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2018年6月

2018年6月23日 (土)

国歌「君が代」に思う

サッカー・ワールドカップ ロシア大会。初戦の強豪コロンビアに快勝したことで、日本中が盛り上がっている。次のセネガル、ポーランド戦の健闘が期待されるところだが、スポーツの国際大会ほど、国がひとつになるということを実感させられることはない。特に国旗掲揚国歌演奏では、どこの国民であっても、誰しもが自国への愛着を感じる瞬間だろう。「日の丸」の掲揚、「君が代」の演奏は、学校行事で敢えて反抗する教師だろうが、憲法改正反対を唱える野党であろうが、考え方の右・左に拘らず、こうした国際スポーツ大会にあっては、国への愛着心が自然発生的に芽生え、「日の丸」の掲揚と「君が代」の演奏が自然に受け入れられている証ではないだろうか。
       ◇         ◇        ◇
国歌「君が代」の誕生の経緯については様々言われているが、明治期早々、日本が海外諸国との交流に当たって、外交儀礼の場で国歌が必要であることを知るようになる。当時、日本には国歌という概念自体がなかった。このままでは文明国扱いされないので、急遽作ることに相成った。いい歌詞はないかと既成のものを探したところ、『古今和歌集』の詠み人知らずの短歌「君が代」が選ばれた。
       ◇         ◇        ◇
当初は「我が君は」で始まったが、平安時代末期に「君が代は」に言い換えられたと言われる。歌詞の内容は、「君」というのは天皇だけでなく、将軍という意味や、目の前の「あなた」という意味でも1000年ぐらいの間に使われ、その人が「千代に八千代に」健康で長寿であるようにとの祝いの歌として使われてきた。江戸時代にはポピュラーソングだったという歴史さえあったという。英国はじめ多くの君主国は、「国王万歳」という国歌を作っている。「君」を天皇ととらえれば、これはちょうどいいとなったようだ。
       ◇         ◇        ◇
作曲は国歌の制定を進言した英国人軍楽隊長フェントンが当たったが、讃美歌調のため不評だった。そこで宮内省の奥好義が付けた旋律に、雅楽奏者の林廣守が曲を起し、ドイツの海軍軍楽教師エッケルトが五線譜に直して、西洋和声をつけて編曲、1880年に「君が代」が完成した。この「君が代」は子供の頃は歌いにくく、古臭くて好きではなかった。しかし齢を重ねるに従い、その良さが分かってきた。この歌には1500年近い日本の歴史と伝統を感じさせ、庶民にも愛されてきた歌であり、重厚・荘厳な曲調であり、また明治期の国際化の中で外国人も一翼を担って誕生したという背景を併せ持つ。
国際スポーツ大会において、選手たちには「気を引き締め、奮い立たせる」歌であり、サポーターには「選手たちと心をひとつにさせてくれる」歌でもある。まさに日本の国歌として最高・最適な国歌ではなかろうか。


       「君が代」        歌詞:古今和歌集「詠み人知らず」
                      作曲:林 廣守
 
       
君が代は  千代に八千代に  さざれ石の 
                巌となりて    苔のむすまで

        


    

2018年6月18日 (月)

江戸の敵を長崎で討つ

「江戸の敵を長崎討つ」という慣用句がある。偶然予想もしなかったような場所で、積年の恨みをはらす、の意味で使われていたようだが、今日ではこの慣用句自体廃れてきた感がある。しかし、この慣用句は間違って伝わったもので、もともとは「江戸の敵を長崎討つ」というのが正しいのだそうだ。
 ものの本によれば、江戸時代、文政年間に大阪の一田七正郎という職人が巨大な涅槃像を竹細工で作り、浅草で展示に供した。これが大好評を博したが、江戸の職人たちにとっては面白くない。江戸っ子気質で負けてはならじと、布袋の像を作って対抗したが、にわか作りのこととて、大阪陣に完敗を喫してしまった。
 ところがちょうど同じころ、江戸で、長崎からきた興行師がオランダ船の見世物を打った。あちこちが機械仕掛けで動くカラクリ使用の模型船で、大砲の轟音までおまけについていた。人気は非常に高く、先の大阪の竹細工は大きく水をあけられた。
そこで、「江戸の敵を長崎が討った」と言われ始め、いつの間にか由来が忘れられて、「長崎」が、「長崎」に変わっていったのだという。

