« 2016年1月 | トップページ | 2016年3月 »

2016年2月

2016年2月29日 (月)

五代友厚と渋沢栄一(3)

◆五代の死後、浅子が最も影響を受けたのが渋沢栄一だった。渋沢は1840年生まれで、五代より4歳年下だが、1931年(昭和6年)に91歳の天寿を全うした。現埼玉県深谷市の豪農の家に生まれたが、単なる製造農家ではなく、仕入れや販売も行う商業的な才覚も必要とされた。一方5歳の頃から剣術や学問も学び、1861年に江戸に出て、「坂本竜馬」も修行した千葉道場に入門(時期は重なっていない)、やがて尊王攘夷の思想に目覚め、長州と連携して討幕の計画に加わる。

◆京都での勤皇派の志士活動に行き詰まり、江戸に戻って一橋慶喜に仕え、幕臣となる。パリ万博の際、慶喜の名代となった弟の徳川昭武の随行員として渡仏、その際欧州各国を視察・巡行する。各地で先進的な産業・軍備を実見するとともに、西欧社会の人々の暮らしを見て感銘を受ける点は五代と共通する。このとき通訳として同行したのがシーボルトの長男アレクサンダーで、彼に語学を学んだ。渋沢はフランス滞在中に外国奉行支配調役に任じられた。帰国後もアレクサンダーは弟のハインリッヒとともにに明治政府に勤めた渋沢に対して、日本赤十字社の設立などで度々協力するようになる

◆大政奉還に伴い、新政府から帰国を命じられ、1868年11月横浜港に帰着した。帰国後静岡に謹慎していた慶喜を訪問、「これからはお前の道を行きなさい」との言葉を拝受する。渋沢はフランスで学んだ株式会社制度を実践するため、明治2年(1869)1月、静岡に商法会所を設立した。しかし、その年10月大隈重信に説得され、大蔵省に入省、大蔵官僚として民部省改正掛を率いて改革案の企画立案、度量衡の制定や国立銀行条例制定に携わる。しかし予算制定を巡って、大久保利通や大隈重信と対立、明治6年(1873)に井上馨と共に退官して、再び民間人に戻った。

◆退官後まもなく第一国立銀行の頭取に就任して実業界に身を置き、多くの地方銀行の設立を指導した。広岡浅子が加島銀行設立にあたり、着実に準備を整えるが、最後に「銀行の神様」と言われる渋沢に会って教えを請いたいと願った。その場面はTVドラマでも描かれていたが、銀行経営の神髄を学んだ。そのうえで、大きな視野に立つ渋沢は事業だけでなく次代の人間の育成を考えていた。浅子はこの点にも深い感銘を受け、日本初の女子大の設立にも動き出す。渋沢は後に東京商法講習所一橋大学の前身)を発足させた。(続く)

2016年2月28日 (日)

五代友厚と渋沢栄一(2)

五代友厚は明治維新後、新政府の「参与職外国事務係」に就任する。外国官権判事、大阪府権判事兼任として大阪に赴任し、外交問題の処理に当たった。因みに幕末に竜馬の「いろは丸」事件で紀州藩との調停役を務めたこともあった。大阪に現・造幣局を誘致、初代大阪税関長にもなった。その後、当時瀕死の危機にあった大阪経済を立て直すために鴻池三井広瀬(後の初代住友総理人)といった財閥とともに大阪商法会議所を設立。五代は初代会頭に就任し、大阪経済界の重鎮となった

◆明治2年(1869)に政府役人を退官し、実業界で活躍する。特に明治政府の富国策として鉱山業に尽力し、精錬技術を海外から導入して日本各地に鉱山を開発、「鉱山王」とも呼ばれた。その他紡績業、製塩業、大阪株式取引所、関西貿易社、共同運輸会社、大阪商船、現・南海電鉄など多数の企業を設立した。

◆五代には政商という悪評がついて回る。それはかつて討幕の同志であった大久保利通、木戸孝允、板垣退助ら薩長藩閥政府との結びつきも強く、利益誘導ではないかと見られがちであったからだろう。その象徴的な事件が薩摩出身の北海道開拓使長官黒田清隆による「開拓使官有物払下げ事件」だった。開拓10年計画の満期が近くなった明治14年(1881)に道半ばながら、膨大な予算を食う北海道開拓使の廃止方針が固まった

◆黒田は開拓使の事業を継承させるために、部下の官吏を退職させて民間企業を興し、官有の施設・設備を安値で払い下げることにした。また事業が赤字であったことも安値の理由であった。払下げの対象は船舶・倉庫・農園・炭鉱・ビール・砂糖工場などで、およそ1400万円の費用を投じたものを39万円(無利息30年賦)で払い下げるというものであった。しかし役人にはその資本すらないし、商売の才覚にも不安があった。結局、黒田は同郷の五代友厚らが経営する「関西貿易商会」に払下げを引き受けさせることにした。そのことが明るみになり、薩長閥と自由民権運動推進派の政争に巻き込まれて、政府や五代に批判が集まった。本来的には国家的プロジェクトで継続すべきものを、財政難のため押し付けられたようなものであった。結局この話は流れてしまって、五代の悪評だけが残った。

◆五代が私腹を肥やすような人物でないことは彼の死後、白日の下に晒された。これだけの事業に関わり、多くの実績を残したにも拘らず、死後残ったものは負債だけだった。後輩の面倒をよく見、薩摩出身の官僚には気前よく金を貸し与えたが、服装には無頓着で粗末なものだったという。財閥を作らず、大阪を築くことに終始した五代の生涯は浅子にとって無上の尊貴のものに思えたのだろう。原作では五代が亡くなる1年前(明治17年)に、初めて親しく懇談する機会があって、浅子を温かく激励する。五代は死を悟っていたのか、「自分が死んでも五代が築いた大阪は残る。負けたらあかん。他人やない、自分にや」と言い残した。(原作より)-続く-

