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2016年8月

2016年8月29日 (月)

「たのしみは~とき」

◆日本人より日本のことをよく理解していると言われる東京大学教授で、日本文学研究者のロバート・キャンベルさん。穏やかな語り口調で、クイズやバラエティ番組にも出演、親しみやすい学者さんだ。そのロバート・キャンベルさんが先日読売新聞コラムに「知識の先の想像自ら考える場に」という示唆に富んだ一文を寄稿していた。その中で「東大生は聞かれたことには速やかに的確に回答するが、聞かれたことの意味を考え、それを伝えることが苦手な学生もいる。正しい答えをだすだけではなく、答えの裏にある背景を俯瞰的に見る能力を育てるのに、道徳が重要になってくる」と記述していた。

◆その一例として、学生たちの教材に「橘曙覧たちばなのあけみ)」という幕末の歌人(1812~1868)の一連の歌を編纂した『独楽吟』(どくらくぎん)を使った。どの歌も「たのしみは」で始まり、「~とき」で終わる歌である。1994年今上天皇、皇后がアメリカを訪問した時、ビル・クリントン大統領が歓迎の挨拶の中で、この中の一首「たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時」を引用してスピーチしたことで、その名と歌は再び脚光を浴びることになったという

◆キャンベルさんは学生たちに一例として「たのしみは あき米櫃(こめびつ)に米いでき 今一月は よしといふとき」を紹介して、「ひと月はこれでよしだ、と詠んだ人の状況はどうなのか」と聞くと、なかなか言葉が出てこないという。戦後育った私には、米櫃の底が見えだす頃の心細さと、取りあえずひと月分入った時の安心感は、子供心にも十分理解できる状況であった。今の学生に想像せよと言っても、第一米櫃自体を知らないのかもしれない。知識を身に着けることは大切だが、その先にある世界を想像するには裏にある背景を俯瞰的に見る能力を育てること、そのためには道徳が重要になってくると言うのだ。まさにその通りで、東大生はこの国を動かすエリート集団になっていくだろうが、その根本には血の通った道徳心がなければならない。

◆清貧の中で、家族の暖かさや、小さな喜びを描いた橘曙覧。その作品をいま少し見てみよう。
・たのしみは 妻子
(めこ)むつまじく うちつどひ 頭(かしら)ならべて 物をくふ時
・たのしみは 空暖
(あたた)かに うち晴れし 春秋の日に 出(い)でありく時
・たのしみは 物識人
(ものしりびと)に稀にあひて 古(いに)しへ今を 語りあふとき
・たのしみは まれに魚煮て 児等(こら)皆が うましうましと いひて食ふ時
・たのしみは 庭にうゑたる春秋の 花のさかりに あへる時々


◆素直に自分の気持ちを表せば意外にできるもので、駄句ながら今まで作った中から3首ほど。(何たる道徳心の低さ!)
・たのしみは 湯上り後の 缶ビール 五臓六腑に 沁み渉るとき
・たのしみは 日本選手の メダル数 朝刊開きランク見る時 
(リオ五輪の際)
・たのしみは 毎朝開く 掲示板 花の青春 見つけたる時
 (高校同期会HPで)

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2016年8月27日 (土)

台風10号襲来

◆かつて高校の古文で台風のことを「野分(のわき)」と学んだ。野の草を吹き分けるほど強い風が吹くというところからきている。立春(2月4日)から起算して210日目、220日目頃に吹く暴風をそれぞれ二百十日二百二十日と呼んだが、日付で言えばおよそ9月1日、9月11日頃となる。その頃吹く暴風と言えば台風だ。また秋から冬にかけて吹く強い風のことも指し、源氏物語「桐壺」には、「野分立ちて俄かに肌寒き夕暮れの程・・」との一文もある。

◆平安時代の台風は貴族社会と同様、野の草を吹き分ける程度の優雅な台風だったのか。それが今では山を崩し、洪水を引き起こし、家を倒すほどの凄まじい台風となって襲ってくる時代となった。2013年11月にフィリピンを襲った「平成25年台風第30号」はフィリピン中部を横断し、レイテ島に高潮が襲って大きな被害を出した。最低気圧は895hpa、中心付近の風速は65m/秒最大瞬間風速は90m/秒、被害地域はパラオ、フィリピン、ベトナム、中国と広範に亘った。いわゆる「スーパータイフーン」だったと言われている。フィリピンだけで死者6200余、負傷者28,600余、行方不明1785名、農業やインフラに甚大な被害を及ぼしている。それならば、ついでに南シナ海で中国が不法に建設している人工島でも襲ってくれたらと思うのだが、たいしたことは無かったらしい。

