「ロシアの平昌五輪参加禁止」のIOC決定を支持
◆国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長が国家ぐるみのドーピングが指摘されているロシアに対し、来年2月に開催される平昌冬季五輪への参加禁止を発表した。大変な英断であると大いに評価したい。ロシアがどのように否定し反発しようが、国ぐるみで組織的な不正を行い、隠蔽工作をしたことは紛れもない事実。ロシアの連盟幹部が「内部告発者は祖国ロシアへの裏切り者だ」と批判していることが、そのことを如実に物語っている。
◆ロシア国内では当然の如く、怒りの声が広がっているという。ロシア・オリンピック委員会の会長は、IOCの決定は「全くもって不公平だ」と語り、「これはロシアの国技の抹殺に他ならない」と反発する。また「罪のない人間を罰するのは不当かつ不道徳だ。五輪の基本理念と完全に矛盾する」と被害者を装う。IOCの決定はロシア国内では「国が侮辱を受けた。競技をボイコットすべきだ」と言う声も上がっているという。
◆事情を知らない人が聞けば、「なるほどもっともだ、ロシアの言い分も聞くべきだ」と思うかもしれない。しかし、IOCも今回の平昌五輪に関しては、真にクリーンな一部の選手やチームについては、厳格な条件下で個人資格として出場を認めるとしている。(国家代表ではない) この決定にあたってはIOCの苦い経験があったようだ。それは前回のリオ・五輪の際、WADA=世界反ドーピング機関はロシア選手団のリオ五輪からの全面排除をIOCに勧告していた。しかし、IOCは最終的に大国ロシアへの政治的配慮と選手個人の権利擁護とのバランスを考えて、厳格にNOを突き付けられなかった。そのために玉虫色の決定を行ったことで、その後のロシアの変わらぬ体質を見過ごすことになったという失敗があったからだ。
◆何故ロシアは国家ぐるみのドーピングを続けるのか? それは大戦後の東西冷戦下で旧ソ連は、社会主義体制の国威発揚の手段として、ステート・アマと言われる選手を大量に育成し、五輪や各種目の世界大会をフルに活用した。当時の米・ソ・東独のメダル獲得競争は凄まじかった。ドーピング疑惑が言われだしたのもこの頃である。1989年冷戦終了後、ソ連が崩壊すると国家財政の逼迫で選手養成制度も崩壊、有望な選手やコーチも活躍の場を海外に求めた。その結果、しばらく国際大会で低迷が続いたが、2000年にプーチンが大統領に就任すると、かつての栄光を再びとばかり、ロシア経済の不況にも拘らず、スポーツの強化に乗り出した。国を挙げてスポーツ王国の復権を誇示しながら、ロシアの政治的、国家的威信を世界に示そうとしているのだ。
◆そのためには例え違法であっても、結果が全てだ。バレなければ何をやっても構わないというKGB(旧ソ連の情報機関・秘密警察)出身のプーチンの謀略体質に起因するのだろう。ロシアのドーピングが意味するところは、単に選手やコーチの利己的な勝利への欲望という単純なものではなく、ロシアという国家の政治によるスポーツ利用の表れであり、国家や為政者の覇権主義の醜悪な欲望がスポーツの場で表面化したところに最大の問題がある点だ。ロシアの国家主導のドーピング違反に対して、IOCの玉虫入りの決着は、スポーツが持つ正義や公平という根本的理念をIOC自らが崩壊させてしまうものであるから、今回の決断が腰砕けにならぬことを祈るのみ。
*参照:早稲田大学スポーツ科学学術院長 友添秀則教授「ロシアのドーピング問題」(2016)
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