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グルメ・クッキング

2021年2月12日 (金)

郷土の味覚と珍味(2)

3.「デベラ」をご存知?
酒やビールのお伴に、乾きものがよく利用されるが、もっとも好きなものが「デベラ」だ。小さい頃に食べたような記憶もあるが、定かではない。明確に知ったのは40歳を過ぎた頃だろうか。仕事で山陽地方に滞在したころ、居酒屋さんで勧められたある乾きものに出会った。掌サイズの細いカレイのような干物を軽く焙ったもの。思わず「これは旨い!」、やや硬いが噛むと口中に独特の香りと豊かな味がパーッと広がる。名前は「デベラ」という。特に有名なのが尾道の冬の風物詩といわれる「デベラ」だそうだ。

「出平鰈(でべらかれい)」と呼ばれているが、正式には「タマガンゾウヒラメ」。手を広げたような形なので「手平」、「デメヒラメ」が訛って「デベラ」、さらに訛って「デビラ」など諸説あるようだ。瀬戸内海沿岸で収穫されるが、近年は減少しているとのこと。
2_20210212094301 (デベラ)

大きいものは骨が固いので、木槌などで叩くとよいそうだが、10㎝前後が適当な大きさ。焼く前に何か所か背骨を折り曲げ、2分ほど火を通す。頭の先から尻尾までバリバリ食べられる。味付けはそのままでもよいが、七味・マヨネーズが好みだ。ネットを利用して産地から取り寄せたりしている。

4「姫貝」の干物
子供の頃、大人が酒のつまみにしている貝の干物にちょっかい出して口に入れた。甘みが強く、秘かに渋みのようなものがあり、軽く焙った時にでる香りや濃厚な味は忘れられない一品となった。名前を「姫貝」という。長じて酒類は人並みに嗜むほどになったが、この「姫貝」の干物は殆ど見かけることがなくなった。
数年前、築地場外市場に出かけた時、「姫貝」のことを思い出して、大きめの干物屋さんの店頭で物色したが見つからない。年長の店員さんに尋ねたら、奥から大事そうに新聞包みを持ってきた。やっと見つかった。早速買い求め、帰宅後軽く焙って食した時、ようやく遠い過去の懐かしい味が蘇った。
2_20210212094501 (姫貝)
「姫貝」という名称の貝が存在するものだとズーッと思い続けていたが、実はそうではなかった。実際はよく知っている「バカガイ」(通称アオヤギ)の剥き身をそのまま乾燥させたものを「桜貝」、釜足を引き延ばして乾燥させたものを「姫貝」と呼んでいるそうだ。素敵な名称に勝手にイメージを膨らませていた? バカガイや青柳なら寿司屋でよく食べたものだが、己の浅学菲才を恥じ入る次第。落語じゃないが、「イカ」と「スルメ」の関係と同じだ。しかし、バカガイなら今でもたまにみるが、干物にしたものが珍重され、高く売れるのであればもっと付加価値をつけて販売促進したらいいと思うのだが・・絶滅危惧種になっても困るし。バカガイは日本全国に分布しており、東京湾、伊勢湾、瀬戸内海が主要産地。但し、加工した「姫貝」の産地は大分が県が有名とのこと。

Photo_20210212094501  (姫貝)
なお、 蛇足ながら「バカガイ」を「青柳」と呼んだのは江戸時代の江戸前寿司職人が、音声でそのまま耳に伝わることを嫌い、当時の江戸湾周辺における集積地であった上総の国市原郡青柳(現千葉県市原市青柳)の地名を使って、これを雅称として呼び代えたのが始まりだったことは有名な話。(続く)

 

 

2021年2月10日 (水)

郷土の味覚と珍味(1)

郷土長崎の味と言えば、何と言ってもカステラにチャンポン、皿うどん。今や全国区となって、知らない人はまずいないほど。本稿ではそれは横に置いといて、自分が子供の頃食べた懐かしい味、珍味などについて、思いつくまま書き残しておきたい。

1.マテガイとアゲマキ
子供の頃、食卓にはアサリの吸い物がよく出た。シジミより多かった。当然海が近いという条件があったからだろう。ところが一時期マテガイの吸い物がよく並ぶようになった。長方形の薄くて白い殻の二枚貝。味が上品で旨い。後になって知ったバタ焼や酒蒸しより、単純で素材そのものの味、今で言うところの潮汁というものだろう、これが最高だ。
マテガイは有明海が名産地だったが、今では殆ど獲れなくなったという。マテガイは日本では有明海に限らず、波の穏やかな内海の砂地で多く見られるというが、関東に居住して以来、魚屋やスーパーの魚介売り場で見たことは殆どない。
2 マテガイ

