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2016年6月

2016年6月28日 (火)

南房総・小さな旅(後)

(3)鋸山・恐怖の地獄のぞき
◆鋸山と言えば、内房線の浜金谷駅と保田駅の間を塞ぐように広がる山で、標高は330mと意外に低い。浦賀水道を挟んで三浦半島の三浦海岸と面する。山の形がギザギザの鋸のようだから、付いた名前だと言われるまでもなく、誰もが思う。かつて江戸湾に入る船の格好の目印となった。正式には乾坤山日本寺と号し、1300年の歴史を有する関東最古の古刹で、山の南斜面10万坪ほどが境内となっている。様々の宗派を変遷し、江戸時代初期に曹洞宗の寺院になってから、現在に至っている。

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◆もう一つの特徴は山全体が凝灰岩からなり、江戸時代から建築資材の産地として利用されてきた。幕末から戦前・戦後を通して良質な石材が切り出され、昭和57年まで採石は続いたという。確かに垂直に切り立った崖は人の手によるもの以外、何物でもないだろう。しかしよくこんな高さまで切り出したものだと感心する他ない。地獄のぞきという展望台は、石切り場跡の絶壁の上に突き出た岩盤の上にあり、100m下を見下ろすことができるが、高所恐怖症のこの身にとっては、手すりがあっても足は竦み、目眩がするほど。結局鋸の歯は人が切り出した岩の形だったのだ。

Dscf1698 地獄のぞき展望台

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展望台から切り出した岩場跡を覗く、下から見上げる人が蟻のように小さく見える。

◆実はこの鋸山には、今から51年前、学生時代に来たことがあった。しかし、地獄のぞきの展望台以外殆ど覚えていない。多くの磨崖仏、羅漢像などがあったのだが、当時は歴史にも仏像にも殆ど関心がなかったからだろう。今回百尺観音は拝観したが、座像としては日本一大きい大仏(石像)は時間の都合で見ることはできなかった。

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百尺観音像、昭和41年完成というから仏像としては新しい。写真は筆者。

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樹々の間から漏れ出す光が神々しかった。

(4)江川海岸
◆近年、南米ボリビアのウユニ塩湖の不思議な光景天空の鏡として有名になった。千葉県木更津の江川海岸がそのウユニ塩湖に似ているとして、スポットを浴びだしたとのこと。遠浅の海は無風状態のとき、空の青と白い雲が海面に映り、一体化した光景になると言う。しかし、さざ波が立っただけでもその光景は消えてしまうとのことで、滅多に巡り合うことはないらしい。

◆もう一つ沖に向かって電柱が続く不思議な光景がある。まるで「千と千尋の神隠し」に出てきた電車が海に向かって走る際の架線のようだと言うのである。その映画は珍しく見たが、言われてみれば「そうかな」という程度。正体はアサリの密漁を取り締まる監視小屋に電気を送る電線だという。しかし、その光景も含め、東京湾に沈む夕陽が最高のスポットということで、この小さな旅の最後に、大きな夕陽を写真に収めた。

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江川海岸にて夕陽を観る。水平線近くに電柱が続く。


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今まさに沈まんとする東京湾の夕陽。 (本稿終り)

2016年6月27日 (月)

南房総・小さな旅(前)

今話題の南房総新旧スポットを巡る「日帰りバスツアー」に参加してきた。朝から本格的梅雨に見舞われ、雨男の面目躍如といったところだが、横浜駅前を9:30スタート、海ほたる経由、有名になった木更津の「ホテル三日月」を右に見て、上総山田駅で1輌だけの小湊鉄道に乗る。この間1時間半ほど。随分近くなったものだ。