~で」は場所を表し、「~が」は主語を表す。大きく意味は異なるが、「北朝鮮が非核化を目指す」が、いつの間にか「朝鮮半島の非核化に」変わってしまった。主語と場所が曖昧になると、こういうぼやけた表現になるという典型例ではなかろうか。

2018年6月15日 (金)

「女」の付く字を分析すれば

漢字に纏わる面白い記述を見つけた。
」という字はもともと、左右の手を重ねて、科(しな)を作り、ひざまづいている女性のさまをかたどった象形文字が原点となっている。
その「女」を部首にした漢字には、(若い女の美しさ、好ましい、好む、よい)、(アイ、目元が美しい、美人)、(ケン、うつくしい、見目がよい)、(キ、ひめ)、(ミョウ、たえなる、しなやか)、(シャク、麗しい)、(キョウ、なまめかしい)など、さすが女性の美しさをもとにして作られた字が多い。

だが、そうでない漢字も少なくなく、だれが考えたのか、その字源のナゾを解けば、女性からおしかりを受けそうなコジツケがあると言うのだ。

としてもっともいときが「」時代、(たそがれ)ないうちに挙げるのが結式。新郎に抱かれて寝に横たわると夫婦生活が「」まる。夫に体をせて身をわせると「妊娠」する。亭主の鼻につくようになると、女編に鼻と書いて「かかあ」と呼ばれる。息子が色気づいてばかり目が向くと、勉強の「げ」になると教育ママがる。夫の浮気を嗅ぎだしてはのようになって「(や)」き、相手の女が(にくい)と、ヒステリックに「(ねた)」む。この現象を嫉妬と呼ぶ。着飾ってクラス会とやらに出かければ、女三人寄って「(かしま)しい。若い男に言い寄られると、柳を描いて「(こび)」を売る。
そろそろ我が家でも「」をって孫の顔でも見たいと息子に「(めと)」らせる。女も長い間やっているとくなり、「」(しゅうとめ)と言われて煙たがれる。肌もうって「」となり、頭にをいただいて「(やもめ)」となる。最後はいて「(うば)」となって女の一生は終わる。

2018年6月 9日 (土)

「飛んで火にいる夏の虫」の話

「飛んで火にいる夏の虫」という諺がある。夏の夜、灯火を目がけて飛んでくる羽虫がその火に焼かれて死んでしまうことから、一般的には、自分から進んで身を投じることの例えに使われる。 「今敵陣に乗り込めば、それこそ飛んで火にいる夏の虫だ」というような使われ方をする。昆虫が光に向かって飛ぶ習性を利用して、害虫を駆除する誘蛾灯などに使われる。昆虫はその波長の光に最もよく感応することから、進んで飛び込んでいるように見えるが、ある昆虫学者の研究によると、光が好きで遠くから光を目がけて飛んでくるのではなくて、飛び立った空間を漂流しているうちに、光の刺激によって、嫌でもその光源に飛び込まされてしまうと言うのだ。
           ◇             ◇           ◇
つまり、昆虫が能動的に「光」に飛び込むのではなく、受動的に「光」に飛び込まされてしまうと言う説だが、虫などは心理活動を持たないから、光や熱などの自然界の要因から直接の刺激を受けて行動を変えさせられる。人間はそれらを克服しようとする意志を働かせるから、虫とは違う。我々の周りは刺激の源だらけだ。それを避けようとして余計に緊張を高めることがある。普通に打てば何のこともないのに、ハエを意識するあまり、強く叩いて結局打ち損じてしまうことがある。よくスポーツ選手で、練習では妙技を見せるのに、本番になると力を発揮できず負けてしまうケースが間々ある。これも心理的刺激を強く受けすぎるがための影響だろう。
           ◇             ◇           ◇
「失敗はすまい。あれだけは避けよう」と思い詰めていると、そういう感覚自体が刺激源となって、失敗の道に引き込まれてしまいがちになる。今年の読売ジャイアンツは昨年同様、心理的刺激を強く受け過ぎ、失敗の道に引き込まれてしまった感がある。セ・パ交流戦に入って、ついに最下位に転落してしまった。
巨人は他球団以上に観客が多く、いつも満席状態の中で、プレッシャーが強く働く。「失敗はしまい。いいところを見せよう」といった心理的刺激を自ら働かせ過ぎて、結局失敗の泥沼に陥ってしまっている。巨人から転出したDeNAのロペスや日ハムの大田など、水を得た魚のように伸び伸びと活躍している。一方他球団で活躍した外国人選手が巨人に入団した途端、期待外れの成績しか残していない。これらは正にそのことを如実に物語っていると言えよう。今求められるものは、夏の虫になって火に飛び込むことではなく、火を見て楽しむ余裕を持つことだ。