マテガイに似た貝でアゲマキというのがある。これはマテガイよりやや大きくズングリ、ムックリしており、やや茶色っぽい。味はマテガイよりもう少し濃厚だったと記憶している。このアゲマキは有明海が産地で、1988年に776トンの水揚げがあったものの、その後様々な要因で減少し、関係者の必死の努力も功を奏していないという。
Photo_20210210140601 アゲマキ

2.タイラギ
有明海の貝の話のついでにタイラギを採り上げたい。父親の里が福岡県の有明海に面した地域に近かったこともあり、たまに食する機会があった。酒粕に漬けた大きな貝柱は高級珍味となり料亭などでも出されたそうだが、親戚から送ってもらう以外に殆ど口にすることは無かった。ところが最近近くのスーパーの魚介売り場で目にする機会があったので、大きな殻付きのまま購入した。大きな割に食に適するところは直径4~5㎝ほどの貝柱のみ。あとは廃棄処分となる。その貝柱をバター焼きで食したが、ホタテより味が濃厚で大変美味である。しかし、タイラギは酒粕に漬けたものが絶品だ。酒粕自体が旨いので、最後まで綺麗になくなってしまう。今はネットで取り寄せられるので大変便利(笑)
Photo_20210210140603 タイラギ
タイラギは大型の二枚貝で、名前の由来は「平貝(たいらがい)」が転訛したものだと言う。かつては東京湾、伊勢湾、三河湾、瀬戸内海、有明海などが主要な生息地だったが、現在では三河湾、瀬戸内海の一部などに限られているそうだ。私がスーパーで買い求めたものは愛知県産とあったので、三河湾のものだろう。大きさは殻の長さが30㎝以上、三角形の奇妙な形だ。かつて有明海の諫早湾沿岸地域で1990年頃まではよく獲れたそうだが、干拓事業との関連もあって、現在では略ゼロだと言う。残念な話だ。(続く)

 

2016年10月 8日 (土)

サツマ芋堀りと石窯ピザ焼き体験

◆ようやく秋らしくなった昨10月7日、うす曇りで時折日が射す中、シルバー仲間たちと神奈川県大井町の農業体験施設四季の里」を訪れた。場所は東名大井松田I.Cから3kmほどの丘陵地にある「いこいの村」の中。まず、サツマ芋(紅アズマ)を一人2kgほど収穫する。かつて取手に住んでいた頃、自宅の庭に家庭菜園を作り、サツマ芋も栽培したことがあったので、どうということもなかったが、地元の幼稚園・小学校をはじめ、東京方面から来ることもあるそうだ。

◆芋堀りを数分で終え、次に施設の方で用意したピザ作りを体験する。予め用意された素地から200gほどを切り取り、丸く伸ばすことから始める。蕎麦と違って伸びてもすぐ縮みやすいところが難しい。片手でクルクル回そうなんて考えていたが、とんでもない。続いてトッピッグ用の玉ねぎ、ピーマン、ミニトマト、ナス、ベーコン、ウィンナを手分けして切り分ける。最近包丁を握っていないので、傍らで見ていてどうも危なっかしいらしい。丸く伸ばしたはずの素地がデコボコして形が悪いが、なーに味に変わりはあるまいと自分に言い聞かせる。素地を金網に乗せ、トマトケチャップを適当に伸ばして、切り分けたトッピング類を適宜乗せる。最後に粒のトウモロコシとチーズを乗せて、ピザ焼き職人が400度程に熱したピザ窯で焼き上げる。1枚が2~3分ほどだから思った以上に短時間だ。焼きあがったピザを8分の1もしくは6分の1に切り分ける。

Photo◆丸テーブルを二つ並べ、椅子を囲むように置いて、焼き立てのピザを試食する。思った以上に美味しく焼けていた。もともとイタリアンのピザ、パスタなど自分から進んで食事に行く方ではないが、幹事さんが用意してくれたビールとおつまみのお陰で3、4ピースほどお腹に収まった。満腹状態でミニ昼食会が終わり、野菜の直売所を覗く。10人ほどの生産者の顔写真が張ってあって、取り立ての野菜が並べている。安くて新鮮なので、思わず手が出てしまう。玉ねぎ、カボチャ、ナス、生しょうが、里芋、生落花生、柿を買い求めた。自分で掘ったサツマイ芋とピザの持ち帰り分とを合わせて約10kgの重量となった。満足のいく半日であった。
2 Photo_2