2016年2月27日 (土)

五代友厚と渋沢栄一(1)

◆NHK朝の連続ドラマ「あさが来た」を毎朝楽しみに見ている。この作品の原作は「小説・土佐堀川-女性実業家・広岡浅子の生涯」というタイトルで、作家古川智映子さんが綿密な取材のもとに書き上げ、1988年に刊行されたものである。それから20数年間、殆ど日の目を見なかったが、今回NHKの朝ドラで取り上げられてから大ブレイクした。最近の朝ドラでは幕末、明治・大正にかけて実在した女性を取り上げ、その生涯を描いたものがいくつか見られるが、この作品も歴史ドラマとして興味深い。ドラマ仕立てになっているので、原作とは異なる部分もかなりあるが、大筋は外していない。

◆幕末から明治期を舞台にした歴史ものは政治、外交を主テーマにしたものが多く、主人公も男性が殆どである。しかしこの作品は、経済(商い、実業)を通して成功を収め、女子教育という面でも社会に貢献した女性の生き方にスポットを当てている。このまま埋もれてしまったかもしれない女傑を発掘して、世に知らしめたところが、大変評価できる。

◆封建社会を脱して近代化の道を歩み始めた明治期の経済界にあって、時代の波に取り残されて、没落する商家も多数あった。新しい波を察知して勇敢に対応、財閥へと発展する旧商家もあった。主人公の出自の「三井」がまさにそれにあたる。西欧の経済・経営・新技術を貪欲に取り入れ、起業して新しい産業を興した実業家達も続々台頭してきた。浅子のよき理解者であった渋沢栄一五代友厚や岩崎弥之助・久弥など、今日の日本経済の礎を築いた先駆者たちの苦悩と活躍が見て取れ、実に壮快である。

◆「東の渋沢、西の五代」と比肩されるように、二人に共通する点、相違点など調べてみると大変興味深い。まず五代友厚の足跡を見てみよう。彼は1836年~1885年、満49歳で没したが薩摩藩士の出身で、父の影響もあって開国論者の立場に立った。1857年、長崎海軍伝習所に藩から実習生として派遣され航海術を学び、勝海舟、坂本龍馬とも出会う。慶応元年(1865)、32歳の時、藩命により「薩摩藩遣英使節団」として16名の留学生を引率して、欧州各地を巡歴、この時の見聞から明治維新後に実業界の道へ歩むことになる。1865年帰国後、薩摩藩の商事を一手に握る会計係に就任。長崎のグラバーと合弁で長崎の小菅にドックを建設するなど、実業界への手腕を発揮し始めた。1868年、戊辰戦争が勃発すると、西郷隆盛や大久保利通らとともに討幕に活躍する。(続く)

2016年2月24日 (水)

民主・維新合流後の党名は?

民主党が「党名変更を条件」に維新の党吸収合併して、3月末にも新党を発足させるという。7月に予定される参院選に備えるための苦肉の策だろうが、もともと沈みかけた民主党という泥船から、真っ先に逃げ出した松野氏らが紆余曲折の挙句、今度は出戻りして、民主党と再婚するという。しかも厚かましくも元の名前はいやだから新しい名前に変えてくれなきゃいやだと注文をつけた。
 
◆こうして見てくると、松野氏の動きは政策よりも政局が一番という考えのようだ。一緒になるくらいなら、何のために離党したのか。岡田氏も民主党の名前にこだわる党内意見を考慮して、交渉は難航したようだが、「世論調査や支持者らによる投票で、新しい党名を決めたらどうか」という提案を受け、合流に向けて動き出した。中身は変えず「新装開店」というようなものだが、ことのついでに新党名を提案したい。

◆民主党と維新の党が合流するのだから、それぞれの頭をとって「民維」、即ち「民意党」ではどうか(少し真面目すぎる?)。合流しても民主党の名前を残したいのであれば、「民主合流党」ってのはどうだ(安易すぎるか?)。いろんな党を結集しようとするのだから「日本混成党」、自民党を牽制したいのなら「自民牽制党」、これでは自民と紛らわしいから「民主牽制党」(これなら憲政党に通じて響きもよい)。大衆受けを狙っているのであれば、そものズバリ「大衆迎合党」、または「民主八方党」(ちょっとふざけ過ぎ?)

◆政策に力点を置くならば多分「民主曖昧党」、「憲法不変党」、「旧態依然党」、世直しをもじって「出直し清新党」、もともと政策がバラバラだから「幸せの薔薇党」なんてのは女性票が見込める? まぁ、どうでもいいけど、安倍内閣の不祥事が続いて、国民もそろそろ飽きが来る頃だろう。この機に乗じ、仮にも新党発足と野党の選挙協力が功を奏して、参院選で与野党逆転ということがないともいえない。そうなったら、国会は混乱、何事も決まらず空転続き、中国・北朝鮮・韓国は強気に出て、政治の不安定は増すだろう。そうなると日本経済はさらなる低迷を招き、冬の時代に逆戻りすることは避けられないだろう。

20162
一足早く春の香り 

2016年2月23日 (火)

笑える時事ネタ二題

【米大統領予備選】
◆アメリカの次期大統領を決める予備選が今月スタートした。今回は民主・共和両党とも過去に政治経験のない、過激な発言をする二人の異色候補が善戦している。「ひょっとしたら、ひょっとする?」とおかしな空気も。ネバダ州ラスベガスのある会場では、民主党のクリントン候補と最左翼のサンダース候補が同数になった。こういう時に決着をつけるラスベガスらしいルールがあった。なんとカードで決着をつけようというもの。強いカードを引いたほうが勝ちというルールで、クラブのエースを引いたクリントンがハートの6を引いたサンダースに勝ったという。そこで共和党のトランプ候補が言ったとか、言わなかったとか、「やっぱり俺が必要だろう」(笑い)

