2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ

最近のトラックバック

« 2017年5月 | トップページ | 2017年7月 »

2017年6月

2017年6月29日 (木)

小涌園の岡田美術館を見学して

◆大涌谷からの帰り道、小涌園に寄り道して2013年10月にオープンした岡田美術館を見学してきた。新しいだけに箱ものとしてはかなり立派だ。入館料も2800円とかなり高め。岡田の名が冠となっているところから、箱根美術館や熱海のMOA美術館を手掛けた岡田茂吉氏(世界救世教教祖)と関連があるのかと思いきや、この美術館はまるで別物で、日本のパチンコ王の異名をとった岡田和生氏が開館した美術館とのこと。
パンフレットには岡田氏の詳しい経歴など触れていないが、NETで調べてみると同氏はパチンコ機やパチスロ機、ゲームソフトなどの大手メーカーのユニバーサルエンターティメントの創業者で現会長、そして美術品の収集家でもあった。1999年の高額納税者番付で全国総合1位に上り詰めた大富豪で、近年は海外で高級カジノを展開しており、「カジノ王」としても知られるそうだ。

Dscf2218 Dscf2219

(エントランスから展示室に入る廊下の壁面に見上げるような「風神・雷神図」が聳えている。全体を観るには建物の外に立って観ることになるが、一枚の写真では納まらない。)

◆この美術館は敷地面積6278㎡、延べ床面積7714㎡、5階建ての最新設備を備えており、規模では箱根地区で最大級の「ポーラ美術館」に匹敵し、東京の根津美術館の2倍ほどになるそうで、民間美術館としては日本最大級とのこと。
美術館の価値は言うまでもなく、収蔵する美術品の価値によるものだが、展示品の大半は陶磁器で、中国の景徳鎮や韓国の高麗・李朝のものをはじめ、日本の古九谷・鍋島、野々村仁清、尾形乾山の京焼など質量・豊富で、2フロワー分は優に占めている。


◆また絵画は桃山・江戸時代から現代までの日本画を中心に、鎌倉時代の仏画、室町時代の水墨画など多岐に亘っている。名だたる作家の作品は枚挙に遑がないが、特筆すべきは喜多川歌麿「雪月花」三部作(「深川の雪」、「品川の月」、「吉原の花」)のうち「深川の雪」だろう。テレビで一度見て初めて知ったが、肉筆の実物を見て、改めてその大きさと精緻さに驚かされた。浮世絵としては最大級の大きさだろう。

Dscf2222

なお、「吉原の花」は現在アメリカ・コネチカット州の美術館にあり、このほど138年ぶりに日本に帰省し、7月28日から10月29日まで、岡田美術館で同時展示会が開催されるとのこと。残された「品川の月」は米・ワシントンD.C.の美術館が収蔵しているそうで、今回は原寸大の高い精細複製図を制作し、三部作を並べて公開するとのことで、この夏から秋にかけて話題を集めそうだ。

◆岡田美術館には屏風絵、障壁画の他に、蒔絵、漆工、仏像、彫刻なども散見されるが、これらはメインではなく、たまたまコレクションの中にあったという感じ。浮世絵の「春画」コーナーもあるが、ちょっと見落としそう。創業者の岡田和生氏は名誉館長で、実際の館長は日本美術史家の小林忠氏(1941年4月生)。日本の美術史学者、国際浮世絵学会会長、江戸時代絵画史の研究家でとくに浮世絵に詳しいとのことで、なるほどと納得。

2017年6月28日 (水)

箱根大涌谷久々の空中散歩

先週末、箱根のアジサイ鑑賞と、再開された大涌谷ロープウェイに乗って空中散歩を楽しんできた。アジサイの方は少々時間が早かったせいか、花も小さく色合いもイマイチだったが、ちょうど今頃見ごろだろう。

Dscf2207_2

箱根登山鉄道塔ノ沢駅
Dscf4735 箱根阿弥陀寺(2015年)