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写真は「四季の里」HPより

2015年3月28日 (土)

食の文化の話

◆所変われば品変わる。8年ほど前に「全国の郷土料理百選」が発表されました。北海道の「ちゃんちゃん焼き」、青森の「いちご煮」、山梨の「ほうとう」等々、これらのうち、まだ食したことはもちろん、お目にかかったことがないものが2割以上もあります。長崎ではなんといっても卓袱料理、そして島原の具雑煮が選ばれました。今でこそ卓袱料理はTV等で全国区となりましたが、50年ほど前上京した頃には「卓袱料理」と言えば、「何?それ」と言われたものでした。その時は「ワ・カ・ラン料理です」と煙に巻いたものです。

◆その頃、蒲鉾は長崎が一番と思っていました。当時、賄い付きの下宿に住んでいて、朝食・夕食は同居人4人(うち3人は名古屋・岐阜の出身で、タモリじゃないけど、ミャーミャー、ニャーニャー、~ダガヤ、~ダガネ、~キャーモ、ドエラリャーなど、うるさいこと、うるさいこと・・そんなことはどうでもよいのダギャー)ある時、蒲鉾の話が出て、「蒲鉾は長崎が一番」と自慢話、そこで実家に手紙を書いて紅白の板付け蒲鉾、竹輪、などを送ってもらいました。

◆下宿のオバさんも一口食べて、意味ありげに含み笑い。翌日の食卓の小皿に真っ白な蒲鉾が数切れ並んでいます。口に入れてみて、その歯ごたえにビックリ、シコシコ・プリプリまるで感じが違いました。オバさんの表情は「どうだ」と云わんばかり。聞けば小田原の蒲鉾だという。その後、蒲鉾は仙台の笹蒲、四国や、瀬戸内、仙崎、鹿児島など日本各地に名産があることを知り、井の中の蛙だったことを思い知らされました。

◆あれから40数年、まさかその小田原に住むとは思いもしませんでした。箱根に行く通り路にそのS蒲鉾の大きな店があります。蒲鉾博物館はじめ、蒲鉾作りの体験コーナーあり、その他レストラン、ショッピングなどの一大スポットとなっています。大相撲の呼び出しの背中のロゴマークで全国区となっていますが、商品の中には万円代のものもあり、ビックリです。小田原には他にも20社ほど蒲鉾の製造会社があり、よくやっているなと思います。でも長崎に行った時にはお土産に、つまみに、各種揚げ蒲鉾のセットをよく買います。やっぱり子供の頃慣れ親しんだ味は一生ついて回るものでしょうか。

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2014年12月27日 (土)

くまモンからの贈り物

◆九州熊本のゆるキャラくまモンから「晩白柚」(ばんぺいゆ)とデコポンが届きました。(笑い) 「晩白柚」はいうまでもなく、世界最大級の柑橘類。長崎ではザボンが有名で、大きな柑橘類には驚きませんが、「晩白柚」を初めて見た時はさすがに唖然。バレーボール大のド~ンと大きな迫力のある外見とはうらはらに、上品で爽やかな香りと風味は柑橘類の中でも「キング オブ キングス」と言っても過言ではないでしょう。

◆説明パンフレットによれば、「晩白柚」は大正9年、熊本出身の植物学者島田弥市氏が台湾在勤中にマレー半島から輸入したことから始まる。昭和10年、島田氏の好意によって熊本県果実試験所で試作した結果、八代の風土が栽培に適していることが分かり、改良を重ねて盛んに栽培されるようになったと記してあります。

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晩白柚と両サイドはデコポン、前は温州ミカン(Mサイズ)

◆そのまま、飾っておけば確かに部屋中に自然で上品な香りが漂い、気分を爽快にする効果があるようです。また、デベソみたいな突起が特徴の「デコポン」もあわせて届きました。近年デコポンの甘さが普及し、デパートの果物売り場を覗いても結構な値段がついています。通常の温州ミカンと比べても数倍の大きさがあり、甘さも抜群なので、関東でも人気が出ているようです。どうやら気分の良い正月が迎えられそう。くまモン君、どうもありがとう。

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2013年12月11日 (水)

福島県産新米

福島への応援を込めて福島産こしひかりをNETで取り寄せた。
価格は10kgで3,999円。今話題の熊本産森のくまさんが10kgで4,999円。
北海道のゆめぴりかが同4,999円~6,000円ほど。それほど高くは無い。

