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2017年5月 1日 (月)

憲法改正の是非を考える(1)

5月3日は憲法記念日。昭和22年(1947)5月3日に新生「日本国憲法」が施行されてから、満70年が経つ。この70年間、憲法の三原則が働いて、曲がりなりにも国民の暮らしは向上、社会は繁栄し、他国と戦火を交えることもなく、平和を謳歌してきた。人間で言えば古希を迎えたこの憲法だが、誕生した70年前と現在では大きく世の中は変化してきている。これを契機に憲法の在り方を見直し、未来に向かって残すべきもの、改めるものを今一度考えることは無駄ではないだろう。

【日本国憲法の三大原則について】

(1)国民主権: 国の意思を最終的に決める権利は国民にある。即ち国民が選んだ政治家や彼らが作った政策・法律・制度であっても、国民の責任において選挙等で覆すことができるということであり、その意味では国民も彼らに任せっきりにするのではなく、常に注視しなければならないということを再認識する必要がある。

(2)基本的人権の尊重: 人間は誰でも生まれながらにして人間らしく生きる権利を有し、この権利は侵すことのできない永久の権利として尊重されなければならない。基本的人権には、①自由権:思想・良心の自由、信教自由、学問の自由、表現の自由、職業選択の自由など、②平等権:差別的な扱いを受けない権利、③社会権生存権):健康で文化的な最低限の生活、教育を受ける権利、④参政権:選挙権、被選挙権など、⑤請求権:裁判を受ける権利等、が謳われている。具体的には第三章の「国民の権利及び義務」の10条から40条までに細かく規定されているが、権利の多さに比べて義務については教育の義務、勤労の義務、納税の義務くらいしか謳っていない。法令を遵守して、罪を犯してはならないと言った当然の義務には直接触れず、むしろ犯罪者の人権を守る規定は過保護的でさえある。逆に被害者側の人権には殆ど触れられていない。ここに加害者に優しく、被害者に厳しい日本社会の病巣があるように思えてならない。

(3)平和主義: 第二次世界大戦を通じて日本は戦争の悲惨さを痛感した。その結果日本は「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」を憲法に定めた。日本国憲法第9条は世界にも珍しい平和憲法と言えるが、理想と現実の狭間で常に議論の矢面に立たされている。これについては、次回以降に詳述したい。


【天皇制について】
◆日本国憲法の第一章は「天皇」に関する規定であり、第一条に「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」とある。この天皇に関する条文こそ、1500年有余の世界に稀有な歴史を擁する日本の国の在りようを明文化したものであり、世界に誇れる天皇制を現代に適応させた条文に他ならない。従来否定的だった共産党も最近では態度を改め、認めつつある。天皇制の在り方については昨年8月、天皇が「お言葉」を表明されてから、有識者や国会の議論を経て、退位と継続性について、よりよい形で纏まると期待する。皇室典範の改定は伴うだろうが、憲法の条文を改定するまでの必要はないだろう。(続く)

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