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2021年10月

2021年10月25日 (月)

衆院選 やってはいけない選択肢

◆岸田内閣が誕生してわずか10日。任期満了直前だったとは言え、短兵急な解散総選挙となった。選挙戦も終盤に突入。野党のバラマキ合戦のオンパレード。確かな政権構想もないまま、票だけが目当てで、統一候補を立て、出来もしない公約をばらまく。そんなことは良識ある国民はとっくに分かっていることだが、新しく選挙権を得た若い人達は本当に判断に困るだろう。

◆12年前、長く続いた自民党政権に嫌気がしたのか、台頭してきた民主党に清新な政治を期待したのか、国民はこの際「自民にお灸を」の意味も込めて(自分もその一人であったが)、当選者302人という世紀の大逆転を演じた。それから3年3ヵ月、3代に亘る民主党政権が続いた。結果的には政権担当能力の無さを露呈し、多くの国民は失望した。特に外交・安全保障の問題では不安を抱えたまま、自公政権に立ち戻った。後に、「悪夢の民主党政権」と言われた。

◆今回の総選挙に当って、各党はコロナ禍における給付金のバラマキ合戦を演じている。その誘因となったものは、昨年の安倍政権の中、国民一人当たり10万円の特別定額給付金の実行だったと言える。財政難と言われているこの時期、大胆な予算の行使に「そんなこと有りか」と気付いたのかもしれない。自公政権は未曽有のコロナ危機に際して、2020年度総予算(含む補正)と21年度当初予算で総計91兆円のコロナ対策を国債発行によってその財源とした。

◆これを民主党政権時代に起きた東日本大震災の復興の為の財源対策と比較してみよう。この時、民主党政権が計上した関連予算は2020年度まで、10年間累計で約38兆円に上る。この巨額な財源は所得税と法人税に上乗せされた臨時増税だった。所得税の2.1%の上乗せはこれからも続く。これは国民全体で負担するという考えで、一見正しい様に見える。しかし、この間所得は伸びず、デフレ状態が続き、日本は世界に大きく後れを取った。当然ながらこの政策は政治主導ではなく、財務省主導だったと言えよう。

◆国債発行による財源の手当てについては詳しくは触れないが、野党も理解したらしい。財政規律を言わないばかりか、逆に大船に乗ったかのように大胆になってきた。この一点をとっても野党の野党の政策に信頼はおけない。野党共闘組む勢力は「政権交代!」を声高に叫ぶ。しかし、実際にそうなったら困るのは当人たちだ。12年前と全然変わっていないだけではなく、その準備も体制も実力も人材も育っていない。

◆仮に政権を獲ったとしたら、予想される内閣の顔ぶれは、枝野総理以下、福山、蓮舫、長妻、原口、辻本、安住、森ゆうこなど。菅、野田、岡田氏の復活も有りか?これはいつか見た顔ぶれ。新鮮味も何もあったものではない。特に今回もっとも警戒すべきは共産党が立憲民主に閣外協力するという。これを「換骨奪胎」、「軒先を貸して母屋を取られる」などという。これは日本が日本でなくなる始まりの第一歩となろう。

 

2021年10月15日 (金)

緊急事態宣言解除後の長崎旅行(後半)

◆「花月」は流石に長崎一歴史のある料亭だと感じ入ったが、宴会の方は熟練の芸妓さんや地方さんらによる「長崎ぶらぶら節」などの舞い踊りが宴に花を咲かす。また同窓生T君は粋な着物姿で舞台に上がり、上品なご隠居さんかお師匠さんを彷彿させる。その彼がプロ級の喉声で端唄「春雨」(江戸末期に花月で発祥したとか。地方さんとは前日音合わせをしたと後で知る)の披露に及ぶや「ヤンヤヤンヤ」の大歓声。自前の綺麗どころというか、元体操部3人組+1の踊り「長生き音頭」は御捻りが飛び交うほどの賑わいで、本職の方が羨んでいたとか。
最後は長崎県外から参加した出席者が舞台に上がり、校歌「眉秀でたる 若人よ」と「高校3年生」を全員で大合唱。大盛会裏に終了した。

◆翌日は有志参加の軍艦島ツアー。陸上からと映像では何度か観ていたが、上陸して廃墟の跡を間近に見るのは忍びなく、避けていた感があった。しかし、今回いざ上陸して現場に立ってみると、やはり違いを感じる。この端島(軍艦島)は日本の近代化を支えた単なる炭鉱跡ではなく、ピーク時5300人も暮らした日本一人口密度の高い高層住宅群に住み、テレビの普及が最も早かった文化的な生活の一面を併せ持つ。そうした暮らしの跡が垣間見られる遺跡として、2015年世界文化遺産に登録された。やはり一見の価値はある。