◆空から見る雄大な大涌谷の景観と噴煙は轟音をバックに箱根観光の目玉であることは疑いないところ。整備された大涌谷では黒たまごを食さない訳にはいかない。1個食べれが寿命が7年延びるという触れ込みだから、計算ではすでに70年以上延びている訳だが・・。残念ながら黒たまごを茹でている熱湯の温泉場まではまだ立ち入り禁止だ。早く解除してもらいたいものだ。

Dscf2213

Dscf2214

◆そもそも2011年の東日本大震災の影響ではないかと見られる火山性群発地震が大涌谷周辺で増加したのが2013年2月だった。その回数が徐々に増えて、2015年5月には噴火警戒レベルが1からレベル2まで引き上げられた。(6月にはレベル3まで引き上げ)それに合わせて、周辺道路の通行止め、箱根ロープウェイの運休など、観光は風評被害もあって大打撃を受けた。その後、昨年に入って地震活動の安定が見られ、7月には火山ガス濃度の低下も見られたため、7月26日ようやく大涌谷~早雲山駅間で運行が再開され、約1年3か月ぶりに全線運転再開となった。その約1年後に久しぶりに訪れたという次第。

Dscf2215

Dscf4161

数年前の黒たまごを茹でる現場

Dscf2216

「冠岳」の斜面に噴火の後を残し、箱根の最大のスポットとなっている。(続く)

2017年6月25日 (日)

郷土愛と愛国心

◆「この国が気に食わない、社会が嫌だ、政治が嫌だ」と言って、国や社会に対し斜に構えている人でも、オリンピックで日本選手が活躍したり、サッカーやラグビーのワールドカップで強豪相手に必死に戦っている姿を見れば、自然と応援に力が入るようになる。何故だろうか?それは人として意識しようがしまいが、日本人のアイデンティティという根源的なものが自然発生するからではないだろうか。ここに一種の愛国心が芽生える素地がある。これが行き過ぎて、観客同士の小競り合い、反発、暴動などに発展することがあるが、これはもう愛国心とは言えない。単に民度の低さを露呈しているに過ぎない。

◆同様に人は自分が生まれ育った郷土に愛着を感じるものだ。それは年齢を重ね、郷土を離れて遠くに住むほど、その思いは強くなる。自分は九州長崎の出身であるが、青春時代にはどこか遠い所、有体に言えば都会に住みたいと思っていた。そして半世紀を過ぎ、東京も含めていくつかの知らない土地に住んで、今は神奈川県小田原に住んでいる。そうして住んだところはそれなりに愛着を感じている。多分北海道に生まれ育っていても、沖縄に生まれ育っていても長崎と同様に郷土愛を持ったに違いない。都会に生まれ育っていれば、その人にはそこが郷土であり、そういう意味では日本全国にそれぞれの郷土愛があることが自然の成り行きというものだ。それが愛国心に発展するものであり、逆に言えば郷土愛の希薄な人は愛国心も希薄になると言えよう。

◆ケント・ギルバート氏著作の「儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇」を読んだ。長年日本と日本人について探求し、日本人が気づかない視点からの指摘や論評など、一読に値する。この書を読んで改めて中国や韓国に生まれ育たなくてよかったとつくづく思う。「愛国心」の観点がまるで違うのだ。氏は言う。最近の日本でも「」に対する意識が薄れてきているように思う。これはGHQによる戦後日本人の洗脳工作で、「日本は戦争で悪いことばかりした」と刷り込まれたことが大いに影響しているというのだ。

◆即ち、「国家に忠誠を尽くすことは非民主主義的であり、非人間的であり、ファシズムそのものであり、愛国心は悪だと思い込んだ国民は自分の祖国に誇りを持てない。国民の精神が荒廃すればその国の衰退は必然だが、GHQの洗脳教育の狙いはまさにそこにあった。この悪影響が大半の日本人の心の底流にある」と喝破している。日本人は本来「」の精神から出発し、そこから「」よりも「」を重んじる精神を培った。中国、韓国は全く逆で「公」より「私」の精神構造に支配されているという。思い当たる節は山ほどある。

Dscf2223 


2017年6月22日 (木)