早速炊いて食卓に並ぶ。けっこうふっくらして甘みがありグー!である。
たまたま、昨日の新聞に、環境省が霞が関の合同庁舎5号館の職員食堂で、
除染した水田で試験的に収穫した飯館村や川俣村産「ひとめぼれ」
作ったおにぎりを試食している記事が掲載されていた。
もちろん、放射性物質は検出されていないという。
一過性でなく、安定的に消費するよう望みたい。
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2013年8月22日 (木)

えれんな ごっそ

小田原から箱根方面に国道1号線を進むと、風祭あたりで有名な「鈴廣」の店
の前にでる。1号線を挟んでいくつかのレストラン、販売店、かまぼこ博物館等
が並んでいる。ここは箱根駅伝の復路、6区から7区の中継点になっている
ので、全国的にも有名だ。
この一角に「えれんな ごっそ」というシャレたレストランがある。箱根地ビールや
地元の食材をふんだんに使ったビュッフェ形式のレストランだ。よく前を通るの
だが、店の名前が気になって、一度も入ったことがなかった。
地元では入っていない人の方が珍しいらしい。


さて、「えれんな ごっそ」? 何語だ? 入って見て意味がわかった。
「いろいろな ごちそう」という意味だそうだ。 「ン?」、
えれんな→いろんな、ごっそ→ご馳走・・・何だ、いちおう日本語ではないか。
地元の方言からきているらしいのだが、聞いたことは無い。
なんだかオランダ語だか、スペイン語だが、しゃれた響きがしないでもない。

先日義兄夫妻に誘われ食事をしてきた。広くて、明るく、品のあるレストランで、
出来たての地ビール、地場産の野菜・果物、相模湾で獲れた魚介類、そして
お得意の練り製品など豊富に並ぶ。
一見フランス料理風に仕立てられた各種料理は見た目も味も、そんじょそこら
のいわゆるバイキングとは一味も、二味も違う。第一、チャージがリーズナブル
なところもよい。小田原、箱根方面にお出かけの際には、一度立ち寄って
みるのもよいかもしれない。別にPR料をもらったわけではないが。

2013年5月21日 (火)

季節の果物(びわとサクランボ)

◆この時期、果物屋やスーパーの店頭に「茂木びわ」が並んでいます。ウッスラと粉をふいたような高級感のある茂木びわは上品な甘みがあって、みずみずしくこの時期ならではのもの。やや高めなのが難点ですが、毎年2~3度はこの時期ならではの旬の味を楽しんでおります。子供の頃は、ひと山いくらの安いものをおやつ代わりによく頂いておりました。
関東でも伊豆半島や房総半島産のものが出回っておりますが、伊豆半島のものは形が丸く、色は黄色、甘みは結構あるようです。房総半島産は茂木びわに近く、年々高級化しているようです。びわが出回ると夏はもうすぐですね。


◆モノの本によると、江戸末期(1830~48)頃、中国から長崎にもたらされ、茂木で種子から育成されて、次第に品種改良され、現在のブランドになったとのこと。しかし奈良・平安時代に唐から伝わった楽器の琵琶、それと何と言っても古来から「近江の海」として有名な琵琶湖、いずれも果物のビワに形状が似ているところからきていると理解しておりましたが、その時代には無かったということになりますね。そういえば果物のビワは漢字では「枇杷」と書きます。よくわかりません??

Dscf4673_0 茂木びわとアメリカ産サクランボ

◆もうひとつこの時期の代表的な果物は「さくらんぼ」、特に山形県産の「佐藤錦」は、色・形・味とも、まるで果物の宝石。これもモノの本によれば、大正元年(1912)から16年かけて、外国産のナポレオンという品種と黄玉を交配してできたそうです。そのブランド名は交配育成した山形県東根市の佐藤英助さんに因んで「佐藤錦」と命名されたとのこと。因みにネットで見ると、高いもので桐の箱に整然と並べられ、1kg24,800円。こんな高級品はどんどん海外のお金持ちにも高く買ってもらい、外貨を稼いでもらいましょう。

◆外国産といえば、カリフォルニア産の赤黒いサクランボがかなり以前から出回るようになりました。安いものですからつい手がでてしまいますが、安めの佐藤錦よりは味が落ちるようです。一昨年来、米国でコドリンガという峨の幼虫が発生したことが判明。農水省は輸出前に臭化メチルくん蒸処理をするよう求めました。しかし今年はワシントン州、オレゴン州、カリフォルニア州からの輸入にはその心配はなくなったということで、くん蒸しない方式での輸入が認められたそうです。なんだかTPPは大丈夫かなとい心配が湧いてきますが、ついつい買ってしまいました。悲しいかな庶民の暮らしです。