【インドネシア新幹線のその後】
◆インドネシア政府のジャカルタ~バンドン間約140kmの新幹線設置計画にあたって、日本は現地の地質調査なども行い、具体的な事業提案書を提出した。しかし、インドネシア政府は建設に関わる膨大な費用の政府保証に躊躇し、途中から割り込んできた中国に対して、昨年9月に発注した。中国はインドネシア政府の債務保証を求めず、工期も短縮して、必要な資金も中国が用意するという甘い条件を出したため、十分な精査もせずに飛びついてしまったのだ。日本にとっては、トンビに油揚げをさらわれた形になったが、「そんなうまい話はないよ」というのが率直な感想だった。

◆まさに予感が的中したというか、1月21日ジョコ大統領や中国の国務委員らが出席して、起工式が行われた。ところが1か月経っても建設工事は始まらないばかりか、建築許可の見通しすら見えていないという。2月21日のインドネシアメディアによると、問題山積で中国から未提出の必要書類が多く、一部出された書類は中国語だけの記載が多く、インドネシア語や英語ではないため、差し戻されたものもあった。また、中国の当初提案では、インドネシア政府の債務保証は求めず、一切財政負担をしない実質0円でOKとの内容だったが、今年になってからインドネシア政府の保証を求めてきたという。(政府ぐるみ詐欺集団?)

◆インドネシア政府は建設ルートに活断層が三つあるため、地震対策を求め、早期地震検知警報システムの導入も必須要件としている。さらに用地取得にも難航が予想されており、こうした様々な問題が露出してきたため、暗礁に乗り上げており、計画自体を白紙に戻すべきだという声が強まっている。これに対して、中国側は「作業は順調に進んでいる」と自信を見せているそうだ。中国の常識では約束を反故にすることは常套手段だが、慣れていないインドネシアにはそこまで読めなかったのだろう。

◆ジョコ大統領は面子を保つため関係各方面と協議を行い、どうにか高速鉄道の速やかな着工に向けて工作しているが難航しそうだという。インドネシアの中国に対する不信感は着実に広がっている。逆に日本の南武線に使われた車両がインドネシアで最利用され、大変喜ばれているという映像が流れていた。「♪だから、言ったじゃないの~♪」

2016年2月21日 (日)

真田「六文銭」の謂れ

2◆「真田丸」ブームである。ドラマの筋書きはNHKに任せるとして、ここでは真田家の家紋「六文銭」について触れてみたい。真田家が「六文銭」を旗印としたのはいくつかの説があるが、もっとも有名な説は仏教でいう「三途川の渡し賃」である「六道銭」からとったものであるという説。死をも厭わない不惜身命の覚悟を表わしたものという説に沿って述べてみたい。

六道とは、仏教における地獄(道)・餓鬼(道)・畜生(道)・修羅(道)・人間(道)・天(道)の六つの世界(道)のことを言い、六道を無限に繰り返す事を一般に「六道輪廻」と呼ぶが、真偽のほどはさて置いて、この六道を総じて欲界といい、その上に色界無色界があって、この三つの世界を合せて三界と言い、「三界に棲む家無し」という言い方するように人間などの生き物はこの三つの世界で生死を繰り返すというのが、仏教の世界観だという。

◆平安時代から鎌倉時代に「地蔵菩薩信仰」が流行り出す。仏教の世界の考え方として、あの世とこの世を行き来できる唯一の存在が地蔵菩薩だという。地蔵菩薩を六道それぞれにリンクさせ、1体ごとに六道の1つ1つを守護する存在であるとして、六体の地蔵菩薩をまとめて「六地蔵と呼んだ。六地蔵は日本各地の寺院以外にも、各地の村落や、街道沿いにも見られるように、庶民の身近な信仰信を表した存在だったのだろう。

◆そしていつの頃からか、人は死後最初に行くところが六道だという意識が非常に強くなり、これが「死者に六道の数に合った銭を持たせれば清く成仏できる」という考え方に発展して、「六道銭」ができたようだ。それがいつの間にか、三途の川の渡し賃にとって変わり、死者を葬る時に遺体と一緒に埋めるようになったという。江戸初期の「1文」を現在の貨幣価値に置き換えると約50円、六文銭で300円程度だそうだが、だとしたら三途の川の番人や船頭さんはいくら貯まったの?とチャチを入れたくなる。現代では紙や布に印刷した六文銭(冥銭)を副葬品として納棺するのが一般的のようだ。

◆三途の川とは悪行を重ねた者が行く三悪道(地獄道・餓鬼道・畜生道)の世界を指して言ったが、三途の意味が変形して、生前の生き方によって、善人は「橋」を、軽い罪人は「浅瀬」を、重い罪人は「流れの早い深み」を渡ることになるという。要するに仏教のことは、後付けで後世の人が何とでも理由付けできるものであり、それが正しいかどうかではなく、信じるか信じないかであって、それが宗教の宗教たる所以なんだろう。近年は「人の死」という厳粛な事実に向き合って、従来型の仏式によらない無宗教で行う葬儀というものが増えつつあるようだ。三途の川の番人さんも暇になってきたのではなかろうか。

2016年2月18日 (木)

日本国憲法は宗教か?(下)

◆戦後の吉田総理は憲法9条の規定に従って、「自衛権の発動としての戦争を放棄した。つまり日本が攻められても戦争はしない」という大方針をわずか3年で「主権国家が自衛権を持つのは当然。つまり自衛のための戦力は憲法に書いていなくても保有できる」という解釈の大変更をして、再軍備に向かった。もちろんその背景には「国際情勢の変化」があったことは前回述べた通りだ。

