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2017年5月

2017年5月31日 (水)

核・ミサイル攻撃を防ぐ妙案

北朝鮮が3週連続で、ミサイルを日本海に向けて発射した。日本政府は例によって厳重な抗議をするとともに、制裁強化のため関係国と調整を図る。北朝鮮にとっては「どこ吹く風」とばかり屁とも思わない。逆に日本が世界に向けて騒げば騒ぐほど、「標的は在日米軍基地に留まらず、全土に拡大するぞ」と脅しをかける始末。
そこで核とミサイルの開発と実験を止めさせる妙案を考えた。


①【自爆誘導作戦】 誘導ミサイルはGPSを利用して、搭載したCPに予め標的に向かう情報をインプットする。そこで発射前にそのCPに向かってサイバー攻撃をかける。進路を変更して、発射地点に戻り、そこで爆発するようにプログラムを書き換える。また発射基地のシステム全体にサイバー攻撃をかけ、混乱させる。北朝鮮は発射実験をすればするほど結局自殺行為となり、大打撃を受けることになる。そこで北は開発・実験を中止することとなり、メデタシ、メデタシと相成る。
この作戦の難点は、サイバー攻撃要員と北の情報収集するためのスパイの養成が必要となり、日本独自では時間が掛かりすぎるという欠点がある。


②【西部劇風決闘作戦】 北朝鮮は迎撃ミサイルの実験も行い、成功したと吹聴した。そこでアメリカはその技術を褒めて、どのくらいのものか試してみようと持ち掛ける。西部劇では背中合わせから10数えて歩き、振り返りざま発射するというシーンをよく見かけるが、それにあやかって予めルールを決める。日時を決めて同時にミサイルを発射する。標的は太平洋の真ん中として人への影響がないところが良い。
攻撃ミサイルの発射後、今度は互いのミサイルを迎撃するミサイルを発射する。迎撃ミサイルで撃ち落とされた方が負け。北が勝てば「核・ミサイル保有国」と認め、仲間入りさせる。負ければ核とミサイルを放棄し、今後一切開発しないと約束させる。その代り、国際協調で食料・経済援助を約束する。これで四方すべてが丸く収まる。メデタシ、メデタシ。ちょっと、マンガティック過ぎるかな?(笑い)

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2017年5月30日 (火)

日本を取り囲む3恐国と獅子身中の虫(下)

【日本に巣食う獅子身中の虫】
◆前回、日本は「スパイ天国」と言われるほど、スパイに関して寛容な国であることに若干触れた。そのことに関連するように国際犯罪が日本国内で堂々と展開される。福岡で発生した金の密貿易もその一環だ。組織犯罪に対する取り組みの甘さ、捜査態勢・法整備の不備等があって、現実に追いついていない。
一方、主に野党・左派系政党と一部の左派色が強いメディアの中に、権力の横暴、独断専行を許さないと標榜するあまり、独りよがりに陥っている勢力がいる。もちろん行き過ぎをチェックし、是正する正しい批判勢力が必要であることは言うまでもない。


◆しかし、批判のための批判に終始して、国家を貶めることが目的のように正義の仮面を被った勢力はマイナスにこそなれ、プラスには働かない。そうした勢力に踊らされる無辜(むこ)の民がいることも事実。「集団的自衛権反対!」、「安保関連法案反対!」、「テロ等準備罪反対!」、「憲法改正反対!」等々。ことさら負の面ばかり歪曲して取り上げ、国民に不安感を植え付けようとするが、法案が通ってしまえば何事もなかったかのようにケロっと忘れてしまう連中だ。

◆この体質は朝日新聞慰安婦問題の報道姿勢に顕著に表れている。ことの発端は1983年に発行された吉田清治なる人物の「私の戦争犯罪」だった。実証史学の専門家「秦郁彦」氏が現地調査をして多くの関係者の証言を集めたうえ、著者や出版社に問い合わせると「あれは小説ですよ」という回答だったと言う。著者は長年の学問的研究から典型的な詐欺話だと直感していたが、それが裏付けされた形となった。現地新聞の女性記者によると「日本人はなぜこんな作り話を書くのでしょうか」と責められたという。朝日新聞はこうした詐欺師の詐術に乗っかって、すでに解決していた問題に火をつけてしまった

◆爾来25年、国際問題に発展、いいように韓国に利用され、いまだに日韓外交問題に苦しめられている。朝日は一度は仕方なく「誤報であった」ことを認めたが、日本の将来のことより自社のスクープが優先、沖縄サンゴ礁損傷事件も自社の記者の自作自演の偽スクープ事件だった。権力に立ち向かう正義の味方のような仮面を被って、結果的に日本に取り返しのつかないダメージを与えてしまうこの体質は一体何なのか。これを獅子身中の虫と言わずして何というべきか。(終り)

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2017年5月29日 (月)

日本を取り囲む3恐国と獅子身中の虫(中)