1)濃溝(のうみぞ)の滝
今回参加を決めたのは旅行会社のこの写真が決め手だった。ジブリの世界に迷いこんだような幻想的な景観が謳い文句だった。


Photo  阪急トラピックスPRより

ところが案の定、この雨では水は赤く濁り、音をたて濁流となって流れていく。この景観は季節により、天候により、時間によって姿を大きく変えるというが、さもありなん。場所は千葉県君津市笹、養老渓谷からさらに奥まったところにある清水渓流公園内にあり、滝までの遊歩道が緑のトンネルの中を歩くようで素晴らしい。

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(6/23日、濁流の濃溝の滝、上の写真のように水際まで降りられない)

この短い洞窟の中の段々になった小さな滝は、かつて大きく迂回していた川を洞窟の中を通すため、人工的に作られたとのこと。ある若い人がネットに投稿したのが切っ掛けとなり、有名になったそうだ。今頃は蛍が見られ、秋には紅葉が素晴しそう。もう一度条件の良い時に訪れてみたいスポットではある。

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(同じ場所であることが信じられない。ウィキペディアより)

(2)仁右衛門島
◆太平洋に面した千葉県鴨川市太海。ここは過去何度も前を通っていたので、「仁右衛門島」があることは知っていたが、一度も渡ったことはなかった。この島は代々「平野仁右衛門」という人が所有しており、現在推定38代目の仁右衛門さんが居住しているという。日本家屋の立派な屋敷があり、庭とともに観光客に公開されている。周囲約4kmで千葉県で最も大きな島だという。温暖な気候で1年中四季の花々で途絶えることはない。千葉県指定名勝で、新日本百景にも選ばれている。

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◆治承4年、源頼朝が小田原の石橋山で挙兵後、安房の国に敗走したことは有名だが、その時この島に渡り、平野氏に匿われたという伝承がある。その岩屋が残っているというが、これが史実かどうか裏付ける史料は残されていない。確かなところでは江戸時代の宝永元年(1704年)に現在の家屋が建て直されたという。

Dscf1684 玄関から奥座敷を望む

Dscf1686 庭園のソテツの木

Dscf1692 頼朝が隠れた岩屋とされる

◆と、そんな話は面白くも何ともない。島に渡るには15人程乗れる二丁艪の和船を、歳はとっても60はおろか、80歳に近いお爺さんたちが、元気に漕いで渡してくれる。岸を離れて10mほど漕ぎ出したら、岸壁から「オーイ」という掛け声がかかった。皆、何事かと振り返る。そこで、すかさず「船方さんよ~」と応えたら、どっと笑いが起きた。また隣に座るカミさんに「艪漕ぎの船に乗ったのは、矢切の渡し以来だね」と声をかけると、聞いていたおばさんが「あれに乗ったんですか」と。そこで、「ええ、この人が連れて逃げてよ~と言ったもんですから」。(爆笑) -続く-

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左に見えるのが仁右衛島。奥の船着き場まで200mほど、所要5分、ピストン運航している。

2016年6月25日 (土)

2016・6・24は歴史の転換点となるか?

◆「2016年6月24歴史の分岐点だった」と将来教科書に載るかもしれない。「あの時に歴史の歯車が逆回転する始まりだった」と。英国で「EU離脱か、残留か」を問う国民投票が行われ、EU離脱が僅差で勝利し、残留を強く訴えてきたキャメロン首相は10月までに辞任することを表明した。

◆英国のEU離脱は世界経済に大きな打撃を与え、株価は全面安の様相を呈してきた。世界同時不況の引き金になるかもしれない状況となった。筆者は5月12日から4日連続で、本ブログに「歴史は逆戻りしている?」のタイトルで、最近の世界の動きを見ながら、ポピュリズムの台頭を危惧してきた。特に最終回(5月15日掲載)で英国の国民投票にも触れたが、悪い予感が現実のものになりつつある今、どのように対応すべきか世界中が暗中模索の状態ではなかろうか。

◆さらにEU残留派が多いスコットランドが、英国から独立してEUに残留する道を選ぶ動きも表面化してきた。大英帝国を誇ったイギリスが過去の栄光を求めても、四分五裂になってしまっては、栄光どころか、外国資本は逃げ出して、残るは老人大国ばかりなりとならないか。また残ったEUの中にもそれぞれ不満を抱える勢力は増えており、「英国に倣え」とばかり、次々とEU離脱が増えて、わが道を行くという国が増加しそうだ。かくして世界は自己中心ばかりの国となり、歴史が100年昔に逆戻りしてしまう。第二、第三のヒトラーが出てこないことを祈るのみ。

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2016年6月22日 (水)

福島原発隠ぺいの責任は誰?

