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2016年10月30日 (日)

富士山の宝永大噴火から300年

◆2014年9月、木曽御嶽山が大噴火。死者58名・行方不明者5名の大惨事を惹き起こした。今年に入ってからも、箱根山や口永良部島、浅間山などで火山活動が活発化した。4月の熊本地震(4/14日と4/16日に震度7の大地震が発生、7月2日までに発生した震度3以上の累計件数は406件に達した)の後、10月8日には阿蘇山中岳が噴火。また10月21日には鳥取県中部地震(M6.6)が発生。ここ数年の間に日本列島は地震・火山活動が活発化していることは間違いない。

◆10/15日と10/22日に放映されたブラタモリは「富士山青木ヶ原樹海の正体」をテーマに取り上げていた。青木ヶ原樹海の正体は、富士山最大級の大噴火・平安時代の「貞観噴火」で流れ出た溶岩の上に、1000年以上かけて再生した30平方kmにもなる広大な森だったという内容だった。記録に残る富士山の噴火で三大噴火と言われる噴火は、①延暦の大噴火(800年~802年)、②貞観の大噴火(864年~866年)、③宝永の大噴火(1707年12月16日に始まった大噴火)である。

◆平安時代は火山活動が活発化、延暦の大噴火では大量の火山灰を降らし、802年の噴火で相模国の足柄路(古代の東海道)は1年間閉鎖され、迂回路として箱根路が利用された。貞観の大噴火では北西斜面約10kmの地点の割れ目から大量の溶岩が流出し、青木ヶ原樹海の元となった。そして今から309年前の宝永の大噴火では富士山東南斜面で大爆発が起こり、噴煙の高さは20km、100km離れた江戸でも火山灰が2~5cm積もった。地下20km付近のマグマが滞留することなく上昇したため、爆発的な噴火になったという。一番大きな火口の最上部が宝永山となった。

富士山爆発と地震の関連】
・貞観大噴火は、貞観地震(869年)の5年前に起きた。陸奥沖の日本海溝付近を震源としている大地震(推定M8.3以上)であることから貞観三陸地震とも呼称され、5年前の3.11東日本大震災は貞観地震の再来ではないかと言われている。だが、同じパターンであるなら10年前に富士山が大噴火していることになるが、そうはなっていない。
・宝永の噴火の始まる49日前に宝永の大地震(最大級の地震で、震源は南海トラフ、M8.6~8.9)が発生。震源域となった南海トラフを東北に延長すると、駿河湾を通って、富士山西麓の活断層、富士川河口断層帯と連続しているので、東南海地震の方がより影響が大きいと思える。いずれにしろ関東近辺で起こる大きな地震の場合、前後25年以内に富士山に何らかの活動が発生している事例が多く、地震と富士山活動とは関連性があるとされる。
・富士山が噴火する場合、何らかの予兆が観測されているので、当面は大丈夫と思われるが予断は許されない。直線で45km圏内に住む身であれば、被害の程は計り知れないが、その時はその時と開き直るしかないだろう。


【ついでに】
宝永の大噴火では降灰が細かい塵となって、長い間江戸市民を苦しめ、多くの人が呼吸器疾患に悩まされたという。その模様を表した狂歌が残されている。
これやこの 行くも帰るも 風邪ひきて 知るも知らぬも おほかたは咳
(百人一首、蝉丸の「これやこの行くも帰るも 分かれては 知るも知らぬも あふ坂の関」の戯れ歌)

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