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2016年5月

2016年5月30日 (月)

トランプ大統領誕生?どうする日本?

◆オバマ大統領が歴史的な広島訪問を果たし、世界に向かって「核廃絶」を訴えたその場に、なんとも皮肉なことに「核のフットボール」と呼ばれる「核使用のGoサイン」を出す機密装置を入れたカバンがあったというのだ。大統領が行くところ、常にそのカバンを帯同する人物がいることは以前聞いていた。新聞はそのカバンを持ち歩く軍人が常に近くにいたことを写真入りで小さく報じていた。まさか、広島の原爆慰霊碑の前で、感動的なスピーチを発しているその近くに「いつでも核攻撃を承認できる装置」があったとは・・。理想と現実の違いをまざまざと見せつけるシーンと言っていいだろう。オバマ氏自身そのギャップに忸怩たる想いがあったに違いない。

◆トランプ大統領誕生の可能性が現実味を帯びてきた。こんな人物が「核のボタン」を身近に持つようになれば、感情の赴くまま、いつ「スイッチ・オン」になるか空恐ろしい。日本もトランプ大統領誕生を想定して、対応策というより日本の防衛の在り方を根本的に考え直し、そして決断する時がやってきた。彼の主張は「防衛してやっているのだから、米軍駐留経費を全額負担せよ。それがいやなら米軍を引き上げる。核攻撃に供えて自前で核を持つことも認めてよいのではないか」というもの。

◆では日本はどのように対応すればよいか。大きく分けて、(1)戦力を持たず、交戦権を認めないとするか。(2)自衛のための武装は容認するかの二点だろう。少し掘り下げるならば、(1)の場合、トランプの要求を断り、この際日本国憲法の規定通り、非武装中立とする。平和を求める姿は称賛されるかもしれないが、カギを掛けない家は泥棒に狙われやすい。そんな悪い奴はいないだろうという前提に立っているところに問題がある。領土・領海を侵犯され、警察権だけで応じられない場合、黙って見ているしかない。それで国民は納得するだろうか。国民の生命と財産を守るのが政治なら、この選択はないだろう

◆では(2)自衛のための武装は容認する場合だが、これはさらに3つに分類される。まず、(2)-A憲法を改定し、自衛のための戦力保持を認める。もちろん侵略戦争はNOだが、そのうえで在日米軍撤退による不足した戦力を補うための装備増強・人材補強が求められる。しかし、日本の場合攻撃がメインの空母などは必要ない。従来、支払った米軍基地負担費などは全額浮く形となり、それを全て自衛力増強に充てても、その方が安上がりだという試算もある。

◆次に、(2)-B価値観を共有する諸国と集団的自衛権を結ぶという戦略だ。これにも憲法の改定が必要となる。現在の自衛隊をそのまま活用して、東南アジア諸国、オーストラリア、場合によっては米国も含めて同盟関係を強化する。謂わばNATOのアジア版というイメージだ。お互い有事の場合は協力し合うが、他国に常在基地は有しないという前提に立つ。

◆また、(2)-Cは現状のままアメリカとの同盟関係を維持し、日本における米軍の費用は全額負担するという選択。しかしこれはトランプの言うままであり、国民からは猛反発を食らうであろう。そこで、(2)-Aの変形(2)-A’として米軍基地はすべて撤退してもらうが、核の抑止力(グアム、ハワイ、アジア海域の潜水艦等)は維持してもらうという選択だ。もちろんその費用はリーズナブルな範囲で日本も負担するということになる。さて、どれがベストか、他にも選択肢はあるだろうが。

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2016年5月28日 (土)

オバマ大統領の広島訪問と中露の態度

◆「G7伊勢志摩サミット」も無事終わり、オバマ大統領が現役大統領としては初めて広島を訪問した。平和記念公園の慰霊碑に献花し、全世界に向けて「核兵器のない世界の実現」を訴えた。任期満了を来年に控え、最後のチャンスだったにせよ、歴史的な出来事であったことは間違いない。オバマ氏は「私が生きている間に、この理想を実現させることはできないかもしれない」と述べたが、確かに道のりははまだ遠い。大統領辞任後も活動の場はあるだろう。是非、長崎にも訪れてほしいものだ。

◆それにしても相も変らぬ中国ロシアの言動だ。「法の支配」という共通の価値観を共有しない両国、G7が圧力を強めていると反発する。自分らが領土問題で力による現状変更を強行しておきながら、「G7が緊張感を高めている」と非難する。中国はG7が連携して「対中包囲網」を形成しており、自分たちは被害者を装う。ロシアはウクライナ情勢を巡る対露制裁について「世界全体の経済や情勢に良い影響を与えない」と、まるで「そっちが悪い」と言わんばかり。

◆一番いやらしいのが中国の王毅外相だ。彼は日米友好にクレームをつけないと習近平から怒られのか、二国間に水をさすかのように記者団に南京事件を持ち出し、日本が加害者であることを吹聴する。「被害者は同情に値するが、加害者は永遠に自分の責任を回避することはできない」と述べた。日米は恩讐を超えて、信頼を培ってきた。そうした交わりがあったればこそ、オバマ氏も広島を訪れることができた。被爆者の方が恨み節や謝罪を求めただろうか。オバマ氏が被爆者を温かく抱擁したその真意を少しは考えただろうか。