◆福島第一原発事故は、地震当日の2011年3月11日、津波による全電源喪失でメルトダウンが始まっていた。あれから5年3か月余。東電の広瀬現社長が6月21日記者会見し、事故当時の記者会見の際、当時の清水社長が「官邸の主導により炉心溶融(メルトダウン)という言葉は使わないよう」に指示していたとし、「隠ぺい」にあたるとして謝罪した。

◆当時のことを調べてみた。当時の民主党枝野官房長官がテレビの会見で、「チェルノヴイリのような原子炉が爆発するような事態にはならない」と発表しながらも、半径3km圏内の住民に避難指示、10km圏内の住民に対して屋内避難を指示した。3月11日のことである。しかし後に明かされたことだが、1号機の炉心溶融は始まっていた

◆翌12日、1号機の原子炉建屋が水素爆発。これに対して枝野氏は「建屋内にたまった水素が爆発しただけだから、原子炉そのものは冷却を続ける限り大丈夫。但し、念のため避難指示を20km圏内に拡大する」と表明。1号機の建屋が爆発して、蒸気のような白煙を噴出している遠景をテレビが報じた場面を見て大いに驚かされたが、政府談話を信じるしかなかった。この日、原子力安全・保安院の担当審議官が記者会見で炉心溶融の可能性に言及した直後に交代させられたことを殆ど気にすることはなかった。

◆そして、3月15日までの4日間で、水素爆発が3号機、4号機と合わせて3つの建屋で起こり、メルトダウンが3号機、2号機でも発生、計3機の原子炉で炉心溶融を引き起こしてしまった。こうした想定外の甚大な原発事故に官邸東電本社東電福島原子力委員会など混乱の極限に達していた。こうしたなか、14日に行われた東電の武藤副社長による記者会見中に、「炉心溶融」という言葉は使わないよう清水社長から指示があったと言うのだ。東電が炉心溶融を認めたのは5月に入ってからだった。

◆当時の社長は「官邸の主導だった」というが、それが誰だったか明確にしていない。当時の菅総理、枝野官房長官は全面否定。公表が遅れたことについて第三者委員会は菅氏、枝野氏について聞き取り調査をやっていないという。どうやらいろいろと支障が出るからうやむやにしたいらしい。舛添都知事の辞任問題にしてもそうだが、日本は問題をうやむやにするのが常識らしい。

◆仮に当時の民主党政権が情報を正確に伝えることで、国民がパニック状態になるのを恐れて東電に慎重に対応するように要請したとするならば、正直に言えばよい。「あの状態で炉心溶融という言葉を使えば、東京以北が大パニックになって収拾がつかなくなる恐れがあった。従って落ち着くまで公表をしばらく伸ばした。申し訳なかった」といえば、ある程度理解は得られたのではなかったか。参院選を前に「悪質な選挙妨害だ」と剥きになればなるほど、ますます疑いたくなる。

2016年6月19日 (日)

一票の格差是正の問題

◆第24回参院選が22日に公示され、7月10日に投開票される。今回の国政選挙から18歳と19歳の約240万人が新たに有権者となった。これにより日本も国際標準に近づいたようだ。近年の日本では選挙の結果を受けて、恒例のように市民団体やそれを支持する弁護士団体によって、「法の下の平等」のもと、「一票の格差」は憲法違反であるとの訴訟が繰り返される。即ち憲法第14条の「平等権規定」と憲法第43条の「国会議員は全国民の代表者」という規定に反するというものだ。