スパイの暗躍】 
アメリカも含めて、中国ロシア北朝鮮などの謀略国家に共通なのはスパイの暗躍だ。中国でスパイ活動を行い、米中央情報局(CIA)に情報を提供していた協力者のうち、少なくとも12人が2010~12年の間に中国当局によって殺害されたという。米国のスパイ網が壊滅的な打撃を受けたそうだが、その要因として中国当局に内通する「二重スパイ」の疑いが浮上し、CIAFBIが共同で調査に当たっているという。
一方中国の方は、アメリカのこうした動きに対し、「中国のスパイ防止活動の素晴しい成果をを称え、最高の境地に達した」と自画自賛。「中国の国家安全機関は法律に基づき、中国の安全と利益を脅かす組織と人員への調査と処罰を行っている」と述べた。


【日本もとばっちり】
日本にとって、これらスパイ活動は他人事とばかり言ってはいられない。今年3月下旬、中国のリゾート開発地域で、温泉開発調査をしていた日本人社員が拘束された。中国現地企業の依頼に基づくもので、山東省と海南省で計6人の技術者が中国当局に拘留された。容疑は「国家の安全に危害を加える行為」を行ったというもの。近くに軍事施設があったというが、もちろん濡れ絹であることは言うまでもない。問題なのは3月26日、28日に拘束され、日本の新聞が報じたのは5月23日、しかも社会面の片隅だった。3月下旬に連絡が取れなくなり、日本の政府職員が拘束された社員たちと面会したのが4月上旬だった。新聞報道は事件発生から実に2カ月近く経っていた。


◆どうしてこんなに時間がかかるのか。人質外交が中国の常套手段とはいえ、中国のために、中国の依頼に基づき、技術を提供し、仕事をしている罪もない日本人を拘束するとは許されるものではない。自国がスパイ大国であるから、他国も同類項だと思うのだろう。現在でも6人の日本人は拘置されたままになっているという。日本政府もメディアも国際社会に向けてもっと声を大にして不法な行為を問題にすべきだ。

◆日本人の生命と財産を保護するのが政府の役目とするならば、あまりにも弱腰で無策と言えよう。報復を恐れて遠慮しているのか。それとも事を大きくしたくないから、収まるまでじっと我慢しているのか。いずれにしろ中国という国は外国人にとってリスクが大きすぎる。身の安全を保障しないのであれば、いくら招致といっても簡単に渡航すべきではない。
また、敢えて日本にスパイ組織を作る必要はないだろうが、日本は「スパイ天国」と言われるほどユルユルの国だ。せめて、常日頃からにスパイ活動の監視は必要だろう。(続く)

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2017年5月26日 (金)

日本を取り囲む3恐国と獅子身中の虫(上)

日本は権謀術数の大国ロシア覇権主義に猛進する中国、そして核とミサイルが全てと妄信する狂国北朝鮮という常識と良識の範疇を超えた3つの怖国に囲まれている。誰が指導者になっても難しい舵取りを迫られる。そしてもう一つのの懸念は国内に巣食う獅子身中の虫の存在だ。

【ロシアの場合】 強権ロシアのプーチンは共産主義を捨てて、一見西側に友好的な素振りを見せながら、本質的には共産主義のDNAを引き継ぎ、独裁体制を強化。自分に逆らうものは不思議なことにいつの間にか消えてなくなる。領土問題ではクリミア半島などかつての領土の奪還に関しては、国際社会の猛反発をものともせず強行、バルト3国にも食指を伸ばす。日本には北方領土の返還という餌をチラつかせ、経済的利益だけを懐に入れようとする。今後もニンジン作戦続け、得るものだけを得ようとするだろう。さらにトランプ米大統領のロシアゲート疑惑で生殺与奪の力を握る。

【北朝鮮の場合】 世間知らずの若い3代目は国民の暮らしより、核とミサイルの開発・強化に明け暮れ、中・ロを天秤にかけながら、世界の経済制裁をものともしない。今や米国を射程に入れるミサイルの実験に成功したと見られている。また世界中をサイバー攻撃の標的にして混乱させ、恫喝外交をもって対韓・対日外交に臨むだろう。しかし、北朝鮮の弱みは経済にある。いずれ無理の積み重ねが、何かをきっかけに崩壊する可能性は十分に考えられる。それまで暴発させないように注意深く見守っていくしかないだろう。

【中国の場合】 最もいやらしい国が中国だ。いかにも世界経済に貢献するように見せかけ、その実、中国中心の「一帯一路」構想をぶち上げた。インフラ整備を餌に開発途上国に援助をもちかけ、借金が返済できないような状況に追い込んでは、100年単位で借り上げる。自然破壊、地域経済の崩壊、チャイナタウン化、軍事拠点化、いわば「中国による中国のための植民地化政策」である。もともと中国の本質と言える「覇権主義」が復活し、「新しい世界の盟主は中国である」と宣言しているようなもの。ここまで肥大化するともう簡単には潰れる心配はなくなり、外に向かって自国に都合の良い市場の拡大と軍備拡張に邁進するだけ。最初に甘い餌に飛びついた弱小国は、気が付いたときには毒が体内に回ってしまっている。(続く)

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2017年5月23日 (火)

テロ等準備罪を巡る国会議論にもの申す。

組織犯罪処罰法改正案(いわゆる「テロ等準備罪法案」、野党が言う「共謀罪法案」)の国会審議を巡り、すったもんだしている。なぜ日本という国はいつもこうなるのか?