◆今、仮に安倍総理が南京を訪れ、慰霊碑に献花したとする。いや、献花できればいい方で、石持て追い返されるだろう。そんな状況を解消しない限り、日本の総理がその目的で訪問できる訳がない。王毅氏というより中国政府は永遠に現在の加害者(日本)と被害者(中国)の関係を維持したいのではなかろうか。その方が国民に対して都合がいいからだ。
習近平は鉄面皮、王毅外相は如何にももっともらしい顔で振る舞うが、実際は「巧言令色は鮮いかな仁」だ。読売のコラムに論語の一節「過ちて改めず、これを過ちという」を王氏に送りたいとあった。ついでながら、老子の一節「怨みに報ゆるに徳を以てす」も送ろう。中国で論語を復活させる動きがあるという。是非「論語読みの論語知らず」で終わることのないよう願いたいものだ。

Dscf1486 石垣空港で

2016年5月26日 (木)

南西諸島宮古島にて

◆真っ青な空に白い雲、エメラルド色の遠浅の海、優美な曲線を描いてその海の上をどこまでも伸びる長い橋。何のCMだったか覚えていないが、その風景が実際に目の前にあった。昨年完成した宮古本島と伊良部島を結ぶ伊良部大橋は通行料無料の橋としては日本最長で、3540mあるそうだ。

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(写真は宮古島と池間島を結ぶ池間大橋、全長1425m、1992年開通。)

◆自分は古今の名画・芸術作品の鑑賞もいいが、どちらかと言えば自然が創り出す造形美の方に惹かれることが多い。「下地島の通り池」という場所に案内された。下地島は伊良部島の南西に細い水路を挟んで並ぶ面積10㎢足らずの小さな島。「通り池」という名前を聞いて、大した期待もせずに、小さな亜熱帯植物の林の中を歩いた。数分歩くと突然ポッカリ視界が開けて、大小二つの円形の池が並んで見えた。いわゆる池というイメージではない。中を覗いて驚いた。眼下30mはあろうかと思われる崖下に、群青色の深いブルーの水が満ち、底は全く見えない。岩肌はゴツゴツして徳利型になっているので、一度落ちたら登って来れないだろう。

Dscf1602 ミニ・ジャングルの中を歩く。

◆海岸近くにある海側の池が直系75m、水深50m。陸側の池が直径55m、水深40mだそうで、2つの池は海底で繋がり、海側の池は海底洞穴で外洋とも通じているという。「通り池」という名は、このような池の構造に由来するとのこと。この地形は海岸にあった鍾乳洞が波によって浸食されて大きくなり、天井が部分的に崩落して形成されたものらしい。このような地形はブルーホールとも呼ばれる。池の周辺には石灰岩が点在するカルスト地形が発達している。
Dscf1603 陸側の池

◆2つの池は潮の干満につれて水面が上下し、水温の変化に伴って色が変化して見える。また、深度によって塩分濃度や水温に差があるため、多種多様な魚介類が分布しており、神秘的な景観とも相俟って、絶好のダイビングスポットになっているそうだ。このような地形は希少であり、周囲に学術上貴重な植物が分布していることから、通り池は、2006年7月、国の名勝及び天然記念物に指定された

Dscf1607_2 海側の池

◆奄美諸島から琉球列島を経て、与那国島まで弓状に連なる南西諸島は古来から幾度となく地震と津波に襲われている。なかでも1771年(明和8年)4月に起こった八重山地震(M7.6)では最大高さ30mと推定される津波が、宮古列島、石垣島周辺を襲い、全体で12000人の犠牲者がでたという。津波によって打ち上げらた珊瑚礁隗は津波石と呼ばれ、こうした津波石が綺麗な浅瀬にゴロゴロ立ち並ぶ不思議な景観呈している海岸があった。佐和田の浜という海岸でこれらの岩石も明和の八重山地震の津波が運んできたものとされている。遠浅の浜に多数の巨岩が点在する独特の風景は自然の猛威を示すとともに、一種の造形美を創り出している。改めて津波の凄さに驚かされた。

Dscf1595 津波石が点在する佐和田の浜

2016年5月24日 (火)

「敵艦見ゆ」のエピソード

◆先日、南西諸島9島巡りのツアーに参加した時の事、宮古島の島内観光で、綾小路きみまろの女性版といった感じのベテラン・バスガイドに遭遇した。「年の頃は40代では若すぎる、50前後か、いやもっといっているだろう、南国の強い日差しが深いしわを顔に刻んでいるところを見ると60代、ひょっとして70近い?」そんな話を休憩中、客同士で話していた。

◆実に当意即妙の話術を持つガイドさんが、突然古い軍歌調の歌を歌いだした。「これは何を歌ったものか」と乗客に問うた。聞いたこともない歌だった。歌詞を聞いているうちに「日露戦争の敵艦見ゆ」に関連したものだと思った。終わってからその顛末を講談調にテンポよく語って聞かせた。沖縄の漁師たちがバルチック艦隊を発見し、命がけで通報に向かった話は脳裏の片隅に残っていた。帰ってから司馬遼太郎の「坂の上の雲」の「宮古島」と「敵艦見ゆ」の章を読み返してみた。

