2022年4月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ

最近のトラックバック

« 2020年9月 | トップページ | 2020年12月 »

2020年10月

2020年10月10日 (土)

「日本学術会議会員」の任命拒否の問題、是非を問う。

◆菅政権による「日本学術会議会員」6名の任命拒否問題が国民の関心を呼ぶ大きな問題にまで発展している。野党やメディアが主張する「学問の自由への侵害」は一見尤もらしいが、実はとんでもない暴論だ。日本学術会議がいくら独立性を主張しようと、政府の組織の一部であり、その会員は特別職公務員であって、「日本学術会議」自体が国の予算を基に存続している以上、政権の監視が及ばないという事は在り得ないからだ。つまり「口出しはするな。金だけ黙って寄こせ」というのが学術会議側の主張。逆に「学術会議会員でなければ学問の自由は無くなるのですか」と問いたい。

◆今回、日本学術会議・野党・メディアらが6名の任命拒否の理由を明らかにせよと声高らかに叫ぶが、多くの関係者はその理由は分かっているはずだ。それを明かせば互いにキズが付くから、「分かっているだろう、察してくれ」というのが政府の本音だろう。説明しない原因とは何だろうか。まず、学術会議側の要因をあげれば、210名の会員になることは、たぶんに最終的な学者としてのステイタスだ。それを一部の役員間で内々に選ぶという慣行に対し、他から口出しされたくないということはあるだろう。つまり既得権益を守りたいということに他ならない。

◆菅政権はこうした悪しき前例主義を改めたいという基本スタンスがあるので、先にあげた理屈で押し通すとすれば、今まで認められてきた前例を壊すのかという感情論とのぶつかり合いにならざるを得ない。さらに6名の特定の学者が任命拒否された個々の理由について触れていないと主張するだろう。しかし人事の内容について個々の事情を明らかにするということは個人のプライバシーにも関わってくることでもあり、凡そ一般的ではない。

◆実は想定される真の理由は、任命を拒否された6人が過去に安保法制や特定秘密保護法、集団的自衛権法案などで反政府的言動を繰り返し示してきたことが根底にあるのかもしれない。彼らは左翼勢力特に共産党との繋がりがはっきりしており、日本の安全保障上好ましくないばかりか、それを妨害する存在であるからだろう。しかし、それを表明すれば彼らは「思想信条の自由の侵害だ」と言って騒ぎ出してくることは火を見るより明らか。即ち、「それを言っちゃ~お終いよ」というやつだ。

◆任命拒否の理由を強く求めれば、「日本学術会議」そのものの在り方が問われ、解体論と共に、民間団体としての再編成論議が起こって、(すでに自民党内でその動きがあり)「学問の自由を旗印にして、好きなようにやってください」ということになりかねない。そうなっては既得権益も失い、元も子もなくなるから、「あまり深く突っ込むとお互いの為になりませんよ」というメッセージなのではなかろうか。しかし、国民への説明がないと国民は「何かいかがわしいことが裏にあるのではないか」という疑念を持ち続けることになりかねない。政府としては「痛し痒し」といったとこだろうが、この際真に国の為になる「新しいアカデミー体制」を打ち出すべきだろう。

2020年10月 9日 (金)

誕生して3週間余、フル回転する菅政権

菅政権が発足して3週間余。「行政の縦割り既得権益悪しき前例主義の打破国民のために働く内閣」のキャッチフレーズ通り、次々と新政策を打ち出し、連日話題に事欠かない状況だ。まず河野行革担当大臣が「縦割り110番の設置」、「書面・対面主義の見直し」、「行政手続きでの脱ハンコ」などを打ち出し、改革の牽引役として、発足当日から獅子奮迅の活躍をしている。
菅総理自身も、携帯料金の値下げ不妊治療の保険適用行政のデジタル化などを打ち出し、任命された平井デジタル担当大臣は計画を前倒ししようと奮闘している。その他にもあまり目立たないが、刮目すべき動きが出てきた。(日本学術会議会員の任命問題については次号で別途言及

自衛隊基地の周辺や離島、原発施設周辺など、安全保障上の重要な土地を外国人らが取得することへの監視を強化する法律の制定
数年前から対馬や北海道の自衛隊施設周辺で韓国人や中国人など外国人が土地を購入しているという情報が流れていたが、まだ何の手も打っていなかったのかという驚きが先に立った。周辺地の所有者の国籍などを調査したうえで、安全対策につなげる仕組みを整備する方針だという。来年の通常国会に法案を提出したい考えだというが、一日も早く制定して欲しいものだ。

「核のゴミ」問題、北海道の2町村が名乗り。アッパレ!
核のゴミ処分場の選定問題は「待ったなし」の状況だが、国内各自治体はどこも他人事みたいに、この問題から目を背けている。ここにきて、北海道の寿都町神恵内村の2村が第一段階の「文献調査」に名乗りを上げた。これに対し、20億円の補助金目当てだと批判する声も上がるが、この狭い日本、どこかが引き受けなければ、話は進まない。「政府の責任だ、過去の原発行政が悪い」などと批判しても、溜まり続ける核のゴミを前にしては何も始まらない。例え20億円が目当てだとしても、財政で苦労している過疎の寒村を批判できようか。土俵に上げてくれただけでもアッパレと言えよう。

2020年10月 1日 (木)

今日から10月

月が変わって、今日から10月。先月の28日、富士山は初冠雪で6合目までベールを被ったような雪化粧に覆われた。これは何日も続かないだろうと思ったら、案の定3日も経ったら、すっかり元の黒い富士山に戻ってしまった。
しかし、時の経つのは本当に早いものだ。人生も終盤を迎えた今、つくづく感じる。翻って子供の頃、時の経つのが遅かった。夏休みの40日が長かった。時間だけではなく、空間(広がり)も大きかった。卒業後数10年経って、小学校の校庭に立った時、こんなに狭かったのかと驚いた。しかし、考えれば当然のことだった。目線の高さは1.5倍以上になっているし、時の経過も時間に追われる毎日となり、時の速さを恨んだりもした。

中国の古典名言に、時の速さを表現する言葉が数多くある。「光陰(歳月)は矢の如し」は最もポピュラーな言葉だろう。矢の如しは中国らしい大仰な感がするが、考えてみればそうでもない。現代人の祖先と言われるホモ・サピエンスの出現が今から20万年前、人の一生を80年としたら、まさに矢が飛ぶような速さだろう。同様な言葉に「光陰逝水の如し」、「光陰流水の如し」もある。
光陰人を待たず歳月人を待たず」は時は人を待ってくれないとの箴言だが、「少年老い易く学成り難し一寸の光陰軽んずべからず」は今となってはズシリと胸に響く名言だ。
「光陰流水の如し」で連想するのが、「行雲流水」だ。空行く雲や流れる水のように、自然のままに自由に生きる心境になりたいものだ。

 

« 2020年9月 | トップページ | 2020年12月 »