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2015年8月25日 (火)

修善寺温泉と修禅寺のこと

◆伊豆の修善寺温泉といえば知らない人はいないだろうが、意外と行ったことはないと云う人は多いようだ。かくいう自分も20代の頃一度行ったきりで、殆ど覚えていない。最寄りの駅といえば伊豆箱根鉄道の修善寺駅だが、そこから約5.kmの奥まったところにあり、狭くて古い温泉地としてのイメージが先行しているためだろうか。また近年、伊豆半島自体多くの観光スポット、レジャー施設、温泉地を抱えているため、案外素通りされているのかもしれない

◆小田原に住むようになって北条早雲に興味を持つようになり、一度修禅寺を訪れてみたいと思っていた。先日機会があってやっと念願がかなった。北条早雲(当時は伊勢新九郎)は駿河の国、現在の沼津市北部の興国寺に拠点を構えて小城主となってから、伊豆、相模へ進出する機会を狙っていた。当時伊豆・韮山方面に堀越公方足利政知)がいて悪政を敷き、民は困窮、家内は家督相続で紛糾が絶えず、ついに長男茶々丸が両親を殺害するという異常事態が発生した。早雲はその期に乗じ、茶々丸を討って伊豆を治めるべく、情勢探索のため秘かに当地を訪れる。

◆その際、まず曹洞宗修禅寺隆渓禅師(早雲の叔父にあたる)を訪ね、情報聴取の上、伊豆の民に曹洞禅を広めるよう依頼する。彼はまた修禅寺の前を流れる桂川の河原に在る温泉(独鈷の湯)に浸かり、土地の住民と話を交わして、生の情報を得る。これらのことは司馬遼太郎の小説「箱根の坂」に詳しく描かれており、当時の面影を想像しつつ探訪した。

◆修禅寺は平安初期の807年に弘法大師空海が開基したと伝わる古刹で、当初は真言宗、次いで鎌倉時代に臨済宗の寺院となり、室町期の隆渓禅師の頃、曹洞宗の寺院となったが、応仁の乱の影響でかなり荒れ果てていたらしい。現在の本堂は明治16年(1883)に再建されたもの。修善寺温泉街の中心に在り、地名の由来にもなっている。また源頼朝の弟範頼と、息子で二代将軍となった頼家がこの寺に幽閉され、その後殺害されたことで知られるように両者の墓が個別に存在する。

Dscf1105_2 修禅寺本堂

Dscf1106_2 手洗い場の龍の口から温泉が

Dscf1108_2 境内の庭石 

◆この温泉街は清流桂川を挟んで、しっとり落ち着いた風情の日本旅館や飲食店が適度に立ち並び、ケバイ印象は全くない。竹林の小径、赤い欄干の楓橋、風情のあるお休み処など、眼を和ませてくれる。今の時期は桂川の涼風が汗ばんだ肌に心地よく、緑のモミジ葉は秋の紅葉の見事さを想起させてくれる。街中ではあちこちで蛇口から熱めのの温泉が流れており、日曜日というのに人出も多からず少なからず、思った以上に落ち着いた素晴らしい温泉地であった。

Dscf1119_2 涼やかな竹林の小径

Dscf1120_2 
楓橋 かえでばし (高倉健の「阿吽」のロケにもなった)

Dscf1126_2 和風旅館、食事処

Dscf1128 
独鈷の湯(とっこのゆ) 北条早雲が湯に浸かり、地元住民と話を交わしたとされる。

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