◆明治38年1905年5月、日本海軍はロシア・バルチック艦隊が対馬海峡を通るか、津軽海峡を通るか、一刻も早く正確な情報が欲しかった。対馬海峡説に基づいて作戦を立てて備えていたので、津軽海峡を通ってくるとなれば、根底から変更せざる得なくなり、日本にとって一大危機となる。東郷司令長官率いる連合艦隊は、日本近海に哨戒船を張り巡らせ、情報収集に努めるが予定を過ぎてもなかなか姿を現さない。焦りは募るばかりだった。そしてついに5月27日未明、哨戒船信濃丸(6388t、汽船)が五島列島西方でロシア艦隊を発見。早朝4時45分敵艦隊見ゆ」の一報を発した。次いで「敵針路、対馬東水道を指す」と打電し続けた。本格的な戦闘開始時間は同日11:00頃。そして夕刻4:00頃には日本海海戦は終了した。本稿ではそのこと自体が目的ではない。

◆実は信濃丸が「敵艦見ゆ」を打電した日の数日前、22日か23日に那覇から宮古島へ向かうヤンバル船(小帆船)で走行中、北上しているバルチック艦隊に遭遇した若者がいた。那覇在住の奥浜牛という29歳の青年で、雑貨の商いを生業としていた。沖縄から宮古島までは300km。遭遇した場所は宮古島の南南東150km地点と推定されている。彼は一刻も早く知らせるべく、宮古島へ急ぎ、25日10時頃、ようやく今の平良港に到着した。この目撃情報を巡る宮古島の伝承「宮古島久松五勇士」が本稿の目的である。

◆島庁は騒然となった。駐在していた警察官も固い人物で尋問、調書作成に無駄な時間を費やした。当時の宮古島には通信施設がなかったため、島の役人・長老たちの会議の結果、郵便局のある石垣島にこの情報を知らせる使いを出すことに決定。半日ほどかけて漁を終わったばかりの若者5名を選抜した。彼ら5名は、全長5mほどの丸木舟(サバニ)に乗って26日早朝出発。石垣島までの170kmを15時間かけて必死に漕いだ。石垣島の東海岸に着いてから、30kmの山道を5時間かけて歩き、27日午前4時頃、八重山郵便局に飛び込んだ。早速那覇の本局に打電し、沖縄県庁を経由、、東京の大本営は10時頃受信した。

◆日本本土への連絡は信濃丸からの方が数時間早かったため、この情報が直接役に立つことはなかった。その後5人の行為は忘れられていたが、昭和5年、この事実が発掘され、当時の沖縄県知事が5人に金一封を贈った。決死の航海をしてから25年の歳月が流れていた。昭和9年5月18日の「大阪毎日新聞」が「遅かりし、一時間」という見出しで大々的にこのことを取り上げた。時間的な差はこの頃まだ正確に検証されていなかったからだが、この話題が国威発揚のための美談として、教科書にも掲載され、歌にも歌われるようになった。

◆横須賀の三笠記念艦にはこの新聞記事のコピーが展示されているそうだが、覚えていない。25年経った老人4人の写真(一人は死亡)が名前入りで掲載されているとのこと。戦後は軍国主義否定の観点から再び忘れ去られたが、宮古島、石垣島では郷土の英雄として語り継がれてきた。余談だが、5人のうち3人は与那覇という姓だった。ガイドさんも同じ与那覇姓。ある時乗客にこの話をしたら、「ガイドさんはその人達と兄弟ですか」と聞かれたそうな。「明治生まれの人と同年代じゃ、わたしゃ妖怪か?」と怒ったふりをしていた。(笑い)

2016年5月22日 (日)

政治家の品格

舛添東京都知事が窮地に立たされている。「他人に厳しく、自分に優しく」を絵に描いたような人物だ。「朝まで生テレビ」では舌鋒鋭く、論敵を口撃していたことを思い出す。自民党参議院議員となって厚生労働大臣まで務めたが、自民党を離脱。新党改革を立ち上げたものの、先行きが見通せず、代表を辞任。2013年7月、2期12年務めた参議院議員も任期満了に伴い議員を退職。2014年2月、猪瀬知事が「政治とカネの問題」で辞任に追い込まれるやいなや、狙っていたかの如く都知事選に立候補、見事当選を果たした。

◆それからわずか2年後、まさかと思うほどの「公私混同、カネに対するセコさ、卑しさ、汚さ、ズルさ」が露見、それに対する見苦しいまでの言い訳と弥縫策で誤魔化そうとする。権力を持てば、私的流用も許されると思っていたのだろうか。頭が良いとされる東大出の政治学者」の名が聞いてあきれる。こういう人物だからこそ、民衆は愚かで何とでも言いくるめられると思っているのだろう。それだから、潔く辞任すると言うことができない。

◆直接関係ない話であるが、東京大学工学部の男子学生5人(22~24歳)が強制わいせつ容疑で逮捕された事件が小さく報じられていた。容疑者の一人が住む都内のマンションに、飲み会後に一人の女子大生(21歳)を連れ込み、わいせつ行為をした疑い。被害者の通報により、後日5人全員が逮捕されたが、3人は容疑を否認しているという。以前にも慶応の学生が似たような事件を起こし、逮捕されたことがあった。

