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2016年7月16日 (土)

「少年時代」と「夏の思い出」

Photo梅雨明けを思わせる猛暑がやってきた。今週初めの月曜日には(7/11)早くも蝉の鳴き声、それもクマゼミの声が聞こえた。記憶では最も早い蝉の声のように思う。「少年時代」と「夏の思い出」・・どこかで聞いたような歌のタイトル(?)、いかにも文学的な夏と、ロマンティックな夏を連想しそうだが、1950年代前半(昭和25年から30年頃)の地方の夏の風物詩を自分の記憶が残るうちに、書き残しておきたいと思った。戦後の混乱が一応落ち着きをみせ、日本の良き伝統はまだ十分に残っていた時代だった。


Photo_2大抵の家は軒端に朝顔を植えていた。毎朝、青や赤の花が開く。朝顔を見ながら町内の子供達が集まり、近所の大人達の掛け声でラジオ体操が始まる。終了後に出席のハンコを押してもらう。
今で言う緑のカーテンがヘチマだった。母親が蔓を切って、そこから滴り出る液体を瓶に集め、化粧水に使っていた。秋には乾燥させ皮をむき、タワシの代用に使った。今では殆ど見ることがない。遊びに行こうとすると「朝の涼しいうちに宿題を済ませなさい」と母親の声がバリアとなった。

真っ青な空に、真っ白な入道雲。蝉の鳴き声が喧しい。大人の背丈をはるかに上回るヒマワリを植えたこともあった。種が食用になった。エアコンなど無い時代、様々な工夫でをとる。家の窓、部屋の仕切りを開け放ち、が唯一の外との境となる。。風が「そよ」と吹けば風鈴が心地よく響く。遠くから金魚売りの声がけだるく聞こえる。とにかく暑かった。扇風機が入って、やっと気持ちよく昼寝が出来た。

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クラクラする陽射しの中、アイスキャンディーを買いに行く。(あの頃のものは大腸菌が多かったらしいと後で知る。素麺冷や麦トウキビが食卓に出ると喜んだ。たまに、トコロテンや、かき氷かんざらし(砂糖水に氷と米粉で作った小さな団子を入れた素朴なオヤツ)など祖母や母親の手作りのオヤツが出ると、兄弟で小躍りして喜んだ。電気冷蔵庫がなかった時代だったから、氷屋さんがリヤカーに乗せて売りに来る氷が貴重だった。

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昼に、たらいいっぱいに入れた水が、夕方にはちょうどよいお湯となり、子供達の行水タイムとなる。残った水で打ち水。少しばかり涼風が起こる。雷鳴が聞こえ、夕立ちとなれば一挙に涼しくなる。通常、父親の帰宅後夕食。ビール枝豆が並ぶが、我らが口にするのは10数年後。夕食後、縁台に座り、団扇片手に夕涼み。子供たちは傍らで線香花火蚊取り線香の独特な匂いが鼻に衝く。たまに出るスイカはあまり冷えていないが、最高のデザートだ。夏は祭りのシーズン。七夕に始まり、浴衣に着替えて縁日に。金魚すくい盆踊り、そして圧巻は花火大会だった。

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我が家は幸いにして、二人の祖母がそれぞれ米どころ筑後平野と、長崎の港外の漁村に住んでいた。夏休みには、独特な田畑の匂いと、海の匂いに浸ることができた。海水浴、川遊び魚釣りカブト虫クワガタ採集に夢中になった。朝起きると、蚊帳にカブト虫がくっついていたりした。そうした体験が宿題の絵日記の格好の材料となった。
考えてみれば、こうした夏の光景は明治の頃から、大きな変化はなかったのではなかろうか。日本全国このような光景はどこでも見られたに違いない。昭和のある不幸な時代を除いて。少年時代の夏に、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚を通して、身体全体に沁み込んだ夏の思い出だった。今はもう、返ってこない。


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