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2016年2月18日 (木)

日本国憲法は宗教か?(下)

◆戦後の吉田総理は憲法9条の規定に従って、「自衛権の発動としての戦争を放棄した。つまり日本が攻められても戦争はしない」という大方針をわずか3年で「主権国家が自衛権を持つのは当然。つまり自衛のための戦力は憲法に書いていなくても保有できる」という解釈の大変更をして、再軍備に向かった。もちろんその背景には「国際情勢の変化」があったことは前回述べた通りだ。

◆当時吉田総理は「保守反動」、「逆コース」などと徹底的に叩かれた。批判の急先鋒は、所謂、朝日岩波文化人といわれる人達で、彼らは「自衛隊の廃止」や「安保条約の破棄」、「非武装中立」を訴えた。しかし、66年経った今ではどうだろうか?「戦後の平和と繁栄の基礎を築いたのは吉田茂だ」というのが通り相場となっている。仮に反対派の言う通り「非武装中立の日本」になっていたらどうだったか。おそらく朝鮮半島のように東西両陣営が日本を奪い合い、国土が二分されていたかもしれないし、中国の属国になっていたかもしれない。昨今、中国の軍備増強・領土拡張、北朝鮮の核とミサイルの脅威、イスラム過激派のテロなど、日本を取り巻く国際情勢の変化は冷戦時代以上の危険な状況を作り出していると言える。

◆これらの危機から眼を逸らそうとするのが、「憲法違反論」であったり、「戦争をする国」のレッテルを貼る左翼的な勢力であったり、「一国平和主義」のムードに乗ってデモをする善良な市民である。しかし、座して蹂躙されるがままであっていい訳が無い。さらに残念ながら日本は一国だけで、このような軍事的脅威に立ち向かえるだけの抑止力を有していない。良識が通用しないこれらの国が、日本を標的にしないと誰が断言できるだろうか。為政者はあらゆるケースを想定して対応しなければならない。現実的には価値観を同じくする国々と同盟を結び、限られた軍事力でも、日本を標的にさせない状態を作るしかない。これを「集団的自衛権を憲法解釈の変更で実行するのは不可」とするならば、吉田総理が憲法の解釈を変更してまで国を守った先例をどう見るのだろうか。

民主党の前原氏は憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」(変な日本語!)の部分について、「あまりにも現実離れし、理想主義に過ぎない」と断じた。さらに9条2項の記述に対して、現実に自衛隊が存在し、国民に広く必要性が認められているとして、「読んで字の如く」に見直すべきだと主張した。当然すぎる主張である。

◆日本国憲法は何も「安全保障」だけが問題ではない。例えば私立学校の公的助成金は89条で禁止されているにも拘らず、時代の変化で私立学校振興助成法ができ、これを根拠に助成されている。これも憲法解釈による変更だ。この他にも現行憲法では定められていない「大災害時等の緊急事態時の私権の制限」、「難民受け入れに関する基本的な国の方針」、「平時と有事における国民の権利と義務、「現在の法規定を超える新たな諸問題」など、70年を経て時代は様変わりしている。憲法の見直しは遅かれ早かれ必要となる。それでも憲法論議をタブー視するのであれば、それこそ「日本の憲法は宗教か」と指摘せざる得ない。今後も問題があれば、違憲か合憲か不毛の議論を続けるのか、解釈変更というその場凌ぎでやっていくのか、それとも正面から憲法改正に取り組むのか、国民一人一人が真剣に考える時ではなかろうか。(終り)

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