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2021年9月13日 (月)

菅総理の功績と菅後の日本の政治(3)

2.コロナ禍での東京オリンピックとパラリンピック開催の決断(上)

◆2020年、新型コロナウィルスの世界的パンデミックにより1年延長となった”東京2020オリンピックとパラリンピック”。しかし1年経っても収まるどころか、型を変え質を変え猛威を振るった。一方、次第にその正体が判明し、ワクチンも開発され、日本でも高齢者・医療従事者にワクチンの接種が始まっていた。

◆そのような状況にあって、オリパラの開催に消極的、批判的な動きが起こった。「国内すべて自粛ムードの中にあって、何故オリパラだけはOKなのか。海外からさらに持ち込まれて感染拡大したら誰が責任をとるのか」こうした声に本来積極的対応をするはずのメディアまで同調したかのような動きを示した。立憲民主党の枝野代表は「選手や関係者の来日は世界の変異株の展示会みたいになる」とまで、反対論帳を展開した。

◆その背景には、様々な不祥事、会長交代、競技場の設計変更、会場地の変更、聖火リレーの大幅予定変更、ボランティアの相次ぐ辞退などマイナス・イメージが働いたことも否めない。だが、こういう状況にあっても筆者は「始まってしまえば、日本は旨くやれる。メディアも豹変し、選手の活躍、躍動をを伝え、国民はテレビを通して感動を覚える。そうなるはずだ」と確信していた。

◆しかし、開催か再延長か、それとも中止して開催返上か、大きな決断を迫られた。IOC、組織委員会、東京都、そして国を代表する総理大臣、様々な重圧があったと思われる。そして決断の時が来て、最終的に無観客開催に決定した。少し失望したが、開催延期や中止するよりはましだった。この裏には菅総理の決断が大きく働いたと確信する。(続く)

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