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2018年8月12日 (日)

「クジラ食文化」の復活を

1週間ほど前、鎌倉市の由比ガ浜海水浴場に、体長10.5mのシロナガスクジラの子供と見られる死骸が漂着した。クジラの迷い込みや漂着はそれほど珍しいことではない。数年前、相模湾に面した我が家の近くの砂浜でも、6mほどのザトウクジラの子供の死骸が打ちあがった。しかし、シロナガスクジラの漂着は非常に珍しく、国内では初めてらしい。
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推察だが、国際捕鯨取締条約によって1970年後半から、シロナガスクジラなどの大型クジラの捕鯨が禁止され、1986年から商業捕鯨が完全に規制された。これにより許可された一部の調査捕鯨のみとなり、大型クジラにとって天敵の人間から捕殺されることがなくなった。その結果、シロナガスやナガスクジラなどの生息数も増えて、日本近海にも回遊するケースが増えてきたのではなかろうか。ところが大型クジラが増えてきたため、イワシやサンマなどの小魚が減り、それらを餌とするマグロなどの漁獲高も減ってきている。
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クジラが増え過ぎたという科学的なデータはまだ確認されていない。しかし、ある程度増えた段階では、国際的合意を前提に捕獲可能種類や頭数などを取り決め、捕獲を認めることを検討してもよいのではないか。なお、その際入札制度を採用するなどして、その資金はクジラ資源の保持のために充てればよい。鯨食文化は何も日本の専売特許ではない。世界各地の沿岸部では古くから鯨肉を食していた。中世ヨーロッパにおいては、特にイルカが食用として好まれた。今では信じられない話だが、イルカは比較的最近まで欧米諸国で食用とされた経緯があり、英国の宮廷では17世紀頃までイルカの肉が供された。
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しかし、沿岸鯨類資源は乱獲により次第に枯渇していき、漁場が沿岸から遠洋へと移動するにつれ、冷蔵・冷凍技術がない当時においては、徐々に食用とすることができなくなっていった。それにも拘らず19世紀から20世紀にかけて競うように捕鯨が継続された理由は、鯨油やクジラヒゲなどに工業原料としての価値があった為である。欧米全体で見ると、鯨を食用とする発想そのものが失われていった。但し、ノルウェーやアイスランドなど沿岸での捕鯨が継続された地域では、例外的に鯨肉食が残存している。北極圏の先住民にも、鯨食の文化があり、今でも国際捕鯨委員会より特定の鯨の捕獲が認められている。
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伝統と歴史のある日本のクジラ食文化については他国と本質的に異なることは改めて述べるまでもないが、南氷洋の国際捕鯨が禁止に転じてから、日本のクジラ食が批判に晒されることになった。クジラを食することが野蛮な行為と映り、「可哀そう」という情緒的感情が先だったからに他ならない。また、半世紀近い鯨の食文化の断絶で、若い世代を中心にそれを受け入れる傾向が増えてきたことは残念でならない。日本は増え過ぎによる弊害や適性数の維持について科学的に説得する努力を継続しなければならない。和食が世界的な評価を得ている。鯨肉もその食材の一環であるという理解を得るような努力も必要ではなかろうか。
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