◆確かに都市と地方との間には、人口の集中とそれに逆行する過疎化が年々広がりを見せ、最高裁も違憲もしくは違憲状態の判決を出さざるを得なくなった。議員達も重い腰を上げ少しずつではあるが区割り、定数の是正等で格差是正に努めるが、実勢とは時間差があり、新しい制度で実施してみても、終わってみれば最大格差は2.0倍以上に戻ってしまう。参院選においてはかつて5.0倍程度でも合憲とされていたが、現在では違憲、もしくは違憲状態とされ、3倍程度がひとつの目安となっているようだ。従って2015年の法改正では2012年の最高裁判決を踏まえて、有権者数の少ない鳥取島根徳島高知4つの選挙区を2つの合区とすることに決め、今回の参院選から導入された

◆ところが現場の混乱は想定以上らしい。行政単位が都道府県となっているのに、ただ機械的に頭数で均等を図ろうとする結果、一つの県が否定され、二つ合わせて1県とするところに問題がある。今回の議員定数の決め方は「県」という概念をどう捉えるかにかかっている。議員定数を優先するならば、先に県を合併する方が先決ではないか。それならば、将来の道州制を見越して、そのブロックから定員何名と決めた方が分りやすいし、法の下の平等も保持しやすい。

◆しかしながら、それは何十年経っても困難だろう。何故ならこの制度改革は憲法改正を伴う作業であり、改正自体に拒否反応を示す勢力が未だ根強いからだ。現状のまま、単に人口比例に伴うものであるとするならば、都会選出議員は増え、地方選出議員は減るという傾向はますます強くなる。この傾向は地方活性化という国の方針と照らしてどうなのか。些か疑問に思える。各県最低1名の議員は人口比に関わらず保証するとか、得票率と得票数を加味して開票後に定数配分が行われるとか、新たな工夫を凝らして知恵を出し合うことが必要ではなかろうか。

Dscf4078 スパティフィラム

2016年6月16日 (木)

舛添知事、ついに詰め腹

◆14日の当ブログで舛添知事への「最後通告」として、辞職を勧める記事を書いた。こうした辞任を求める声は日増しに高まり、沸騰してきたのは確かだ。しかしながら、ここまで叩かれても辞めない強心臓の持ち主である舛添氏、辞任するかどうか半信半疑であった。ところが昨15日午前、都議会議長に辞職願を提出したというニュースには驚かされた。やはりジワジワ狭まる包囲網に耐え切れなくなったのか、参院選という大きな事情もあって、さしもの舛添氏もここにきて観念せざるを得なくなったのだろう。一連のこうした騒ぎに対して思うことがいくつかある。

(1)個人の資質の問題
まず舛添氏の庶民感覚を超えた高額過ぎる旅費・交通費と頻繁な海外旅行が週刊誌で取り上げられた時に、素直に謝って従来の慣習を改めると約束していれば、ここまで過去に遡ってまで非難されたであろうか。最初に自己を正当化し、反発したから(彼の性格がなせる業だろう)メディアも都民も敵に回してしまった。

(2)統治能力の問題
都の職員との普段からの繋がりを大切にしていただろうか。一連の騒動が起きたときに真摯に味方になってアドバイスしたり、カバーする職員が何人いたか。裸の王様ではなかったのか。そうしたリーダーとしての統治能力がもともと備わっていたのか。

(3)法の欠陥
政治資金法の収入の方は厳しくなっていたが支出の方はまだ規制が甘かった。常識人であれば何ら問題は無かったであろうが、なまじっか法をかじっているだけにザル法の欠陥をついた形となった。メディアはことが起これば騒ぐが、法の欠陥については一過性で、継続的に取り上げようとはしない。そうした法の整備改革を、他人事のように政治家に任している限り、この問題はまた起こる。

