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2017年4月

2017年4月27日 (木)

北朝鮮の暴発を止める妙策はあるか

◆朝鮮半島がかつてないほどの緊張感を見せている。北朝鮮、米・韓連合軍とも、まるで戦争が勃発したかと錯覚するようなシーンの軍事訓練を展開し、一触即発の状態となった。日本も米空母「カール・ビンソン」等の打撃軍と海自の護衛艦の共同訓練を今週末にも日本海で行うという。政府は北朝鮮が日本国内にミサイルを発射するなどの事態を想定して、非常警報や避難方法を示唆する。メディアも危機を煽り、わざわざ原発などの危険な個所を教えているようだ。

◆しかし、アメリカ、北朝鮮、韓国、日本、中国、どの国も決定的な戦争への突入は望んでいない。一旦火蓋を切れば一巻の終わりだからだ。朝鮮半島の消滅、日本の破壊、米中も無事では済まされないだろう。何よりも世界経済へ及ぼす影響は計り知れない。それが分っているから、双方とも「やるぞ、やるぞ」と戦力を誇示しながら、寸止めで終わっている。だが、このままの中途半端な状態で北が何もせず、大人しく引き下がるとも思えない。北は「核とミサイル」は伝家の宝刀として手放す訳はなく、今後も質量とも強化を図るだろう。ただそのための資金と石油は必要不可欠だが、それが北の弱点にもなっている。

◆トランプ米大統領の圧力で、中国まで本気で制裁に加担すれば、「窮鼠猫を食む」で、地獄への道連れとばかり、日本や韓国への攻撃は十分にあり得る話だ。そこでよく言われることが、「武力ではなく、話し合いで解決せよ」と誰もが簡単に口にする解決策だ。話し合いの解決とは、外交力で丸く収めるということだろうが、果たして今の日本に北朝鮮と外交戦を交わす力があるだろうか。相手は一筋縄どころか百筋縄でも行かない相手だ。何しろ「核」をチラつかせて交渉するだろう。対等に渡り合える外交力を持っていたら、拉致問題はとっくに解決していたと思う。

◆話し合いをするという事は、相手に何を求めるか、相手に何を与えるか、その辺の軸をしっかり持っていなければ、話し合いも何もあったものではない。日本が北に対して求めるものは「核とミサイルの放棄、もしくは開発・実験の停止、拉致被害者の返還」だろう。北が日本に求めるものは「金正恩国家体制の支持、核保有国としての認知」だ。また「米軍基地を排し、米軍を日本から追い出せ」と言われかねない。さらに「1965年の日韓合意」で韓国に支払ったように莫大な戦後賠償金を要求されるだろう

◆こうした要求に日本が単独で応じることはあり得ない。北はそれが分っているから、「話し相手は日本ではない、米国だ」と言い続けている。平和的な解決を話し合いで模索していくことは何より大切だが、日本は単独では無理だし、国際協調のもとで外交努力を続けていくしかない。アメリカのように武力を背景に圧力をかけ、話し合いで屈服させることが可能なのか。今はそれすら難しくなってきている。こうなると米軍による極秘の斬首作戦に期待するか、国際協調で北の体制崩壊工作を進めて、軟着陸を目指す手を模索するか。この場合鍵となるのは露・中だろう。

2017年4月22日 (土)

領海、接続水域、排他的経済水域について

中国船の尖閣諸島への領海侵犯、北朝鮮の我が国の排他的経済水域へのミサイル発射実験など、我が国の海域への一方的な侵犯が多発して、緊張感が高まるばかり。そもそも領海とは何か、接続水域排他的経済水域(EEZ)とは何か?今一度おさらいしたい。

【国連海洋法条約】は、海洋法に関する包括的・一般的な秩序の確立を目指して1982年4月に第3次国連海洋法会議にて採択され、1994年11月に発効した条約だ。17部320条の本文と9つの附属書で構成されている。2013年4月現在、165の国・地域と欧州連合が批准しているが、アメリカ、トルコ、ペルー、ベネズエラは火締結国となっているという。

【領 海】とは沿岸から12海里約22km)までの海域のこと。領土や領空のように沿岸国の主権が及ぶ。自国の内水域に対して国家は領土と同程度に排他的な権利を行使することができると決められている。因みに1海里とは1緯度の60分の1(1852m)のことで、1756年に決められた。

【接続水域】は領海の外側にあり、基線(沿岸)から24海里の範囲で、沿岸国が設定する水域のこと。接続水域は領海の外側12海里までの海域を指し、沿岸国が通関や出入国管理、衛生上の規制への違反を防止するために規制権を行使できる。