Photo◆アジアのタイフーン、北米のハリケーン、インド洋のサイクロンなど、年々巨大化し、被害も増大している。今年の台風10号は通常とは逆の動きで、八丈島沖で発生し、沖縄沖へと移動していったので、「やれやれ」と思った。ところが南大東島周辺で足踏みし、勢力を増強した挙句、ブーメランのように後戻りして、明後日頃には広い範囲で本州を襲うと予測されている。台風自体が異常化しているようだが、まさに地球温暖化による異常気象だと断言できるだろう。沖縄の綺麗なサンゴが白化し、生物も殆ど見られなくなった映像をNHKが流していた。海水温の上昇が原因だが、同時に台風の勢力が増大する一因にもなっている。二酸化炭素の排出増加が地球温暖化の原因と分っていながら一向に改善しない。人間というものは行くところまで行かないと決断できないのか。取りあえず台風10号に備えて、ベランダでも片づけるとしようか。

2016年8月23日 (火)

「旭日旗」と韓国の態度

旭日旗と言えば、旧陸軍の軍旗として1870年に、また旧海軍の軍艦旗として1889年に使用され始め、現在でも陸上自衛隊の自衛隊旗としてまた海上自衛隊の自衛艦旗として使用されている。いわば明治の頃から一貫して日本の軍隊を象徴する旗印だ。しかし、敗戦後の平和憲法のもとでは戦前の軍国主義を想起させるものだとして、一部に否定的な見方もあることも確かだろう。右翼の街宣車が旭日旗を掲げ、軍歌を大音量で流し回るのも負のイメージを増幅させている。

Photo◆しかし、「旗」と「実際の行動」とは全く異なる。戦後の自衛隊は「シビリアン・コントロール」のもと、勝手な行動はできないし、平和憲法が大きな歯止めになっている。それどころか災害時における献身的な活動は国民の理解を得ており、憲法上の規定は別にしても、自衛のための戦力として認知されてきた。つまり「旗」のデザインは二の次で要は中身が大切ということなんだろう。

◆そもそも旭日旗は太陽(朝日)とその光をデザイン化したもので、子供が誰に教わらずとも太陽を描くとき、自然にそのように描くように素朴なものだ。旭日のデザインは「僥倖」、「めでたさ」を意味することから、軍隊に限らず昔から浮世絵や、大漁旗に描かれ、各種ポスターや民間の会社の商品など(アサヒビール、あけぼの缶詰、アサヒ靴等)のデザインにも用いられている。

◆ところが韓国は、いまだ戦前の植民地支配を根に持ち、反日の材料として、「旭日旗」イコール「日本軍国主義のシンボル」と喧伝して、徹底的に攻撃する風潮を持ち続けている。海外にも旭日のデザインを用いた商品を展開しているグローバル企業があるが、なんと驚くことには、韓国の広報の専門家徐敬徳誠信女子大教授が世界各地にいる韓国人ネットユーザーからの通報を受け、旭日旗のデザインを用いたグローバル企業10社(米・英・豪・伊・仏・スペイン等)宛に、是正を求める書簡と旭日旗関連の資料などを郵便・電子メールで送ったというのだ。

Photo_2◆「ここまでやるのか」と唖然とさせられる。こうした態度が世界で受け入れられると思っているのだろうか。韓国の精神構造が稚拙で三流のままだということを自ら世界にPRしているようなものだ。徐教授は今後、メールで通報を受けたら直ちに現地の留学生らと協力して、当該企業を直接訪問するなど、旭日旗退治キャンペーンを強力に進めていく計画だと言う。では何故、最も社旗のデザインが「旭日旗」のデザインに類似している朝日新聞社に対してはクレームをつけないのか?ここに韓国の動機の不純さが見て取れる。従軍慰安婦問題を最初に提起したのが朝日新聞だからだ。因みに朝日新聞は明治陸軍が旭日旗を採用した1870年の9年後にこの社旗を制定している。

2016年8月20日 (土)

