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2018年4月23日 (月)

明治150年の歴史から何を学ぶか(最終回)

自分がまだ小学生だった頃、明治生まれの祖母からよく聞かされた。「東郷さん(元帥)は偉かった。みんなを元気にさせた。昭和の戦争は酷かった。原爆でなにもかも焼けてしまった」と。明治・大正・昭和を生きた平凡な一庶民の慨嘆だが、案外本質を突いているかもしれない。
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明治という時代は、江戸時代という長い時間をかけて生育された果実が収穫される時期だった。江戸時代の様々な遺産が明治という時代に「理想」として実った時期だったというのが司馬さんの明治観である。しかし、明治の人が目指したのは「坂の上の雲」だったから、いくら坂を上ってもそれは掴めないものであり、上りつめた坂はやがて下りになる。白い雲を掴めないまま坂を下っていくと、その下には昭和という恐ろしい泥沼があったと磯田氏は解説する。
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その泥沼の中から頭を出した鬼胎が昭和戦争を惹き起こし、日本を破滅に引きずり込んだ。日本人は戦争で「神州不滅」とか「七生報告」とかいったおよそ合理的でない思想をさんざん吹き込まれ酷い目に遭った。技術の向上より、不都合な事実を注視せず、深く考えないで不合理が罷り通る。極端に言えば明治の頃の装備のまま、第二次大戦の敗戦まで行ってしまった。戦後、その反作用か、目に見える即物的なものを強く信じる合理的な世代が生じて、高度経済成長期に、一気に物質文明至上主義に向かった。
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高度経済成長は確かに日本人の生活を豊かにした。だが、物欲は満たされたものの、何か大切なものを失ってしまった。国民全員が「坂の上の白い雲」を目指すような大きな目標は無くなった。公共心が希薄になり、自己中心的な生き方が主流となった今、この国は何を目指し、どこへ行こうとしているのか。司馬さんが言い残しかったこと、それは「公共心が非常に高い人間が、自分の私利私欲ではなく、合理主義とリアリズムを発揮した時に、凄まじいことを成し遂げる」、逆に「公共心だけの人間がリアリズムを失った時、行く着く先はテロリズムや自殺にしかならない」ということではなかったのかと磯田氏は言う。
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【おわりに】 2001年11月、司馬さんの居宅があった東大阪市に「司馬遼太郎記念館」が開館された。半年後の翌年5月、ここを訪れた。司馬さんは1996年2月72歳で没したが、1989年、66歳の時、「21世紀に生きる君たちへ」、「洪庵のたいまつ」を書き残し、小学校の国語の教科書に掲載された。司馬さんが膨大な執筆活動の最後に、推敲に推敲を重ねて執筆したという。まさに我々に残された遺書とも言うべき作品であり、早速1冊買い求めた。
未来を思う司馬さんの真摯な姿勢が随所に滲み出ている。何の脈絡もないが、蜀の丞相孔明が主君劉備の後主劉禅に残した「出師の表」が思い起こされた。磯田さんは「司馬遼太郎で学ぶ日本史」の「おわりに」の部分で、次のように書いている。「20世紀までの日本の歴史と日本人を書いた司馬遼太郎さんが言い残したことを21世紀に生きる我々が鏡として、未来に備えていくことが大切だ」と。まさにその通りだと痛感させられたことが、このシリーズを締めくくるあたっての感想である。(終)

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