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2016年4月13日 (水)

城址公園桜巡りツアーに参加して(3)

【伊那高遠城址公園編】
テルテル坊主の効力があったのか、前日の雨も止んで、時折薄日が射すほどまでに回復した。高遠城址公園は人出も多く、外国人の姿もかなり見かける。通行を邪魔するように桜の枝が垂れ下がっているが、日本人のマナーが浸透しているようで枝を折るような不届き物は一人も見かけない。上田の獅子舞とお囃子がお祭りムードを盛り上げている。


Dscf1417 城址公園の入り口へと続く

Dscf1409 上田の獅子舞一行


◆高遠城址公園の桜は「タカトウコヒガンザクラ」という種類で、明治8年頃から植えはじめ、樹齢130年を超える老木を含め、現在では1500本を超えるという。花はソメイヨシノよりやや小振りながら、色はやや濃い目で可憐である。さすが「天下第一の桜」と称されるだけのことはある。また、本丸跡から眺める中央アルプスの眺望が素晴しい。城址公園周辺にも多くの桜が満開で、南アルプスの仙丈ケ岳が望めるスポットもある。
 

Dscf1412 本丸跡より中央アルプスを望む

Dscf1429 南アルプスの仙丈ヶ岳を望む

◆ここで高遠城の歴史に触れないわけにはいかない。高遠城は二つの川に挟まれた河岸段丘の突端に位置する平山城である。高遠は古くから諏訪氏の勢力圏にあったが、この地が諏訪から伊那谷に抜ける交通の要衝であり、駿河や遠江に進出するための重要な地点であった。戦国時代に海側への進出を目指す武田信玄が、この地を押さえることに成功。この時、高遠城の改築に関わったのが山本勘助だったと伝えられている。

◆城内に残る深い空堀や土塁からは、地形を巧みに利用した戦闘的な城の姿が浮かび上がってくる。1582年高遠城は5万の織田軍に攻められ、3千人の仁科盛信軍は善戦虚しく落城、盛信は落命する。江戸時代になると、高遠城は高遠藩(3万3千石)の政庁として、保科氏、鳥居氏、内藤氏と約270年間に亘って、上伊那の政治の中心となった。現在の高遠城は江戸時代の曲輪配置をそのままに残しており、昭和48年に国の史跡に指定され、平成18年に日本を代表する「日本百名城のひとつ」に選ばれている。

【藩校進徳館】高遠城内に設けられた藩校。第8代藩主内藤頼直が城内三の丸の屋敷に学問所進徳館を開いた。幕末の1860年に設立され、明治6年に廃校となる。残存期間はわずか13年だったが、500名を超える人材を輩出したという。1973年に国の史跡に指定された。大藩の藩校と違って、アットホームな趣があり、親しみを覚える。
Dscf1418 進徳館玄関

Dscf1422 進徳館玄関から門を見る

Dscf1420 進徳館中庭と学び舎

【絵島囲い屋敷】江戸城大奥のスキャンダル事件としてあまりにも有名な「絵島生島事件」。絵島は六代将軍家宣の愛妾である月光院に仕え、大年寄まであがって絶大な力を得るが、人気役者生島新五郎との不義密通が明るみに。幕府の権力闘争にも巻き込まれ、死罪を免れるが高遠に遠流と決まった。生島は三宅島に島流しとなる。絵島が高遠で流刑生活を送った屋敷を当時の見取り図をもとに復元したのが絵島囲み屋敷で、実は5月にNHKの歴史秘話ヒストリーで取り上げるそうで、スタッフが、先日綿密な取材にきたそうだ。平屋建ての質素ながら小奇麗な屋敷は、高貴な女性が住んでいたというイメージにぴったりで、格子で厳重に囲まれて昼夜10人近くの武士・足軽・下女に見張られていたと言う。絵島はこの地で28年間過ごし、1741年、61歳で病没した。(続く)

Dscf1424
絵島囲い屋敷(屏で囲まれている)

Dscf1427 
絵島の間

Dscf1428 囲炉裏などが見える。

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