。釧路湿原は雨の中、ネイチャーガイドの案内で木道散策したが、見えず。さらに釧路駅からノロッコ号で釧路湿原を観察、最後の最後に比較的近くで丹頂のペアを発見したことはラッキー!

【第6位】 知床の自然、ウォーキングトレイル
知床自然センターからベテランガイドの案内で、約2時間のトレイル。森と草原を抜けた先に断崖絶壁の上部に至る。午前中海上から見上げたフレベの滝を見下ろす。眼下にオホーツク海が広がる。知床連山(羅臼岳から知床山に至る)の眺望がすばらしい。

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フレベの滝絶壁からオホーツク海を見下ろす。

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知床連山右端が羅臼岳、左端は知床岳 。

【第7位】 知床五湖 高架木道散策
知床五湖フィールドハウスから高架木道を通って、知床五湖に至る。よく整備された木道にはクマよけの電柵が張り廻らされている。今回は時間の都合で第一湖のみ。雪渓が残る知床連山の姿が素晴らしい。
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知床五湖から知床連山の北の端、知床岳を望む。

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知床五湖から知床連山の羅臼岳(右端)を望む。


【第8位】 厚岸味覚ターミナルの海鮮炭火焼バーベキュー
海を見下ろす高台のレストラン「コンキリエ」で、厚岸特産の大振りの牡蠣、初物の大振りのサンマ、シャケ、ホタテ、シシャモ、ハマグリなどの炭火焼は豪華。特に焼牡蠣の美味しさは絶品。これぞ北海道!

今回の「道東の秘境を巡る3泊4日の旅行」はほぼ満足のいくものだった。(終)

2019年6月11日 (火)

《道東ツアー》 独断 ’ベストスポット’ランキング(上)

先週、「道東の秘境を巡る3泊4日のツアー」に参加した。北海道東部は過去3度ほど訪れていたが、今回は季節も異なり、初めて訪れたところもある。今回の旅行でベストスポットを独断でランキングしてみた。

【第1位】 屈斜路湖温泉近くの津別峠での星空観賞
標高900mの峠はまだ寒さが残っているが、天候に恵まれた満天の星空の元、北斗七星や白鳥座などが驚くほど明るく大きく見えた。夏の大三角形をなす白鳥座のデネブ、こと座のベガ(織姫)、わし座のアルタイル(彦星)、さそり座、天の川などはこの時期・この時間(8:30~9:30pm)はやや低い位置にあったが、都会ではなかなか見られない夜空であり、ほぼ満足。

【第2位】 知床半島の最突端、知床岬までのクルージング
冬季は流氷観察で有名なオーロラ号に乗船して、知床半島の中間地ウトロ港から最先端の知床岬までの往復3時間45分のクルーズ。オホーツク海はナギで、漁師たちが利用する番屋以外、人を寄せ付けない大自然の地形が展開する。期待のクジラやシャチ、トド、ヒグマの姿は見られなかったが、イルカ、多くの海鳥などは見られた。火山活動が生み出した連続する断崖絶壁、奇岩、多くの滝は印象的。最先端の知床岬の先端部分にやや平地が見られたのは意外だった。
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オーロラ号から断崖絶壁と知床岳を見る
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知床岬先端と知床燈台(右側)

【第3位】 本土最東端の納沙布岬を初訪問
クナシリ島は30年前羅臼から望見した際、島の大きさや近さは実感した。今回は納沙布岬の先端に立って望見したが、島影はうっすら見える程度。むしろ歯舞諸島でもっとも本土に近い貝殻島燈台は納沙布岬から肉眼で見える程の(3.7km)近さに立っている。戦前、日本が海上航行安全のために硬い岩礁の上に設置したもの。
北方4島が旧ソ連に不法占拠された後、ロシア側の維持・管理が杜撰だったため、現在は傾いており、倒壊するのは時間の問題という。この灯台を遠望するうち、どう考えてもロシア領ということは納得できない。今も毎年日露漁業交渉が行われ、認可を得た小規模の漁船のみが高い入漁料を払って漁業を営むだけというから、理不尽であることこの上ない。この周辺の漁業は後継者問題もあり、廃れていく一方だ。この岬の突端に立ちガイドの説明を聞いて、改めて北方領土問題の深刻さを実感する。領土問題を象徴する大きなモニュメントの下には赤い炎がじっと燃え続けているが・・。(続く)
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納沙布岬灯台。左側に国後島がうっすら見える。
 