陸上男子快挙!400mリレー見事銀メダル

 楽しみは 日本選手の メダル数 
           朝刊開き ランクを見る時


◆日本選手の活躍で、最後の最後まで沸かせてくれたリオ五輪。南米大陸初の五輪”リオ2016オリンピック”がまもなく閉幕する。閉幕を明日に控えた今朝10時過ぎ、陸上男子がやってくれた。「快挙!陸上男子400mリレー、銀メダル獲得!」である。陸上男子4×100mリレー決勝で、日本は山県亮太、飯塚翔太、桐生祥秀、ケンブリッジ飛鳥の絶妙なチークワークとバトンタッチの技術でジャマイカ(37秒27)に続いて、37秒60で見事銀メダルを獲得した。1人1人では100m決勝にも進めない選手達だが、4人のチームプレイとなると、実力以上のものを発揮するサムライジャパンの姿を世界中に示した。

◆今回のリオオリンピックは開幕当初から日本選手の活躍が目立った大会だった。新たなヒーロー&ヒロインが登場する一方、この大会が最後のオリンピックになると思われる選手たちの歓喜の涙や力を出し尽くした敗戦の涙など、胸打つ場面が多く見られた。Photo腰痛に耐えながら銅メダルを獲得した重量挙げの三宅宏実選手の笑顔。卓球女子団体でキャップテンを務め、重責を果たしたが、銅メダルに終わって悔し涙に泣き濡れた福原愛選手。満身創痍の中、前人未到の4連覇を果たした女子レスリング伊調馨選手の金メダルの涙。長年レスリングに限らず日本選手の鏡となり、今回選手団の主将を務め、4連覇という重圧を背負った吉田沙保里選手。力尽き銀メダルに終わって「責任を果たせなかった」と号泣する姿を初めて人前で見せただけに、特に印象に残った。何故だか胸を打ち、涙を誘う選手は女子選手に多い。

◆しかし全体をつぶさに眺めると、日本選手が到底歯が立たない競技や種目もあれば、もう少しでメダルに手が届く可能性があるもの、日本が得意としていても世界のレベルがそこまで迫っているものなど各種各様だ。日本のスポーツは従来、個人・学校・企業など個々の努力に任せられた側面があった。しかし、それでは世界に太刀打ちできないと、近年クラブスポーツの活躍などもあり、国もスポーツ庁を設立してハード・ソフト、資金面等で支援体制を充実するようになった。その成果も少しずつ現れ出したと言えるだろう。

Photo_2◆いろいろなスポーツの底辺を広げていくことと一握りのアスリート達への強力な支援体制車の両輪となって、日本のスポーツ全体のボトムアップに繋げていくことが大切だ。今回米国に続きメダル獲得数で2位につけている英国が、ロンドンオリンピックを機に長期低迷を脱し、スポーツ大国となった良い見本もある。また最近、外国人との間に生まれた子供達が、優れた運動能力と日本の精神面の良さを兼ね備えた若いアスリートとなり、活躍するケースが増えてきた。国際交流はもとより、移民の受け入れなど積極的に図って、将来を見据えたスポーツ政策を展開していくことも必要だろう。さあ、次は2020東京オリンピックだ。それまで何とか元気で、運動しながら健康を保とう。

2016年8月19日 (金)

2020東京五輪日程に疑問を呈す。

◆リオ・オリンピックの日本選手の活躍に一喜一憂している毎日である。リオは冬とはいえ、マラソンなどは暑さで選手も可愛そう。日本で応援している我々はエアコンの利いた部屋でないと暑さで参ってしまう。4年後、この時期に東京で開かれるオリンピック・パラリンピックはこの酷暑にどのように対応するのか、今から心配してしまう。

◆何故よりによって、こんな過酷な時期に開催するのか。実は国際オリンピック委員会(IOC)は夏季大会を7月15日から8月31日までの間に設定していることを大前提としているからだという。ではIOCは何故この時期を設定理由にしているか?それは一言でいえば「」のためである。つまりIOCは欧米のテレビ局から支払われる巨額の放映権を収入の柱としているからだ。そのため、欧米で人気プロスポーツが開催されておらず、テレビ番組の編成に余裕のある7~8月に五輪の日程を組むことで、収入を得るという仕組みを作ったのだ。