君子は未然に事を防ぐ

◆安倍総理と前川前文科省事務次官、この二人に共通した言葉を送りたい。それは「瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず」という中国の故事の言葉だ。この言葉の前には「君子は未然に防ぐ」という言葉がついている。
森友学園問題と加計学園問題、この二つの問題は内閣支持率を大きく引き下げる結果をもたらした。昭恵夫人との関わりがあったり、個人的に親しい友人関係があったことなどは、「瓜がなる畑に入ろうとしたり、スモモの樹の下で帽子を触ろうとしたようなもの」。たとえ果実を盗まなくとも(法を犯さずとも)、充分疑いを持たれる行為だった。


◆また加計学園問題で、安倍内閣と敵対することになった前川事務次官が「女性の貧困と子供の貧困問題実態調査」と称して、新宿歌舞伎町の「出会い系バー」に出入りしたことも、同様の疑念を持たれる行為だった。本来こういう疑いを持たれる恐れがある場合、人の上に立つものは未然に避けるものだ。これを「君子は未然に防ぐ」という。
同じような過ちを犯しながら、安倍総理・官邸側と前川前事務次官に対するメディアや世間の見方は大きく異なる。それはことが発覚した後の両者の対応の違いによるものだろう。「友人だからと言って有利に取り図ろうとしたことは一切ないと言い切る側と、それを忖度する数々の文書の存在を主張する側の対立。結局リスク管理を軽く見た側の初動の対応の不味さが後々尾を引き、内閣不信任案を出され、真相究明のための臨時国会の開催を要求される始末。こんなことに関わっている場合じゃないはずなのに、拘わらざるを得ない状況になってしまった。


◆一方、文科省の天下り人事問題の責任をとって(とらされて)、事務次官の職を退任した(させられた)前川氏は、退職金をガッポリもらって退任し、政府側のリークによるとされる「出会い系バー」への出入りのことは正直に認め、経緯を説明して謝るところは誤り、官邸の横暴については批判することも忘れない。

◆その結果、安倍さんの評価は日ごとに下がり、前川氏や文科省側はいじめられた被害者のように見えてきた。このことは何を物語っているか。論語に曰く「過ちては則ち改むることに憚ること勿れ」と。また曰く「過ちて改めざる、是を過ちと謂う」(人は誰でも過ちを犯さないものはない。問題は過ちを改めるかどうかである。つまらない人は自分の過ちを弁解し、飾ろうとするが、優れた人はすぐに改め、一つの過ちを一つの貴重な体験とする。また、人間である限り、過ちのないものはない。本当の過ちとは過ちと知りながら反省を怠り、改めないことだ。=中国古典名言事典より)
野党は千載一遇のチャンスとばかり責め立て、与党は何とか逃げ回り、取り繕うとする。こうした日本の動きに政治の劣化を感じざるを得ない。政治の劣化は日本の劣化に他ならない。こうした動きとは関係なく、世界は動いている。これでいいのか日本!

2017年6月19日 (月)

時の流れを感じる今日この頃

梅雨の谷間にポッカリ空いた隙間、その間から夏の陽射しが顔を出した。すっきり、爽やかな風が肌に心地よく、昨日までのジメジメした空気をどこかに吹き飛ばしてくれたようだ。世の中、いやな事ばかり続くが、梅雨の谷間に晴れ間があるように、いいこともある。そんなことを期待して日々の暮らしを送っている。

年を経るとともに、時間の流れも速くなる」とはよく聞く話だ。そんなことを人生の峠を越えたあたりから、実感として感じている。 ある大先輩から聞いた話によると、
「10歳の時に感じる時間を1とすると、20歳で1.4倍、50歳で2.5倍の速さになるという。年齢比の平方根で時間の感覚が短くなるのだそうだ。20歳と80歳では年齢比が1:4だから、その平方根で2倍違うという事になる。自分の場合、10歳の時と比較すると2.7倍も時間の流れが速くなっていることになる。
確かに少年時代の夏休み40日間は長かった。暇で長かったのではない。充実して長かったように思う。時間だけではない。距離も長く、空間も広かった。因みに60歳の頃小学校の校庭を訪れたことがある。「えっ!こんなに狭かったか」と驚いた。そんな経験は誰しも持っているだろう。空間も年齢比の平方根で感覚が狭くなるのだろうか。