【野党や一部の識者、日弁連、メディア等が問題にしている点】
「犯罪行為はすでにやってしまったことに対して処罰するのが原則であり、この法案は現行法体系を大きく損なう。テロ対策については現行国内法で十分に手当されており、新たな法律は必要ない。
与党や賛成派は国際組織犯罪防止条約を締結するために、この法案を必要とするが、この法案がなくても条約の締結は可能だ。
乱用の危険性があり、一般人や市民団体、労働組合が処罰対象になる可能性がある。犯罪の実行前に合意したかどうかを判断するのは難しく、捜査機関の恣意的な判断の余地がある。
メール等のネット上のコミュニケーションが捜査機関の監視下に晒されるのではないか。


いずれも、もっともらしい言い分だ。戦前の治安維持法の負のイメージをことさら引きずっているように見える。そうした上で「何故、今急いでやるのか?」と指摘する向きもある。しかし、私に言わせれば「何故、今までやらなかったのか?」と言いたい。

◆1995年に狙撃された国松元警察庁長官が先日の新聞で述べていた。「この法律があればオウム真理教事件を未然に防げたかもしれない」と。あるいは「よど号ハイジャック事件」、「組織暴力団抗争事件」等然り。いずれも善良な一般市民が巻き添えにならなくても済んだかもしれないのだ。この法律の問題は「一般人が監視され、巻き添えになる恐れがあり、怖い社会になる」と、いわゆる知識人と称される人達が吹聴しているところにある。

◆果たしてそうだろうか。警察はすべての一般人を監視するほど、暇を持て余しているのか。第一、すべての一般人を監視するために警察官は何人必要か。一般人を監視することが、国家権力者達にとって何の得があるだろうか。ここは中国やロシアとは違う民主国家日本だ。権力者が誤ったことをやれば、選挙という手段で首にすることができる国ではないか。

◆集団で犯罪を計画し、実行に移して一般人が犠牲になるとするならば、こんな不幸なことはない。そうしたことを未然に防いで犯人グループを検挙することができれば、この法律の存在意義は大きい。政府はテロ対策などの国際協力を定めた「国際組織犯罪防止条約」の締結には、この新たな「テロ等準備罪法案」が必要だとする。仮にこの法案が野党の反対で成立できず、日本にも関わりのある犯罪が起きた場合、「条約を締結できなかったので、協力できなかった」では、国際社会はどう見るだろうか。この法律の乱用の危険性を指摘する向きもある。しかし、国家と国民は互いの信頼関係で成り立つ。信頼がなくなれば終わりだ。この法案がどうしても怖いという人は、犯罪のない善意ばかりの人が住むユートピアに行くしかないだろう。

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2017年5月21日 (日)

陶芸の郷「長崎県波佐見町」を訪ねて

◆もともと陶磁器に関してそれほど興味がある方ではなく、旅行等で訪れた所がたまたま産地であれば、立ち寄ったりして眺める程度だ。陶器の代名詞である瀬戸物、その産地である愛知県瀬戸市が2011年12月に実施したアンケートがある。「陶磁器ブランドの認知度」調査というもので、関東地方に在住する30代~40代の女性412人を対象にしたもの。(複数回答) それによると、
1位:有田焼(佐賀県)81.6%  2位:九谷焼(石川県)60.4%
3位:益子焼(栃木県)55.6%  4位:信楽焼(滋賀県)42.2%
5位:美濃焼(岐阜県)  6位:備前焼(岡山県)  7位:萩焼(山口県)
8位:清水・京焼(京都府) 9位:瀬戸焼(愛知県) 10位:唐津焼(佐賀県)
以下10%未満 11位:笠間焼(茨城県) 12位:常滑焼(愛知県) -以下略-


有田焼のトップは納得として、瀬戸焼の9位は意外な感じがする。時代の変化によるものだろうか。ランキングにはいろんな基準があるだろうが、製造事業者数でみると、美濃焼の岐阜県が最も多く232、伊万里・有田焼の佐賀県が121、第3位の愛知県が97、そして4番手に長崎県の69と続いている。また人口10万人当たりの登録件数1位は佐賀県で38.68件、2位岐阜県の27.44件、3位が長崎県の15.22件となるそうだ。
近年長崎県の「波佐見焼」が脚光を浴び、全国ブランドになりつつある。その秘密を探るべく、陶芸の里「波佐見町」を訪ねてきた。というのは少々オーバーで、たまたま母校長崎西高の卒業55周年同窓会が波佐見で行われたので、訪問・見学する機会を得たからに他ならない。

