路面電車、長崎から小田原へ里帰り
◆「長崎市内を走っていた路面電車が小田原市に里帰りした」と話題になっています。長崎の市電はいろんな意味で全国的に有名です。私が小学~高校の頃(昭和25年~38年頃)、市内を走っていた電車の中には、全国で廃止された路面電車が再利用され、再び活躍の場を見つけたものがいくつもあったようです。そうした中で、昭和31年5月、小田原市内の路面電車の廃止に伴い、うち5両が長崎市に譲渡され、昭和32年から昭和60年頃まで現役車両として活躍していたそうです。
このほど、長崎の浦上車庫に残っていた最後の車両を小田原に里帰りさせる計画が、関係者の努力と長崎電気軌道の協力のもと実現しました。
2019年3月に長崎で「さよなら運行」して、2020年12月小田原に里帰りしました。本年2月に小田原城近くの国道1号線に面した報徳広場に設営・保存されています。車体のスカイ・ブルーは小田原市内を走っていた時のカラーとのこと。
◆実はこのチンチン電車、もっと深い歴史があったのです。誕生は大正15年(1925)、最初の勤務地は東京王子電気軌道(現都電荒川線)でした。その後昭和27年(1952)に小田原市の路面電車に転身。ついで昭和32年(1957)から長崎勤務となり、晩年はまだ走行可能の状態で、浦上車庫内で余生を暮らしておりました。その間木製から鉄製に改修されるなど、何度か手を加えらましたが、2019年の長崎での「さよなら・ラン」を最後に、94年の長い歴史の幕を閉じることになりました。大正、昭和(戦前・戦後)、平成、令和と大きく変わる歴史の流れを見続けた貴重なチンチン電車だったと言えるでしょう。 (手前の像は二宮金次郎像)
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