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2015年8月14日 (金)

8月終戦記念日を迎えて(1)

安倍総理は14日夕、戦後70年の総理談話を発表した。過去の村山談話、小泉談話と比べてもなんら遜色なく、「植民地支配と侵略」、「多大の損害と苦痛」、「痛切な反省」と「心からのお詫び」を表し、その上に各国の日本に対する理解への「感謝と未来志向」を証明した。問題なのは野党の民主党、共産党、社民党の反応で、批判しなければ申し訳ないとばかり、批判のための批判を繰り返し、中国・韓国に利用されそうなコメントを出している。どこを向いて政治をしているのか、外交に関わる問題は相手に隙を与えるような言動は慎むべきだと思うのだが、この国はどうしていつもこうなのか。
明日15日は終戦記念日。そもそも何故日本はこの無謀な戦争を惹き起こし、何故焦土となるまで戦ったのか。その遠因は大きく三つ考えられる。ひとつは国の形を決める「憲法」であり、もうひとつは「国際感覚と認識」、そして「日本人の精神構造」にあると思われる。

(1)大日本帝国憲法(明治憲法、欽定憲法、旧憲法)
◆明治維新後、近代国家に生まれ変わるために、国の骨格を決める憲法が必要だった。明治政府は伊藤博文らが西欧諸国の憲法を研究し、プロイセン憲法(後のドイツ帝国憲法)を参考にして、明治22年(1889)2月11日、大日本帝国憲法を制定・公布した。(施行は翌年11月29日) 天皇主権・統帥権の独立などを特色とした欽定憲法であったが、形式的には敗戦後1947年(昭和22)5月2日まで、57年間存続した。

◆明治憲法は天皇を君主とする「立憲君主国」であることを規定しており(天皇主権)、第3条でその神聖不可侵を定めている。帝国憲法は三権分立を取り入れていたが、「内閣」及び「総理大臣」に関する規定を定めていなかった。行政権に天皇の意向を反映させる目的があったためであるが、「大正」が終り「昭和」になると、この「内閣」、「総理大臣」に関する規定が無かったことが日本の憲政に災いをもたらすことになった。

◆第11条には「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」とあり、統帥権を独立させ、陸海軍は議会や政府に対して一切責任を負わないものとした。これが昭和期になって「軍」の暴走に歯止めをかけるものがなくなった。「軍は天皇に直属する」とあるのだから、「実権の無い政府には従わなくてもよい」と独断行動を行う根拠を与えてしまった。

◆つまり、明治憲法は「統帥権はシビリアンコントロールの下に」という概念が欠けていた。元々、軍部に対しては明治の元勲達が睨みを効かせていたから、明治・大正年間には顕在化することがなかった。しかし昭和になると元勲の多くが世を去って、結果として軍部が台頭し、独断行動を止める存在がなくなった。さらに、日清・日露戦争の勝利が不敗神話をもたらし、軍部の増長、独走が始まるようになった。(続く)

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