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◆有田・伊万里焼き、美濃焼・織部などはともかく、波佐見焼が何故今ブームなのか。子供の頃、波佐見焼の名はかすかに覚えていたが、波佐見高校が甲子園に出場するまでは記憶の遥か彼方にあった。波佐見焼は江戸時代から庶民の日常食器として、実用本位であり、有田焼の下請けをするなどブランド力はなかった。庶民の器として誕生し、時代に合わせて変化を繰り返しながら、現在も身近で親しみやすい食器を作り続けてきた。近年、実用性の他に独創性、芸術性も加味して製造力を高め、同時に全国展開の販売力を高めた仕掛け人がいた。

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波佐見町の窯元群を見下ろす高台から、正面に長さ160mもある登り窯跡が見える。

◆その人こそ、O.H君といって、波佐見焼元卸業を経営し、全国に販売網を開拓。有名デパート、スーパーなど幅広く販路を拡大した人物だった。もともと波佐見焼に関わる地元の名家の生まれで、長崎西高の同窓生であり、彼のプロモートで今回の同窓会開催の運びとなったもの。同窓会の翌日、バスを貸し切り波佐見の町を案内してくれた。長崎県人でありながら、初めて波佐見という陶芸の町を見学し、かつ前日はゆっくり名湯に浸り、55年前の青春時代が蘇ったひと時ではあった。とにかくみんな若い!次は喜寿、そしてその次は米寿、一応この辺が着地点の目安となりそうだ。

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母校に寄贈するために特別に制作された透明感のある磁器製の鉢。O君が地元の名工(日展会員)に制作依頼したもの。


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やきもの公園の小高い丘にある野外博物館「世界の窯広場」がある。
この公園の一角に、陶芸の館「観光交流センター」(くらわん館)があり、二階は陶芸博物館。1階は40数件の窯元が制作した多くの陶器、磁器が数部屋に亘って、処狭しと並んでいる。昔ながらのデザイン、欧風のもの、高級料亭レストラン向けのもの、独創的なものなど千差万別あり、眼を楽しませてくれる。もちろん展示・販売されており、金に糸目をつけなければ欲しいものはいくらでもある。

2017年5月14日 (日)

相模の国の名刹「日向薬師」を訪ねて

◆大山詣で有名な関東の名峰「大山」(標高1252m)。古来からの修験者の山で、その麓には山岳信仰の名残か、多くの寺社が点在する。東側の麓にひっそりと佇む古刹がある。「日向薬師」の愛称で古くから地元で慕われてきた名刹だ。この日向薬師は716年、奈良時代の高僧行基によって開山されたと伝わっている。修験者の拠点だったこの古刹は、正式には「高野山真言宗 日向山霊山寺 宝城坊」(通称;日向薬師)と呼ばれている。

◆関東で古刹・名刹と言えば「坂東三十三観音」が有名だが、このうち神奈川県に八カ寺ある。うち四カ寺の開祖・開山が行基とされ、いずれも721年~730年代頃の創建とされる。日向薬師はこれらより5年以上早く、最も古い部類に入るだろう。寺格からいっても遜色ないどころか、頼朝・政子との関わり、時の権力者達との関わりなど史実として残っている。そうした日向薬師だが、坂東三十三寺札所に数えられていないのは「観音信仰」ではないからだろうか。

◆この日向薬師に、ここ数年間で2度程訪れたが、改修中のため本堂に入ることはできなかった。宝城坊本堂平成22年11月から6年の歳月をかけて、昨年11月に「平成の大修理」が完了、落慶法要が行われた。たまたま先日機会を得て、ようやく見学することができた。この本堂は室町期の1380年と江戸期の1660年及び1745年に大改修の履歴を持つ。もともと檀家を持たない勅願寺のため、時の権力者の庇護のもとで繁栄してきた。ところが明治新政府の神仏分離政策のため、12あった坊の殆どが廃止され宝城坊だけが残った。また廃仏毀釈運動に遭って多くの仏像等が風前の灯となったが、信仰の篤い地元の村人達がひっそりと秘匿して守ったことが現在に繋がっていると白髪の上品な説明員が語ってくれた。
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境内の「幡かけ杉」(二本杉とも)県の天然記念物で樹齢約800年。


◆明治以降、権力者の庇護がなくなり、加えて檀家・墓地を有しないため、経済的に困窮に陥り、寺の荒廃ぶりは酷かったという。平成18年の調査で大修理が必要と判明。問題は財源だったが、それを救ったのは明治の村人達だった。彼らが守った仏像たちが国の重文に指定されていたため、改修費用の8億7千万円の75%が国の補助金で、残りを県と伊勢原市、そして寺が集めた浄財でなんとか賄えることができたという。

Dscf2097 平成の大修理を終えた宝城坊本堂
 
◆境内に立って目立つのが本堂を覆う茅葺屋根。約1000㎡の広さに厚さ75㎝、重さ50トン。この茅は御殿場で刈り取ったもので、茅代だけで1億円にもなったという。京都から専門の職人を招き、多くのボランティアも参加して葺き替え工事を行ったが、葺き方には地方色が残っているため、地元の古老の意見も反映させたという。全体に荘厳で趣がある建造物だ。本堂の高さは18m、幅23m、奥行き17mで茅葺寺院では関東最大級の規模を誇る。