◆当時吉田総理は「保守反動」、「逆コース」などと徹底的に叩かれた。批判の急先鋒は、所謂、朝日岩波文化人といわれる人達で、彼らは「自衛隊の廃止」や「安保条約の破棄」、「非武装中立」を訴えた。しかし、66年経った今ではどうだろうか?「戦後の平和と繁栄の基礎を築いたのは吉田茂だ」というのが通り相場となっている。仮に反対派の言う通り「非武装中立の日本」になっていたらどうだったか。おそらく朝鮮半島のように東西両陣営が日本を奪い合い、国土が二分されていたかもしれないし、中国の属国になっていたかもしれない。昨今、中国の軍備増強・領土拡張、北朝鮮の核とミサイルの脅威、イスラム過激派のテロなど、日本を取り巻く国際情勢の変化は冷戦時代以上の危険な状況を作り出していると言える。

◆これらの危機から眼を逸らそうとするのが、「憲法違反論」であったり、「戦争をする国」のレッテルを貼る左翼的な勢力であったり、「一国平和主義」のムードに乗ってデモをする善良な市民である。しかし、座して蹂躙されるがままであっていい訳が無い。さらに残念ながら日本は一国だけで、このような軍事的脅威に立ち向かえるだけの抑止力を有していない。良識が通用しないこれらの国が、日本を標的にしないと誰が断言できるだろうか。為政者はあらゆるケースを想定して対応しなければならない。現実的には価値観を同じくする国々と同盟を結び、限られた軍事力でも、日本を標的にさせない状態を作るしかない。これを「集団的自衛権を憲法解釈の変更で実行するのは不可」とするならば、吉田総理が憲法の解釈を変更してまで国を守った先例をどう見るのだろうか。

民主党の前原氏は憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」(変な日本語!)の部分について、「あまりにも現実離れし、理想主義に過ぎない」と断じた。さらに9条2項の記述に対して、現実に自衛隊が存在し、国民に広く必要性が認められているとして、「読んで字の如く」に見直すべきだと主張した。当然すぎる主張である。

◆日本国憲法は何も「安全保障」だけが問題ではない。例えば私立学校の公的助成金は89条で禁止されているにも拘らず、時代の変化で私立学校振興助成法ができ、これを根拠に助成されている。これも憲法解釈による変更だ。この他にも現行憲法では定められていない「大災害時等の緊急事態時の私権の制限」、「難民受け入れに関する基本的な国の方針」、「平時と有事における国民の権利と義務、「現在の法規定を超える新たな諸問題」など、70年を経て時代は様変わりしている。憲法の見直しは遅かれ早かれ必要となる。それでも憲法論議をタブー視するのであれば、それこそ「日本の憲法は宗教か」と指摘せざる得ない。今後も問題があれば、違憲か合憲か不毛の議論を続けるのか、解釈変更というその場凌ぎでやっていくのか、それとも正面から憲法改正に取り組むのか、国民一人一人が真剣に考える時ではなかろうか。(終り)

2016年2月17日 (水)

日本国憲法は宗教か?(上)

◆日本の憲法は今年11月3日で、公布からちょうど70年を迎える。この間、一字一句たりとも変更されずにきた世界に希有な憲法であると言われている。「世界に誇るべき平和憲法だから、憲法改正などもっての外、議論することさえ問題だ。憲法を解釈で変更するのは立憲主義の破壊だ」などと、我が国の憲法はあたかも神から授かった神聖なもので、国民は指一本触れることさえ許されない、謂わば一種の宗教ではないかと思えることさえある。

◆確かに、この憲法の根本精神である「国民主権、平和主義、基本的人権の尊重」は人類の長年に亘る獲得の努力の結晶であって、これらの権利は現在及び将来に亘って国民の永久の権利として保証されなければならないことは言うまでも無い。では時折、改憲論が起こったり、解釈変更論がでたり、反対論がでたりするのは何故だろうか?憲法は人間が作ったものであって、100%完璧なものではないということだ。大日本帝国憲法は「不磨の大典」と美称されたが、結果は日本を破滅に導いてしまった。

◆現行憲法の成り立ちはどうだったか。1945年8月、日本は未曾有の敗戦を機に、連合国(主に米国)の占領下に置かれた。GHQは大日本帝国憲法(明治憲法)を否定し、新たに民主憲法を制定すべく、1946年2月当時の幣原内閣に憲法草案の作成を指示した。しかし出てきた松本私案は明治憲法色を残すもので、GHQは日本政府による自主的な憲法改正作業に見切りをつけた。直ちにGHQ草案を渡して、吉田内閣に変わったあと、11月3日にようやく「日本国憲法公布」の運びとなった(施行は1947年5月3日)。吉田は9条について「自衛権の発動としての戦争を放棄した」と明言した。

マッカーサーの指示によって誕生した平和憲法であったが、戦後東西冷戦の兆しが見られると、日本を防共のための防波堤とすべく、1950年1月、マッカーサーは「日本国憲法は自衛権を否定せず」と声明を発表。同年6月朝鮮戦争が勃発するや、7月には警察予備隊の創設と旧軍人3250人の追放を解除した。つまり、「国際情勢の変化」は彼の理想をも覆させてしまった。吉田茂も呼応するように「主権国家が自衛権を持つのは当然」と大胆に主張を変え、自衛隊創設へと傾いていった。

◆1951のサンフランシスコ講和条約で世界に復帰する際は、日米安保条約も調印した。自ら定めた平和憲法を僅か3年ばかりで、戦力を保有する国へ変えてしまったのだが、この解釈変更を、今問題にする人は皆無だ。では何故正式に手続きを踏んで、憲法の条文を変更しなかったのか。恐らく、周辺諸国への影響を配慮したこと、また第96条に定めた「改正手続」のハードルの高さのため、最も現実的な方法を選んだのだろう。(続く)

2016年2月16日 (火)