◆舛添氏と東大の学生達が引き起こした事件は「頭が良い、学歴がある」ということと、「人間として常識ある行動をとる」と言うことは全く別次元の問題であることを表している。有名大学に入ったという「特権意識」が何をやってもよいと思わせ、そうした行動をとらせるのだろうか。こうした若者が将来の日本を背負って立つ人材になるのかと思えば空恐ろしくなる。人間としての最低限の良識というものは、子供の頃から周囲の大人たちの下で、自然と芽生えるものと思っていたが、敢えて制度を作って教えていかなければならない世の中に変わってきたということか。そうだとすれば実に悲しい社会になってしまったということだ。
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2016年5月15日 (日)

歴史は逆戻りしている?(最終回)

【英国の場合】
◆イギリスでは6/23日、「EU離脱を問う国民投票」が行われる。情勢は五分五分。離脱が決まった場合、英国は経済成長の鈍化、金融市場の下落で、過去最大規模にある経常赤字のさらなる拡大につながると予想されている。またスコットランドの独立の動きも気になるところだ。イギリスがEUを離脱すれば、戦後進められてきた欧州統合の初めての大きな亀裂となり、戦争回避というEUの目的を考えれば、その亀裂は最終的には世界平和に対する亀裂にもなりかねない可能性がある。

【その他の国々の場合】
◆IS(イスラム国)の台頭で、世界中がテロの恐怖に晒されている。難民の増加で欧州は苦慮。その反動としてドイツフランスで極右勢力が台頭してきた。ロシアのプーチン強権はウクライナのクリミア半島を強奪。西側諸国は非難、制裁を強めるが国民は強いロシアを支持する。北朝鮮のバカ息子は核とミサイルで大国と亘り合おうとして国際的に孤立。韓国は折角、合意に達した慰安婦問題解決に反対する世論が多数を占めている。国民は解決したくないらしい。これらの世界の動きを見ていると、世界は平和に向かうどころか、ベクトルは10年前、100年前に向かっているようだ。

【最後に】
ヒトラーは善悪をはっきりさせる言葉を選んで、聴衆に訴えた。聴衆はそれにより怒りを覚え、体制を批判する。独裁者になる人物はますますプロパガンダを重視して、人々は熱狂し誘導されていく。特に政治の貧困が生み出した低学歴者、貧困層は現状の体制に失望し、ポピュリズムに乗せられやすい。その風潮が独裁者を生み出していく傾向は歴史が示している。今まで近年の世界の動きをざっと見てきたが、いくつかの国でこの傾向が復活しているように思える。

◆大衆は政治家に「自分のために何をしてくれるか」を求める。政治家は大衆の支持を得るために「利益のバラマキを約束する」。結果はどうなるか、述べるまでもない。アメリカ第35代大統領ジョン・F・ケネディは大統領就任演説で「我が同胞アメリカ国民よ、国が諸君のために何が出来るかを問うのではなく、諸君が国のために何が出来るかを問うて欲しい」、「世界の友人たちよ。アメリカが諸君のために何を為すかを問うのではなく、人類の自由のためにともに何が出来るかを問うて欲しい」、「最後にアメリカ国民、そして世界の市民よ、私達が諸君に求めることと同じだけの高い水準の強さと犠牲を私達に求めて欲しい」と語った。政治家として勇気のいる言葉だ。これを受け入れる国民の民度の高さも求められる。
(終り)

2016年5月14日 (土)

歴史は逆戻りしている?(3)

【中国の場合】
◆今年は毛沢東が全土に破壊と混乱をもたらした「文化大革命」を発動してから、ちょうど50年になる。習近平は文革(1966~76年)の前半1969年に、「知識青年の再教育」のため、貧困の農村に「下放」された。15歳の時だった。そこで農民のために貢献した習近平は認められ、22歳で北京に戻り精華大学に入学した。

◆1978年末に鄧小平がスタートさせた「改革・解放」は文革の全面否定から始まった。81年には文革を「内乱」と規定して、個人崇拝などを厳しく戒めた。しかし習近平は党総書記になると、「改革開放前の歴史」の否定を禁じる衝撃的な指示を出した。権力の拡大とともに「文革否定の党内論議」でさえタブー視する空気が広がった。つまり、「毛沢東個人崇拝」を復活する土壌が出来上がっていった。

は学生・農民・労働者を焚き付け、熱狂する大衆の暴力で指導部を壊していった。政治的に毛の遺伝子を持つと言われるは大衆の喝采をバックに「腐敗撲滅」を掲げ、ライバル達の政治勢力を倒していった。異論を弾圧する強権体制スローガンを振り回す経済政策、過度な大国意識に基づく外交姿勢も毛沢東流だ。個人に権力を集中させ、往年の「毛沢東語録」を思わせる「発言集」の学習運動も進む。まさに個人崇拝復活の兆しだ。

◆しかし、低迷する中国経済の中で、の道を辿るかのようなのやり方に不満を持つ分子は水面下で確実に広がっているという。またもや中国固有の遺伝のような「権力闘争」が本格化する可能性も見え始めた。ここでも歴史は繰り返すのか。(続く)

2016年5月13日 (金)

歴史は逆戻りしている?(2)

