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2015年9月23日 (水)

「里の秋」

◆9月も終盤に入り、ようやく秋らしくなってきた。この時期、我が家ではカミさんが「栗の渋皮煮」を作る。甘みと渋みが混じった栗の実を口に入れると「秋だな」と実感する。この渋皮煮を見て思い出すのは、童謡里の秋」。
自分は戦後、両親、祖母、弟妹と地方都市の街中で暮らしていたから、この歌で歌われている背景とはあまり縁がなかったが、この風景は戦後少年期を過ごした我々にとって、原風景のように心に沁み込んでくるのだ。


◆30年ほど前、一家で房総半島をドライブした時のこと、千葉県九十九里浜に近い成東町付近で道に迷った。その時静かな村落で「里の秋」の歌碑を見つけた。この歌は信州や東北の山里をイメージしていたので、「何でこんなところに」と意外に思ったものだったが、昭和57年に郷土の詩人斎藤信夫を顕彰するために成東町が建てたものだという。

     「里の秋」        作詞:斎藤信夫   作曲:海沼 實

1 静かな静かな 里の秋    お背戸に 木の実の 落ちる夜は  
  ああ 母さんと ただ二人  栗の実煮てます いろりばた

2 明るい明るい 星の空    鳴き鳴き夜鴨の 渡る夜は
  ああ 父さんの あの笑顔  栗の実 食べては 思い出す

3 さよなら さよなら椰子の島  お船にゆられて 帰られる
  ああ 父さんよ 御無事でと 今夜も 母さんと 祈ります


Photo_2◆この歌は1945年(昭和20)12月24日、ラジオ番組「外地引揚同胞激励の午後」の中で、川田正子の新曲として全国に向けて放送された。大変な反響を呼び、以後翌年に始まったラジオ番組「復員だより」の曲として使われた。その20年代を通して、「訪ね人」のメッセージが放送されたのを良く覚えている。
しかし、この歌を作詞したのは4年前、1941年(昭和16)12月のことで、題名も「星月夜」だった。太平洋戦争突入の臨時ニュースに高揚感を覚えた斎藤は、その想いで書き上げたと云われている。1、2番は「里の秋」と同じ歌詞だが、続く後半の3、4番は「父さんの活躍を祈っています。将来僕も国を護ります」というような内容で締めくくられていたそうだ。早速童謡にしてもらうため海沼に送ったものの、曲が付けられることはなかった。


Photo_3◆やがて終戦を迎え、海沼は放送局から番組に使う曲を依頼され、要望に沿った歌詞を探して見つけたのが「星月夜」だった。しかし、3番4番はそのまま使えないと判断。斎藤に歌詞の書き換えを要請。当時、戦地からの帰国を待ちわびる大勢の留守家族がいることを念頭にようやく3番の歌詞が生まれた。曲名が「里の秋」に変えられたのも放送当日だったという。
作曲家海沼實は戦前から童謡作曲家として数々の作品を残し、親しまれていたが、戦後も「里の秋」、「みかんの花咲く丘」、「夢のお馬車」など童謡の黄金期を形成した作曲者として、その功績は屈指のものと評価されている。


◆この歌の背景には、戦争がようやく終わって平和が訪れた。しかし、南方の戦地に赴いた優しい父親はまだ帰ってこない。静かな秋の夜、残された母と子二人は裏で採れた栗の実を煮て、優しい父・夫を思い浮かべ、ひたすら無事の帰還を待ちわびている。戦争の悲しみ、虚しさ、そして平和と家族の大切さ、その想いが込められた童謡であることが、多くの人の胸を打つ理由なのだろう。

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