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2015年12月30日 (水)

映画「母と暮らせば」を鑑賞して

◆普通、映画を見たら大抵感想なり、映画評を書いてきたが、数日前この映画を観た時ほど、あまり言葉が浮かばなかったことはない。「母と暮らせば」は昭和20年8月9日の長崎と、3~4年後の同じ長崎が舞台。実際にあった場面に、架空の話をミックスして山田洋次監督が故井上ひさしの「父と暮らせば」の意思を引き継いで、制作したという。

◆実は筆者はこの映画の場面と同じ長崎市内にいて、同じ空気を吸っていたはずだ。しかし全く記憶が無い。記憶があるのは昭和24、5年の長崎港外の幼稚園生の頃。映画は原爆で火災を免れた港を見下ろす高台の集落で、生き残った市民が必死になって助けあいながら生きる様子を描く。主人公である母親(吉永小百合)は長男が南方で戦死。次男(二宮和也)は長崎医大の学生で、受講中に突然、あまりにも突然に被爆、一瞬にして命を失う。遺体は影も形も無い。一人残された母親は助産婦の仕事をしながら懸命に生きようとするが、次男のことが忘れられない。

◆3年経って諦めかけた頃、突然、自然な形で姿を現す。それも生きていた時と変わらぬ明るさで。亡霊ではあるが、映画ならではの親子だけに通じる世界を、明るく描いてファンタスチックである。この明るい亡霊に対して、ある雨の降る夜、長男が敗残兵達と一緒に夢枕に現れる。こちらは亡者の如く暗く寂しく描かれ、対照的である。戦争の悲惨さをリアルに表現したかったのだろう。実際の社会生活の場面では、食糧難のこと、闇物資の世界、戦死者・復員者情報受付所、複雑な対米感情など実にリアルに描いている。

ラストシーンは悲しくも、ハッピーな終り方であり、爽やかでもある。同じ吉永小百合が主人公の芸者「愛八」を演じた「長崎ぶらぶら節」(原作:なかにし礼)では、主人公の死が、寂しく悲しすぎるのとは対照的だ。山田洋次監督らしいほのぼのとした人間愛に溢れた展開の中に戦争・原爆の悲惨さを訴えたもので、是非時代を担う若い人達に観て欲しい作品でもある。

Photo 大浦天主堂

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港を見下ろす丘より長崎港を望む


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