◆宝仏殿には大きな厨子があり、その中に本尊の薬師如来本尊と脇侍の日光・月光両菩薩(いずれも平安時代)があり、厨子の外側四隅に四天王、また左右に6体ずつの十二神将(鎌倉期)が安置されている。さらに本堂の左右に大振りの薬師如来・日光・月光菩薩脇侍、阿弥陀如来坐像四体(いずれも鎌倉期)が鎮座し、そのすべてが国の重要文化財に指定されている。その他にも鐘楼に架かる梵鐘、厨子、本堂自体も重文に指定されている。いずれにしろ神奈川県の山深い片田舎に平安時代以降の仏教遺産が残っていることが日本の歴史の奥深さを物語っていると言えよう。

Dscf2098 重要文化財の銅鐘

2017年5月11日 (木)

人類滅亡のカウントダウン始まる?

◆人類滅亡の話は古来より、出ては消え、消えては表れるという繰り返しだった。ノストラダムスの大予言然り。ハルマゲドン然り。2015年9月3日はマヤの歴で世界が破滅する日だったという。なぜ破滅の予言というのは、いつの世にも湧き出てくるのだろうが? それは人が無意識に求めているものだからではないのだろうか? こんな中、「学者が予想、人類が滅亡する確率と時期、-世界の有名科学者が”人類滅亡寸前”を指摘!21世紀で終了の確率は50%!」というネット・ニュースを見つけた。以下要約してコメントする。

自然災害から大規模テロまで人類滅亡の引き金となるリスクは無数にあるが、具体的にどの程度の確率で我々は絶滅するのだろうか? いくつかの例をあげると、英国のある哲学者は、今後5世紀の間に人類が滅亡する可能性を30%、英オックスフォード大学「人類の未来研究所」は今世紀末までにその可能性19%、英ケンブリッジ大学「絶滅リスク研究センター」は文明が次世紀まで存続している可能性を50%と見積もっている。これらはあくまで推測に過ぎないが、科学者らが感じている切迫した状況が伝わってきそうだ。

◆世界的理論物理学者ホーキング博士は「今後100年の間に人類が滅亡する危険性が極めて高い」として、災害や核戦争、科学技術によって人類が滅ぶと警鐘を鳴らしている。その上で、「100年以内に他の惑星を植民地化する必要がある」と語っているそうだ。過激ともとれるホーキング博士の発言だが、ここまでくると博士は100年以内の滅亡を確信しているようだ。

終末的な雰囲気と言えば宗教界はいつものことだから省略するが、政治の世界にも漂っている。地球最後の日までを概観的に示す「世界終末時計」は、トランプ米大統領の登場に伴い、これまでの3分前から30秒も進められ、残り2分30秒となった。米ソ冷戦に匹敵する核戦争の危機が目前に迫っていると見られるようになったからだろうか。
科学技術の躍進に伴う大規模虐殺の可能性は国家間の戦争だけではない。国家レベルで研究・開発されている技術が瞬く間に小型化され、安価になることで、テロリスト集団や個人が入手、利用することが可能になってきている。ドローンなどは悪用すれば大量殺害兵器なりかねない。「過激な思想を持つ宗教団体」だけでなく、単なる「人間嫌い」や人類が滅亡した方が倫理的に良いと考える「道徳的な人々」でさえ、このような技術を用いれば簡単に大規模テロを起こすことできるというのだ。


◆人口過剰、環境破壊食糧不足生態系のバランスの崩壊。どんな抗生物質も効かない「スーパー耐性菌」が発生し、人口密集の都市部で「感染爆発」を起こし、死者数百、数千万。また気候変動大規模地震・津波、火山爆発巨大隕石小惑星地球衝突も数十年の間に予想されている。加えて人類が自分の手で自分の首を絞めるような大量化学兵器核戦争の勃発も視野に入れざるを得なくなってなっている。これに対して一体どんな解決策があるのだろうか? 残り100年で我々は答えを見つけ出すことができるのだろうか。間違いなく言えることは「自分が生きている間に、その答えを見ることはない」という事だ。
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2017年5月10日 (水)

自衛隊を憲法に明記すると・・

◆安倍総理は5月3日憲法記念日に、メディアを通して憲法改正に強い決意を表明した。2020年に新しい憲法を施行するという期限を区切って、「憲法9条に自衛隊を明確に位置付けるため、1項、2項はそのままに3項として自衛隊の根拠規定を追加する」というものだった。総理としては衆参の「憲法審査会」の議論が一向に進まぬ現状に業を煮やしたのか、大きく一石を投じる形となった。

◆具体的にどうなるのだろうか。9条の1項・2項にプラスして、第3項を私案として追加してみた。 第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
【3項追加私案】 前項の規定に拘わらず、自衛権は本来国がもともと有するものであり、自衛権の発動を妨げるものではない。他国またはそれに準ずる勢力が我が国の領土・領海・領空を侵略し、国民の生命及び財産が脅かされる恐れが生じた場合には、それを排除する手段として、自衛隊を保持するものとする。自衛隊は内閣の管轄下にあって、国会が議決した自衛隊法の定めに基づく。