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北方領土返還を目指すモニュメント。下の台の上に赤い灯が燃えている。

2018年11月26日 (月)

秋の京都・奈良、お気に入りのスポット(2)

正倉院展】 今回の旅行の目的の一つである「正倉院展」は70回を数える節目の展覧会。比較的に入場者が少ない夕方の時間帯だったが、それでも盛況を極めていた。目玉展示品である玳瑁(タイマイ)螺鈿八角箱は想像した以上に大きなもので、平螺鈿背八角鏡と並んで、とても1300年ほど前に制作されたものとは思えないほど精巧で綺麗な細工物だった。また、沈香木画箱犀角如意等、華麗な工芸品が目を楽しませてくれた。その他にも光明皇后が履いたと言われる室内履き、陶器製の鼓、和琴の原型を類推させる新羅琴など、例年以上に充実した展示内容だった。

【興福寺の中金堂】 710年の創建以来、度重なる焼失・再建を経て平成30年の今年、8年の工期を経て創建当時の様式で復元された。朱塗りの柱、白壁、金箔のシビなど全てが真新しく、年月を経た重厚さは感じられない。中央に安置された本尊釈迦如来坐像は江戸時代の1811年に制作された木造寄木造りで、これまた金ピカ過ぎてしっくりこない。むしろ本尊の周囲に配された四天王像(国宝)、吉祥天・大黒天薬王・薬上の二菩薩は重要文化財に指定され、周囲の脇役の方がメインキャストに見えてくる。
Dscf2490 復元された中金堂

【その他】 京都の永観堂は紅葉が見事、石庭の天竜寺はじっくり鑑賞するには最高の庭園だが、いずれも押し寄せる東アジア系の観光客のため、興趣が削がれてしまう。
南禅寺の三門は初めて登楼したが、地上22m、「絶景かな、絶景かな」と石川五右衛門の歌舞伎の台詞で有名なだけのことはある。楼の中を垣間見ることはできるが、中に入ることはできず、これまた半減だ。奈良の迎賓館と言われる奈良ホテルに宿泊。多くの皇室の賓客が定宿にしているだけに高級感溢れ、ディナーのフレンチは洗練された味で、星五つか。

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南禅寺三門二階回廊から京都市内を望む。

【余談】 京都から奈良へ移動途中、ベテランバスガイドさんから聞いた話。正岡子規の「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」の句は実際には東大寺門前の旅館に泊まった時に詠んだ句で、最初は法隆寺ではなく東大寺だったと言う。翌日、斑鳩の「法隆寺」を訪問した時に、「待てよ、東大寺より法隆寺の方が語感がいいな」ということで、修正したものだったとか。秋の京都・奈良を訪ねる2泊3日のやや贅沢なツアーではあった。(終わり)

2018年11月25日 (日)

秋の京都・奈良、お気に入りのスポット(1)

Dscf2455 銀閣寺 「観音殿」

銀閣寺】 足利義政が造営した銀閣寺。波紋を表現した銀沙灘と白砂で造成した向月台を中心とした庭園の素晴らしさは言うまでもないが、できれば雑踏の中ではなく、満月の夜に少人数で鑑賞したいもの。二層の国宝「観音殿」は銀閣寺の代表だが、今回特別公開のもうひとつの国宝「東求堂」と本堂内をガイドさんの説明付きで拝観することができた。
簡素な書院造の本堂と広間は与謝蕪村、池大雅、富岡鉄斎らの襖絵が、地味だが格調高い東山文化の香りを演出している。

