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2015年11月29日 (日)

原節子と映画「東京物語」

◆伝説の女優原節子が今年9月、95歳で亡くなっていたことが報じられた。代表作「東京物語」が制作、上映されたのは昭和28年(1953)、当時小学校の4年の時だったが、当然ながら記憶にない。その後数作品に出演し、1962年に銀幕から姿を消すまで、戦後を代表するトップスターであった。ハリウッドを彷彿させる現代的で、華やかな顔立ち、上品な立居振舞いの綺麗な女優のイメージはあったが、やはり一時代前の映画俳優で、どこか遠い世界の女優という感じだった。

◆長じてテレビで何回か「東京物語」を観たが、どうもイマイチ退屈で面白くない。ところが映画界における評価は年と共に高まるばかり。小津監督を敬愛する山田洋次監督が2013年に現代風に置き換えたリ・メイク版「東京家族」制作した。この作品で小津監督、山田監督が云わんとするところが、おぼろげながら分かってきた。「東京物語」は2009年には「映画人が選ぶオールタイムベスト100」で第一位に選出された。また世界の映画界においても、10年ごとに選出される英国の映画専門誌「サイト&サウンド」で毎回順位を上げ、2012年には「世界映画史上ベスト作品」で、世界中の映画監督358人による監督選出部門の第一位に選ばれた。

◆これほどの作品が理解できないのは自分が未熟だからか?そうしたら昨日NHK・BSプレミアムがタイミングよく、原節子さんを偲んで東京物語」を放映していた。NHKの最新の技術を駆使して、デジタル修正、画像・音声ともクリアに蘇っていた。この映画を撮った時、原節子は33歳。笠智衆の次男の嫁役で、夫を戦争で亡くした一人身の役。本当は辛い役どころだが、それを表には微塵も出さず明るく振舞う。因みにこの時の笠智衆の実年齢は49歳だったというから驚きだ。二人とも不器用だったからこそ小津監督の意に叶ったのだという。

◆地方から東京に出てきて職に就き、子供ができて家を購入。実家に残った父親はやがて退職。時間ができた両親は、子供や孫に会いに息子の家にやってくる。ごくありふれた光景だが、自分にも経験がある。「東京物語」は家族の細やかな愛情を描いているように見えて、実は現在の家族崩壊を予見させるような作品だったことが良く理解できる。自分もいつしかそんな年齢になっていたということなのだ。

◆経済発展に伴って大家族制度が崩れていくのは日本ばかりではない。世界の誰もが我が身を振り返って考えるような普遍性がある。家族と云う共同体が年を経ると共にバラバラになっていく現実を、小津監督は独特の手法、落ち着いた雰囲気で描いている。今から62年前の作品だが、現代にも通じるものがあり、決して古臭くない。そして戦後8年後の作品だが、戦後であることを感じさせない。ドイツのある著名な映画史家は「小津作品は最も際立った映画芸術の一つ。そして原節子は日本映画、そして小津の名作の化身」と語る。小津映画が世界で評価され、神話化されると共に、彼女もその化身として伝説化していった。原節子は戦後のこれからの女性の理想像(明るく聡明で、未来を積極的に切り開いていく姿勢)を、華やかで、凛とした気品と綺麗な日本語の言葉遣いで演じてくれた。その後の女優達や世の多くの女性達に大きな影響を与えたのではなかろうか。ご冥福を祈り、合掌。

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