◆どうもしっくりこない。1項、2項をそのままにして、自衛隊を明記することは整合性に無理があるようだ。石破元防衛大臣もその点を取り上げ、安倍総理の提案を批判している。そこで自民党が野党時代に取りまとめた「憲法草案」読んでみて驚いた。第1項はほぼ原案通りだが、第1-2として「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない」と、但し書きが添えられている。そして9条の2項は全面的に書き改められて、「国防軍」の規定を掲げ、その第1に「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する」とある。この辺までは国防軍という名称は別にして、納得いくものである。

◆ところが続けて 2、任務の遂行のための国会承認、その他法律の服務規程、3、国際的に協調して行われる活動、公の秩序を維持するための活動、4、国防軍の組織、統制及び機密の保持、5、軍事裁判所の設置等を細かく規定し、第9条に3項領土の保全等)を新たに追加して、「国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない」とある。
なんと、戦前の治安維持法、憲兵制度、軍事裁判所を想起させる規定が並び、9条の3項は徴兵制に結びつきかねない規定になっていると言わざるを得ない。これでは野党が猛反発するのも理解できる。野党もただ単に「憲法改正反対」を叫ぶだけではなく、自民党案の欠陥を取り上げ、対案を示すなどの戦略を立てるべきだろう。

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2017年5月 9日 (火)

いい加減にせんかい!森友問題

◆連休明けの国会。衆議院予算委員会が森友問題を審議している最中、2階の傍聴席にえらそうに下界を見下ろしているような当の本人の姿があった。民進党が呼んだらしいが、そもそもこの問題を引き起こした渦中の人物を、まるでヒーローのように扱っている民進党に大いなる疑問を抱かざるを得ない。

◆そもそもこの問題の本質は、自己資金もないのに不確かな寄付金や補助金を充てに、分不相応な学校建設を画策し、総理府人を巻き込んで、役人・関係者らから国有地払下げの便宜を受けようとしたところから始まっている。つまり籠池泰典なる人物は、教育者の仮面をかぶった「金と名誉の亡者」であることがはっきりしてきた。確かに、政治家・お役人・マスコミなどを手玉にとって、都合が悪くなれば自分はあたかも被害者であるかのように演じ、メディアも野次馬根性に乗って、その片棒を担いでいる感がある。

◆発端は総理婦人が学園の子供たちの教育現場を見て、しつけの良さ、論語や教育勅語の暗唱などに感激して、協力者になったことや名誉校長に就いたことなどにある。こうした行動は特別な便宜を与えたかのような印象を与えかねないので、軽率の誹りを免れない。さらに安倍晋三記念小学校の名称が勝手に使用され、学園建設に利用されれば、それを忖度して動く役人が出ても不思議でなはない。

◆しかし、事業の進展がうまくいかなくなり、ことの真相が次第に明らかになると、今まで協力者であったはずの昭恵夫人(仮に100万円の寄付をしていたとしても)らに対しても、自己防衛のためか、それらを脅しの材料に使っている。これこそ、まさに恐喝者犯罪者の類であって、尋常の人間がすることではない。籠池氏は教育者とは全く相いれない、人間の卑しさをもろに出していると言えよう。

◆本来であれば、自分が経営する学園の破綻や債務の弁済、事後処理など東奔西走している立場だと思うのだが、国会の傍聴席にのこのこ出てきて、薄ら笑いを浮かべ、議員食堂で食事をして、うどんが辛かったなどというコメント出している。いったい何様だと思っているのだろうか。それをご丁寧にメディアが報じている。まさに後ろで彼を支えている政治勢力があるという事を物語っている。森友問題をネタに政府を追及し、政局にしようとする野党がいる一方、真相をあかして、正直に謝らない与党がいる。そうしたことに日本の政治の進歩の無さを感じるし、他にやることはいっぱいあるだろうと言いたくなる。

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2017年5月 4日 (木)

憲法改正の是非を考える(最終回)

◆安倍総理が遅々として進まぬ憲法改正論議にしびれを切らしたのか、5月3日の憲法記念日にタイミングを合わせるように、新聞とテレビで憲法改正に向けて強い決意を表明した。驚いたのは2020年に改正した憲法を施行することとし、その柱は憲法9条に自衛隊を明確に位置付けること、それを正面から打ち出したことだ。総理としては戦後70年、誰も成し得なかった憲法改正を自分の在任中に、自分の手で目途をつけたいという思いが、ここにきて急に浮上したのだろう。

◆しかし些か短兵急ではないか、何か焦りさえ感じる。国民や野党への根回しが十分とは思えない今の状況で、反対勢力の説得に成算があるのだろうか。「天下分け目の関ケ原」ではないが世論を二分した総選挙の洗礼を受けなければならない。次期総選挙、続く参院選でも与党勢力が3分の2を維持する勝算があるのだろうか。大変な賭けになるだろう。

