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2018年4月 1日 (日)

明治150年の歴史から何を学ぶか(5)

【明治の時代に孕んだ鬼っ子】
司馬さんは明治と言う時代を一つの理想として書いたが、昭和については「この国のかたち」の中で、「昭和ひとケタから20年の敗戦までの10数年は、長い日本史の中でもとくに非連続の時代だった」と書いている。また別の箇所では、「日露戦争の勝利から太平洋戦争の敗戦に至る40年間は、日本史の連続性から切断された異胎の時代」だった、また「明治憲法下の法体制が、不覚にも孕んでしまった鬼胎のような感じ」とも表現している。

◆磯田氏は社会の病とは、潜伏期間があり、昭和に入ってとんでもない戦争に突入してしまう。その病根は、明治という時代に生じていたのではないか、明治という時代はまだそれが発症していない「幸せな潜伏期間」だったのではないかと述べている。明治の日本は合理的な法に基づく近代的な国家を目指していたが、一方で、「日本の軍には天の助けがある、天皇の率いる軍は天祐を保有しているから、神風も吹き、負けたことがない」と考えていた。国をあげて超自然的な力を信じ教えていたところに病根の潜伏期間」があり、司馬さんが言う「鬼っ子」を孕んでいたとの表現と同義語ではなかろうか。

【鬼胎の時代が生まれた背景】
その背景には「ナショナリズムの暴走」があった。「日露戦争の勝利が日本国と日本人を調子狂いにさせたとしか思えない」と司馬さんは言う。日露戦争で、辛うじて勝利した日本はギリギリの条件で講和せざるを得なかった。国際情勢を知らない大衆やメディアは、「平和の値段が安すぎる、講和条約を破棄せよ、戦争を継続せよ」と叫んだ。ついには3万人が結集して、日比谷焼き打ち事件が起こった。司馬さんはこれを「魔の季節への出発点」という。日清戦争の勝利で中国に強い優越感を持ち、今度は白人の国に勝ったことで、「世界の一等国の仲間入りした」と、日本人は次第に傲慢になり、謙虚さを失っていった

【ドイツスタイルの導入と統帥権】
昭和の戦争が日本を破滅に導いた最大の要因は、明治憲法制定時に国家制度も、軍の方式もドイツのスタイルを導入したことであり、憲法に「統帥権」を掲げたことである。明治国家は草創期には陸軍はフランス式、海軍はイギリスに学ぶという多様性があった。ところが国家モデルの目標を設定するに当たり、大隈重信らが推す英国方式(国会中心の政府)と伊藤博文が推すプロイセン・ドイツ方式が対立した。結局、欧州では後進国ながら、皇帝を中心に強固な軍事力で急速に国力を高めて、近代化を遂げたドイツを日本がモデルにすべきだとした伊藤が大隈らを追放したことによって日本の方向が定まった。明治14年の政変だが、もし大久保利通があと4年生きていたら、どういう判断をしただろうか。

◆ドイツは軍隊が国家を持っていると言われる程の軍国主義国家であり、参謀本部制度という独特の制度で、軍が国家を動かすと言われる程だった。日本が軍事的に強い国家の法制度を取り入れたのだから、軍が国家を左右して破綻に至ったドイツと同じ運命を辿ったのは自明の理と言えよう。明治22年憲法発布時にはまったくドイツ式に変貌し、その作戦思想が日露戦争の陸軍でも有効だったということで、ますますドイツへの傾斜が進んでいった。(続く)

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