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2016年1月25日 (月)

横浜・山手、丘のまちを散策(上)

★久し振りに青空が顔を出した22日、横浜山手地区の西洋館が散在するエキゾチックな街並みの景観美を求めて、いつものシルバー仲間達と探訪してきた。小高い丘の上の山手通りには瀟洒な西洋館や教会、ミッションスクールなどが点在し、海にもっとも近い部分には港の見える丘公園外国人墓地がある。丘から眼下に見える山下公園中華街みなとみらい地区には何度も来ているのだが、山手地区を訪れたのは実に50年振りくらいになる。

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(港の見える丘公園からベイブリッジを望む)

★この美しい景観の街が、横浜有数の高級住宅地であるとともに、港の周辺と並んで文明開化期のエキゾチックな雰囲気が色濃く漂う観光名所として多くの人を惹きつけている。山手の外国人住宅地の歴史は幕末の1867年(慶応3年)に始まる。それより8年前の1859年に神奈川、長崎、函館が開港され、外国人商人達が徐々に住み付くようになった。1862年の9月、横浜の関内居留地に住む英国人4人が馬で東海道を散策中に、現在の鶴見区で薩摩藩一行に殺傷される事件が起こった(生麦事件)。 これを切っ掛けに薩英戦争が起こるが、英国商人はたくましい。先に開発された関内の横浜居留地は土地が狭く、おまけに低湿地。良い土地が少なかったため、外国人は波止場から見える緑の丘をブラフ(切り立った崖)と呼んで、早くから注目していた。

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外交官の家(旧内田邸)重要文化財

★外国人が生活基盤を置くにあたり、道路や下水が整備され、明治10年代末には270区画の全容がほぼ整った。この270の地番はそのまま現在に受け継がれている。見学コースで見られる西洋館名の山手111番館山手234番館山手68番館ブラフ18番館等は、まさにそれに当たる。外国人の暮らしに必要な教会・公園・学校・病院・劇場、外国人墓地などの都市施設も明治半ば頃までに次々と作られ、小さな外国人コミュニテイーが形成された。ビジネスは関内、住まいは山手。二つの居留地ははっきり区別され、外国人は職住近接の快適な横浜ライフを満喫したといわれている。

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山手111番館 横浜市指定文化財

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山手カトリック教会(ゴシック様式)

★明治32年、条約改正により、居留地は撤廃されて山手町となったが、山手暮らしを愛していた外国人はここに住み続けた。ハイカラな横浜の中でもとりわけ西洋の匂いが濃い山手は日本の中の西洋そのものだった。西洋の生活文化が根付いたこの地から、ビールの醸造(キリンビールの発祥の地)や西洋野菜の栽培が始まり、人々は余暇にテニスやピクニックを楽しみ、やがてそれらは日本人の中にも採り入れられていった。(続く)

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