◆問題は憲法改正そのものが目的化して、「何のために改正するのか、どこをどのように改正するのか、改正して国民の暮らしはどうなるのか」といった説明は今までは充分ではなかった。これからは理解を得るため大変な努力が求められるが、問題なのは憲法改正を認めたくない勢力の人たちが一丸となって、あらゆる難癖をつけ、メディアも呼応して不安感を煽り、野党は審議入りを拒否。与党が強硬に進めていることを印象付けて、「安倍内閣はこういう悪い事しているんですよ。許すんですか」と、国の将来のことより妨害することを目的とした一大キャンペーンを展開することが予想されることだ。ここで失敗すれば、本当に必要になった時に、改正することができなくなるかもしれないということを肝に銘じて慎重に対処することが求められる。

◆また憲法改正すべきは何も9条だけではない。安倍総理は維新の党の主張を取り入れて高等教育の無償化も打ち出す方針のようである。他にも緊急事態における国政の在り方、衆議院・参議院の役割の見直し(一院制も含めて)、被害者側の人権等、この連載の(1)~(3)までにいくつか取り上げるべきテーマを述べてきた。また裁判員制度が採用されたが、この制度は本来憲法上に明記すべきマターではないだろうか。

日本は曖昧な文化、ファジーなものを受け入れる素地がある。文化などはそれで良いかもしれないが、法整備は明白なものがよい。国家元首の規定も曖昧のままで、明確になっていない。9条における自衛隊の地位についても、曖昧のままであることに違和感はないらしい。安倍総理が一石を投じたことで、国民一人一人が真剣に考える切っ掛けができたと捉えるべきではなかろうか(終り)

2017年5月 3日 (水)

憲法改正の是非を考える(3)

【第9条の平和主義について】
◆憲法改正に関し、最大の問題として常に議論されるのが、「戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認」を謳った第9条だ。第一項は「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という世界に例を見ない崇高な条項だ。これを否定する人はまずいないだろうし、永久に守っていかねばならない理念だ。しかし第二項に定めた「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これは認めない。」が常に問題となるところだ。

◆まず自衛隊の存在そのものが、この憲法には一切触れられていない。確かにこの憲法の施行後に自衛隊の前身が発足しているのだから、それは当然として、発足後は何度も見直す機会はあったはずだ。しかし、日本を取り巻く国際情勢の変化と憲法違反と騒ぐ国内世論の板挟みにあって、「自衛隊は軍隊ではない」という苦しい言い訳を続けてきた。その大きな矛盾を先延ばしにしてきた結果が招いた今日の現状と言えるのではないか。

◆今では誰が見ても自衛隊軍隊であり、戦力そのものだ。北朝鮮のミサイルが我が国の領土に被害を及ぼしたり、中国が尖閣諸島を占有したなどの紛争が起こった場合に、自衛隊が憲法違反の疑いがあるとして動かなかったとするならば、何のための戦力か、批判のもとになるだろう。日本の憲法が交戦権も認めず、戦力を保持しないのであれば、自衛隊は憲法違反そのものとなって、即刻廃止するのが筋ではないか。そして日本は憲法の精神に沿って非武装中立、国際平和に貢献するという道を選ばなくてはならないはずだ。その前提は、このような平和憲法を有していれば、まさか丸腰で善良な国を攻める邪悪な国はないだろうという楽観的考えに立ったものと言える。また内実は国際紛争には関わらない、一国平和主義であればそれでよいという考えが根底にあるように見える。

◆結局「憲法は自衛のための戦力の保持までは否定していない。平和憲法を頑なに守って国が滅んでしまっては元も子もない」という解釈を打ち出し、必要最小限の戦力の保持と一国だけで防備することは困難との考えから日米安保を維持し、周辺諸国の軍備の増強に対して、徐々に整備・拡充してきた。これに対して「なし崩し的に憲法違反を続けているから、けしからん」という反対勢力と、「現行憲法は時代の変化に合っていない、自衛のための戦力保持と自衛のための交戦権は認めるべきで、憲法に明記すべきだ」という勢力がぶつかって、互いに譲らず70年経過したというのが実情だ。しかし、結果的には双方とも中途半端な現状を追認してきたというのが現実ではないだろうか。

◆国民の意見はどうか。まず多くの識者、メディア、左傾野党は憲法9条改正は戦争に繋がりかねないと不安感を煽る。国民の一部からは時折「憲法改悪反対!」という大きな声が聞こえてくるが、概ね「憲法改正の是非」は半々のようで、大半は「よくわからない、違憲だろうが改憲だろうが自分達には関係ない、現状のままで良い、無関心」と言っているように見える。即ち、自衛隊の法的立場を明確にせず、中途半端のままでよいと言っているようだ。これではいくら議論をしても始まらない。そこで提案だ。
シュミレーション(1)「自衛隊を違憲として廃止する。当然安保条約はどことも締結しない。外交だけで世界平和を希求する」
シュミレーション(2)「自衛隊を憲法に明記して、同盟諸国とともに世界平和を希求する」の二つのケースを想定し、予想されるメリット・デメリットを国民に提示してはどうか。(続く)

2017年5月 2日 (火)

憲法改正の是非を考える(2)