(4)再発防止策の制定
舛添氏が辞職したことにより、真相究明がうやむやになった。共産党などが百条委員会を設置してとことん追求すると表明したが、辞めた本人が出頭に応じるだろうか。案の定すべてが取りやめになった。野党のパフォーマンスに過ぎないのでは。与党は解散が無くなったことで辞任を評価しているが、あまりにもご都合主義過ぎる。都議会による再発防止策も必要だが、問題の本質は欠陥法律にある。本筋は国の政治資金規正法の支出部分の明確化であり、それを後押しする世論の声こそ大切である。

(5)退職金・ボーナスの問題
これも地方自治法とか条例の問題に関わってくるようだが、自発的辞職の形をとっているため、お咎め無し、返納することさえ法的に難しいらしい。2200万円という金額に庶民は釈然としない。「盗人に追い銭」というにはあまりにも大きい。

(6)メディアの姿勢
あれだけ騒いだメディアは、逆の見方をすれば、舛添氏の騒ぎのおかげで視聴率を稼げた。しかし、辞めたとたんに、話題は「次は誰か」に焦点が移る。勝手に候補者を作りあげては話題作りに専念する。いつもこの繰り返しではないのか。TV・新聞は今のままでよいのかよく考えてもらいたい。この国の民主主義の質を高めるにはどうしたらよいのか、真剣な提言をしてもらいたい。

2016年6月14日 (火)

舛添知事に最後通告

◆舛添東京都知事の往生際の悪さといったら、他に類を見ない。これが本当に東大出の政治学者なのかと、あきれて情けなくなる。彼にとっては、法に触れなければ何をやっても許されるらしい。出自や育った環境のことなど言いたくないが、貧困の中で裸一貫、苦学して最高学府を出、メディアで顔が売れるようになって政界に野心を持った。口達者で攻めには強いが、真の意味の政治哲学を持っていたとは到底思えない

◆「今まで苦労して、東京都知事という権力者になったのだから、少々の自分の我儘は許される」と思っていたとするならば、あまりにも選挙民を愚弄している。いや、選挙民も議員達もどうせ頭の悪い連中だから、何とでも言いくるめてしまえるはずだ。何しろTVの討論番組で相手を打ち負かすことに慣れているから、プライドだけは強い。嘘の上塗りで、自分が追い詰められているにも関わらず、弱みを見せることは絶対にしない。政治信条と称して数百万票の都民の声より、存在するかしないか判然としない一票の方が大事らしい。これを「」と言わずして、何と言うべきか。

◆東京都知事といえば、江戸時代では北町奉行と南町奉行に当たる。大岡越前や遠山の金さんが有名だが、江戸の治安だけではなく裁判、民政の最高責任者でもあった。例えていえば都知事が東京地裁の判事と警視総監、消防総監を兼ねたようなもの。町奉行の悪事はあまり聞いたことはないが、裁かれるとなれば老中、目付などごく少数の幕府高官に限る。まさかお白洲で裁くわけにもいかず、罪状が明白になれば、武士の情けで密かに自害が申し渡されたであろう。

◆現代では、選挙民が最高の裁判官だ。大半が辞任を求めている。江戸時代で言えば「武士の情けで、自害しなさい」と言っているようなもの。これに反して理屈をつけて延命を図るならば、それこそ選挙という最高の裁きで、「市中引き回しの上、打ち首の刑」(落選)が待っていよう。その辺のことが分らないはずはないのに、道徳教育を受けなかったのか、敢えてそれを無視したのか、間違った教育と教養を詰め込んだ結果がこういう結末をもたらしたと言えよう。