「カネのなる木」に花が咲く

2

25年ほど前、「金のなる木」の小さな鉢植えを買って育て、今では身の丈1.6mほどの高さになった。これほど簡単で手間がかからず、長生きし育てやすい植物は無い。冬場一度だけ霜が当たる戸外に置いたところ、枯死寸前になったことがある
それでも生き延びた部分を少し切り取って、再度育てたところ、元気に蘇った。相当強い生命力だ。その間、何度も枝を切っては、鉢で増やし人様にお分けしたので、分身は10数鉢になるだろうか。霜が降りない路地で、自然の状態で栽培すると樹高は3m以上になるという

通称「金のなる木」または「成金草」と呼ばれるが、学名はCrassula  Ovata、南アフリカ頭部原産の多肉植物で、日本には昭和初期に渡来したそうだ。正式な和名はベンケイソウ科のフチベニベンケイ(縁紅弁慶)、カゲツ(花月)やオウゴンカゲツ(黄金花月)とも呼ぶそうが、あまり聞かない。面白いことに英語でも「dollar plant」 Or 「money tree」と呼ぶそうだ。

一昨年あたりから、冬の間に花が咲くようになった。小さな可愛い花がいくつか咲いたが、たくさん咲かせる方法はあるようだ。次の冬はもっと咲かせてみよう。

2016年2月15日 (月)

時事放談(2) 「政治の不祥事に絡んで」 

お馴染の熊さん、八っつぁん、ご隠居さんによる時事放談シリーズの2回目です。

熊さんdogこないだ、はやりのイクメンとやらを自分から実践すると言って、育休をとって国会を休んだ若ぇ~議員がいたね。そうしたら同僚の奥さん議員が出産する直前に不倫したことがばれて、議員を辞職するハメになったんだけど、いったいどうなってんだろうね。国会は?
八っつぁんshockとんでもない野郎だぜ。国会議員は1人年間1億円もかかると言うじゃないか。今度4月に補欠選挙をやるというけど、俺達の税金がまた無駄に使われてしまうじゃないか。いい加減にして欲しいね。
ご隠居capricornusいや全くだ。最近は自民党も多数を占めて、時間も経ったから気が緩んできたのかね。甘利さんの秘書の違法献金問題、TPP担当副大臣のブルーチーズ発言問題、歯舞諸島を読めなかった北方担当大臣、野党の質問の答えに窮する法務大臣など、このところ失態続きで安倍さんも困っているみたいだね。
熊さんdogだいたい、民主党が政権交代したときも、訳の分からない議員が一杯当選したし、オセロみたいに引っくり返って自民党が大量当選すると、今度のような不倫議員や問題発言の大臣が出たりする。どっちにしろ議員の資質ってもんは今に始まった事じゃないが、小選挙区という制度にも問題があるんじゃないのかな。
八っつぁんshockそれと、どうしょーもない議員はいらねぇーんだから、議員定数を減らしゃーいいんだよ。5とか10とか減らすとか言ってるけど、まとまらないらしいね。中には100減らすという党もあったけど、バナナの叩き売りじゃないツゥーの。

ご隠居capricornus二人ともなかなかいいこと言うじゃないか。確かに今の小選挙区制は政権交代させようという時にゃ有効な制度だけど、二大政党がしっかりしないと駄目だね。民主党に一度任せてみたけど、理念も政策もバラバラ、寄せ集め集団だったから3年もしたら空中分解してしまった。つまり政権担当能力がなかったというか、役人達をうまく使いこなせなかったんだね。野党に戻ってしまえば、自分達が担当していた時の苦労は忘れて、仕返しとばかり、今までの主張を変えたり、反対ばかりする。自民党が野党になった時も同じだったけどね。
熊さんdog誰でも立候補できるというのが問題じゃないんですかね。不倫したり、金儲けに走ったり、そもそも議員になっちゃいけない人が立っている。だったら議員に立候補するためには、なんか人格とか、能力とかを試す資格試験のようなものがあってもいいんじゃないスか。
八っつぁんshockそれと衆議院と参議院の二つもいるのかね。同じようなことをして時間ばかり喰っているようだけど。一つにすれば議員の数も減らせるんじゃないスか?
ご隠居capricornusこれは難しい問題だね。ただ定数を減らせばいいって問題でもないんだよ。人口と国会議員の数を世界で比べてみれば、アメリカは少ない方の例外だが、イギリス、フランス、ドイツなど欧州諸国は人口比でみれば日本よりはるかに議員の数が多いと言える。
ただ、1票の格差の問題については、いつも選挙後に憲法違反だという裁判が起こっているが、もし憲法の要請を全て満たすとすれば、全国区だけの比例代表制にすればよいのだよ。ところがこうなったら、少数の政党が乱立して、政治が不安定になり、混乱することは世界の過去の例が教えているよ。現在東京一極集中が進んでいるが、1票の格差をなくすとすれば、大都市の議員が増えて、地方の議員が減ることになる。これでは地方活性化という方針はどうなるのか。八っつぁんが云う「一院制」にするというのも、定数削減になるだろうが、これには憲法改正という手続きが必要となる。日本人は憲法改正という言葉を聞いただけでアレルギー反応を起こす人がまだたくさんいる。世の中が引っくり返るような大きな出来事が起きない限り、変わらないだろうね。そうでないとすれば、20年後、30年後の若い世代に後を託すしかないだろうね。

2016年2月14日 (日)

春一番がもたらしたもの

◆夕べ遅くなって、風雨が強くなり気温も妙に暖かった。「春一番」だなと思ったら、朝方からさらに強くなり、今日(14日)の午前中は続く見込みだと言う。そう云えば昨日(13日)、TVのニュースが「昼過ぎ小田原の海岸にクジラの死骸が打ちあがった」と報じていた。聞けばその場所は我が家から数百メートルのところ。今朝一番で見に行こうと思っていたのだが、強風と強雨のため夕方に伸ばした。砂浜の海岸を歩く人は普段殆どいないのに、いつもより多いのは、そのためだろう。