本堂と渡り廊下で繋がった「東求堂」は義政の持仏堂で、檜皮葺きの現存する最古の書院造りとのこと。北面東側の四畳半は「同仁斎」と呼ばれ、草庵茶室の源流、四畳半の始まりだそうだ。いわゆる書斎と茶室を兼ねたような部屋で、障子を左右に少し開くと、庭園の一部が自然の掛け軸となって、四季の移ろいを奏でてくれる。
さらに渡り廊下で結ばれた「泉殿」は香座敷で、義政が「お香」や「歌」を楽しんだとされる。平成8年改築の際、日本画家の重鎮奥田元宋画伯が三年の歳月をかけて完成させた襖絵の集大成で飾られている。日本の四季を自然な色調で描いた大作は素人目にも分かりやすい。永く後世に残る傑作となるだろう。やはり銀閣は素晴らしい。

Dscf2447 銀閣寺 「東求堂」

Dscf2461 白砂の「向月台」


【嵐山大覚寺】 抒情歌「女ひとり」の中でも歌われた「大覚寺」を訪れたのは初めて。嵯峨天皇の離宮嵯峨院が真言宗大覚寺となり、今年は嵯峨天皇紺紙に金文字で勅封した般若心経」が浄書されてから1200年にあたるという。また60年に一度の開封法会の年ということで、日本人観光客が多く、外国人の姿は少なかった。外国人には難しすぎるということか。このようなスポットは今の京都では穴場と言えよう。
普段、勅封心経殿に奉安されている嵯峨天皇(平安時代)はじめ、後光厳(南北朝)、後花園、正規町(以上室町)、光格(江戸時代)各天皇勅封の般若心経が他の寺宝とともに一堂に展示され、見応えがあった。また境内の大伽藍には寝殿造り、書院造りの堂宇がいくつも配され、唐の洞庭湖を模したという「大沢の池」が壮大な景観を演出している。想像以上に規模の大きな寺院だった。(続く)
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大覚寺 「大沢の池」

2018年11月21日 (水)

古都の秋、散策雑感

♪ 京都~ 嵐山 大覚寺~ 恋に疲れた 女がひとり~ ♪

この歌の雰囲気が好きで、先日古都の秋を巡ってきた。小春日和の京都・奈良、ともに秋の行楽真っ盛り。和服姿の若い女性が二人、三人と連れ立って歩く姿をよく見かけた。街中で和服の貸衣装屋さんに群がっている女性たちを目撃。確かに俄仕立てというか、板についていなのが見てとれる。「女ひとり」の歌のようなムードとはかなりかけ離れているが、それでも日本の若い女性がひと時でも和服に馴染んで、京の街をそぞろ歩きすることは、本人にとっても、日本の将来にとっても良い結果をもたらすに違いない。

◆東アジアや東南アジアからの観光客の和服姿もよく見かけるが、様になっているかどうかは別にして、異文化交流の一端として大目に見よう。頂けないのが、大勢で群がり、大きな声でわめき立てる輩。中には人混みの中で大きなスーツケースを引っ張って歩く連中がいることだ。この感覚は全く理解できない。どこに行ってもこうした観光客に遭遇する。国が外国人観光客誘致目標3000万認を掲げ、推進する一方で、その負の効果が増大するのは自然の成り行きだろう。

◆先日TVが嵐山の美しい竹林で、孟宗竹の表面に落書きの傷の跡があったことを報じていた。内容からして外国人らしい。その現物を見た。緑の粘着テープを貼って目隠ししていたが、実に痛ましい。人の流れが絶えないこの竹林には人力車専用の道路があって、乗ったまま楽しんでいる観光客も多い。竹林と人力車とくれば、あの健康飲料のCMを思い出すが、この竹林は20~30年前に意図的に造られたものだという。
負の側面といえば、祇園や錦市場に大挙する外国人観光客の影響で、常連客が迷惑を受け、売り上げ減になっているという。これに関しても何らかの手を打たなければ、双方にとって不幸なことに繋がってしまう。


