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2015年9月 9日 (水)

日本橋川・神田川クルージング記(3)

◆船は神田川河口の柳橋から浅草橋の下を通り、美倉橋に差し掛かる。この辺りは諸国から集荷された米などの倉が並んだところで、橋の名にその名を残す。お世辞にも綺麗とは言えない景観を左右に見て、やがて京浜東北線、山手線、新幹線、上野東京ラインの線路の下を通ると、右手が最近流行の秋葉原。因みに秋葉原という地名は、明治2年に火事除けのため秋葉大権現が建立され、近くの原っぱが「あきばがはら」、「あきばのはら」、「あきはがはら」などと呼ばれていたが、鉄道駅開設とともに「あきはばら」として定着したそうだ。

◆中央通りに架かる幅広い万世橋。橋を渡れば電気店街は眼の前だが、水面から見上げても、あの喧騒は眼にも耳にも入らないからいい感じ。万世橋を過ぎた辺りから左側に古いレンガ造りの横長2階建ての建物が眼に入る。その上には中央線や、総武線の引き込み線が通っている。その線路の下のスペースを有効活用したようだ。古めかしい店舗や飲食店が並んでいる。
Dscf1153 左手に古い赤レンガの建物

Dscf1156_2 店舗の上は引き込み線

Dscf1155 煉瓦造りが眼を引く昌平橋

昌平橋は言うまでも無く、幕府直轄の教学機関「昌平坂学問所」(湯島聖堂、昌平黌とも)で、旗本の子弟達が通うために渡った橋。現在は明治以降に建てられた煉瓦造りの風情のある橋として残っている。神田川に架かる橋で水面から最も高い橋が、御茶ノ水駅そばの聖橋。その下手前に架かる鉄橋が地下鉄丸ノ内線で、50年ほど前初めて見た時は地下鉄が川の上を走っていると驚きだった。

Dscf1157 聖橋と地下鉄丸ノ内線(手前)

◆やがて水道橋と、後楽橋にさしかかるが、後楽橋は東京ドームや後楽園庭園方面に向かう際、渡る橋で先日この橋の下付近で生態調査のためか、投網を仕掛けると大きな鯉、ボラ、スズキなどが掛かっていたのをテレビで見た。それだけ水質がよくなったのだろうが、深緑色の水面を見ただけでは魚影は見えなかった。それにまだ独特の川の匂いは多少残っている。

Dscf1159 博学・雑学ガイドの小倉さん

◆「後楽園」の名前の由来だが、まさかこんなところでガイドさんから「おさらい」を受けるとは思わなかった。出典は「岳陽楼記」の「天下の憂いにんじてい、天下の楽しみにれてしむ」の「先憂後楽」から水戸光圀公が命名したものとか。今の日本の政治家にもこころして肝に銘じて欲しい名言だ。
船は直進方向の飯田橋方面へは向かわず、左折して日本橋川に向かう。飯田橋方面へは遊覧船の水路が確保されていないのだろう。さらに上流では、浅瀬になって子供達が親同伴で、水遊びができる場所があるそうだ。神田川の水源は井の頭公園の湧水であり、江戸時代は上水として使われていたのだから、本来あるべき姿なのだ


◆ここで、煉瓦建造物の話を聞いた。このクルージングでは運河を巡りながら多くの煉瓦造りの橋、建物、建造物を見てきた。レンガの積み方にはフランス積みイギリス積みなどがあることは承知していたが、今回明確に再確認。フランス積みは正面から見た時に一つの列に長手と小口を交互に並べる積み方。一方イギリス積みは一つの列は長手だけ、その上の列は小口だけと列ごとに交互に積み上げるやり方。下の写真の総武線の鉄橋を支える古い壁はイギリス積みであることが分かる。この他にも、すべての列に長手だけが見える積み方(長手積み)や、小口だけが見える積み方(小口積み)があるそうで、いや、勉強になりました。(続く)
Dscf1161_2 
イギリス積みの総武線鉄橋下の壁

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