【フィリピンの場合】
◆フィリピンのトランプ評されるロドリゴ・ドゥテルテ候補(71)が次期大統領に当選した。ダバオ市の市長の時、「犯罪者は皆殺しだ」などと公言。最も治安が悪いとされたダバオ市を強硬な手段によって、劇的に改善したという実績が買われた。しかし、内実は非合法の暗殺団を使い、麻薬密売人らを超法規的に殺害した疑惑がつきまとっている。過激な発言は大衆受けを狙った選挙戦術だったようで、政策的には「犯罪や汚職の撲滅」という強力な主張以外に未知数の部分が多く、国内外からは懸念の声が出ている。

アキノ前政権は日米と連携し、中国包囲網路線を築き、特に日本は本年2月、防衛装備品の移転や技術協力を促進する協定を結ぶなど、緊密な関係を強化してきた。ところが、ドゥテルテ氏は中国と領有権を争う南シナ海問題で、中国との対話路線に言及。中国がインフラ整備などで経済支援を行えば「領有権争いを棚上げする」などと発言し、中国との関係改善に取り組む姿勢を強調している。まさに中国にとっては好都合な政権になることが予想されるが、外交政策の変更は地域の安全保障に大きな影響を与えるだけに、日米にとって大きな懸念材料となろう。

◆そもそもフィリピンとアメリカとの間には1991年9月までスービック海軍基地を使用する協定があった。スービック基地は東アジアにおけるアメリカの重要な軍事拠点だった。米軍は10年間の使用期限延長を望んだが、フィリピン上院は拒絶し、クラーク基地とともに同年11月に返還された。米軍がフィリピンを去ったため、東沙諸島、中沙諸島、南沙諸島の岩礁を中国に奪われてしまった。前政権は南シナ海での中国の岩礁埋め立てに対応するため、日米との関係を強化し、スービック基地の米軍使用を復活させている。

国際司法裁判所に訴えている南沙諸島領有権問題も、新大統領の対応次第では日・米・比の関係が根底から覆される可能性もある。定見を持たないドゥテルテ氏の外交政策は、民意に左右される可能性があり、民衆から期待の声があがる一方、指導者としての資質を疑問視する声があることも確かだ。この国も警察・検察などの官憲の力が強くなり、歴史の歯車が逆回転する恐れが出てきた。(続く)

2016年5月12日 (木)

歴史は逆戻りしている?(1)

【アメリカの場合】
◆トランプ劇場の冒頭では泡沫候補だった暴言王トランプ氏が、共和党の次期大統領候補に事実上決定した。これにより11月8日に予定されている大統領選本選で、民主党のクリントン候補との一騎打ちが実現。トランプ大統領出現というあまり見たくない終幕さえ現実味を帯びてきた。日本で活躍する有名なアメリカ人タレントが、冗談っぽく「トランプが大統領になったらアメリカを捨てて日本に帰化する」と言っていたが、果たしてどうなるか?

◆彼の主張をつぶさに見ると、虚偽無知だと思われる発言が多い。また過激発言によって既存勢力・敵対勢力へ口撃を繰り返し、現体制に不満を持プアー・ホワイトと言われる層への人気取りが主で、政策に具体性が全く見られない。彼は「アメリカ第一、偉大なアメリカを取り戻す」と主張する。そして日・韓・独は米軍の駐留によって、国の防衛にただ乗りしていると吹聴する。

◆何も知らない一般の人は本当かと思う。日・韓・独に対して駐留費の全額負担を求め、いやなら米軍を撤退させると言う。実際には米軍の04年報告書によると、日本は74.5%(約4700億円)を負担。15年度の総負担は7200億円を超えるという。韓国(40%)、ドイツ(32.6%)に比べて日本は負担し過ぎだ。しかも在日米軍は日本の防衛だけが任務ではない。極東から中東までの広い地域をカバーして、米軍の前線基地の役目を負っており、米国の防衛上にとっても大変なメリットがあるという。この辺の認識が全くなく、何も知らない不満分子の歓心を買っているだけだ。

◆こうなれば「撤退したければ、どうぞ」と言いたくなる。「それによるアメリカのメリットが無くなってもいいんですね」と脅してもいいくらいだ。そもそもアメリカという国は「強いアメリカ」を求めて世界の市場を開拓し、経済力で世界を席巻してきた。その裏付けとして軍事力を世界に展開してきたのではなかったか。世界の警察を自負しておきながら、金がかかるからその役目を放棄するという。自由主義経済を謳歌しておきながら、「TPPに反対、牛肉の関税を下げないなら、自動車の関税を上げる」などと発言。今まで参加国が必死の思いで合意したことは何だったのか。東南アジアや欧州から米軍が撤退することにより、地域が不安定になって、直接・間接的にアメリカのデメリットになることが分かっていないらしい。「内向き志向の一方で強いアメリカを取り戻す」という。これを自己矛盾と言わずして何というべきか。

◆世界の警察の役目を捨て、自国の富のみ追求するアメリカならば、誰も尊敬しないだろう。オバマ大統領が退任を前に、G7伊勢志摩サミットの際、5/27日に広島を訪れることを表明した。現役大統領としては初めてのことで、そのこと自体、世界平和へのメッセージとなろう。しかし、トランプが次期大統領になるとしたら、世界はどんな反応を示すだろうか。歴史が逆戻りしないことを願うのみ。(続く)

2016年5月10日 (火)

