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2017年5月 3日 (水)

憲法改正の是非を考える(3)

【第9条の平和主義について】
◆憲法改正に関し、最大の問題として常に議論されるのが、「戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認」を謳った第9条だ。第一項は「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という世界に例を見ない崇高な条項だ。これを否定する人はまずいないだろうし、永久に守っていかねばならない理念だ。しかし第二項に定めた「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これは認めない。」が常に問題となるところだ。

◆まず自衛隊の存在そのものが、この憲法には一切触れられていない。確かにこの憲法の施行後に自衛隊の前身が発足しているのだから、それは当然として、発足後は何度も見直す機会はあったはずだ。しかし、日本を取り巻く国際情勢の変化と憲法違反と騒ぐ国内世論の板挟みにあって、「自衛隊は軍隊ではない」という苦しい言い訳を続けてきた。その大きな矛盾を先延ばしにしてきた結果が招いた今日の現状と言えるのではないか。

◆今では誰が見ても自衛隊軍隊であり、戦力そのものだ。北朝鮮のミサイルが我が国の領土に被害を及ぼしたり、中国が尖閣諸島を占有したなどの紛争が起こった場合に、自衛隊が憲法違反の疑いがあるとして動かなかったとするならば、何のための戦力か、批判のもとになるだろう。日本の憲法が交戦権も認めず、戦力を保持しないのであれば、自衛隊は憲法違反そのものとなって、即刻廃止するのが筋ではないか。そして日本は憲法の精神に沿って非武装中立、国際平和に貢献するという道を選ばなくてはならないはずだ。その前提は、このような平和憲法を有していれば、まさか丸腰で善良な国を攻める邪悪な国はないだろうという楽観的考えに立ったものと言える。また内実は国際紛争には関わらない、一国平和主義であればそれでよいという考えが根底にあるように見える。

◆結局「憲法は自衛のための戦力の保持までは否定していない。平和憲法を頑なに守って国が滅んでしまっては元も子もない」という解釈を打ち出し、必要最小限の戦力の保持と一国だけで防備することは困難との考えから日米安保を維持し、周辺諸国の軍備の増強に対して、徐々に整備・拡充してきた。これに対して「なし崩し的に憲法違反を続けているから、けしからん」という反対勢力と、「現行憲法は時代の変化に合っていない、自衛のための戦力保持と自衛のための交戦権は認めるべきで、憲法に明記すべきだ」という勢力がぶつかって、互いに譲らず70年経過したというのが実情だ。しかし、結果的には双方とも中途半端な現状を追認してきたというのが現実ではないだろうか。

◆国民の意見はどうか。まず多くの識者、メディア、左傾野党は憲法9条改正は戦争に繋がりかねないと不安感を煽る。国民の一部からは時折「憲法改悪反対!」という大きな声が聞こえてくるが、概ね「憲法改正の是非」は半々のようで、大半は「よくわからない、違憲だろうが改憲だろうが自分達には関係ない、現状のままで良い、無関心」と言っているように見える。即ち、自衛隊の法的立場を明確にせず、中途半端のままでよいと言っているようだ。これではいくら議論をしても始まらない。そこで提案だ。
シュミレーション(1)「自衛隊を違憲として廃止する。当然安保条約はどことも締結しない。外交だけで世界平和を希求する」
シュミレーション(2)「自衛隊を憲法に明記して、同盟諸国とともに世界平和を希求する」の二つのケースを想定し、予想されるメリット・デメリットを国民に提示してはどうか。(続く)

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