◆ことのついでに『戦後の歴代東京都知事』を独断でランク付けしたみた。
A・安井誠一郎(元官僚) 公選3期 通算5期 12年
A・東 竜太郎 (元医学者) 2期8年 東京オリンピック時の知事
B・美濃部亮吉(経済学者) 3期12年 公営ギャンブル廃止、都機構の肥大化、財政赤字
特A・鈴木俊一(自治省から副知事)4期16年 東京都の財政立て直し、都庁新宿移転
D・青島幸男(タレント・政治家) 1期4年 知事室のバスルームをシャワー室に改造
C・石原慎太郎(作家・政治家) 4期13年6ヶ月 週2日の出勤 ワンマン
D・猪瀬直樹 (文筆家・評論家・副知事) 1期1年 政治献金が命取り
E・舛添要一(学者・政治家) 1期2年?ヵ月 公私混同・辞任要求騒ぎ。まさかの議会解散
?(都民は舛添氏にNoを突きつけている。議会の巻き添え解散は筋違い)

◆歴代知事を見てくると、青島幸男あたりから知名度、タレント性が重視され、人気投票の傾向が強くなってきた。政党はポピュリズムに走り、票が獲れる候補者探しに躍起になった。有権者は候補者の内幕を知らないから、表面的なもので判断するしかない。メディアも候補者の良い所しか報じない。鈴木俊一氏のように長い間副知事として実務を担ってきた人は地味だけど安定感がある。政党も見た目だけでなく、地方自治で叩き上げた人材を発掘するような努力が求められよう。

Dscf1557 宮古諸島下地島にて

2016年6月12日 (日)

「さわやか自然百景」と「小さな旅」

日曜日の朝、NHKの「さわやか自然百景」(7:45)と「小さな旅」(8:00~8:30)を毎回決まって見ている。この番組を見てから、日曜の一日が始まり、一週間が始まる。「さわやか自然百景」は日本の各地に残された自然の美しさ、素晴らしさを再認識するし、それによって体内に伝わるDNAが日本の自然の美に心の故郷を感じるからだろうか。
小さな旅」は通常の旅番組ではなく、ありふれた農村、漁村、古い町、時には都会の片隅にもスポットを当て、そうした身近な風土が持つ独特の雰囲気と、その地域に暮らす特定の人物に焦点を当てた、いわばヒューマン・ドキュメンタリー的な番組だ。


これらの番組を見ていると、なぜかホッとするし、癒される。現代社会は忙しすぎるし、騒がし過ぎる。その象徴が大都市集中現象だろう。大きな矛盾を抱えたまま大都市は自己増殖する。都民が選んだリーダーは、当然のごとく税金を我がもの顔に使い、公私の分別ができない。辞任を求める多くの声にも、椅子にしがみついて離れようとはしない。
非正規雇用の増加、貧困の増大、犯罪の多様化、不安定な子育て、超高齢化社会に伴う医療費の増加、先が見えない漠然とした不安。こうした不安を抱えたまま人は何故都会に集まるのか。甘い蜜に集まる蟻のように。

このような現在の社会にあって、若者が地方に目を向け、実際に地方に住んで、暮らしを営む姿を見る時、拍手を送りたくなる。こうした若者が増えるならば日本もまだまだ捨てたものではない。政府も自治体ももっと知恵を出し、サポートする余地は十分あるのではなかろうか。「さわやか自然百景」も「小さな旅」もそうした若者達への応援歌のように思えてならない。
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武富島のブーゲンビリア

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我が家のブーゲンビリア

2016年6月10日 (金)

中国軍艦領海侵犯のこと

◆昨9日深夜、中国のフリゲート艦1隻が尖閣諸島周辺の接続水域に入ったことが確認され、政府は直ちに国家安全保障会議NSC)を総理官邸で開き、午前2時頃、斉木外務次官が中国の駐日大使を外務省に呼び出して、厳重に注意したというニュースが報じられた。このニュースを知り、領海の最前線では国民の知らないところで、国防のために日夜アンテナを巡らし、情報収集に努め、対応しているという事実。一朝事あれば例え深夜であっても、国家安全保障会議が招集され、即断即決、相手国の大使を呼び出し、厳重注意するという事実。当然と言えば当然かもしれないが、そうした措置が取られているという実態を知れば、現体制を支持する人はいても、文句を言う人はまずいないだろう。