◆日本はこの決定に沿った形でプレゼンテーションをしたからに他ならないが、招致のコンセプトの中で気候について、晴れる日が多いこと、温暖であることが挙げられ、「アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候」だとしている。だが、実際は温暖どころか酷暑であることが現実だ。これでは一種の詐欺ではないか。日本で最高にスポーツに適した時期は10月であることは明白だ。1964の東京オリンピックでは10月10日に開会式が行われ、それを記念して「体育の日」ができた。
Photo◆近年、1984年のロスアンジェルス大会から、今年のリオ・デジャネイロ大会までの9回のオリンピックは殆ど7月から8月にかけて開催されているが、例外も無くはない。それは1988年のソウル大会(9/17~10/2日)、及び2000年のシドニー大会(9/15~10/1日)である。「2020年東京オリンピック」は7/24日開会式(サッカーは7/22開催)、8/9日閉会式、またパラリンピックは8/25日~9/6日までを開催期間として、各競技日程まで細かく決まっている。

◆「2020年東京オリンピック」のこの時期の開催はまさに、アスリートにとっても、国内外からの観客にとっても、そして多くのボランティアにとっても、熱中症という危険と隣り合せであることは住んでいる日本人が最も実感しているところだ。近年のこの時期の東京は最高気温35度前後の日が1週間以上続いたり、午前中から30度を超え、昼はスポーツどころか外に出るのも億劫になる。特に外国人にとっては日本特有の湿気が堪らないという。また外国人ならずとも熱帯夜で十分な睡眠がとれず、体長を崩しやすい時期だ。さらに、渇水で取水制限になれば、オモテナシどころではなくなる。このように真夏の東京の気候がどれほど過酷なものかということを、多くのアスリートも、大会役員も、IOC委員も本当に認識しているのか甚だ疑問だ。
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◆ここは「ダメモト」で、大会期間を10月に延期することをIOCに働きかけてもよいのではなかろうか。もちろん過去数年のこの時期の気温や湿度のデータ(日中の変化も含めて)、熱中症による被害者(死者)等のデータも提示した上での話だが。「2020東京五輪」はすでに「大会エンブレム問題」、「国立競技場問題」では大きなミソをつけ、変更を余儀なくされた。ことのついでに大会期間の変更があっても、「カネ」より「人の命」が大切だろう。人間、いくら科学が発達しても自然には勝てない場合があることは多くが承知しているはずだ。

2016年8月16日 (火)

墓穴を掘る

◆「墓穴を掘る」という言葉がある。言うまでもなく「自分で自分を失敗や破滅に陥れる原因を作る意味の常套句」として使われる。鎌倉の海岸で49歳の男性が自分で砂浜に掘った穴に埋まって死亡したというニュースを見て、不謹慎にもつい笑ってしまった。家族や友人と海水浴に来ていて、波打ち際から離れた場所で一人で座りながら自分の周りを手で掘っていて、突然周囲の砂が崩れ落ち、埋まってしまったらしい。しかし、手だけでよく自分が埋まるほどの穴を掘ったものだと、その根気強さには感心してしまった。

◆話は全く異なるが、中国が8月に入り異常と思えるほど尖閣諸島の我が国の領海、EEZ内に漁船集団(偽装?)や多くの公船を執拗に侵犯させている。これに対し数では劣る海上保安庁の巡視船が気の毒なほどに休む間もなく、海上警備に追われている。この背景には南シナ海における中国の不法な主張と行動に対して、仲裁裁判所がフィリピンの申し立てをほぼ全面的に認め、中国の行動は国際法に違反していると判断を下したことに関連がある。日本がこの裁定を全面的に支持して、周辺諸国に働きかけていることへの報復措置とみられることだ。さらに安倍改造内閣で防衛大臣に右寄りと見られる稲田さんが就任したことへの牽制、また国内の長老や世論向けへのPRとして利用している側面もあるだろう。

◆こうした状況に対して「自衛隊」を警備させたらという意見もあるが、これぞまさに彼らの思うツボ。「先に軍を出したのは日本だ」と言う口実を与えることになる。しかし実際には6月に尖閣周辺の接続水域に軍艦を侵入させ、挑発行為をエスカレートさせているのだ。ここは挑発に乗らず、国民が海上保安庁の警備行動を支持し、規模や予算の拡充に理解を示すことが大切だろう。また世界に向かって中国の違法な行為を訴え続けることが重要だが、政府は漸く手を付け始めた。また南シナ海で米軍が見せたように米軍と共同して自衛隊が訓練する形でパトロールすることも視野に入れてもよいのではなかろうか。

◆先日、政府は沖縄県・尖閣諸島などの離島防衛を強化するため、陸上から他国艦艇を照準とした飛距離300kmの新型ミサイルを開発する方針を固めた。23年度頃の配備を目指すとのことだが、13年に閣議決定した防衛大綱の際、直ちに着手していれば20年には配備できたはず。日本がやることは何事も遅すぎる。この移動式ミサイルが石垣島や宮古島に配備されれば、飛躍的に抑止力が高まることになり、尖閣諸島の警備の負担も軽減されるだろう