◆単独行動になって、改装中の長崎駅を見学。長崎新幹線の開通を控え、在来線の駅と一体化して数百メートル西に移動。県庁や県警本部を含め、周辺の大規模開発で10年前とは様相が一変している。昔の長崎を知る身にとっては驚きと共に一抹の寂しさを感じる。

◆ここ数年の間に、吉村昭の歴史小説「ふぉん・しいほるとの娘」を2度読んだ。そこには幕末長崎の街の姿、庶民の暮らしが仔細に描かれている。小説に惹かれ鳴滝のシーボルト邸跡を訪ねた。シーボルトはこの地に建てた鳴滝塾に、週に一度程出島から通って、全国から来た塾生らに西洋医学を教えた。歩いて通うには結構遠いなという印象。思いの外広い敷地に、当時使われていたと思える古い井戸が残り、閑静な環境だったことが分かる。隣接するシーボルト記念館を覗いて二日目を終えた。

◆最終日に、長崎くんちの氏神を祀る「諏訪神社」を何十年振りかに参拝。神社へ上る階段が急で長く感じたのはやはり齢のせいらしい。中止になったオクンチの痕跡は感じられなかったが、まずまずの人出だった。参拝後、近くにある「長崎歴史文化博物館」に立ち寄り、見学。吉村昭の小説に描かれたオランダ貿易や清国との貿易などの史料・資料・展示物よく分かるようにビジュアル化され展示されている。また長崎奉行所が実物大で復元されており、時代劇ファンにはたまらない場と言えよう。
今回、体力的には疲労を覚えたが、精神的には栄養補給したものと確信して、2泊3日の長崎旅行を有意義に終えた。(了)

 

 

 

 

 

 

緊急事態宣言解除後の長崎旅行(前半)

◆10月6日から8日まで、2泊3日の日程で長崎を訪れた。本来なら昨年5月、長崎西高の「喜寿記念同窓会」出席が目的であったが、その後コロナ禍にあって今年5月に延期されたもの。ところが、長引くコロナの蔓延で、更なる延期を余儀なくされ、見切り発車というか幹事団の英断で10月6日に再延長することに決定(半年前の事だった)。ちょうどタイミングよく、政府は9月30日「緊急事態も蔓延防止も」全国的に解除を決定した。まさに解除決定後の「恐る恐る状態」の中での開催と相成った。

◆またこの時期、長崎は江戸時代から続く「長崎くんち」(7日~9日)が開催される。この奉納踊りの桟敷席を予約するのが大変で、過去桟敷席から観たことは一度もない。そのプラチナ・チケットを長崎の顔役となっている同窓生S君が同窓会参加者で希望者全員分を手配してくれるというので、これは大きなインセンティブとなっていた。ところが開催実行の決断は準備や練習のため時間を要すとのことで、6月に中止と決定された。これで2年連続の中止となり、大変残念なことではあったが、同窓会の方は予定通り実行することに決まった。

◆さて同窓会の当日、10月6日夕方5時頃、場所は長崎一の料亭「花月」。幕末維新の歴史の舞台として数々登場し、映画やドラマ、旅番組でもお馴染みの古い歴史と風格を持つ料亭だ。近くは、なかにし礼の「長崎ぶらぶら節」でも有名になった。その「花月」に三々五々と人生の荒波を超えてきた老々男女が集まってくる。待ち合わせの広間ではアチコチで歓声が上がり、昔話に花が咲く。始まるまでの間、よく手入れされた日本庭園や室内調度品、歴史的文献などを見学。坂本龍馬が柱に付けたという刀傷跡なども見る。

◆会場大広間では一つの卓袱を5人が囲み、計10卓が配置され、密でも疎でもなくちょうどいい状態。仕切りのアクリル板など無粋なものはなく、はじまれば自然にマスクは外れていく。入場した時ワクチン接種済みのエビデンスを求められることもなく、興が増すにつれ酒量は進み、声は大きくなる。大丈夫かなという思いもよぎるが、客を信頼しているということなのか。上品な味の卓袱料理が続く。刺身は長崎ではブリ、カンパチ、ヒラマサ、タイなどが主だが、やはり他で食べるものとはかなり違う。旨い!料理を運ぶ仲居さん達の数の多さに驚く(続く)

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