「歳月は人を待ってくれない」という。70の峠を越えた今、むなしく馬齢を重ねただけだろうか。いや、まだまだやり残したことはある。限られた時間の中で、日々ひとつづつ片づけていくしかない。
ベランダのハイビスカスが今を盛りと咲き誇っている。これも普段から過保護にならない程度世話を焼いているからだろう。この花のようにもうひと花、ふた花咲かすような野心は持ち合わせていないが、「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」で、良い方に変わっていくよう、残された齢を過ごしたいものだ。


Dscf2205
  (2017年6月19日、ベランダで)

2017年6月12日 (月)

巨人もう少しで新記録、残念!(下)

【選手について②】 ☆巨人の場合、即戦力を求めて、ドラフト以外にピークを過ぎた選手をやたら連れてくる。それらが期待通り活躍すればよいが、巨人という独特の雰囲気に呑まれてなかなか思うように働かない。むしろ若手のチャンスの芽を奪っている感すらある。ファームの選手がようやく一軍に上がったとしても、少ないチャンスに結果が出せなければすぐに二軍落ち。この繰り返しだから若手がなかなか育たない。球団カラーとして紳士的であることが求められる。これも野武士的な集団と対峙した時に精神的弱さを露呈する一因でもあるのではないか。
他球団に比べて外国人選手の成績が、平均より劣っているように見える。これはスカウトの能力差ではないのか。その証拠に他球団で活躍した外国人選手をFA、その他で獲得するケースが多くみられる。日本での実力が目に見えているので、ある程度安心という意味があるのだろう。巨人の外国人選手で記憶に残る選手はクロマティぐらいか。外国人選手のスカウト能力向上も大きな課題だ。

【応援するファンについて】 巨人ファンの応援態度は紳士的で大人しく、買っても負けても、黙々と応援に詰めかける。大量に。これが必要以上に選手にプレッシャーを与え、ここ一番で力が入りすぎ、結果に結びつかない。逆にどんな場合にもファンはついてきてくれるという安心感があり、選手を甘えさせていることに繋がっているのではないか。結局、巨人ファンが巨人をだめにしていると言えるのかもしれない。かつて王監督はダイエー監督時代、ファンから卵をぶつけられたことがあった。そこまで熱狂するのもどうかと思うが、選手にもう少し厳しくてもよい。

2

【最後に】 巨人はいったん落ちるところまで落ちた方が良い。そして球団首脳部を一新するところから出直すべきだ。過去の栄光は捨て、中長期的な眼で球団の戦略を打ち立てるところから始めるべきだ。その戦略に沿ったチーム作りから初め、監督(生え抜きにとらわれず、人心掌握に長け、確とした野球観を持ち、理論と実践を兼ね備えた優れた人材)を抜擢し、いったん決めたら全権を委ねて任すべきだ。さらに選手育成に実績あるコーチ達を集め、短期・中期の目標を定めて戦力UPを図り、コーチの評価も客観的に実施すべきだ。
巨人軍終生名誉監督の長嶋茂雄氏は引退セレモニーで述べた。「我が巨人軍は永久に不滅です」と。(終り)

巨人もう少しで新記録、残念!(上)

◆巨人が13連敗と球団ワースト記録を更新した。やっと連敗を脱したと思ったら、また2連敗。どうせなら連敗を続けて新記録を作ったらと思ったのが・・。
連敗期間中の低迷ぶりを見るにつけ、まるで勝つ気がしなかった。「打てない、投げれない、守れない、チャンスに弱く、ピンチにもろい、やることなすこと空回り・・」まるで何かに脅えているのか委縮しているようだ。逆に対戦相手の伸び伸びとした溌剌な動きばかりが目に付く。負の連鎖とはこういうことを言うのだろう。