◆今回の旅行で特に嵐山の渡月橋、竹林、天竜寺などで東アジア系の観光客の多さが目立ったが、東山の琵琶湖疎水沿いの「哲学の道」、紅葉が美しい「永観堂」、「南禅寺」、「銀閣寺」、「奈良公園」などは他にも欧米系の観光客も多く見られ、さすが古都ならではの感を持った。(続く)
Dscf2453 木漏れ日が差す銀閣寺庭園

Dscf2468 永観堂の庭園

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南禅寺境内の琵琶湖疎水の水道橋の下、和服姿の若い女性たちが集う



2018年10月10日 (水)

長崎ブラリ街歩き(後)

◆長崎駅前の高架広場を横切った辺りの一帯を西坂と呼んだ。この辺りを歩いているうちに、ビルとビルの隙間から何やら大きな観音様の像が見えた。思わず狭い石段を登り、境内に立って驚いた。「えっ!何これ?」、なんともグロテスクな亀の像の上に巨大な観音像が立っている。調べてみるとこの寺は1628年に建立された福済寺という寺院で、興福寺崇福寺、と合わせて「三福寺」と呼ばれる黄檗宗の由緒ある寺院だった。また後述する聖福寺と合わせて「長崎四福寺」と呼ばれる寺院でもある。興福寺、崇福寺は既知の寺院で子供の頃から馴染みがあったが、迂闊にも福済寺は知らなかった。戦前は本堂などの建築物は国宝に指定されていたが、長崎市への原爆投下で焼失したと言う。

Photo (万国霊廟長崎観音像)

◆しかし、何で亀の上に観音様が? 実は1979年(昭和54)に平和を祈願して建立されたもので、「万国霊廟長崎観音」が正式名称とのこと。中国の謂れによるものだそうだが、亀の形をした霊廟を台座として建っている姿はいかにも奇妙だ。高さは18m(地上から34m)、重さは35tあるという。昭和54年といえば東京で社会人になって10年余。その後何度も帰省していたが、終ぞ知ることがなかった。40年ほど昔にできたとは思えぬほど真新しく、ひょんな切っ掛けで知ることとなった。内部には地球の自転を示す「フーコーの振り子」(長さ25.1m「で日本最大級)が取り付けられているという。今度行ったときに覗いてみよう。

福済寺は坂本龍馬が初めて長崎に滞在した時の宿泊所。また勝海舟は長崎海軍伝習所時代に福済寺の隣の本蓮寺に滞在した。また数100m離れたところには「いろは丸事件」の談判が行われた聖福寺(国の重要文化財多数)があり、維新の志士たちが闊歩したゆかりの地となっている。
Dscf3680 聖福寺山門

◆長崎駅前の西坂の丘の斜面に沿った細長い地域は、歴史的に由緒ある寺院仏閣、教会などが点在する。1597年2月5日、秀吉の命により西坂の丘で殉教した二十六聖人を記念して、記念館と記念碑(レリーフ像)が建つ。それに付随して建つ双塔のデザインの小さな教会「記念聖堂」が印象的だ。「聖フィリイポ教会」と称するこの教会のデザインは「スペインゆかりの地に立つ現代建築」というテーマで、サグラダ・ファミリア教会で知られるガウディのスタイルを意識的に取り入れたというが、ちょっとオーバーじゃないかという感じ。いずれにしろ、長崎の街は古いもの新しいもの、いろいろ取り混ぜ、進化しているようだ。(本稿終り)
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「二十六聖人記念聖堂」

2018年10月 9日 (火)

長崎ブラリ街歩き(前)

◆所用があって、先週長崎に行ってきた。台風24号が過ぎ去った長崎の街は秋空に覆われ、真夏日そのもの。所用を済ませ、帰りのフライトまではまだ時間があるので、ブラ歩きする。長崎は行くたびにどこか変わっており、新しい発見がある。