ふるさと納税について

◆東京一極集中が大きな歪となり、地方の過疎化、地方間格差が問題となって久しい。地方の過疎化によって働き手は減り、税収は減収する。逆に高齢化によって介護や福祉などの行政コストは増える。このことが地方自治体の大きな悩みとなっている。地方が元気にならなければ日本の将来も危うい。その溝を埋めるために2008年(平成20年)、第一次安倍内閣時に『ふるさと納税制度』(実際には自治体への寄付)が創設された。導入された大きな要因はまさに地方と都市の税制格差問題だった。

◆この制度は民主政権時代しばらく低迷していたが、2014年(平成26年)頃から飛躍的に増加した。その最大の理由は地方自治体が寄付の謝礼として、特色ある物産品を豊富に用意し、メディアが取り上げたためだろう。昨年度上半期(4月~9月)は半年間で約453.6億円と前年度の年間389.2億円をすでに超えた。寄付件数では227.5万件。1件当たりの単価は約20,000円。日本人の約2%の人が半年間でふるさと納税をしていることになるという。因みに自分は26年度に納税した一人である。

◆この制度はメリットとデメリットがあると言われている。まずメリットとしては、都会へ出た人がふるさとである地方に対して、支援や応援をすることができる。また都会に住む人が支援する自治体を自由に選べることもメリットと言えよう。もちろん魅力ある特産物をもらえることが目的である場合が大半であろうが、そのことにより、その地域のことを知るきっかけとなる。地方自治体にとっては特産物を謝礼に使用するため、地域産業の活性化に大いに資する。ふるさと納税は「都市部の税収の一部を地方に還元する」という制度であり、謂わば税の再配分という側面を持っている。

◆デメリットとしては、限りある税収があちこちに移動しているだけの話で、実際は地方と地方の食い合いではないかという見方もある。確かにその側面があることは否めない。しかし東京や横浜はもともと税収が多いところ。舛添知事が豪勢な海外視察をするほど予算はふんだんにあるようだから、少々税収が不足したところで、予算のやりくり次第でどうにかなる範囲だろう。現状ではトータルとして地方活性化というメリットの方が大きいと考えるが、そういった問題も含めて、地方活性化と都会の税収の現状維持が同時に満たされる方法を模索することが必要だろう。

Dscf1472 大山のシャクナゲ

2016年5月 8日 (日)

大山参り

◆大山山麓の「茶湯寺」に来たついでに、阿夫利神社まで足を伸ばした。鮮やかな緑が野山を覆い、微風が爽やかな薫りを運んでくる。大山ケーブルカーは昨年10月、新式の車両を導入したばかりで、ヘリで空輸している場面をTVで見た。一両の定数が78名だそうで、3回ほど待たされた。この日はこどもの日、家族連れが多く、中には外国人の姿もチラホラ。展望が利く大きな窓から濃淡の緑とともに、みるみる駅が下の方に遠ざかる。大山中腹の標高700mの終点阿夫利神社駅まで約6分。

Dscf1456 新緑が目に優しい

Dscf1460 途中の大山寺駅

大山は丹沢山系の最東南端に位置し、相模平地に突出した標高1252mの独立峰で、東海道線の車窓からよく見える山だ。過去2回山頂までのハイキングで訪れたが、今回の目的である阿夫利神社の下社はいつも通り過ぎるだけで、じっくりと見ていない。もともと信仰の山だったが、近年では手ごろなハイキングコースとして、また神事以外にも薪能など文化的行事も盛んに行われ、神奈川県は横浜、鎌倉、箱根に続く第四の観光スポットとして大山にも注力するようになった。
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大山阿夫利神社下社本殿。江戸時代までは大山寺があった場所で、大山詣りの目的地だった。明治の廃仏毀釈運動で、大山寺は山腹の下方に追いやられ、今の阿夫利神社下社として蘇った。

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境内から相模湾を望む。春霞のためか見晴らしはイマイチ。

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神社の境内はテーマパークのようにいろいろなものが置かれている。
手前は川越の水桶を模した鉄製の置物。

◆大山の阿夫利神社は奈良時代の752年、良弁僧都が開山した真言宗の寺院、雨降山大山寺とそれ以前からあった山岳信仰神社とが文字通り神仏混淆して修験道の山として発展してきた。雨降山阿夫利)と呼ばれる所以は、常に雨や霧が山上に生じ、雨を降らすことから起こったと言われ、その証拠に大山の麓にはいくつも名水が湧出している。山頂には阿夫利神社の本社と奥社があり、中腹の下社が一般的な観光スポット。江戸時代には庶民による「大山詣り」がブームとなり、「」という組織を作って参拝した。江戸期には年間に数十万が訪れたと記録されている。

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下社本殿の地下にある竜神の水と恵比寿・大黒天像とさざれ石

◆江戸時代には7月に限って山頂までの登山が許されたので、当時の江戸っ子は現在の国道246号添いの道、約70kmの行程を途中1泊。さらに宿坊で1泊し、翌朝登山した。富士山よりは手軽に行ける人気の参詣コースだった。庶民の殆どは参詣と行楽をかねていたから、下山後は藤沢、江の島、鎌倉方面や小田原、箱根へ回って精進落としの名目で遊んで帰った。また「富士に登らば大山に登るべし。大山に登らば富士に登るべし」と伝えられ、両山をお参りする「両参り」も盛んにおこなわれた。落語の「大山詣り」で知られるように参拝というのは表向きで、本来は男たちの羽目を外しての楽しみだった。だから女人禁制と称して男だけの大山講となり、「不動から上は金玉ばかりなり」、「怖いものなし 藤沢へ出ると買い」などという戯れ歌も残っている。お後がよろしいようで。

