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2018年4月 7日 (土)

防衛省の日報問題の本質を探る(上)

◆「隠蔽されていた陸上自営隊の日報が見つかった」、「シビリアンコントロールが機能していない」、「大問題だ!」などと政界もメディアも大騒ぎだ。確かに組織内の文書管理の在り方、情報公開のルール等はより明確化され、遵守されなければならない。しかし、ことの本質はこれだけの話ではない。本質はどこにあるのか、探ってみたい。
そもそも自衛隊に問題があった場合、現場の最高責任者である陸・海・空・
幕僚監部や統合幕僚長を国会に招致して喚問すればよい。ところが、どういう訳だか自衛官は委員会等に参加できないと言う不文律があると言う。どうもこの辺に問題の本質に迫る糸口がありそうだ。

◆防衛省に関連する問題の国会答弁や、予算割り振り、人事権などの重要事項の決定権は防衛者の背広組、即ち官僚が行っており、彼らは現場に立つ自衛官制服組)よりも偉いと勘違いしているようだ。それでいて、いざというときには命を張って、最前列に立たされるのは制服組であり、防衛省と自衛隊は明確に区別されている。何故なら自衛隊は旧日本軍の残滓と位置づけされ、未だその名残を引きずっていると見られているという。

◆信じられない話だが、自衛隊がクーデターなどを起こさないように監視しているのが防衛省であり、文官(キャリア官僚)や背広組と呼ばれている連中だと言う。これが文民統制、いわゆるシビリアンコントロールの実態であり、防衛官僚は自衛隊を見下し、自衛隊は防衛官僚を憎悪している図式が生じる。なお、国家安全保障会議には防衛省の官僚(背広組)は参加しているが、幕僚等の自衛官は参加していないという。これが安全保障会議の実態だとすれば、国の防衛は本当に大丈夫なのかと疑わざるを得ない。

◆こうした歪んだ軍隊を作ってしまったのが、戦後の日本政府と国会、引いては「日本国憲法」に行きつく。だから国会喚問で、自衛隊制服組を招致しないのは、与党にも野党にも何か不味いことがあるのかと勘繰りたくなる。国防という国の基本政策に、軍の経験もない事務屋さんが防衛省のトップになるのは、「日本軍を復活させないため」という大義名分があるという理屈らしい。背広組と制服組の身分・待遇格差は、2015年に紛糾した安保関連法で変更された。背広組と制服組を対等に位置付けた改正防衛省設置法で、制服組は安全保障政策の意思決定に関与できるようになった。とは言っても、防衛省のトップである事務次官にはまだ防衛官僚しかなれないという。(続く)

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