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2015年10月 3日 (土)

オリンピックの種目を考える

Photo_2◆オリンピックのモットーは「より速く、より高く、より遠く」であると云われる。これはもともとラテン語の「より速く、より高く、より強く」であったものをもじったものらしい。確かに古代オリンピックのモニュメントなどを見ると、投擲競技の他にも、レスリングなどの格闘技もある。近年のオリンピックを見ているとさらに、「より綺麗に」という概念が加わり、物理的数字では表せない、人の眼による採点競技も多く採用されてきた。

◆近代オリンピックを提唱した仏人、クーベルタン男爵は五輪のマークを考案したが、「オリンピックで重要な事は、勝つことではなく、参加することである。人生で大切な事は、成功することではなく、努力することである」と訴えた。また、「アスリートは自己を知り、自己を律し、自己に打ち克つこと、これこそが最も大切な義務である」とも強調した。

◆ところが近年のオリンピックを見ていると、スポーツ貴族が生まれ、商業主義に走り、国威発揚や政治利用など、当初の理念がどこかに置き去りにされているようだ。以下は筆者の独断と偏見による独り言である。
人間にはもともと闘争心があり、人に勝ちたい、優位に立ちたいという本能的なものがあり、それをルール化したものが競技スポーツとなったことに異存はない。ところが素手で争う分には構わないのだが、もともと武器として発達した道具を使って優劣を争う、例えば「射撃」などは如何なものか。オリンピックが平和の祭典であるならば、「ピストルやライフル」など殺人兵器はふさわしいものと言えるのだろうか。「狩りの道具」の延長であるという理屈だろうが、それは貴族趣味であり、軍人の技量の向上であり、万人向けのスポーツとは言えない。では、アーチェリーやフェッシングはどうか?と言う事になる。基本的には武器から発達したものであるから殺人兵器になり得るし、平和の理念からはややずれてくる。しかし今ではスポーツに特化しているようだから、この辺が線上だろう。


◆もうひとつ問題なのは競技の種類が広がり過ぎていること。本来の「より速く、より高く、より遠く、より強く、より綺麗に」という理念の、どの範疇にも入りにくいものが多く候補にあがってきていることだ。強いて言えば「より楽しく」という事かもしれないが、それらに該当するのが、サーフィンやスケボー、ボウリング、水上スキー、ビーチバレー、ゴルフなど、その時の大会の一時的な種目として扱われるにしろ、裾が広がり過ぎるのも考えものだ。サッカーラグビー野球はオリンピックより価値が高い、ワールドカップがある。あえて規模を縮小してまで無理にオリンピックで採用する必要があるのだろうか。

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