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2016年1月15日 (金)

申年には、何があった?③ (1980年)

【1980年(昭和55年)
★この年あたりから校内暴力、家庭内暴力が急増した。11月29日、川崎市で2浪中の予備校生が金属バットで両親を撲殺するという衝撃的な事件が起こり、社会問題化した。
・明治38年以来の冷夏により、全国で冷害の被害が6919億円に上った。因みにこの年から東京地方で天気予報に「確率予報」を取り入れた(6/1)。
・若い女性が集団失跡した「イエスの方舟」(教祖千石イエス)が世間を騒がす(7/3)。
・海上自衛隊が環太平洋合同演習(リムパック)に初参加。


★巨人長島監督が成績不振を理由に監督を辞任(10/21)。辞任という名の事実上の解任だった。1974年の現役引退後、直ちに監督に就任してから6シーズンで最下位1回、優勝2回という成績ながら、3年間優勝から遠ざかった責任を取らされた形となった。因みに巨人は13年後の1993年のシーズンから再度長島氏に監督を要請。2001年まで9年間続いた。

★政界では、前年の大・福決選投票を僅差で制した大平は第2次大平内閣を成立させたが、自民党内は事実上分裂状態が続いた。この年5月、社会党が提出した内閣不信任案決議に、自民党反主流派が欠席したため、なんと可決されてしまった。一番驚いたのは社会党自身だったという。これを受けて大平は衆議院を解散(ハプニング解散)し、6月22日衆・参同日選挙の懸けにでた。大平は70歳の高齢に加え、内政外交の心労と激務が重なり、選挙戦第一声のあと体調を崩して緊急入院。一時回復したものの、6/12日、心筋梗塞で急逝した。大平の突然の死によって、自民党は挙党態勢に向かい、国民も同情票を投じたのか、衆参両院で安定多数を大きく上回る議席を獲得した。まさに「死せる正芳、野党を走らす」結果となった。

★ソ連のアフガニスタン侵攻に伴う報復措置として、アメリカがモスクワ五輪ボイコットを提唱(1/20)。7月のモスクワ五輪への不参加は、米国を中心とする西側諸国に同調せざるを得なくなった。柔道の山下、マラソンの瀬古、宗兄弟など金メダルを期待される選手達の無念さが伝わった。
さらに世界では、前年にイランのイスラム革命の影響で、米大使館の占拠人質事件が発生していたが、米国はイランとの国交断絶、制裁措置を発表(4/7)。9月9日にイラン・イラク戦争が勃発。11/4日、米大統領に共和党レーガンが当選し、強いアメリカの途を歩み出す。
・中国では、元国家主席の劉少奇の名誉を回復、胡耀邦が総書記に就任(2/23)。この時、中国もモスクワ五輪のボイコットに加わった。8/30日には華国鋒を辞任させ、趙紫陽を後任首相に抜擢、胡・趙体制は文革を全面否定し、日中関係は良好の方向に向かうのだが・・。(続く)

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