2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ

最近のトラックバック

« 面妖な野党共闘の姿(上) | トップページ | トランプ政権下での日米安保の在り方(上) »

2017年1月19日 (木)

面妖な野党共闘の姿(下)

★1993年8月、日本新党の細川氏を首班とする野党8党非自民・非共産連立政権が誕生した。そのフィクサーは自民党から飛び出した新生党の小沢氏だった。国民は長期自民党政権に嫌気が差し、「政治改革・刷新」を求め、多くの無党派層が自民党と社会党にNOを突きつけた結果だった。細川内閣は清新さで当初71%の高支持を得たが、寄せ集め所帯の宿命で、翌94年4月に細川氏の政治資金の問題や深夜の消費税UP発言で立ち往生してしまった。続く羽田内閣は連立与党間の不協和音もあって、2カ月の短命内閣に終わった。

★一方小沢氏の強引なやり方に反感を持った社会党」は93年に連立政権を離脱。「さきがけ」も内閣から距離を置いた。自民党は連立から離脱した「社会党」と「さきがけ」を抱き込み、社会党の村山委員長を首班とする「自社さ連立政権」を誕生させ、政権の座に返りついた。この時社会党は「自衛隊を合憲、日の丸を容認」とまさに歴史的転換に踏み切った。前年の総選挙で大敗を喫した自・社が敗者同士で手を結んだ野合とも言える政権だった。「自社さ連立政権」は自民党の橋本内閣に引き継がれ、4年間存続したが、この間多くの政党の合従連衡、政治家の離合集散が続いた。要すれば連立政権は不安定なもので政争の具になりやすいという事を国民に示した形となった。しかし、日本の政治が一歩前進するための通らねばならない道だったかもしれない。

★野党単独で政権を奪取したのが民主党(現民進党)で、2009年9月から2012年12月まで3年間続いた。この政権の誕生から崩壊まで、表に裏に暗躍したのが小沢氏だった。政策よりも政局、政権獲得こそが唯一の目的で、そのための手段はどうでもよく、目的を果たした後に何をしたいのか見えてこない人物だ。彼の経歴を見ると、「自民党」幹事長を初め、「新生党」代表、「新進党」党首、「自由党」党首、「民主党」代表・幹事長、「国民の生活が第一」代表、「生活の党と山本太郎となかまたち」共同代表、現在は先祖返りして「自由党」代表と、だんだん先細りしている。この遍歴こそ彼のすべてを物語っている。

★その小沢氏が生き残りをかけて、民進、共産、社民各党に働きかけ、衆院選の候補者一本化を目指している。民進党は支持基盤を巡って、方向が定まらない。共産党の票は欲しいが、政権構想では容認しがたい。かつて消費税増税を巡って袂を分けた現野田幹事長に対して、選挙共闘で圧力をかけている。よく厚かましく会見できるもんだと感心し、その衰えないエネルギーに驚かされる。

★共産党は早々と260を超す小選挙区に立候補を決めたが、蓮舫体制の民進党は支持率の低迷、出馬希望者の不足等で候補者の擁立が過半数の238にも満たない。政権を奪われてからはや4年。その間何をやっていたのか。敗因を分析し、再建策を講じていたのか?結局何もやって来なかったから、今の体たらくがあるのではないか。党の体質を改め、新しいリーダー達を育成し、「これならもう一度民主党に任せてみよう」と言う気にさせないと、先は見えてこない。批判だけの政党なら共産党など他党に任せ、1から地力をつける時だ。数欲しさで安易な野党共闘など結ぶ場合ではない。過去の教訓から何を学ぶか、今のままでは共産党や小沢氏に利用されるだけだ。仮に野党共闘が功を奏し、政権をとったとしたら、実に面妖な内閣になるのは間違いない。(終り)

« 面妖な野党共闘の姿(上) | トップページ | トランプ政権下での日米安保の在り方(上) »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1299847/69305368

この記事へのトラックバック一覧です: 面妖な野党共闘の姿(下):

« 面妖な野党共闘の姿(上) | トップページ | トランプ政権下での日米安保の在り方(上) »