◆従来であれば野党やメディアから「専守防衛の域を超えているとか、過剰防衛だ」とかの批判がでるところだが、今のところ大きな反応を見せていない。中国を野放図のまましておけば、南シナ海の二の舞になることが予想されるからだろう。しかし国会が始まると「この新型ミサイルの開発は戦争に繋がる」と批判する向きも予想される。そうなれば、中国をますます助長させ、最終的には尖閣諸島などの我が国の領土は実効支配されかねない。それを阻止しようにも、「艦」対「艦」の衝突は避けたいところ。しかし現状の「地対艦ミサイル」では射程外のため、抑止力にはなっていない。新型ミサイルを開発・配備することが、領海侵犯の抑止力強化に繋がることは間違いなかろう。それともその開発配備が「日本の墓穴」を掘ってしまうことになるのか、従来通り巡視船による海上警備だけで、あの巧妙、狡猾、強権の中国から我が国を守ることができるのか。はたまた共産党一党独裁の習近平体制が、いずれ墓穴を掘ることになるのか、よくよく思案したいものだ。

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綺麗な紫色の野ボタン

2016年8月10日 (水)

山の日に因んだ歌あれこれ

歌声喫茶」でよく歌われた主な山の歌を振り返ってみた。最もオーソドックスで文字通り雪山を称えた歌が「雪山賛歌」。この歌は後に第一次南極観測越冬隊長となる西堀栄三郎が京都大学山岳部時代の1927年、冬場の雪で足止めを喰らった際に、仲間たちと「山岳部の歌」を作ろうと話し合い、『いとしのクレメンタイン』のメロディに合わせて詩を書いたものだという。ダークダックス他、多くの歌手にカバーされ、今も歌い続けられている。

 『雪山賛歌』          作詞:西堀栄三郎 (傍線部分繰り返し)
・雪よ岩よわれらが宿り  おれたちゃ町には住めないからに
・シールはずしてパイプの煙  輝く尾根に春風そよぐ
・けむい小屋でも黄金(こがね)の御殿  早く行こうよ谷間の小屋へ
・テントの中でも月見はできる  雨が降ったらぬれればいいさ
・吹雪の日にはほんとにつらい アイゼンつけるに手が凍えるよ
・荒れて狂うは吹雪かなだれ おれたちゃそんなもの恐れはせぬぞ
・雪の間に間にきらきら光る 明日は登ろよあの頂きに
・朝日に輝く新雪踏んで  今日も行こうよあの山超えて
・山よさよならごきげんよろしゅう  また来る時にも笑っておくれ  


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アルプス1万尺』    童謡  作詞者不明
元歌はアメリカ民謡で、独立戦争時の愛国歌”Yankee  Doodle”。日本では「アルプス1万尺」の訳詩で愛唱されるようになった。歌詞は29番まである。
・アルプス1万尺小槍の上で アルペン踊りを踊りましょう
(ラーラララ ランランラン~)
・昨日見た夢でっかいちいさい夢だよ のみがリュックしょって富士登山(〃)
・お花畑で昼寝をすれば 蝶々が飛んできてキスをする(〃)
・一万尺に テントを張れば 星のランプに手が届く(〃)


山男の歌』     作詞・作曲:不詳 (傍線部分繰り返し)
娘さんよく聞けよ山男にゃ惚れるなよ 山で吹かれりゃよ若後家さんだよ
娘さんよく聞けよ山男の好物はよ 山の便りとよ 飯盒の飯だよ
山男よく聞けよ 娘さんにゃ惚れるなよ 娘心はよ 山の天気よ
山男同志の心意気はよ 山で鍛えてよ 共に学ぶよ
春夏秋冬 山行く人の心はよ 山にあこがれよ したしい友とよ
娘さんよく聞けよ 山男に惚れたらよ 息子達だけはよ 山にやるなよ
娘さんよく聞けよ 山男の心はよ 山で鍛えたよ男意気だよ