◆残念ながら、クジラの遺骸は見つからなかった。夕べからの大波は15mの巨体を持ち去っても不思議ではない。以前ザトウクジラの子供(全長7mくらい)が打ち上がった時には、博物館や大学の調査員が来て、ちょっとした騒ぎになったが、1日遅れてしまった今回は(予定では16日調査)波にさらわれた後で、逆に無残な姿を見ないでよかったのかもしれない。新聞等によると15mほどのマッコウクジラで、6日、伊豆大島沖で高速船と衝突して死亡した鯨の可能性が高いという。

◆近年、日本の近海で鯨の死骸が港湾や海岸に打ち寄せられるケースが増えている。いつぞや東京湾に20mを超すナガスクジラが漂着したこともあった。こうした現象は気候の変化も考えられるが、ひとつには国際捕鯨条約で、日本の意向に反し、人間が鯨を獲らなくなってからかなりの年数が経つ。想定以上に個体数が増えているのではと考えられる。日本近海で鯨が見られるようになってきたのは、かつて江戸時代に近海捕鯨をした歴史があるが、その頃に近づくほどまで回復しつつあるのではなかろうか。

◆鯨が増えればプランクトンや鰯などの小魚を食すので、結果、カツオ、マグロなどの大型魚も少なくなる。やはりかつてのような乱獲は問題外として、海洋と言う大きな循環系の中で適度なバランスをとった捕獲は許されてもいいのではなかろうか。途上国の蛋白源として、また和食ブームの食材として、もっと欧米の理解を得るような努力をしてもらいたいものだ。

1
15日朝、珍しく大島がはっきり姿を現した。

Photo


年に数回程度しか見えない「利島」(伊豆七島最北端)も、この日の朝は
「オムスビ」型の島影をうっすら水平線に現した。










2016年2月13日 (土)

「始皇帝と兵馬俑」展を観て

◆「東京国立博物館」で開催されている「始皇帝と大兵馬俑」展を観てきた。
1974年、中国の西安北東30kmにある秦の始皇帝陵墓とされる近くの農地で、住民が井戸を掘ろうとした際に偶然発見された兵馬俑は、その後の本格的な調査で、20世紀最大の考古学の発見という大ニュースとなって世界中を駆け巡った。その時の写真を見た第一印象はあまりのリアルさに、像の中に人間が入っているのかと思ったりしたが、いつか実物を見たいものと思っていた。しかし40年以上経ってこの展覧会を観て、初めてニュースで知った時の新鮮な驚きは消えていた。既にTV映像等で何度も接していたからだろう。


始皇帝陵と兵馬俑の存在は史記や漢書など、古代中国の数々の歴史書に記されていたが、この発掘調査により現実のものとなり、1987年世界文化遺産に登録された。展示には将軍や騎兵、射手、歩兵、軍馬等、計10体の本物と四頭立ての始皇帝愛用の馬車が2体(複製で、この馬車だけはどういう訳か実際の2分の1の大きさ)、その他多くのレプリカや武器調度品等が展示されている。紀元前200年頃にかくも精巧な像を作り得たという技術には感心させられる。「兵士の俑にはどれ一つとして同じ顔をしたものはない」、「秦の軍隊が様々な民族の混成部隊であった」ということ以外に、近年の調査ではこの遺跡は、始皇帝の身を守る軍隊だけではなく、宮殿のレプリカや、文官や芸人等の俑も発掘されており、生前の始皇帝の生活そのものを来世に持っていこうとしたものではないかと考えられているようだ。

2 
兵馬俑レプリカ 

漢の兵馬俑・・秦の始皇帝の陵墓から、そう遠くない場所にも大規模な地下軍団が存在していることはあまり知られていない。これは高祖劉邦(紀元前256~同196年、秦を滅ぼしの初代皇帝になった)の陵墓である。1965年、中国の考古学者達は、この地の長陵の陪葬墓の中から、前漢の兵馬俑を発見した。2000年以上地下に眠っていたにもかかわらず、大部分は保存状態がよく、特に陶俑の身体に残る彩色の上絵は、はっきりと見分けることができたという。これら漢の俑は「三千人馬」といわれ、その中には騎兵俑、歩兵俑、舞楽雑役俑、盾が含まれていた。歩兵俑は高さ50㎝、甲騎は比較的大きく、平均の高さは60㎝、騎兵の多くは甲冑をまとい、手に槍や矛を持っている。

秦の始皇帝の兵馬俑が秦朝の軍隊の勇壮で精悍な様を表わしているとするなら、漢の高祖の兵馬俑は、漢朝の軍隊の悠然とした中にも威風堂々とした味わいを感じさせる。どちらの兵馬俑も、ともに焼きものだが、その風格は全く異なる。秦は「写実的」で、実際の大きさも容貌も実物そのもの漢の俑は精神的表現に重きを置くものとされ、平均身長は秦の俑の3分の1にも満たない。人物の表情や態度を表現するのに重きを置き、芸術的に誇張されたものまであり、鑑賞用の工芸品のようであるという。「秦」の後を継いだ「漢」の兵馬俑の方が規模が小さいと言えるが、これは力の差というより、始皇帝と劉邦の性格の違いによるものではなかろうか。

2016年2月 8日 (月)

北朝鮮のミサイル発射と自衛隊

北朝鮮が日米中などの中止要請を全く無視して、「人工衛星」と称する長距離弾道ミサイルを打ち上げた。各国は「北への制裁」を叫ぶが、先月実施した「水爆」と称する実験後も、いまだに安保理の制裁決議すらまとまっていない。強い制裁を求める日米と朝鮮半島の緊張を避けたい中国との間で、なかなか折り合いがつかないためだ。北もそこを見越して強行に出たのだろう。

