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2016年7月 8日 (金)

縄文火炎土器の芸術性

◆「太陽の塔」など数多くの名作で不滅の芸術家となった岡本太郎は昭和26年40歳の時、東京国立博物館に展示されていた縄文式の火炎土器に出くわし、大きな衝撃を受けた。翌年美術雑誌「みずゑ」に「四次元との対話ー縄文土器論」を発表。それまでは縄文土器や土偶は美術品ではなく、単に考古学上の工芸品だったという位置づけだった。

◆京都造形芸術大学の石井匠氏はコラム「縄文と岡本太郎」の中で「彼は考古学的な解釈ではなく、縄文土器の造形美、四次元的な空間性、そして縄文人の宇宙観を土台とした社会学的、哲学的な解釈を試みたのである。それが結果的に各方面に大きな衝撃を与え、建築やデザイン界を中心に縄文ブームが沸き起こった。そして弥生土器や埴輪を始まりとする『正当な』日本の伝統を覆し、以後原始美術として縄文土器は美術書の巻頭を飾るようになり、日本美術史が書き換えられた。今に続く縄文ブームの火付け役は岡本太郎だった」と書いている。
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江戸東京博物館「発掘された日本列島2016」展の縄文火炎土器

◆確かに、岡本太郎作品の数々の力強い曲線の美の原点は燃え盛るような火炎を表現した縄文土器にあるのではないかという思いがする。教科書にも掲載された東京国立博物館の縄文火炎土器は過去何度か見ていたが、全国各地で発掘された多くの弥生式土器に比べて、実用性はともかく、一度見たら強烈な印象が残る土器である。

◆先日江戸東京博物館で開催されている「発掘された日本列島2016」展を観てきた。多くの展示品の中では、どうしても縄文土器の火炎土器に目が行ってしまう。縄文式土器と弥生式土器を比べてみればその差は歴然だ。縄文文化は1万数千年前から2千数百年前まで繁栄を誇った日本先住民の文化で、狩猟・採集中心の生活スタイルだが、栗の実を採取するため栽培するなど、定住した痕跡も多数みられる。生活にゆとりがあったのか、縄文土器には表面に撚り糸文や縄目文のアクセサリーをつけ、BC3000年頃には芸術的な火炎土器まで創作するようになった。

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弥生式土器・甕棺、江戸東京博物館で

◆これに対して紀元前約500年から紀元後300年ほどの弥生時代には、大陸から稲作と金属の文明が伝播し、それとともに実用的でシンプルな弥生式土器が広まった。中には甕棺に使用した大きな土器まであった。狩猟中心のおおらかで平等な縄文社会に対し、部族間の争いと階級が芽生えた弥生時代。その代表例を青森県の三内丸山遺跡と、佐賀県の吉野ケ里遺跡にみてとれる。

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復元された三内丸山遺跡で(2009年8月)

◆三内丸山遺跡は、今から約5500年前~4000年前の縄文時代の集落跡で、長期間に亘って定住生活が営まれていた。建物、構造物等の大きさ、規模は約2000年後の吉野ケ里遺跡のそれと比べて遜色ないどころか、上回ってさえいる。違いと言えば吉野ケ里遺跡は敵の襲撃に備えて、環濠で張り巡らせているところだろうか。時代が新しくなっていくとともに、平和な社会が次第に争いの世界に変わっていく。今の世界を暗示しているようである。縄文土器と弥生土器、その差は人々の暮らしぶりの差に遭ったのだ。

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