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2018年4月 8日 (日)

防衛省の日報問題の本質を探る(中)

◆自衛隊制服組と防衛省背広組の身分・待遇格差については先に触れたが、今回の日報問題の発覚過程を見ると、制服組の背広組に対する反乱ではないかと思える節がある。「南スーダンPKOで起きた銃撃戦」の日報に書かれた「戦闘」という表現がキーワードになっていたと言う。現場では攻撃を受けたら止むを得ず自衛のために応戦することはあるだろうが、それを「戦闘」と表現した。これが建前上不味いとされ、報告書を隠蔽しようとした一因となった。何故ならPKOにおいては自衛隊は戦闘しないという建前になっており、国会等で野党から追及されるからだ。しかし、この隠蔽が発覚し、結局「資料を出せ、無い」の騒ぎとなり、「犯人扱い」された自衛隊制服組は防衛省の不正をマスコミに流す事で反撃に出た。最終的に当時の稲田防衛大臣、事務次官、陸上幕僚長が退任や辞任に追い込まれた。

◆結果的に陸自が事務次官のクビを取ったが、騒動はこれで収まらず、官僚による報復や制服組のさらなる暴露合戦が続いている。問題は「戦闘」を「衝突」などと言い繕って、その場しのぎで胡麻化したことだ。野党も露見した隠ぺい問題を取り上げ、文民統制が機能していないなどと追及する。すべて正直にありのままに国民に説明し、理解を求めていればこれほど大きな問題になっていなかっただろう。但し、防衛機密上公開できないこともあり得る。それらは一定の時間が経ったら公表する。そのルールを明確にすることが大切だ。しかし、これらは問題の本質ではない。

◆そもそも何故、PKO(国連平和維持活動)に参加するのか。もともと日本は憲法上の制約があり、自衛隊の海外派遣は憲法違反の疑義ありとして、消極的だった。1990年代初頭において、湾岸戦争が勃発すると、日本の国際貢献が問われる事態となった。日本は軍隊を出せない代わりに巨額の資金を供出した。これが結局「日本は金は出すが、汗をかかない」と不興を買った。その結果、1991年に自衛隊の掃海艇がペルシャ湾に派遣され、一応の面目を保った。こうしたチグハグな態度の根本要因は、最終的に憲法問題に帰するところが大きい。

◆1990年代以降の海外情勢の変化に伴い、日本では1992年にPKO協力法を成立させた。派遣にあたっては、紛争当事者間の停戦合意、紛争当事者の受け入れ同意、武器使用は必要最小限とする、などの「参加五原則」を設けた。しかし、実際の現場では、「原則が歪められたから、ハイ、サヨナラ」とはいかないこともあるだろう。現場では参加各国との協調姿勢も大切だ。PKOは、情勢により危険を伴う任務もあり、日本が今後どのように関与していくかについて、実際に経験した制服組の意見も呈して、議論されなければならない。要は現地指揮官と統幕、防衛省、官邸との信頼関係こそ大切だ。(続く)

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