◆こうした現状に素人の意見など歯牙にもかけないだろうが、60年来のファンの一人として、どうしてもこれだけは言っておきたい。
【監督について】 野球は選手がやるものであるが、団体スポーツである以上、チームの指揮官である監督の裁量は大きなウェイトを占める。巨人は伝統的に名選手・人気選手を監督に起用するが、名選手イコール名監督とは限らない。9連覇を遂げた川上監督は例外で、長嶋、王、原監督らは名選手ながら監督の苦節も経験して、一応の実績を上げた。

しかし、古くは巨人を追われた三原、広岡、森祇昌監督らは智謀・知将と言われたように弱小球団を率いて優勝できる強豪球団に育てあげた。人気は二の次でも、将として優れた才能のあるものを見出し、抜擢することが必要だ。時に球団首脳部と意見の衝突はあっても、大きく受け止める度量が求められる。現役時代の人気と球団好みの紳士的キャラだけの監督ではこの低迷は当分続くだろう。生え抜き主義にこだわるのもよいが、他に広く人材を求める大胆な発想があってもよい。由伸監督の暗い顔を見ていると、球団、監督お互いに不幸さえ感じる。

1
【選手について①】 ドラフト制度が発足して半世紀以上経った。この間戦力が均衡化して優勝経験のないチームはなくなった。クジによる運・不運ということもあるが、長い目で見れば選手の能力を見出すスカウトの眼力、獲得した選手の才能を引き出す育成力の差が如実に表れてくる。広島などはもっとも成功している例だろう。総じて他球団の選手は、のびのびと思いのままやっているように見え、巨人の選手は見えない糸に縛られて、委縮してしまっているように見える。(続く)

2017年6月 6日 (火)

小田原提灯作りの話

Photo◆JR小田原駅の改札を出ると、目の前に天井からぶら下がった大きな提灯が目に入る。また、小田原漁港の入り口の防波堤には灯台の役目を兼ねて、大きな小田原提灯が建っている。小田原と提灯と言えば、童謡「お猿のかごや」が思い浮かぶ。
江戸時代、旅人の間に暗い夜道の携行に適し、しかも旅にマッチした提灯のニーズがあった。東海道の宿場町であった小田原ではそうしたニーズを汲み取って商品開発した。言い伝えでは小田原在住の職人・甚左衛門が、畳んだ時に胴の部分が蓋に収まるように造ったのが最初と言われる。即ち、明るいときにはコンパクトに折り畳んで収納し、暗くなれば伸ばしてぶら下げ、足元を照らすという画期的なものだった。


Photo_2◆小田原提灯として全国的に有名になったが、提灯の産地として現在も存続しているのは、八女提灯岐阜提灯讃岐提灯などごくわずか。小田原では2015年5月時点で、提灯屋自体が2店のみで、まさに風前の灯となっている。
それは提灯の用途を考えると当然の成り行きだった。盆提灯や御神燈など祭礼・儀式に使われる高度な職人技を必要とするものは伝統技法を伝えた有力な産地のみが残った。小田原提灯は懐中電灯に取って代わられ、民芸品、インテリア、土産物などとして細々と生き続けるしかない。年一度小田原提灯祭りの時のみ、息を吹き返す。普段は体験ツアーのツールとして観光客相手や小学校の工作体験に供している。


◆そうした中で、小田原なりわい交流館に孫たち家族を案内して提灯づくりを体験させてみた。ボランティアの指導者がついて、教え、手伝ってくれるので誰でも簡単に作ることができる。費用は材料費込みで1000円。時間は1時間半ほど。作ってみて、江戸時代に大人気商品となった訳が少しは分る気がする。細い竹ひご10数本を型にリング状にまとめ、予めデザインされた和紙を張り、蛇腹状にして上蓋にそれら胴の部分が全て収まるようになるから、最小の体積となり、携行には最適状態になる。また、通常の提灯とは異なり、中骨が平たく、紙との糊代面積が大きいために剝がれにくく、雨や霧に強かったとのこと。そして作業工程は比較的に簡単なため、安価であったという。しかし実用品には芸術的・美術的価値は皆無であった。

