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2021年3月10日 (水)

少年時代の心象風景(4)

第四話 キリシタンの島の漁村風景
◆前回触れたネズミ島の対岸に小瀬戸という集落があった。(現在は小瀬戸町)ネズミ島との間は100mもなかった。桟橋からは海底の白砂が透き通って見えていた。子供の頃の話だが、小瀬戸の先に神ノ島という集落があった。この島に祖父母の家があって、幼稚園に通う間この家に住んでいた。戦前からこの島と小瀬戸の間を埋立て、陸続きにする工事が始まっていたが、戦争のため、中断されていた。

◆小学校の頃、神ノ島に行く手段は大波止から30~40分かけて、定期便に乗るしかなかった。勤め人も学生も皆利用していた。神ノ島~小瀬戸間は干潮時には大きな岩や石が姿を現し、満潮になればその一部が水面に頭を出すという状態だった。埋立て完了から何十年か経って、現在では広大な敷地に工業団地などが建っている。市の中央部から神ノ島町までのバスの便は格段に良くなっている。

◆話を子供の頃の神ノ島の体験に戻す。毎年夏休みには10日ほど弟と島で過ごした。近所の子供たちと裏の磯に行っては、泳いだり、潜ったり、巻貝などを獲ったりした。腹が減っては近所の子供が近くの畑からさつま芋を掘り出し、海水で洗っては「食え」と差し出す。生のまま齧った。収穫物は持ち帰り茹でてもらって、おやつになった。また大人たちの櫓漕ぎの小舟に乗せてもらって、釣りもやった。小魚が結構釣れた。赤銅色に焼けた青年が鉾を持って船から飛び降り、潜った。しばらくすると、鉾先にはクネクネと動く大きな蛸が突き刺っていた。今から思えば、貧しいながらも豊かな自然と共存した生活は、貴重な財産となった。

◆島の住民のほとんどはカソリック教徒。日曜日には島の中央にある教会に集まる。ミサが始まるが、これは苦手だった。通った幼稚園はこの教会の付属の幼稚園だったが、クリスマスのこと、学芸会の事、幼稚園の下の磯で遊んだことなど心象風景として残っている。
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磯浜で遊ぶ幼稚園生、女の子は着物姿が多い。マリア像は今も外港を見ている。

◆長崎港を囲む古くからの漁村や集落は、それぞれペーロン(ボート競走艇)を擁し、各漁村の名誉をかけて夏のペーロン大会に臨む。初夏から各艇は青年・壮年混合チームを作り、夕方から練習に余念がない。小学校1,2の頃、このペーロンに載せてもらったことがある。心地よい太鼓のリズムと船の揺れが子守歌になったのか、つウトウト眠ってしまった。文字通り波枕とはこのことだったのか。
余談だが、西高時代の同期のJ君は長崎大学時代、居住していた地域のチームに勧誘されてペーロンを漕いだという。定年後に聞いた話だが、羨ましい限りだった。ペーロンは現在では市内の企業、学校なども参加する一大行事となっている。(続く) 

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