◆問題は隣国の韓国だが、いくら中国に擦り寄っても、中国は北への働きかけはポーズだけ、実際には何ら影響力を行使できないことないことが判明した。ここにきて韓国はどうやら、中国がもっとも嫌う「THAAD(サード)米最新鋭ミサイル防衛システム」を自国に配備すべく、韓国軍と在韓米軍との間で正式協議を開始するという。朴槿恵大統領も中国への配慮より、米との安保強化を重視したのだろう。日本にある二つのTHAADと連携すれば北朝鮮だけでなく、中国への抑止力にもなる。

◆問題は日本の対応だ。北の脅威は認識しているものの、ただ「けしからん」と言うだけでどう対応すればよいのか、一向に定まらない。中には「いやなものは見たくない」と思考停止に陥るものさえある。野党やメディアの一部は「自衛隊の活動を強化する法案や日米安保の強化」には消極的で、「集団的自衛権の容認は憲法違反」と主張する学者達とも協調する。さらには「戦争法だ」とレッテルを貼る政党やそれらを支持する市民団体などからは、北の脅威や中国の横暴などを批判する声は殆ど聞こえてこない。「日本がおとなしくさえしていれば、何もしてこないだろう」と思うならば、それは現実を直視しない、平和ボケした姿といえよう。

◆先日BSプライムニュースで自衛隊の陸・海・空の元幕僚長3人が参加して、東アジアの平和と安定について、現状認識から日本の対応について討論する番組を見た。このメンバーを見て多くの人は、戦争を推進する立場からの意見と思うかもしれないが、事実は全く逆で、いかに日本が戦争しないように持っていくかという姿勢に終始しており、現実に立脚したもので、空理空論でないことが良く分かる。紛争を起こさせない環境作りから、駐在武官の相互受入を始めとする軍事交流、有効的な同盟関係の拡大など、外交、軍事両面に亘って平和を基調においた論調だった。特に海上自衛隊の方が陸上自衛隊より国際的視野が広いのは、明治時代の日露戦争以来の伝統だろうか。古庄幸一さんという元海上幕僚長は「軍事を知らずして平和を語るなかれ」という主議だそうで、こういう人達が国会に出て国政に関与してもらいたいものだとつくづく思う。

◆この番組を見ていて、あることを思った。剣の達人と言われる人は、日頃から己を鍛錬し、武士の命と言われる「」の手入れは怠らず、無闇に剣を抜くことはない。全身に漂う「」には、付け入る隙が見られず、他から襲われることはない。その威厳から人に畏怖され、人には優しい。そんな日本であることを願うのみ。

2016年2月 6日 (土)

甘利氏の政治とカネの問題

◆甘利経済財政・再生相を巡る政治とカネの問題は最近の同種の問題とは少々様相が異なるように思える。即ちこの問題が週刊文春で表沙汰になってから、甘利氏は1週間後に調査結果の中間発表を行い、秘書の監督責任をとって、スパっと辞任した。従来この種の疑惑は秘書の責任に転嫁し、ぐずぐず居座り続ける例が多く、結果的に自分の身と内閣の命脈を縮めるケースが多かった。今回は辞め際の潔さの故か、内閣支持率は落ちるどころか逆にやや上昇さえした。

◆甘利氏自身はアベノミクスの司令塔として、またTPPの推進者として尽力したという自負はあっただろう。確かに多忙であればあるほど、全てに眼を行き届かせることは困難だろうし、そこに脇の甘さが生じることがあっても不思議ではない。利権に群がる輩は政治家に近づき便宜を謀ってもらおうとする。まず最初は「将を射んと欲すれば、まず馬を射よ」で、秘書に近づき陥穽にはめ、抜き差しならぬ関係を築く。旨く行かなければメディアに情報を流す。メディアは好餌とばかり飛び付き、暴露されることになる。甘利氏はこの問題で「九仞の功を一簣(き)にかく」ことになってしまった。まさに断腸の想いだったに違いない。

◆政治家には4つのタイプがある。①仕事はできるが、清廉潔白と言う点ではやや問題があるタイプ。②身辺は綺麗だが、仕事はあまりできないタイプ。③仕事もできなければ、身辺も汚いタイプ、兵庫県の号泣議員はこのタイプだ。④志高く、仕事もでき、清廉潔白というタイプ。この③と④のタイプは少なく、多くは①か②のタイプだろう。
では①と②のどちらが良いかと問えば、多くの人はまず政治家の手腕・能力よりも、身辺潔白さを求めるようだ。その証拠に政策論議よりも政治家のスキャンダラスな話題の方に衆目が集まる。メディア(特に週刊誌)はそこを利用し、「売らんかな」の姿勢で政治家のアラ探しに奔走する。そしてその網に引っ掛かった場合、野党はこれを好機として攻め立てる。敵失に乗じて首を取り、己の名を上げようとする。いつまでこのパターンを繰り返すのか。


◆今回の問題発覚で野党は、予算委員会の審議をストップさせても、甘利氏の追及に注力しようとしたが、さすがに国民の生活に直結する予算審議を人質にして、この問題ばかり追求しても、「野党はどこを向いて政治をしているのか」という国民の反感を買う事になりかねない。その辺を斟酌した上で、甘利氏の問題を引き続き追及する構えだが、国会の職務としてまず予算案の年度内成立を優先すべきだろう。個々の政治家は「瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず」の格言通り、襟を正すことは第一だが、「余人をもって代え難し」と言われるほど、政策立案能力・実行推進能力を高めていって欲しいものだ。

2016年2月 3日 (水)