Photo_3  Photo_5 

小田原なりわい交流館:かつては鰤御殿と言われた建物を移築したもの。)

2017年6月 2日 (金)

復元された大磯「旧吉田茂邸」を訪問

◆戦後日本の復興の礎を築き、その後の保守・親米路線を決定づけた政治家吉田茂。「ワンマン宰相」、「バカヤロー開散」、「大磯詣で」、「吉田学校」など数々の逸話を残し、昭和42年(1967)に没し、戦後初の「国葬」で葬儀が行われた唯一の政治家である。(因みにその後国葬は廃止され、1975年6月に佐藤栄作の葬儀が国民葬で行われた)。

吉田茂は昭和20年から、生涯を閉じた昭和42年まで、養父の後を継いで大磯の別荘を本邸として過ごした。約9000坪の敷地に900㎡の邸宅は「吉田御殿」とも呼ばれ、政界引退後も多くの政治家が「大磯詣で」を行い、内外の賓客はもとより、当時の皇太子と美智子妃殿下も招かれた。没後、邸宅は西武鉄道(大磯プリンスホテル)に買い取られたが、地元住民の保存運動が起き、近代政治史の歴史文化遺産として保全・活用が検討された。2012年から神奈川県の管理下に置かれ、隣接する「県立大磯城山公園」の拡大地域として一般公開されることが決定。ところがその矢先、2009年3月、漏電が原因と見られる火災が発生、総ヒノキ造りの本邸が全焼してしまった。

◆余談ながら筆者は2006年夏、小田原に越して以来、国道1号線に面した吉田邸前を何度も往来していたが、焼失する前に一度だけ邸内を見学したことがある。但し、建物の中には入れず、広大な庭と銅像を見学しただけだった。旧吉田邸は大磯町が町有施設として再建することになり、本年4月ようやく復元工事が完了した。公開から2ヶ月足らずで入館者が年間目標の3万人を突破したという。その直後、先週金曜日に小雨の中を訪問・見学してきたという次第。

◆近代数寄屋建築風の総ヒノキ造りの新館は、新築独特の木と畳の香りが優しく鼻腔に届く。全体にシンプルですっきりした造作は自然の明るさをふんだんに取り入れ、日本建築の粋をいかんなく発揮し、広大な庭園とよく調和している。落ち着いた応接間、広い食堂、愛用した書斎があって、さらに金の間(居間)、銀の間(寝室)からの眺望もすばらしい。船の形をした檜造りの風呂桶は西洋風バスタブをイメージしたものか。

Dscf2161 Dscf2166 
2階書斎からサンルームを見る。                広い食堂

Dscf2160 Dscf2163
  2階書斎                    2階浴室 檜造りのバスタブ

◆庭園の一角に「七賢堂」がある。元々、明治36年に伊藤博文が、維新の元勲のうち岩倉具視大久保利通三条実美木戸孝允の4人を祀った「四賢堂」を自身の大磯の邸宅「滄浪閣」に建てたものだった。伊藤博文の死後、婦人が伊藤を加えて、「五賢堂」とした。昭和35年に吉田茂邸に移設され、37年に吉田茂が西園寺公望を合祀した。吉田の死後、昭和43年に佐藤栄作が吉田茂を合祀して、「七賢堂」と改めた。正面の扁額「七賢堂」の文字は佐藤栄作が揮毫したもの。
兜門やサンルームとともに焼失を免れ、旧吉田邸の歴史を感じさせる貴重な建築物となっている。美しい日本庭園は、海外赴任生活が長かった吉田茂の嗜好の多様性の現れであり、バラ園、洋風樹木など様式に捉われない構成で、特徴が色濃く反映されている。

Dscf2176 
七賢堂

Dscf2172 吉田茂銅像:昭和58年建立。日米講和条約の地、サンフランシスコと首都ワシントンの方角に顔を向けていると言われている。銅像付近からの眺望はよく、富士山、伊豆半島、箱根、相模湾、房総半島、三浦半島などが一望できる。

(この点だけは我が家と同じか)

« 2017年5月 | トップページ | 2017年7月 »