【排他的経済水域】EEZ(Exclusive Economic Zone)とも言われる。この制度は新たに創設されたもので、沿岸国は自国の領海に接続する水域で、領海基線から200海里約370km)までの水域を排他的経済水域として宣言することができるというもの。この制度は天然資源の探査、開発、保存、管理などと言った経済的目的にのみ限定された権利のことであり、主権的権利を有するが主権そのものではない。そのため排他的経済水域における沿岸国の「排他性」は、極めて制限されたものと言える。条約に定められた目的以外のための利用に関しては基本的に公開としての地位を有し、外国船舶や外国航空機は他国の排他的経済水域において、沿岸国の主権的権利を侵害しない限り、航行・上空飛行の自由を有する。沿岸国には自国の排他的経済水域における生物資源の保存・最適利用促進の義務が課せられ、その水域における漁獲可能量と自国の漁獲能力を決定した上余剰分については他国に漁獲を認めなけらばならないとされる。

【島の定義】水に囲まれていて高潮時にも水面上にある自然に形成された陸地を島と定義する。島にも独自に領海、接続水域、EEZ、大陸棚が認められるとされた。この条約では人工島は島としての地位を有さないとしている。(以上はウィキペディア参照)

◆さて問題はこれから。中国が尖閣諸島で公船、漁船、偽装漁船、時に艦船を派遣し、日本のEEZはおろか領海侵犯を繰り返している。日本が物理的・経済的に実効支配しているとは言えない状況下にあって、中国は尖閣の領有を主張している手前、日本より早く実効支配を得るための戦略的行動である。日本は防戦を強いられるのではなく、海保の庇護のもと漁業の展開、海底資源の探査、島の生物資源の調査保存など、条約で認められていることを粛々と実行して、実効支配を高めていくしかない。もちろんその前提として国際世論を味方につけておくことが求められる。北朝鮮のミサイル発射に関しては、ことが複雑で、簡単にはいかないので、別途ブログにUPしたい。

2017年4月19日 (水)

「教育勅語」と「十七条の憲法」

◆森友学園問題に端を発した「教育勅語」が俄然注目を集めるようになった。私の友人で明治神宮まで出かけ、ペーパーをもらってきた人がいる。その印刷物には、「教育勅語原文」及び「口語文訳」、発布の意図を分かりやすく説明した「明治天皇と教育勅語」、そして勅語の要点を記した「教育勅語の十二徳」がA4一枚に収められている。

◆「十二徳目」のうち前半の6項目は、個人として立派な人格、平和な家庭、道義的な良い社会づくりを目指すものであり、後半の6項目では勉学、人格向上、社会貢献、遵法・秩序など教育の向上を指針としている。「教育勅語」と呼んでも、明治天皇に限らず、いつの世でも目指す指針は不変のものと思われる。
但し、最も問題視されているのが最後に謳われた「義勇」即ち、原文では「一旦緩急アレハ、義勇公ニ奉ジ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」と述べられている点だろう。口語訳では「非常事態の発生の場合は、真心を捧げて国の平和と安全に奉仕しなければなりません」と書かれている。これとて普通に考えれば、自国が他国から攻められようとすれば、愛国心があれば祖国を守ろうとする気持ちを持つのは自然の成り行きと言える。


◆問題なのは、かつての日本軍は軍国主義を推し進めるために、この規定を拡大解釈して、「教育勅語」そのものを国が求める人材の在り様に利用したことにある。御上からの押し付けが結局この国の歴史に大きな過ちを残した。戦後昭和23年、国会で勅語の排除と失効が決議されたことで決着しているはずだ。
ところがこの葬られたはずの「教育勅語」が忘れた頃に頭をもたげてくる。その要因は現代社会における道徳心の欠如、社会秩序の乱れ、倫理観の喪失などと裏腹の関係にあると言っても過言ではない。「戦後の道徳教育がないがしろにされてきた結果の顕れである」とはよく聞く話である。


◆明治天皇を1400年ほど遡った祖先の一人、聖徳太子が604年に「十七条の憲法」を定めた。現代語訳を読んでみたが、これは法典というより道徳律であり、当時の朝廷に仕える諸氏族、役人に対して、守るべき態度・行動規範を示した服務規定ともいうべきものである。これが現代でも政治家・役人・勤め人等にそのまま当てはめられるのではないかと思われる。「教育勅語」のように子供たちに直接押し付けるのではなく、まず教える側の教師や教育者に対して、「十七条の憲法」を参考にした「期待される教師像」を明文化してみてはどうだろうか。子供は後姿を見て育つものだ。

