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2018年4月17日 (火)

明治150年の歴史から何を学ぶか(6)

【統帥権とは】
前回の最後の部分で統帥権のことに触れたが、統帥とは、軍隊を統べ率いることである。大日本帝国憲法第11条には、「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」とある。これを根拠に軍部は統帥事項を内閣や議会の管轄から独立させ、昭和に入ってからは、陸海軍当局が天皇直結であると拡大解釈して、暴走したことがことの本質だった。元来は、政争の道具として軍隊に利用されないように、元勲が企図したものだった。明治の頃にはまだ元老たちが健在で、軍が勝手な行動をとらないよう睨みを利かせていたから、鬼っ子が暴れ出すまでには至らなかった。


統帥権は慣習法的に軍令機関(陸軍参謀本部・海軍軍令部)の専権とされ、シビリアン・コントロールの概念に欠けていた。統帥権に基づいて軍令機関は帷幕上奏権(天皇に直接上奏する権利)を有すると解し、軍部の政治力の源泉となった。それ故、帝国陸軍及び海軍は立法府や行政府に対し、一切責任を負わないものとされたから、およそ民主主義の概念からかけ離れたものであった。昭和に入ってからは、軍部がこれをおおいに利用し、「陸海軍は大元帥である天皇から直接統帥を受けるものであって、政府の指示に従う必要はない」とした。これに口を挟もうならば「統帥干犯」として、恫喝された。満州事変から始まる一連の軍部の大暴走は政府の決定など全く無視した行動で、神国思想を糧に次第に鬼っ子が肥大化していき、結局日本を崩壊させてしまった異胎の時代となった。

◆明治憲法は今の憲法と同様に、立法・行政・司法の三権分立を謳った憲法だったが、昭和に入って変質した。統帥権が次第に独立し始め、ついには三権の上に立ってしまった。司馬さんは日本を「鬼胎」にした正体ーそれはドイツから輸入して大きく育ってしまったもの、即ち「統帥権」だったと喝破する。軍の統帥権の実際の運用にあたっては、当然ながら政府と議会がチェックする必要があった。しかし、そのチェック機能も統帥権を盾にした軍部の前には効かなくなっていった。軍部は統帥に関する決定権はすべて天皇にあると主張、ところが実際は天皇自身が決められる訳ではなく、軍の中枢を成す部課長が決定。軍はその結果を天皇に上奏するだけで、天皇の意思をしばしば無視して押し切っていった。

◆軍部はついには「統帥権は無限・無謬・神聖」と唱え始め、三権を超越した存在であると考え始めた。こうなると、日本国の胎内に別の国家ー統帥権国家ーができたともいえる」と司馬さんは述べている。また参謀本部所属の将校しか、閲覧を許されなかった秘密文書の復刻本「統帥参考」を入手した司馬さんが、その中の一節を次のように紹介している。
統帥権本質ニシテ、其作用ハ超法規的ナリ 云々」と。まさに昭和の日本が破滅に向かって一直線に進んでいった本質を炙りだしている。「間違った思想・考え方が一国を滅ぼす」という教えを現代に生きる我々は身を挺して学ばなければならない。(続く)

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