◆長崎県庁が今年初め、新庁舎に移転したと言う。まず外観だけを傍観した。場所は浦上川の河口、長崎港の最奥部にあたるところで長崎駅から徒歩5分、周りが水辺の絶好のスポットである。近年、各県の県庁舎は外観が立派で大振りなのに対し、意外と小さく地味で、控えめな造りである。それもそのはず、地上8階建て、それほど自己主張をしていない。長崎港が奇抜なデザインの建築物に取り囲まれているから、それほど目立たないのだろう。ただ、窓に木目調の縦の桟が不規則に並んでいるのが気になるというか、印象に残るデザインだ。新しい建物だが、シックで落ち着いた雰囲気を出しており、西側の浦上川と南側の長崎港という両面が水面(みなも)に接した立地は、他ではあまり見られない情景ではなかろうか。

Photo 新装なった長崎県庁

◆浦上川は子供の頃、黒く濁って汚かった。戦後日本の都市河川の御多分に漏れず、工場排水、生活排水が影響していたのだろう。昭和20年8月9日、この川の2km上流では水を求める多くの人が川に入り、無数の焼死体が浮かんでいたという。2歳に満たなかったが、この地にいたことは確かだった。73年後の今、水は青く綺麗で、河口の岸には遊歩道が通り、街路樹が植えられている。平和が当たり前の世の中になって、その有難さが見失われがちだが、忘れてはならないことだと思いを新たにする。

◆小学校から高校まで、少年時代と多感な青春時代の一時期をこの地で過ごした。特に小学校時代の思い出は昨日のことのように思い出される。友達と遊んだあの場所、行き来した友人宅、商店街、風呂屋さん・・今どうなっているんだろう。60数年ぶりにそれら思い出の地を巡ってみた。入り組んだ狭い道路、商店街などの区画割、古い人家など、ほぼ昔の面影を残しているが、半分以上は姿を変えている。そして何より活気が感じられない。友人5~6人の家があった場所は分かるものの、姿は変わり、一人として在住していない。これが時の流れというものだろう。(続く)

2017年6月28日 (水)

箱根大涌谷久々の空中散歩

先週末、箱根のアジサイ鑑賞と、再開された大涌谷ロープウェイに乗って空中散歩を楽しんできた。アジサイの方は少々時間が早かったせいか、花も小さく色合いもイマイチだったが、ちょうど今頃見ごろだろう。

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箱根登山鉄道塔ノ沢駅
Dscf4735 箱根阿弥陀寺(2015年)

◆空から見る雄大な大涌谷の景観と噴煙は轟音をバックに箱根観光の目玉であることは疑いないところ。整備された大涌谷では黒たまごを食さない訳にはいかない。1個食べれが寿命が7年延びるという触れ込みだから、計算ではすでに70年以上延びている訳だが・・。残念ながら黒たまごを茹でている熱湯の温泉場まではまだ立ち入り禁止だ。早く解除してもらいたいものだ。

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◆そもそも2011年の東日本大震災の影響ではないかと見られる火山性群発地震が大涌谷周辺で増加したのが2013年2月だった。その回数が徐々に増えて、2015年5月には噴火警戒レベルが1からレベル2まで引き上げられた。(6月にはレベル3まで引き上げ)それに合わせて、周辺道路の通行止め、箱根ロープウェイの運休など、観光は風評被害もあって大打撃を受けた。その後、昨年に入って地震活動の安定が見られ、7月には火山ガス濃度の低下も見られたため、7月26日ようやく大涌谷~早雲山駅間で運行が再開され、約1年3か月ぶりに全線運転再開となった。その約1年後に久しぶりに訪れたという次第。

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数年前の黒たまごを茹でる現場

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「冠岳」の斜面に噴火の後を残し、箱根の最大のスポットとなっている。(続く)

2017年5月21日 (日)