*山男と称する者の、些か独善的な感じがしないでもない。

いつかある日』  原詩:Roger Duplat, 日本訳詩;深田久弥 作曲:西前四郎
いつかある日 山で死んだら 古い山の友よ 伝えてくれ
母親には 安らかだったと 男らしく死んだと 父親には
伝えてくれ いとしい妻に 俺が帰らなくても 生きていけと
息子たちに 俺の踏み跡が 故郷の岩山に 残っていると
友よ山に 小さなケルンを 積んで墓にしてくれ ピッケル立てて
俺のケルン 美しいフェイス 朝の陽が輝く 広いテラス
友に贈る 俺のハンマー ピトンの歌声を 聞かせてくれ

*この歌は「山」を戦場という言葉に置き換えると、まさに戦争に向かう戦士を歌っているようで、センチメンタリズムやロマンチスズムを感じる。メロディが綺麗なだけに、よけいに死を美化しているように思われる。最近ではあまり歌われていないようだ。(終り)

国民の祝日「山の日」に思うこと

◆今年から、8月11日が「山の日」として国民の祝日に制定された。7月に「海の日」があるのだから、「山の日」があっても不思議ではない。学生時代登山ブームがあった。群馬県と新潟県の境に位置する谷川岳は2000mに満たない山だが、「魔の山」、「死の山」と恐れられた。首都圏から近く、高度な岩登りの技術を要する山として多くの若者が挑戦し、毎年多くの遭難者を出した。1931年に統計がとられてから81年間で死亡者の数は805名。これは全世界8000m級の山14座の死者637名を超えて、世界の山のワースト記録としてギネスに認定されているという。

Photo◆1957年に刊行された井上靖の「氷壁」も登山ブームに拍車をかけた。北アルプス(穂高、槍ヶ岳等)、中央アルプス南アルプス(北岳、鳳凰、仙丈等)などの登山ブームは戦後になってから一気に開花し、昭和30年代、40年代のブームは猫も杓子もといった感じだった。私はと言えば体育クラブのオープン・ハイクに参加して、初冠雪で腰まで雪に埋まって八ヶ岳に登った程度だが、山の魅力の万分の一くらいは分っているつもりだ。しかし社会人になると、早くも遥かな遠い存在となり、歳を経るに従って高所恐怖症になり、近場のハイキング程度で満足している。

◆「山」といえば1955年頃から1965年頃にかけて、新宿で大ブレイクした「歌声喫茶」が忘れられない。「」、「カチューシャ」など、毎晩学生・労働者などの若者で溢れ、リーダーの音頭のもと、アコーディオンなどの伴奏で店内の客が一緒に歌う。初めて入った時はその熱気に圧倒された。主にロシア民謡、唱歌、労働歌、反戦歌などだったが、山を謳った歌は登山ブームもあってリクエストが多かった。街にはこれから登山に行く者、帰ってきた者が登山靴を履き、ザックを背負って闊歩していた。ザックは今では見られない横に長いキスリングが主流で、駅の改札を通るとき、横向きでカニ歩きでしか通れないために、「カニ族」と呼ばれ迷惑がられた。新宿発11時50分過ぎの夜行列車は連日登山客で溢れていた。

◆「歌声喫茶」は1965年をピークに退潮に向かう。1975年以降にカラオケが流行り出した。カラオケは1人またはデュエットで歌うが、「歌声喫茶」は旨い下手は関係なく、皆で一緒に歌って盛り上がるので、連帯感を生む。(一時的なものだったかもしれないが) しかし、それは次第に時代の風潮に合わなくなった。客単価が低く、経営的にも立ち行かなくなったことも一因だったと謂われている。(続く)
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(箱根駒ヶ岳より富士山を望む)

2016年8月 8日 (月)

長崎原爆記念の日に寄せて

◆明日8月9日は71年目の長崎原爆記念の日。長崎には有名な平和記念像のある平和公園の他に爆心地を示す原爆公園、また長崎原爆資料館長崎原爆死没者追悼平和祈念館などの原爆モニュメント施設が、松山町電停を中心とする半径400mの円内に点在する。この円内に城山小学校平和記念館があることを最近知った。きっかけはNHKドラマ「だから荒野」を見たことで、ドラマの中で何度もこの記念館が登場したことだった。その後数々の番組でこの小学校の「平和記念館」が紹介されていたことを知った。

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(被爆に遭った城山小学校の校舎の一部、現在「平和記念館」として残っている。)