 閑話休題:新解釈笑辞典
  ・「教育勅語」・・子供達には暗唱を強要しながら、それを指導した教育者は
   真逆なことをして、国会で糾弾されたり、破産することを指す。 

2017年4月17日 (月)

「小田原~熱海」人車鉄道と軽便鉄道の話(2)

小田原熱海間に、軽便鉄道の敷設の工事が始まったのは、良平の八つの年だった」で始まる芥川龍之介の短編小説『トロッコ』。モノの本によれば、神奈川県湯河原出身の力石平三が26歳の時に上京して、ある雑誌社に務め、芥川の弟子となって小説のもとになる材料を提供した。小田原~熱海間にそれまでの人車鉄道に代わって軽便鉄道が開業したのは明治40年12月のこと。主人公と思える力石少年が、切り替えのための土木工事を興味深く見物して体験したことを回想手記にまとめ、芥川がそれをもとに大正11年、30歳の時に短編小説に仕上げたものだと言われている。

300pxatami_railway_in_taisho_era(写真は熱海軽便鉄道、ウィキペディアより)

◆自分も長崎の少年時代にトロッコを利用した道路工事現場で似たような経験をしたので、良平少年の気持ちが手にとるように分かる。以前は芥川の実体験から書かれたものとばかり思っていたが、東京生まれで都会しか知らない芥川が、材料だけをもとに見たこともない農村生活や少年の経験、心理を生き生きと描写しているのはやはり天才としか言いようがない。小説では具体的に工事現場はどの辺で、どこまで行ったのかは記せられていないが、風景描写や諸状況から独断すると、湯河原町の東のはずれ辺りから小田原方面へ向かって真鶴町を越え、ひょっとしたら今の小田原市の西端、江之浦や根府川近くまで行って、夕闇迫るトロッコ道を一人涙を堪えながら、走って引き返したものと思われる。


軽便鉄道といえば、夏目漱石の「坊ちゃん」を思い出す。漱石が四国・松山に赴任し、軽便鉄道に乗って温泉に通ったのが、明治28年(1895)。 小田原と熱海間の軽便鉄道の開通が明治40年(1907)だから、12年前のことだった。松山軽便鉄道は距離も短く、平坦な場所だったため建設も比較的に楽だったのだろう。その点小田原~熱海間軽便鉄道は距離も長く、地形的にも難工事だったことは想像に難くない

◆まず、線路幅を61cmから76.2cmへ拡幅。勾配個所は極力減らし、カーブを緩めるための土木工事が必要だった。その時排出された大量の土砂を運ぶのが、少年が見た「トロッコ」だった。全線の距離は小田原・早川口~熱海間で25.3km、駅数14、所要時間2時間15分だったというから人車鉄道に比べ、早くなったとは言え、半分程度の短縮に過ぎなかった。その後会社の所有者や形態の変遷を経て、大正13年(1924)に廃止。1922年には国に移管され熱海線となって本格的なSLが運転された。(軌間は標準の106.7cm) 1934年に丹奈トンネルが開通すると同時に熱海線は東海道線に改められた。

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(写真は1907年、軽便鉄道に切り替えの際に導入された7号蒸気機関車。熱海駅前に展示されている。)

【軽便鉄道余話】

・営業当初は蒸気機関車煙臭さや夏の時期の暑さが不評を買った。またSL特有の煤煙に辟易した沿線住民が列車を襲撃する襲撃する時間も発生したという。
・漱石の弟子内田百閒が、湯河原町滞在していた夏目漱石を訪ねた際、軽便鉄道に乗車した。客車は小さくて中腰でないと立っていられず、のろくて勾配区間では逆行しそうになり、線路上の落ち葉でも機関車が滑るため、機関士がいちいち降りてどけていたと書き残している。

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写真左は根府川駅近くの新白糸橋の上を走るJR東海道線。鉄橋の下を国道135号線が走っている。それと並行して手前に新幹線が走っている(写真右側)。
撮影場所は県道740号線、100mほどの間に四つのルートが走る。(終わり)

2017年4月15日 (土)

「小田原~熱海」人車鉄道と軽便鉄道の話(1)