◆尖閣諸島を巡る紛争は以前からあったが、民主党政権時代の国有化によって、表面化した(国有化自体間違いない)。2010年9月7日、中国の漁船が領海内で密漁中、巡視艇の停船命令を無視して、衝突を繰り返したため、船長を公務執行妨害で逮捕した。しかし、時の民主党政権は紛争の拡大を恐れ、25日未明処分保留のまま釈放した。当時の民主党岡田克也幹事長は「政治的な介入はしておらず、検察がみずからの判断で行った」と政治責任問題を回避する発言に終始した

◆以来中国は漁船の大量派遣から、海上保安艇・海上警備艇へとエスカレートし、今回ついに海軍の軍艦接続水域に侵入させた。実績を積み、既成事実化を図るというやり方は中国の常套手段。次の手は、何かの口実を作っては、尖閣諸島の領海内に入り、上陸して基地建設を目指すこと明々白々だろう。そうさせないためにも、今回のように隙を見せない日頃からの対応は必要だし、日米安保の重要性は増してくる。

◆仮に今回、民進党連立政権だったらどうなったであろうか。国防に関する基本的スタンスが決まっていないから、ことが起きてからアタフタすることは目に見えている。そもそも深夜に国家安全保障会議(NSC)を総理官邸に緊急招集、相手国の駐日大使を呼び出すことなどできるのだろうか?「相手に悪いから、明日の朝にしよう」なんてことにならないか。

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写真は2016年5月: 由布島にて


2016年6月 7日 (火)

新装なった小田原城

◆昨年7月から始まった「小田原城、平成の大改修」が本年4月末に竣工し、5月1日からリニューアル・オープンされた。初日の入場料246万円は全額熊本地震の復旧支援金に充てたと報じられた。また5月の月間入場者は前年比1.6倍の約8万8千人を記録したという。混雑が落ち着いた頃を見計らって、1ヵ月ほど経った昨日、観覧してきた。
実は熊本藩小田原藩は浅からぬ縁があって、江戸時代初期の熊本藩主・細川忠利と小田原藩主・稲葉正勝は明智光秀を通して姻戚関係にあった。1633年に小田原を襲った大地震では、見舞いと礼状のやりとりが行われるなど、密接な間柄だったという。そうした縁もあればこそ、供えられた募金箱に気持ちばかりの見舞金を収めた。


Dscf1637 新装なった小田原城天守 

◆現在の天守は昭和35年(1960年)5月に、市制20周年の記念事業として総工費8千万円をかけて復興されたもの。江戸時代・宝永年間に作成された設計図や模型を参考に、外観が復元されたが、戦後復興された多くの城の天守と同様、鉄筋造りである事はやむを得ないか。地上38.7m、延床面積1822㎢、3層5階の構造で、天守櫓に付櫓・渡櫓を付した複合式天守閣となっている。築56年を経過し、今回の改修で耐震構造と外装工事に加え、内部のレイアウトを刷新。展示内容も常設・企画展示の随所に映像等も加えるなど工夫もみられる。全体に分りやすいコンセプトでまとめられ、大きくイメ・チェンしたと言えるのではなかろうか。

Dscf1639 江戸時代の小田原城立体図

◆もっとも特筆されることは、天守最上階の内装だろう。地元の宮大工が柱・床・天井・鴨居などに小田原産の木材をふんだんに使って、江戸時代と同様の区画を復元し、質実で簡素な武士社会の様式美を表現している。また今回の改修に伴い小田原藩主・大久保忠朝が1686年に奉安したとされる「摩利支天像」が再び安置された。摩利支天は武家の守護神とされ、三面六臂(3つの顔と6本の腕)の立像で、猪の上に乗っている。この「御天守摩利支天」の安置によって従来の最上階のイメージは一新された。小田原城は百名城に入っているが、今回の改修によって30名城くらいに入るのではないかと密かに思っている。