◆前回天皇制のことについて若干触れたが、日本国憲法は国家元首が誰であるか、必ずしも明確にしていない。憲法上は条約締結権や外交関係を処理する機能は内閣にあるから、元首は内閣ないし内閣の代表権をもつ内閣総理大臣ともいえる。ところが第7条の天皇の国事行為の中には、全権委任状及び大使・公使の信任状の認証批准書その他の外交文書の認証などの他に、外国大使・公使を接受することも入っており、その限り国を代表する機能を果たしていると言える。従って、諸外国も天皇を日本の元首として扱っている。日本は元首が誰であるか憲法上曖昧にしているが、諸外国は重要視する。日本は憲法改正論議に繋がりかねないから、避けようとしているのだろうか。

【三権分立について】
◆三権分立は言うまでもなく近代国家に共通の普遍的な憲法上の基本原理となっている。日本国憲法では立法権国会)、行政権内閣)、司法権裁判所)をそれぞれ明確に規定している。即ち国会は第4章で、内閣は第5章で、司法は第6章で明文化しており(第41条から第82条まで)、これらが問題になることは殆どない。しかし我が国は国会において何故二院制をとっているのか、憲法上では明確になっていない。


◆現状の国会を見るにつけ、参院は衆院のカーボンコピーと揶揄されるように、一院制でもいいではないかという意見もある。また衆議院の優越性を謳っているものの、参議院の力は強いものがあり、衆参のねじれ現象が起こった場合など、党利党略を優先させ、立法府が混乱に陥る状態は過去何度も起こった。そもそも参議院の存在意義とは何か? 果たして必要なのか? もし必要とするならば、衆議院との違いは何かなど役割を明確化する必要があるだろう。

◆近年「法の下の平等」(第14条・・すべての国民が法の下に平等であって、-略- 差別されない)を盾に、一票の格差を問題視して、国政選挙後に国を相手に訴訟を起こすことが恒例化している。その結果、2.0以下の数字に拘るばかり、2県でひとつの選挙区を構成するなど、選挙区と行政区のミスマッチが起こり、問題となっている。また都会の定数増傾向とは逆に過疎地の定数減の傾向はますます広がり、地方創生を訴える国の方針との関連性はどうなのか、疑問を呈す向きも少なくはない。(続く)

2017年5月 1日 (月)

憲法改正の是非を考える(1)

5月3日は憲法記念日。昭和22年(1947)5月3日に新生「日本国憲法」が施行されてから、満70年が経つ。この70年間、憲法の三原則が働いて、曲がりなりにも国民の暮らしは向上、社会は繁栄し、他国と戦火を交えることもなく、平和を謳歌してきた。人間で言えば古希を迎えたこの憲法だが、誕生した70年前と現在では大きく世の中は変化してきている。これを契機に憲法の在り方を見直し、未来に向かって残すべきもの、改めるものを今一度考えることは無駄ではないだろう。

【日本国憲法の三大原則について】

(1)国民主権: 国の意思を最終的に決める権利は国民にある。即ち国民が選んだ政治家や彼らが作った政策・法律・制度であっても、国民の責任において選挙等で覆すことができるということであり、その意味では国民も彼らに任せっきりにするのではなく、常に注視しなければならないということを再認識する必要がある。

(2)基本的人権の尊重: 人間は誰でも生まれながらにして人間らしく生きる権利を有し、この権利は侵すことのできない永久の権利として尊重されなければならない。基本的人権には、①自由権:思想・良心の自由、信教自由、学問の自由、表現の自由、職業選択の自由など、②平等権:差別的な扱いを受けない権利、③社会権生存権):健康で文化的な最低限の生活、教育を受ける権利、④参政権:選挙権、被選挙権など、⑤請求権:裁判を受ける権利等、が謳われている。具体的には第三章の「国民の権利及び義務」の10条から40条までに細かく規定されているが、権利の多さに比べて義務については教育の義務、勤労の義務、納税の義務くらいしか謳っていない。法令を遵守して、罪を犯してはならないと言った当然の義務には直接触れず、むしろ犯罪者の人権を守る規定は過保護的でさえある。逆に被害者側の人権には殆ど触れられていない。ここに加害者に優しく、被害者に厳しい日本社会の病巣があるように思えてならない。

(3)平和主義: 第二次世界大戦を通じて日本は戦争の悲惨さを痛感した。その結果日本は「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」を憲法に定めた。日本国憲法第9条は世界にも珍しい平和憲法と言えるが、理想と現実の狭間で常に議論の矢面に立たされている。これについては、次回以降に詳述したい。


【天皇制について】
◆日本国憲法の第一章は「天皇」に関する規定であり、第一条に「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」とある。この天皇に関する条文こそ、1500年有余の世界に稀有な歴史を擁する日本の国の在りようを明文化したものであり、世界に誇れる天皇制を現代に適応させた条文に他ならない。従来否定的だった共産党も最近では態度を改め、認めつつある。天皇制の在り方については昨年8月、天皇が「お言葉」を表明されてから、有識者や国会の議論を経て、退位と継続性について、よりよい形で纏まると期待する。皇室典範の改定は伴うだろうが、憲法の条文を改定するまでの必要はないだろう。(続く)

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