◆小田原~湯河原~熱海間は今でこそ新幹線、JR東海道線、国道135号線と付随する有料道路、県道740号線(旧道)など複数の交通手段があるが、江戸時代から明治初期にかけては交通の難所だった。今でも急峻な海岸線を見れば一目瞭然だ。明治21年(1888)に小田原馬車鉄道が国府津~箱根湯本間に開業したが、熱海方面に行くためには小田原で駕籠か人力車に乗り換えて、悪路を走るしかなく大変不便だった。因みに明治22年にはこの難所を避ける形で(御殿場回り)、東京~神戸間を走る東海道鉄道が開通している。

◆熱海の人達は箱根に対抗して、客の呼び込みを図るため、鉄道の早期開通を希求した。しかし、資金難と難工事のため取りあえず生まれたのが、世にも奇妙な豆相人車鉄道だった。この鉄道は、明治29年(1896)3月、熱海~小田原間で全線開通した。それまでは海岸線や狭い崖渕の道を駕籠か馬か人力車で通るしかなかった。この鉄道はトロッコ方式の車両を車夫が人力で押して走らせるもので、明治40年に軽便鉄道が開業するまで約10年余りの間、交通の主役として活躍した。正確なルートは定かではないが、大半は山よりの旧道(現県道740号線)と海よりの国道135号線を重なりながら南下していった。地形的にも曲がりくねった勾配の厳しい道で、下り坂では足踏み式のブレーキで速度を調整しながら、線路幅61cmの狭い軌道を走るため、スリル満点の乗り心地だったという。

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 ウィキペデアより                            根府川のモニュメント

◆この人車鉄道は1両が最大6人乗り、2~3人の車夫が押し、全長25.6kmを約4時間かけて走った。最大6車両が一組となって、1日6往復のダイヤが組まれ、上等・中等・下等の車両ランクがあって、運賃もかなり高額だった。従って地元住民が気軽に利用できるような交通機関ではなく、乗客は湯河原・熱海への湯治客や観光客が殆どだった。また乗客は登り勾配区間では下車させられたり、客車の後押しを手伝わされたりしたというから滑稽な乗り物として紹介されることも多かったという。

◆この人車鉄道の車両を自費で復元した人がいる。小田原市根府川の山の中腹にある「離れのやど 星ケ山」の代表内田昭光さんで、内田さんは残された写真を元に、設計図を描き起こし、2009年に車両を復元させた。内田さんの話によると、重さは150kg、平地なら大人一人でも簡単に押すことができるそうだ。もともと地元のミカン栽培を生業にしており、祖父の代にはその畑の中を人車鉄道が走っていたという話を聞いたことが、復元の切っ掛けだったという。
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「離れのやど星ケ山」敷地内にある復元された人力車両。片側真ん中に乗降口があり、4人、2人の対面乗車方式。これは上等タイプで、幌屋根式やガラス窓無しタイプなどいくつかのパターンがあった。

◆国木田独歩もこの人車鉄道に乗ったことがあり、その時の体験談をもとに短編「湯河原より」を書いている。また、知人に「実に乙なものであり、変なものである」という感想を記した書簡を送っている。今や小田原~熱海間はJR東海道線で約25分、新幹線では約9分。およそ120年ほど前に、西欧技術の粋であるSLが全国的に普及し始めた頃、独自の工夫で編み出した日本的な人車鉄道。牧歌的な中にも、将来への技術の発展を予想させる「芽」が見て取れる。(続く)

2017年4月11日 (火)

桜は満開になったが・・

小田原でも桜の満開は例年になく遅く、8~9日(土・日)頃満開になったようだが、
気持ちは少しも弾まない。
それもそのはず、ここ1週間ほど雨、曇り、小雨の繰り返しで、まさに
菜種梅雨と呼ぶにふさわしい春雨前線にスッポリはまってしまったようだ。
今日も朝から小雨が降り続き、冷え冷えとしている。

桜はスカッとした青空を背景にしてこそ、その美しさを100%発揮する。
今年の桜は週末までもってくれるのか、それとも散ってしまうのか。
ちょうど今のような時期の桜の哀れを詠んだ和歌を見つけた。


 花は散り その色となく ながむれば
          むなしき空に  春雨ぞ降る


                        (式子内親王 『新古今和歌集』)

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2017年4月 5日 (水)

桜はまだかいな

4月も5日を過ぎたというのに、ここ小田原の桜はやっと二分咲きか三分咲き。
東京では満開というのに、どうしたことだろうか。
例年、東京とほぼ同時期に満開を迎えていたはずだが、
今年はふざけ過ぎた冬の後で、当てが狂ってしまったのか。