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ボケ防止と夫婦和合がシンボライズ。

2016年5月 7日 (土)

大山茶湯寺のこと

大山阿夫利神社大山寺の他、ハイキングや観光などで人気のある神奈川県を代表するスポットのひとつ。ケーブルカーの麓の駅へ向かって参道を登る途中を左に折れ、渓谷に架かる細い橋を渡る。風情のある石の階段を上がったところに質素なお寺がある。通称大山の茶湯寺(ちゃとうでら)、正式には浄土宗誓正山茶湯殿涅槃寺という。

Dscf1481 大山川に架かる橋

Dscf1451 渓流大山川

Dscf1447_2 風情のある石段


神奈川県の伊勢原、秦野あたりの風習で「百一日茶湯供養」という風習があることを初めて知った。「茶湯寺」は死者の霊を「百一日参り」の茶湯で供養する寺として知られているそうだ。供養に行くと帰り道で故人に似た人や故人の声に似た人に出会うと伝えられているとのこと。新緑の緑が爽やかな一日、たまたま故あって親族とお参りしてきた。この日同じような参詣者数組と行き合った。但し故人に似た人には会えなかったが。

Dscf1455 茶湯寺玄関

茶湯寺のHPには「百一日参りの由来」について次のように書かれている。
「亡くなられた方の霊は四十九日までその家の棟の下にいて五十日目から黄泉路の旅へ出発します。残された家族が四十九日に菩提寺に上げる四十九個のおもちを一日一日のお弁当とし、家族の方が毎日お仏壇に供えるお水で喉を潤し、百か日目に極楽の門に至り、仏様になられます。百一日目は(中略)家族の方は個人が無事に成仏したお礼参りに大山茶湯寺へ参拝しますが、それを知っている仏様は茶湯寺の石段で家族の来山を待っているといわれます。大山の茶湯寺は開山以来九百年の伝燈を継承する秘法百一日茶湯供養を奉修しますが、この日供養したお茶がそれまでのお水に代わって新しい仏様にご先祖様と同じようにお茶湯するお仏壇の最初のお茶になるわけです。」


Photo 木造釈迦涅槃像

本尊の釈迦涅槃像(木造、身長164.5㎝)は江戸時代の作で、市の重要文化財に指定されており、山内には供養のための数多くの石仏がある。釈迦涅槃像は日本では「絵」で描かれているのが一般的で、彫像の涅槃像は珍しい。撮影禁止だが、大変立派な像だから同 寺のHPから借用させて戴いた。仏の慈悲で許してくれるか、それとも罰があたるか?

Dscf1452 六地蔵
Dscf1454 ユーモラスなわらべじぞう

2016年5月 4日 (水)

昭和は遠くなりにけり

◆大正15年(1926年)12月25日、大正天皇が崩御、即日「裕仁親王」が天皇の位を受け継ぎ、元号は「昭和」と改元された。従って昭和元年はわずか1週間だけの短い年となった。なお、即位の儀式は昭和3年11月10日、京都御所で行われた。
そして、昭和64年(1989年)1月7日、昭和天皇が88歳で崩御され、現天皇が即位、元号が「平成」に改元された。昭和元年が1週間しかなかったが、昭和64年もわずか1週間。奇しくも始まりと終わりがちょうど1週間というのも何か不思議なものを感じる。


◆さて今年は昭和元年(1926年)から数えて90年。まだ90年しか経っていないのかと思う反面、平成に変わってから28年、もう28年も経ったのかと思うのは何故だろうか。自分は昭和の時代を45年、平成になってから27年生きている。幼年期は古き良き時代の昭和を過ごし、青春期に高度経済成長期を過ごし、企業戦士としての働き盛りに昭和の晩年期を過ごした。今年「田中角栄」本がブームとなっているように、日本列島改造論で日本全体が活気に満ちた時代だった。功罪両面あったことは確かだが。

昭和の時代とは、「国家が滅ぶかという瀬戸際に立たされた時代を経て、世の中の仕組みがガラリと変わった激動の時代」だったと言えよう。国民は復興から世界第二の経済大国になるまで、一心不乱に坂道を駆け上がった時代だった。つまり時代の歯車の回転が速い時期だったが、皆それにしがみ付いていけた時代だった。昭和が終わり平成になると、世の中はアナログ時代からデジタル時代に大きく転換していった。時代の変化の質が変わったということだろうか。アナログ時代に育ったものにとって、平成の変化の速さが「もう」という感覚になるのだろう。

◆今日5月4日はみどりの日。もともと4月29日が昭和天皇の誕生日ということで、昭和生まれには馴染みの深い「天皇誕生日」という祝日だったが、1989年の死去に伴い「みどりの日」に変更された。さらに2007年の国民の祝日に関する法律の改正によって、みどりの日は5月4日に変更され、代わりに4月29日は新たに「昭和の日」という祝日になった。なんだかややこしいが、毎日が日曜日の身にとってはどうでもよいことだ。