2013年5月11日 (土)

「くさや」の話

◆東京に出てきて、伊豆七島の名産「くさや」というものを食べた時の強烈な印象は忘れられない。まるで田舎の野原の畔道辺りで匂う、例の田舎香水と云うやつを思い起こす。瓶詰めのものも匂いはあるが、焼いて食する干物は、強烈な匂いを周囲に撒き散らすので、文字通り鼻つまみにされる。ましてやそれを食するものはゲテモノ食い扱いにされかねない。しかし一方で根強い人気もある。そうでなかったら、名産として長続きはしなかっただろう。

◆この「くさや」と云う食べ物、一旦口に入れると、不思議な表現し難い余韻を残す。もちろん万人向けではなく、これほど好き・嫌いがはっきり分かれる食品も珍しいだろう。東京農業大学の名誉教授で発酵学の大家「小泉武夫」氏はいろんなTVに出演し、知名度抜群だが、自称・他称「味確認飛行物体、走る酒壺、鋼鉄の胃袋、発酵仮面、ムサボリビッチ・カニスキー」など、あだ名も多い。著書も「発酵食品礼讃」、「食に幸あり」、「くさいはうまい」など多数ある。

◆その小泉氏がくさやを生産する伊豆七島に渡って、とある生産業者から買い求め、海岸に持ち込んで七輪で焼き、それをつまみに日本酒をチビチビ。実にご満悦の様子がTVで放映されていた場面を時々思い出す。そういう訳でもないがインターネットで新島の「くさや」(原料はムロアジ)取り寄せてみた。真空パックのもので焼く必要はないが、封を切っただけで、空気清浄器が匂いを敏感にキャッチして、表示ライトが赤に変わり、勢いよく空気を吸い込む。晩酌のつまみに結構いけるが、御内儀は代わりに鼻をつまみ食事と相成る。

Photo *くさやはマアジもあるがムロアジが一般的なようだ。

2013年1月22日 (火)

チャンポンと皿うどん

◆長崎出身ということもあるだろうが、チャンポンや皿うどんが好きである。小生が上京した昭和37、8年頃は都内には知る限り3店ほどしかなく、殆ど行く機会がなかった。そういう事もあって、帰省するたびにチャンポンや皿うどんを食することが楽しみの一つでもあった。母親の手料理で食卓に出てくることもあったが、皿うどんの場合、大人数の時は出前を取り、大皿から各自が取り分けて、ウスターソースをかけて食べるのが一般的な長崎流の食べ方。

◆当時関東では長崎流皿うどんは理解できないようで、パリパリした細麺に肉や野菜を炒めたアンカケ麺を見て、「堅い焼きそばの一種」という認識だった。しかしルーツを辿れば長崎でも最初は出前に便利なように、チャンポンの麺を一度油で揚げて、具をかけスープ使わないような太麺だったようだ。細い麺が上品で食べやすいということで、次第に細麺に変わっていったのではないだろうか。とにかくあのパリパリ感が堪らない。

◆昭和61~63年頃、地方勤務の時代「リンガーハット」という長崎チャンポンを看板にした外食店で食べてみた。ひとくち口に入れて「何じゃ、これは!これがチャンポンか!」と叫びそうになったが、あれから20数年、今や500を超える店舗を展開する全国チェーン店に成長。味も、昔長崎で食べたものと遜色ない程度に変わってきた。関東では好みにより太麺を選択できるようになっている。

Photo  
リンガーハットのチャンポン:「長崎ガイド」ホームページより借用

◆小田原にも1店あって、月に一度くらい昼食に利用している。関東育ちの家内も皿うどんが気に入って、中量のチャンポンと皿うどんを一品ずつ、それに餃子を一皿注文して満腹となる。味の割に値段が驚くほど安いのがいい。関東では和カラシと酢が用意され、酢をかけて食べるのが不思議だった。

Photo_2  
リンガーハットの皿うどん:「長崎ガイド」ホームページより借用


◆関東ではチャンポンよりラーメン。その種類は全国から集まっているので多士済々。長崎ではラーメンと云えば白濁した豚骨スープがメインだが、関東で醤油ラーメンに慣れるまで数年を要した。人間の味覚と云うものは年齢と共に変わるもので、今では福島ルーツの「幸楽苑」のラーメン(薄口醤油味)が最も口に合う。値段も一杯300円程で驚くほど安い。別に宣伝するわけではないが。

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