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2016年6月 7日 (火)

新装なった小田原城

◆昨年7月から始まった「小田原城、平成の大改修」が本年4月末に竣工し、5月1日からリニューアル・オープンされた。初日の入場料246万円は全額熊本地震の復旧支援金に充てたと報じられた。また5月の月間入場者は前年比1.6倍の約8万8千人を記録したという。混雑が落ち着いた頃を見計らって、1ヵ月ほど経った昨日、観覧してきた。
実は熊本藩小田原藩は浅からぬ縁があって、江戸時代初期の熊本藩主・細川忠利と小田原藩主・稲葉正勝は明智光秀を通して姻戚関係にあった。1633年に小田原を襲った大地震では、見舞いと礼状のやりとりが行われるなど、密接な間柄だったという。そうした縁もあればこそ、供えられた募金箱に気持ちばかりの見舞金を収めた。


Dscf1637 新装なった小田原城天守 

◆現在の天守は昭和35年(1960年)5月に、市制20周年の記念事業として総工費8千万円をかけて復興されたもの。江戸時代・宝永年間に作成された設計図や模型を参考に、外観が復元されたが、戦後復興された多くの城の天守と同様、鉄筋造りである事はやむを得ないか。地上38.7m、延床面積1822㎢、3層5階の構造で、天守櫓に付櫓・渡櫓を付した複合式天守閣となっている。築56年を経過し、今回の改修で耐震構造と外装工事に加え、内部のレイアウトを刷新。展示内容も常設・企画展示の随所に映像等も加えるなど工夫もみられる。全体に分りやすいコンセプトでまとめられ、大きくイメ・チェンしたと言えるのではなかろうか。

Dscf1639 江戸時代の小田原城立体図

◆もっとも特筆されることは、天守最上階の内装だろう。地元の宮大工が柱・床・天井・鴨居などに小田原産の木材をふんだんに使って、江戸時代と同様の区画を復元し、質実で簡素な武士社会の様式美を表現している。また今回の改修に伴い小田原藩主・大久保忠朝が1686年に奉安したとされる「摩利支天像」が再び安置された。摩利支天は武家の守護神とされ、三面六臂(3つの顔と6本の腕)の立像で、猪の上に乗っている。この「御天守摩利支天」の安置によって従来の最上階のイメージは一新された。小田原城は百名城に入っているが、今回の改修によって30名城くらいに入るのではないかと密かに思っている。

Dscf1640_2 摩利支天像(50~60㎝くらい)

Dscf1642 摩利支天を収める厨子

小田原城はアジサイ、花菖蒲とも有名ではあるが、どちらもイマイチであった。
Dscf1635 

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