俳人、中村草田男は明治の世が終わって19年経った昭和6年に
  降る雪や 明治は 遠くなりにけり  という句を残した。
それをパクって、昭和が終わって28年経った今、
  行く春や 昭和は 遠くなりにけり  という句を残そう。

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2016年5月 3日 (火)

レッテル貼り合戦はもう止めよう(下)

◆不毛の憲法論議は止めて、日本を代表する真の知識人達による「日本の将来を見据えた憲法はどうあるべきか」のテーマで、掘り下げた議論を国民の前で、分かりや易く、じっくり展開してもらいたいものだ。そこで最もふさわしい人物の一人が東京大学名誉教授の北岡伸一氏だと思う。国連大使などを経て現在JICA理事長。民主党政権の際も、自民党政権の時も政府の有識者会議のメンバーを務めた。氏はしばしば、テレビや新聞で、歴史的、国際的見地から達見を述べているが、先日読売新聞に寄稿した「民進党と安保政策」の2300字ほどの論文は大いに共感を覚えた。

◆その中で特に共鳴したのが、日本は日露戦争から約20年後、世界的に燃料が石炭から石油に変わった時に、戦略を大きく転換すべきだったと言う部分だ。輸入に頼らざるを得ない日本は海外との共存の道を選ぶしかなく、それを選んでいれば滅亡の道は避け得たかもしれない。即ち「法的にも軍の独立性を定めた統帥権の独立を修正すべきだった。つまり憲法解釈の修正が必要だった。このような柔軟な憲法解釈を主張していたのが美濃部達吉だ。天皇機関説事件(注)はこのような美濃部の『解釈改憲』を批判したものであって、憲法原理主義者が日本を滅びしたのである。私には現在の原理的護憲論者は美濃部を批判した人々と同じに見える」と述べている。つまり原理主義的護憲論者は日本を滅ぼしかねないと指摘しているのだ。よくよく考えなければならないことではなかろうか。

(注)天皇機関説・・国家学説のうちに、国家法人説というものがある。これは国家をひとつの法人だとみる。国家が法人だとすると、君主や、議会や、裁判所は国家という法人の機関だということになる。この説明を日本にあてはめると、日本国家は法律上はひとつの法人であり、その結果として、天皇は法人たる日本国家の機関だということになる。これがいわゆる天皇機関説である。(宮沢俊義『天皇機関説事件』より)

◆この説は天皇神格化進める軍部にとっては、到底受け入れることはできない国賊的危険思想であった。しかしそのことが結局日本を滅ぼしたことに繋がっていったことはその後の歴史が示していることはいうまでもない。(終わり)

Photo_2 戦艦武蔵

レッテル貼り合戦はもう止めよう(上)

◆今日5月3日は憲法記念日。メディアは中立を建前に護憲派、改憲派それぞれの主張・行動を取り上げ、世論調査を行い単純に「賛成か、反対か、どちらとも言えないか」などと問題をシンプル化して報道する。
護憲派」と言われる人達は「日本はこの平和憲法があったから、戦争に巻き込まれることなく、平和が保たれてきた。改憲を目指す人達は、集団的自衛権を解釈変更により正当化し、安保関連法案を強行成立させ、戦争できる国にしようとしている。そのため、憲法9条を改悪し、戦前のような徴兵制が敷かれかねないので、絶対反対だ」と叫ぶ。


◆一方「改憲派」と言われる人達は、「戦後70年、時代は変化してきた。憲法の基本的精神は維持しつつも、解釈変更を重ねてきたことに無理が生じてきている。特に憲法9条は戦争放棄を掲げ、戦力は保持しないとしながら、自衛隊を有している矛盾をどう説明するのか。「平和、平和」と唱えていれば、他国から攻められないという保証はあるのか。国民の生命と財産を守るのが国家の責任とするならばそのための基本法を整えるのが憲法の改正だ。「護憲派」は現状維持の一国平和主義そのものだ。

◆両者の主張はそれなりに筋は通って、説得力はある。しかし与党も野党も、学者・知識人も自説の主張にこだわり過ぎ、溝は深まるばかりだ。これでは一般人は混迷し、不信感は高まる。これまでの動きを見ていると、国会前で一部の学生・主婦や知識人がデモを繰り広げ「戦争反対憲法守れ」とがなり立てているのが目につく。それに便乗するかのように野党各党主が手を取り合い呼応する。そしてこの一点だけで選挙協力を結び、統一候補を立てるという。他の政策の相違には目をつぶっても。学者達も総じて「改憲反対派」が多いようだ。

◆一方、「改憲派」と言われる人達の動きは「美しい日本を取り戻そう」という主張に加え、「日の丸」に向かって「君が代」を斉唱し、「天皇陛下万歳」を唱和する場面をメディアは何度も流す。これでは戦前への回帰を望んでいる右翼のように連想され、若者、無党派層、主婦層には敬遠されやすい。最近では「護憲派」が増え、「改憲容認派」が減っていることは調査結果が示している。しかし、本当に自分で考え判断を下しているのか、ムードに流されていないのか、はなはだ疑問だ。「改憲派」、「護憲派」とも冷静に議論し、理解し合おうという姿勢は見られない。これではいくら政党討論をやっても無駄だ。(続く)

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