歌心はないが、昔から桜を詠んだ歌は数が多い。すぐいくつか思い浮かぶ。
満開を歌ったものより、散る桜を詠んだものが多いようだが、
桜は散り際がよいということなのか。


・青丹によし 奈良の京は 咲く花の
          にほうがごとく  今さかりなり    小野 老
・いにしえの 奈良の都の 八重桜
          けふ九重に にほひぬるかな    伊勢大輔
・世の中に 絶えて桜の なかりせば
          春の心は  のどけからまし     在原業平
・久方の  光のどけき  春の日に
          しづ心なく  花の散るらむ      紀 友則
・花の色は 移りにけりな  いたづらに
          我が身世にふる ながめせし間に  小野小町
・高砂の 尾上のさくら さきにけり
          とやまの霞  たたずもあらなむ   前中納言匡房
・春風の 花を散らすと 見る夢は
          覚めても胸の さわぐなりけり     西行法師 
・ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の
          花も花なれ 人も人なれ      細川ガラシャ (辞世)
・風さそふ 花よりもなお 我はまた
          春の名残を いかにとやせん    浅野内匠頭 (辞世)
・敷島の 大和心を 人問はば 
          朝日に匂う 山桜花          本居宣長


 春爛漫の花の下  花よりもなお お酒かな     昼提灯

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2017年4月 3日 (月)

天皇陛下の退位問題を考える。

◆昨年8月、天皇陛下が退位を示唆する「お言葉」を発して8か月余が経った。多くの国民は理解を示したものの、国会においては「特例法か、皇室典範の改正か」で与野党が対立し、政争の様相を呈したが、最終的には共産党も含め、正副議長の取りまとめに合意した。天皇制の問題は日本の国の形を表す憲法の第1章に掲げられた最重要事項であり、与野党が一致して合意したことは喜ばしい。ところが自由党(小沢党首)だけは天皇のお言葉を忖度していないとして反対しているらしい。本当にどうしようもない一派ではある。

◆特例法の名称は「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」とし、典範付則に退位の文言を明記。付則に特例法は典範と「一体をなす」との根拠規定を置き、今回が将来の「先例となり得る」とした。政府は5月の大型連休後、特例法案と皇室典範の付則の改正後、皇室経済法など関連法の改正案を国会に提出し、今国会中に成立させたいとしている。

◆さて問題はこれからだ。平成30年(2018年)中に今上天皇が退位され、皇太子が即位されるとすれば、58歳での即位となる。因みに今上天皇は56歳で即位されたので、85歳の退位となり、在位30年となる。現皇太子も30年は在位されると想定すると、2048年に88歳で退位となる。その場合、継承順位の第一は秋篠宮に変わりないとすれば、秋篠宮の天皇即位は83歳となる。高齢での即位となるため、在位期間は短くなるが、90歳で退位されると仮定すれば、2055年に今の悠仁親王が即位されることになる。悠仁親王はその頃50歳になるが、その男子が皇太子として存すれば特に問題は無い。

◆昨日、たまたまTVの番組で-池上彰緊急スペシャル「皇室がわかれば日本がわかる」-を見た。皇室の在り方について、国民一人一人が考える時ではないかと結んでいたように思うが、具体的には男系男子が存在しなくなった場合に備えて、どのように対応するかという問題に置き換えてもよいのではないかと思う。

◆この場合三つの方途が考えられる。
(1)継体天皇の即位に倣って(507年)、歴代の天皇を5代ほど遡り、その子孫を見つけ出す。然しながら今は一般人であり、国民がどう受け止めるかという問題が残る。
(2)女性宮家」の創設を認め、安定的な皇位継承を図る。しかし、これについてもどこまで認めるかの課題がある。おそらく天皇直系の孫に限定すると現在3名。男系女性の天皇は過去に推古天皇、持統天皇など何人かの例があり、女性天皇を認めるならばこの辺までは異存がなかろう。ところがその女性天皇の男子を天皇として認めるとなれば、1700年以上継続されたとする「万世一系」の系譜が崩れることになる。即ち、その男子の父親は天皇家と異なる一般人となるであろうから、それを国民がどう判断するかにかかっている。
(3)後継者が無くなったことを機に、天皇制を廃止するという意見がある。この場合、国の形が根本的に変わることになり、憲法改正が必至となる。また、2000年近く続いた世界に比類ないレガシーとしての天皇制を2000年後の我々日本人だけの判断で捨て去ってよいのかという問題に関わってくる。いずれにしろ難しい問題だ。

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