◆先日(8/1日)、長崎滞在中に、夏休みで閑散としたこの小学校を初めて訪ねた。被爆当時は「城山国民学校」と称し、当時はモダンな鉄筋3階建ての校舎だったという。1945年8月9日午前11時2分、一瞬にしてすべてが破壊され、消滅した。当時学校にいた教職員31名のうち28人が亡くなり、約1500名いた生徒のうち1400人余は家庭で亡くなったという。被爆した校舎の一部が遺構として残され、「城山小学校平和記念館」として、2013年に国の文化財に登録されている。

◆この記念館で案内役を務める70余歳のYさんが、資料を前に丁寧に説明してくれた。1945年の11月には生き残った教職員5名と児童47人が、約2km南にある「稲佐国民学校」の校舎を借りて授業を開始したと言う。驚きだった。この国民学校は母校「稲佐小学校」の前身だった。被爆後6年経った1951年8月には城山小学校の校庭に「少年平和像」が建立された。この銅像の前を通るとき、子供たちは「拝礼」することが慣例になっているそうだ。この日もクラブ活動で登校していた数名の生徒が「一礼」している場面を目撃した。

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(少年平和像、腕に鳩が止まっている。右は「永井坂」と命名された桜並木)

◆また名曲「長崎の鐘」のモデルとなった有名な永井隆博士(当時長崎医大・現長崎大学医学部)も被曝し、妻を失って、白血病と闘いながら被爆者への救護活動を続け、1951年5月、43歳の若さで亡くなった。この永井博士が生前、爆心地一帯に1000本の桜の苗木を植樹、城山小学校にも「永井坂」、「平和坂」の名で桜の並木が残っている。

◆さて、核廃絶に向けて、広島・長崎から長年世界に向かって、平和へのメッセージが発せられている。その努力が70年を経て結実したのか、ようやく本年5月27日、オバマ大統領が米大統領として初めて広島を訪問。「核兵器のない世界を追求する勇気を持とう」と力強く呼びかけた。また、同大統領は9月にも国連安保理に「核実験禁止決議案」を提出する方向だという。だが足元の共和党すら強く反発しているらしい。ましてや、核の廃絶どころか、逆に強化・増大する国がいまだに存在する。言うまでもなく、北朝鮮・中国・ロシア等の独裁的国家だ。この大きなギャップに忸怩たる想いを抱くのは日本国民だけではあるまい。「百年河清を俟つ」ても、この大きな矛盾は存在し続けるのか。それともその頃には人類は自ら造った悪魔の兵器の前に滅亡し、「猿の惑星」に変わってしまっているのだろうか。

2016年8月 6日 (土)

リオ・オリンピックは開催したが。

Photo_2◆様々な問題を抱えたまま、南米初のオリンピック「リオデジャネイロ・オリンピック」が本日開会された。日本時間6日午前11:00現在、まだ開会式は続いている。今までの経過を見る限り、本当に開催できるのか半信半疑だったが、どうやら開催には漕ぎつけた。しかし、市民の半数は「オリンピックより我々の暮らしを!」と反対のデモを繰り返す。競技会場の一部や周辺では、未完成の部分もあり工事が継続されている。選手村では早くも水回り・照明器具などの欠陥工事が露呈されているようだ。

Photo◆さらに最も不安視されている警備問題では、安心して外出もままならないらしい。テロリストは隙あらば機を窺っている様子。最大の課題はドーピング問題。開催直前にロシアが長年に亘って国家ぐるみでドーピングをしていたことが判明。WADAはロシアの出場を停止すべきと主張したが、IOCは結局、各世界競技連盟に丸投げした形で決着することになり、依然グレーのままであることに変わりはない。従って、今大会こそ厳密なドーピング検査を行い、厳格に適応して、将来「ドーピングがゼロになったのはリオ大会からからだった」と言われるようになれば、名誉ある遺産として評価されるようになるだろう。

◆都知事選を圧倒的大差で制した「小池新都知事」が、まもなく大会旗引き継ぎのため、リオに向けて出発する。人数・予算とも大幅に縮減しての海外出張となるが、国際派知事としての晴れの舞台となろう。
しかし問題は帰国後に山積している。今までの2020年東京オリンピックに向けての不透明な在り様は、「何のためのオリンピックか」、「何故必要なのか」、そうした一致した共有認識が欠けていたように思う。みんなが同床異夢で、バラバラだったせいではなかったのか。
大会エンブレム問題、国立競技場建設問題で大きく躓き、スケジュールは大幅に遅れ、予算は大きく膨らんでいる。問題の本質は「国、東京都、組織委員会、JOC」を含めた全体像、司令塔から末端まで含めた全体組織図及び役割分担、そして全体を俯瞰し、最初から最後まで一貫して司令塔を補佐する参謀的な人材(大阪万博の堺屋太一のような人材)配すことが必要だ。そうでなくては何か失敗があれば、すぐ責任を転嫁するような組織に陥ってしまう。もうすでにその現象は表れているが。