Dscf1640_2 摩利支天像(50~60㎝くらい)

Dscf1642 摩利支天を収める厨子

小田原城はアジサイ、花菖蒲とも有名ではあるが、どちらもイマイチであった。
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2016年6月 4日 (土)

真田幸村と現代の日本

◆今年の関東甲信地方の梅雨入りはまだはっきりしないが、梅雨とは無縁のようなすっきり爽やかな天候に恵まれた1日、江戸東京博物館で開かれている特別展真田丸」を観覧してきた。4月7日に信州上田城址公園で開かれていた「真田丸」大河ドラマ展も観覧したが、全く別物の展覧会だった。

◆上田城のそれが「大河ドラマ」の大仕掛けなPR展であるのに対し、江戸博物館の展覧会は史実に忠実に迫った学術的なもので、当時の絵図面、屏風絵、刀剣、具足、旗指物なども展示されている。しかし古文書が圧倒的に多く、いわば歴史マニア向けといった展覧会だった。では何故今「真田丸」なのか?真田幸村ブームは過去何度もあった。真田家は戦国時代を彩る一武将であっても、信長、秀吉、家康を主軸とした本流ではなく、あくまで傍流に過ぎない。信濃の一国衆でありながら、真田昌幸と長男信之、次男信繁(幸村)親子が巧みな外交戦略と戦上手と言われる戦術で列強の中を生き抜いてゆく姿が現代と一脈通じるものがあるように思えてならない。

◆大坂の陣で家康に「もはやこれまで」と言わせるほどの武勇を持った幸村。「日本一の兵(つわもの)」と後世に語り継がれた武将でありながら、戦場の露と消えた生き方が日本人の心に響くのだろう。しかし武勇・戦略は超一流ながら、政治力に欠けていた。世の趨勢が徳川に傾いていく時流にあって、大坂方のリーダー淀殿はそれを潔しとしない。彼女の権力欲は嫡男秀頼を総大将に仕立て、自分が采配を振るおうとするが、織田のブランド力だけで戦に勝つほど甘くはない。それが分っていないところに悲劇があった。勝とうとするなら知略・経験に富んだ司令官を登用すべきだった。

◆大坂方には大名は一人も味方につかず、有力武将は真田幸村後藤又兵衛木村重成長曾我部盛親などで、大阪の陣を通して徳川勢を梃摺らせる働きをしている。しかし大方は関ケ原の敗戦で牢人となった兵士や戦の経験もない粗末過ぎる幕僚達で、およそ長の器でもないお気に入りの大野治長を重用し、真田ら実力派の意見を無視した。淀殿は滑稽なことに叔父にあたる信長の末弟の織田有楽斎を大阪城に招き、冬の陣で司令役的役割を担わせた。ところが有楽斎は家康とも通じる仲、城内の動きは筒抜けだった。冬の陣後、徳川に有利な形で和議を成立させ、その後大阪城を遁走した。

◆幸村にとって不幸だったことは、せめて淀殿が北条政子のような人物であれば救われたであろうが、実力ある指揮官不在の中で、幸村自身失うものは何も無い。幸村には知勇はあっても、政治力がなかった。雇われの身分という負い目を考慮せず、豊臣家の御為第一に、淀殿・秀頼を説得、周囲の武将も説き伏せ、自ら最高指揮官に就けば、あるいは家康を撃退させ、時を置かず秀頼が二代目を引き継ぐことができたかもしれない。

◆今の日本は米国という後ろ盾が付いているが、周囲にはロシア、中国という大国が自国の勢力を強めるべく権謀術数を駆使している。日本は小国ながら技術力・経済力を有し、一目も二目も置かれる存在だ。ところが、人が好いというか政治力にイマイチ欠ける。米国という後ろ盾が無くなった場合も想定して、いかに政治力を培っていくか「真田丸展」を見ながらふっと思った。

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上田城「真田丸」大河ドラマ展より。 

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