陶芸の郷「長崎県波佐見町」を訪ねて

◆もともと陶磁器に関してそれほど興味がある方ではなく、旅行等で訪れた所がたまたま産地であれば、立ち寄ったりして眺める程度だ。陶器の代名詞である瀬戸物、その産地である愛知県瀬戸市が2011年12月に実施したアンケートがある。「陶磁器ブランドの認知度」調査というもので、関東地方に在住する30代~40代の女性412人を対象にしたもの。(複数回答) それによると、
1位:有田焼(佐賀県)81.6%  2位:九谷焼(石川県)60.4%
3位:益子焼(栃木県)55.6%  4位:信楽焼(滋賀県)42.2%
5位:美濃焼(岐阜県)  6位:備前焼(岡山県)  7位:萩焼(山口県)
8位:清水・京焼(京都府) 9位:瀬戸焼(愛知県) 10位:唐津焼(佐賀県)
以下10%未満 11位:笠間焼(茨城県) 12位:常滑焼(愛知県) -以下略-


有田焼のトップは納得として、瀬戸焼の9位は意外な感じがする。時代の変化によるものだろうか。ランキングにはいろんな基準があるだろうが、製造事業者数でみると、美濃焼の岐阜県が最も多く232、伊万里・有田焼の佐賀県が121、第3位の愛知県が97、そして4番手に長崎県の69と続いている。また人口10万人当たりの登録件数1位は佐賀県で38.68件、2位岐阜県の27.44件、3位が長崎県の15.22件となるそうだ。
近年長崎県の「波佐見焼」が脚光を浴び、全国ブランドになりつつある。その秘密を探るべく、陶芸の里「波佐見町」を訪ねてきた。というのは少々オーバーで、たまたま母校長崎西高の卒業55周年同窓会が波佐見で行われたので、訪問・見学する機会を得たからに他ならない。

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◆有田・伊万里焼き、美濃焼・織部などはともかく、波佐見焼が何故今ブームなのか。子供の頃、波佐見焼の名はかすかに覚えていたが、波佐見高校が甲子園に出場するまでは記憶の遥か彼方にあった。波佐見焼は江戸時代から庶民の日常食器として、実用本位であり、有田焼の下請けをするなどブランド力はなかった。庶民の器として誕生し、時代に合わせて変化を繰り返しながら、現在も身近で親しみやすい食器を作り続けてきた。近年、実用性の他に独創性、芸術性も加味して製造力を高め、同時に全国展開の販売力を高めた仕掛け人がいた。

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波佐見町の窯元群を見下ろす高台から、正面に長さ160mもある登り窯跡が見える。

◆その人こそ、O.H君といって、波佐見焼元卸業を経営し、全国に販売網を開拓。有名デパート、スーパーなど幅広く販路を拡大した人物だった。もともと波佐見焼に関わる地元の名家の生まれで、長崎西高の同窓生であり、彼のプロモートで今回の同窓会開催の運びとなったもの。同窓会の翌日、バスを貸し切り波佐見の町を案内してくれた。長崎県人でありながら、初めて波佐見という陶芸の町を見学し、かつ前日はゆっくり名湯に浸り、55年前の青春時代が蘇ったひと時ではあった。とにかくみんな若い!次は喜寿、そしてその次は米寿、一応この辺が着地点の目安となりそうだ。

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母校に寄贈するために特別に制作された透明感のある磁器製の鉢。O君が地元の名工(日展会員)に制作依頼したもの。


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やきもの公園の小高い丘にある野外博物館「世界の窯広場」がある。
この公園の一角に、陶芸の館「観光交流センター」(くらわん館)があり、二階は陶芸博物館。1階は40数件の窯元が制作した多くの陶器、磁器が数部屋に亘って、処狭しと並んでいる。昔ながらのデザイン、欧風のもの、高級料亭レストラン向けのもの、独創的なものなど千差万別あり、眼を楽しませてくれる。もちろん展示・販売されており、金に糸目をつけなければ欲しいものはいくらでもある。