◆小池知事も、今までの東京オリンピックの進め方にメスを入れて大きく見直すとしているが、経費削減、業者癒着の摘発も大切。しかし「木を見て森を見ず」で、あまり重箱の隅を突いてばかりいては、山全体を見失うことになりかねない。ご本人も言っているように2020年東京オリンピック・パラリンピックが将来の財産として新しい日本のバネとなるよう願ってやまない。

2016年8月 2日 (火)

サマータイム イン NAGASAKI

7月30日から8月1日まで、2泊3日で故郷長崎を訪れた。第一の目的は7/30日に開かれた小学校の同窓会出席で、1956年に卒業して今年で60年経過した。オリンピックの年開催が決まりで、今回は8回目となる。5人いた先生は一人だけとなり、卒寿を迎えられた女性の先生が今回も元気なお姿を見せてくれた。
前々回52名、前回39名、今回37名と回数を重ねるにつれ参加者も少なくなるが、少なくとも次回の東京オリンピックの年までは続くだろうと確信する。


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会場の稲佐山展望レストラン(左側)

さて、会場は2012年に「世界新三大夜景」(長崎・香港・モナコ)に認定された長崎の夜景を見下ろす「稲佐山・山頂展望台レストラン」。因みに我母校はこの山の麓にあり、稲佐小学校と称した。また7月30、31日は「長崎みなとまつり」でもあり、美しい夜景をバックに数千発の花火が打ち上げられたが、やはり花火は下から夜空をバックに見上げるもの。バックが宝石を散りばめたような夜景なれば、相殺しあってあまりよろしくない。ガラス越しだから音の迫力も殆ど届かず、むしろ話の花がアチコチで咲き続ける。

Dscf1775 ゴーストがガラスに映る。

【ペーロンを体験】
◆今回の長崎行のもう一つの目的は、「長崎みなとまつり」の一環、長崎ペーロン選手権大会の中で行われる「体験ペーロン」への参加だった。幼稚園まで長崎港外の漁村で過ごした体験からペーロンは心の故郷でもあった。当時のペーロンはそうした漁村の青年団・大人達の集落の威信を懸けた競漕の場だった。長崎の中心部から見ると、郊外の海辺に面したローカルで素朴な行事だったが、経済成長とともに広がりを見せ、昭和52年から長崎港内でも始まるようになった。そして一般男子だけでなく、職域対抗レース、中学校対抗、女性対抗など多くの市民が参加する長崎を代表する夏の伝統行事となっていった。

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(今年の一般の部は各地区予選を勝ち残った21チームが出艇。)

◆長崎のペーロンは350年余の歴史があるそうだが、単に長崎にとどまらず、近年は兵庫県相生市、熊本県などにも広がり、数年前から長崎の選手権大会にも参加するようになった。相生市の「磯風漕友会」などは2年続けて優勝をさらっている。またペーロンのルーツだった香港、シンガポール、沖縄などとも国際大会で交流するようになった。

Dscf1780 レース前のウォーミングアップ

◆小学校にあがって長崎市内に住むようになり、さらに高卒後上京して、進学・就職などでペーロンに接する機会が殆ど無くなったが、今回やっと「ペーロン」に乗り、漕ぐことができた。関東から同窓会に参加した我々男女老人3人の他に、相生から観戦ツアーに参加した人たち、地元の小学生を含む家族連れ等、老若男女28名が、「体験ペーロン」に乗り込んだ。ライフジャケットは着けるものの、参加費なし、準備運動なし、事前レクチャーなし、揺れる舟に後ろから順に乗り込む。日に焼けた初老のオジサンの太鼓のズムに合わせて漕ぎ出す。なかなか旨く揃わないが、慣れてくると次第にスピードが出て、時速20~30kmは軽く出る。櫂の滴が顔や体に当たるが、これがまた気持ち良い。一旦終わりかけた頃、関西の元気のよいオバサンの「アンコール!」の声で、再度、半分ほどの距離を回漕する。本当に気持ちの良い体験だった。(終わり)
Dscf1784 予選レース折り返し中の写真

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長崎駅前にあるペーロンの勇姿像

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