時事放談① 「フィリピンと韓国の違い」

お馴染の熊さん、八っつぁん、御隠居さんによる時事放談のシリーズ1回目です。

dog:「隠居の博さんが『ジジ放談』やるってーから来てみたが、ジジイの話じゃないんだってよ。世間のニュースなんかを話題にするんだって。happy01
sad:「こないだ、天皇さんと皇后さんがフィリピンを訪問して、両国の戦没者の慰霊や日系人との面談など、フィリピンの人達にえらく歓待されたんだってね。」smile
dog:「いやーたいしたもんだよ。お二人ともあの御高齢で、観光旅行じゃないんだから、気疲れも大変だったと思うよ。」
隠居capricornus:「二人とも、よくニュースを見てるじゃないか。今の天皇は太平洋戦争の時は学童疎開なども体験して、戦争の悲惨さを良く知っているんだよ。戦前、お父さんの昭和天皇はご自身の意思に反して行われた戦争をただ黙って認めるしかなかったんだよ。ただ一つだけ『終戦の聖断』、つまり戦争はこれで終わりにするとご自分で決断したことだけが例外だったんだよ。」punch
dog:「へー、なんで昭和天皇は黙って認めるだけで、最初から戦争なんかやるんじゃないって言わなかったんですかね?」mobaq
隠居capricornus:「昭和天皇は晩年こう言っているんだよ。『もし自分がいいと思う事だけOKして、嫌だと思う事にはNOと言うなら、それは専制君主となんら変わらないではないか』、独裁者じゃないと言いたかったんじゃないのかな。日本は戦争を始めたものの、誰も終わらすことができなかった。そこで自分が責任を取るとして「聖断」を下したんだよ。だから戦後は戦没者の追悼から始まったんだね。今の天皇はその意思を引き継いで、晩年になっても沖縄、広島、長崎はもとより、サイパン、パラオ、そして今回のフィリピンなど、慰霊の旅を精力的に続けていらっしゃる。この両陛下の想いが、被害に遭った現地の人達、その家族、また戦没者の遺族や現地の日系人達の胸に響いていたんだね。」wink
sad:「確かに戦後フィリピンの人達の反日感情は凄かったらしいね。今回の歓迎ぶりは見てるこっちの方だって嬉しくなったよ。特に美智子妃殿下の人気振りが凄かった。今じゃアジアで一番の親日国になったと言うじゃない。」coldsweats01
dog:「それに引き換え、韓国はいったいどうなっているんですかね?昨年末に日本の外務大臣と韓国の外相との間で『慰安婦問題に終止符を打ち、二度とぶりかえさない、慰安婦像の撤去も努力する、未来志向の関係を築いていく』って言ったばかりなのに、今じゃ逆にこの協定に反対するという意見が、ますます広がっていると言うじゃないですかangry
sad:「韓国では両陛下のフィリピン慰霊訪問の模様をテレビは映しているんですかね。もし韓国の国民が見ていたとすれば、こういう形で友好関係が出来るのなら結構じゃないかと思うんじゃないのかな。」wink
隠居capricornus:「八っつぁんもいいいこと言うじゃないか。でもこの国は難しいね~。天皇皇后両陛下が韓国を訪問できるようになれば、お互いのために結構なことなんだが、次の次の天皇の頃にできるかどうか。今のままじゃ身の安全が保証できないだろうな。」
sad:「へー、そりゃまたどうして?」mobaq
隠居capricornus:「これには韓国の長い複雑な歴史が絡んでいるんだ。長くなるから止めとくが、朝鮮半島の人達は外からは侵略され続け、中からは貴族から虐げれてきた。そのため国民性が歪んできているんだね。特に近年は日本の植民地になって、戦争に駆り出されたり、徴用工として動員されたりもした。フィリピン人の戦没者が111万人(日本人は51万8千人)だったのに対し、朝鮮人の戦没者は約20万人(日本人は5万3500人)だった。ただ日本の一部ということで約70万人が徴用工として日本に連行された。戦後、日本は大いに反省し、1965年には日韓基本条約を結んで、韓国復興のため経済援助と巨額の賠償金を支払い、今までのことは水に流して互いに仲よくしていこうと決めたんだよ。」heart01
dog:「それがまた、どうして難しくなっているんです?」mobaq
隠居capricornus:「そこなんだよ。ひとつは韓国の人達が民主国家として自由に、というより今まで抑圧された分の反動として、勝手にモノが言えるようになった。国も彼らを利用しようと『反日教育』を徹底し、国政の都合が悪くなれば、国民の眼を「反日」の方向に向けさせた。韓国にとっては日本がいつまでも悪玉であるほうが都合がよかったんだね。その結果「従軍慰安婦問題」を常に持ち出し、外国には告げ口外交をして、日本が解決しようとすれば、ゴールポストを動かすという手口を使っきた。韓国の女性の歴史学者が歴史の事実を直視しようと「従軍慰安婦の問題」を取上げ本にしたが、元慰安婦や支持者たちが名誉を傷つけられたとして訴えた。これじゃ正しい学問が育つ訳が無い。angry
韓国は中国に擦り寄ってきたが、経済が行き詰まってきており、その中国も北朝鮮の核の問題では頼りにならないことが分かってきた。日・米と中国の間にあって旗幟不鮮明のまま乗りきってきたつもりが、いよいよにっちもさっちも行かなくなった。そこで昨年末の日韓合意になったのだろうが、今度は野党や国民の70%が10億円の拠出金の受け取り拒否し、合意を白紙に戻せなんて言い出した。政府は頑迷な国民の言動に手を焼いているようだ。結局歴史を正しく教えず、愚民政策で国民を利用してきたツケが回ってきたんだな。いわゆる自縄自縛というやつだ。」angry
sad:「なんですか?そのジジョウジバクってのは?」mobaq
隠居capricornus:「自分の縄で、自分を縛るということだよ。世界が讃辞を送った日韓合意を韓国の民衆のせいで実行できないとなれば、韓国政府の統治能力が疑われ、世界の見方はやはり韓国側に問題があったのだと理解するだろうよ。この問題は韓国側の出方を静かに見守るしかないだろうな。」
熊・八dog sad:「なるほどね。事情自爆じゃないってことだね」(笑い)

« 2016年1月 | トップページ | 2016年3月 »

2016年11月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

最近のトラックバック

無料ブログはココログ