2018年6月 3日 (日)

数詞の三桁区切りと四桁区切り

数のケタ区切りは世界的には三ケタ区切りが一般的だが、本来日本では四ケタ区切りが主流だった。しかし、世界中どこの国を探しても、日本語の数詞ほど整然と首尾一貫して合理的な数詞は存在しない。日本では一、十、百、千、万と整然と位取りが上がる。九十九の上は十が10個で百、百が10個で千、千が10個で万と整然としている。さらに十万、百万、千万、一億、十億、百億、千億、一兆・・・と4桁ごとに位取りが上がるという整然とした理論で成り立っている。
             ◇       ◇       ◇
即ち、10の1乗=10、10の2乗=100、10の3乗=1000で、1にゼロが4個で1万(10の4乗)、ゼロが8個で1億(10の8乗・・1万の1万倍)、ゼロが12個で1兆(10の12乗・・1億の1万倍)、ゼロが16個で1京(10の16乗・・1億の1億倍)、というようにゼロが4個ずつ増えていくに従い、桁の呼びかたが変わっていく。因みに10の68乗が無量という呼び方になるが、まさに天文的数字が続くことになる。ゼロの数が多くなると(数字が多くなればなるほど)読み取りにくくなる。日本本来の数字の桁取りは4桁区切りだった。
例えば1(兆),2345(億),6789(万),0123などと4桁区切りで表示すれば、大変読みやすい。これを1,234,567,890,123と3桁区切りの表示にすれば、読み辛いこと甚だしい。

             ◇       ◇       ◇
英語の場合、基数は 1(one)~10(ten)・・だが、日本式ルールに従えば11=ten-one、12=ten-two、13=ten-three、・・、19=ten-nine、20=two-tensとなるはずだ。ところが実際は、11=Eleven、12=Twelve、13=Thirteen、・・、19=Nineteen、20=Twentyとなる。21以上になると日本式ルールに近くなり、Twenty one、22=twenty two、23=Twenty threeとなる。
11=Eleven、12=Twelveは序数(物の順序を表現する言い方で、英語の"first","second",
"third"はそれぞれ「1」「2」「3」の序数)から来ているもので、基数と序数の混在がやや複雑化させている要因だ。1000=1 thousand (10の3乗)、百万=1million (10の6乗)、10億=1billion (10の9乗)と3桁ごとに位が上がっていく。即ち西欧式は3桁区切りであり、西洋式読み方にマッチしたもの。これを日本式に読むと大変読み辛い表記方法となる。

             ◇       ◇       ◇
しかし、近年は役所やビジネスの文書でも、マスコミや学校教育でも西欧方式の3桁区切りが浸透、日本本来のソロバンでさえ3桁区切りの仕様となった。本来優れた日本式数字の表記・呼称は今や西欧式のそれに駆逐され、3桁区切りがグローバル・スタンダードとなってしまった。PCまでに組み込まれてしまい、もはや4桁区切りに戻すことは不可能だ。しかし、このことは現在日本社会においても、相通じるものがあるように思える。日本は優れた技術や業績を残すことはあっても、それが世界的標準になることは少ない。何か特別な問題を抱えているのだろうか。

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