2017年5月14日 (日)

相模の国の名刹「日向薬師」を訪ねて

◆大山詣で有名な関東の名峰「大山」(標高1252m)。古来からの修験者の山で、その麓には山岳信仰の名残か、多くの寺社が点在する。東側の麓にひっそりと佇む古刹がある。「日向薬師」の愛称で古くから地元で慕われてきた名刹だ。この日向薬師は716年、奈良時代の高僧行基によって開山されたと伝わっている。修験者の拠点だったこの古刹は、正式には「高野山真言宗 日向山霊山寺 宝城坊」(通称;日向薬師)と呼ばれている。

◆関東で古刹・名刹と言えば「坂東三十三観音」が有名だが、このうち神奈川県に八カ寺ある。うち四カ寺の開祖・開山が行基とされ、いずれも721年~730年代頃の創建とされる。日向薬師はこれらより5年以上早く、最も古い部類に入るだろう。寺格からいっても遜色ないどころか、頼朝・政子との関わり、時の権力者達との関わりなど史実として残っている。そうした日向薬師だが、坂東三十三寺札所に数えられていないのは「観音信仰」ではないからだろうか。

◆この日向薬師に、ここ数年間で2度程訪れたが、改修中のため本堂に入ることはできなかった。宝城坊本堂平成22年11月から6年の歳月をかけて、昨年11月に「平成の大修理」が完了、落慶法要が行われた。たまたま先日機会を得て、ようやく見学することができた。この本堂は室町期の1380年と江戸期の1660年及び1745年に大改修の履歴を持つ。もともと檀家を持たない勅願寺のため、時の権力者の庇護のもとで繁栄してきた。ところが明治新政府の神仏分離政策のため、12あった坊の殆どが廃止され宝城坊だけが残った。また廃仏毀釈運動に遭って多くの仏像等が風前の灯となったが、信仰の篤い地元の村人達がひっそりと秘匿して守ったことが現在に繋がっていると白髪の上品な説明員が語ってくれた。
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境内の「幡かけ杉」(二本杉とも)県の天然記念物で樹齢約800年。


◆明治以降、権力者の庇護がなくなり、加えて檀家・墓地を有しないため、経済的に困窮に陥り、寺の荒廃ぶりは酷かったという。平成18年の調査で大修理が必要と判明。問題は財源だったが、それを救ったのは明治の村人達だった。彼らが守った仏像たちが国の重文に指定されていたため、改修費用の8億7千万円の75%が国の補助金で、残りを県と伊勢原市、そして寺が集めた浄財でなんとか賄えることができたという。

Dscf2097 平成の大修理を終えた宝城坊本堂
 
◆境内に立って目立つのが本堂を覆う茅葺屋根。約1000㎡の広さに厚さ75㎝、重さ50トン。この茅は御殿場で刈り取ったもので、茅代だけで1億円にもなったという。京都から専門の職人を招き、多くのボランティアも参加して葺き替え工事を行ったが、葺き方には地方色が残っているため、地元の古老の意見も反映させたという。全体に荘厳で趣がある建造物だ。本堂の高さは18m、幅23m、奥行き17mで茅葺寺院では関東最大級の規模を誇る。

◆宝仏殿には大きな厨子があり、その中に本尊の薬師如来本尊と脇侍の日光・月光両菩薩(いずれも平安時代)があり、厨子の外側四隅に四天王、また左右に6体ずつの十二神将(鎌倉期)が安置されている。さらに本堂の左右に大振りの薬師如来・日光・月光菩薩脇侍、阿弥陀如来坐像四体(いずれも鎌倉期)が鎮座し、そのすべてが国の重要文化財に指定されている。その他にも鐘楼に架かる梵鐘、厨子、本堂自体も重文に指定されている。いずれにしろ神奈川県の山深い片田舎に平安時代以降の仏教遺産が残っていることが日本の歴史の奥深さを物語っていると言えよう。

Dscf2098 重要文化財の銅鐘

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