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2016年12月 6日 (火)

歴史における和暦と西暦の食い違い

12_2歴史小説を読んだり、歴史を学んだりするとき、年代・日付のことで迷ったり、疑問に思ったりすることはないだろうか。例えば本能寺の変は天正10年6月、西暦では1582年6月と習う。この場合は月が符合しているから特に問題はないが、日付を付記すると和暦では6月2日、西暦では6月21日となるそうだ。つまり旧暦と新暦の違いがあるからで、例えば今日12月6日は旧暦では11月8日に当たる。
12月や1月など、年をまたぐ時期に起こった事件や出来事などの表記はどうなっているのだろうか。この疑問に明確に答える記事に出会った。本年9月21日の読売新聞「歴史の年月日 正確な表現を」と題する笠谷和比古氏(注)の署名記事だ。副題に「西暦の年と和暦の月日の奇妙な合体」とある。

(注)1949年神戸市生まれ、国際日本文化研究センター名誉教授。日本近代史、武家社会論。著書に「歴史の虚像を衝く」、「関ケ原合戦と大阪の陣」など多数。

12月は赤穂浪士討ち入りの月。この事件は「元禄15年12月14日」に発生。元禄15年は西暦では1702年にあたる。ところが西暦の方が早く改まるため、和暦で年の瀬に起こった討ち入り事件は西暦では1703年1月30日の出来事だったという。よく見かける間違いは西暦年と和暦の月日を合体させた疑似西暦の例で、この場合1702年12月14日も1703年12月14日もともに間違いということになる。

こうした例は関ケ原合戦・・(和暦)慶長5年9月15日、(西暦)1600年10月21日・・(間違い例)1600年9月15日、王政復古の大号令・・(和暦)慶応3年12月9日、(西暦)1868年1月3日・・(間違い例)1868年12月9日や1867年12月9日、鳥羽伏見の戦い・・(和暦)慶応4年1月3日、(西暦)1868年1月27日・・(間違い例)1868年1月3日など数多い。
こうして見ると鳥羽伏見の戦いは1月3日と覚えているので、王政復古の宣言の正しい西暦
1868年1月3日と混同してしまう。


笠谷氏は言う。「疑似西暦を野放しにしていると、このようなトリックにからめ取られてしまいかねない。(略)もはやどれが正しい西暦で、どれが疑似西暦であるかの判別もつかないまま戸惑うことになるだろう。歴史家として多くの本や資料に当たる中で、懸念し続けてきた問題である。(略)表記が少し長くなっても、せめて関ケ原合戦なら『慶長五(1600)年九月十五日』、王政復古なら『慶応三(1868)年十二月九日』とする書き方が適切だと呼びかけたい」と締めている。確かに西暦表示をする場合、正しいからといって月日まで置き換えてしまうのは無理があるだろう。読みながら実際の日にちはひと月以上のズレがあるということを念頭に置いて読むべきだろう。

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