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2021年10月15日 (金)

緊急事態宣言解除後の長崎旅行(後半)

◆「花月」は流石に長崎一歴史のある料亭だと感じ入ったが、宴会の方は熟練の芸妓さんや地方さんらによる「長崎ぶらぶら節」などの舞い踊りが宴に花を咲かす。また同窓生T君は粋な着物姿で舞台に上がり、上品なご隠居さんかお師匠さんを彷彿させる。その彼がプロ級の喉声で端唄「春雨」(江戸末期に花月で発祥したとか。地方さんとは前日音合わせをしたと後で知る)の披露に及ぶや「ヤンヤヤンヤ」の大歓声。自前の綺麗どころというか、元体操部3人組+1の踊り「長生き音頭」は御捻りが飛び交うほどの賑わいで、本職の方が羨んでいたとか。
最後は長崎県外から参加した出席者が舞台に上がり、校歌「眉秀でたる 若人よ」と「高校3年生」を全員で大合唱。大盛会裏に終了した。

◆翌日は有志参加の軍艦島ツアー。陸上からと映像では何度か観ていたが、上陸して廃墟の跡を間近に見るのは忍びなく、避けていた感があった。しかし、今回いざ上陸して現場に立ってみると、やはり違いを感じる。この端島(軍艦島)は日本の近代化を支えた単なる炭鉱跡ではなく、ピーク時5300人も暮らした日本一人口密度の高い高層住宅群に住み、テレビの普及が最も早かった文化的な生活の一面を併せ持つ。そうした暮らしの跡が垣間見られる遺跡として、2015年世界文化遺産に登録された。やはり一見の価値はある。

◆単独行動になって、改装中の長崎駅を見学。長崎新幹線の開通を控え、在来線の駅と一体化して数百メートル西に移動。県庁や県警本部を含め、周辺の大規模開発で10年前とは様相が一変している。昔の長崎を知る身にとっては驚きと共に一抹の寂しさを感じる。

◆ここ数年の間に、吉村昭の歴史小説「ふぉん・しいほるとの娘」を2度読んだ。そこには幕末長崎の街の姿、庶民の暮らしが仔細に描かれている。小説に惹かれ鳴滝のシーボルト邸跡を訪ねた。シーボルトはこの地に建てた鳴滝塾に、週に一度程出島から通って、全国から来た塾生らに西洋医学を教えた。歩いて通うには結構遠いなという印象。思いの外広い敷地に、当時使われていたと思える古い井戸が残り、閑静な環境だったことが分かる。隣接するシーボルト記念館を覗いて二日目を終えた。

◆最終日に、長崎くんちの氏神を祀る「諏訪神社」を何十年振りかに参拝。神社へ上る階段が急で長く感じたのはやはり齢のせいらしい。中止になったオクンチの痕跡は感じられなかったが、まずまずの人出だった。参拝後、近くにある「長崎歴史文化博物館」に立ち寄り、見学。吉村昭の小説に描かれたオランダ貿易や清国との貿易などの史料・資料・展示物よく分かるようにビジュアル化され展示されている。また長崎奉行所が実物大で復元されており、時代劇ファンにはたまらない場と言えよう。
今回、体力的には疲労を覚えたが、精神的には栄養補給したものと確信して、2泊3日の長崎旅行を有意義に終えた。(了)

 

 

 

 

 

 

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