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2015年7月 4日 (土)

白洲次郎旧邸「武相荘」を訪問して

◆時折、強雨が降りしきる昨3日、かねてからのシルバー仲間との約束で町田市鶴川にある旧白洲次郎・正子夫妻別邸を見学してきました。
2009年9月にNHKドラマ「白洲次郎」(3回連続)が放送された。その時の主役白洲次郎に今年の大河ドラマ「花燃ゆ」の吉田松陰を演じた伊勢谷友介、妻白洲正子役は昨年の大河ドラマ「軍師官兵衛」の妻役の中谷美紀が演じていた。


◆白洲次郎は1919年、ケンブリッジ大学に留学、車を愛し、1925年冬にはベントレーを駆使してジブラルタルまで欧州大陸を旅行している。1928年帰国後英字紙の記者などを経て、樺山伯爵の娘正子と結婚。正子は樺山伯爵家の次女として東京に生まれ、米国留学。帰国後知り合って二人は結婚。二人とも本場仕込みの流暢な英語を駆使し、時代の最先端を生きつつも、真の日本人とは何かを追い求め、行動に移していった。夫婦喧嘩は真剣になるほど英語になったそうだが、その生涯を通してこんなに凄い日本人がいたのか、そしてそれを演じきる俳優がいたということが驚きだった。

◆敗戦に打ち拉がれた混乱期の日本。白洲次郎は終戦後の連合国占領下の日本で、吉田茂の側近として活躍する。GHQとの交渉に当たり、英国仕込みの英語で主張すべきところは頑強に主張し、「従順ならざる唯一の日本人」と要人に言わしめた。
一方妻正子も行動派で能、骨董、染色など日本の伝統文化を愛し、全国の社寺等を巡って、自分の眼で見、足を運んで執筆する姿勢は終生変わらなかった。
次郎は昭和15年には日米戦争は不可避だが、戦争すれば日本は負けると断じて職を退き、疎開というよりも自分で耕し、食糧を自給する田舎暮らしを求めて、現在の東京都町田市鶴川の古い農家を購入し、昭和18年から本格的に住み始める。武州と相州にまたがる場所にあったため「武相荘」(
ぶあいそう)と名付けた。このドラマを見た時、機会があれば訪れてみたいなと思っていた。

1 武相荘母屋(メイン展示)

◆茅葺の古い古民家はがっしりした造りで、二人が愛用した生活用品、書斎、書籍、染色した着物など、貴重なものが数多く展示されている。自筆の遺言状には「葬式無用、戒名不要」と書かれていたが、これは全く同感で当時としては画期的でなかったか。また1951年のサンフランシスコ対日講和条約調印の際の吉田茂の演説草稿を、外務省役員が英文で起草したが、これを見た次郎は「これほど卑屈になる必要ない」と、一夜にして、日本の伝統に従った巻紙に毛筆で認めた原稿に書き改めた。それを見た外国の列席者達はトイレットペーパーに書いたものかと驚いたというが、その現物を見る事ができたことは収穫だった。
Photo 白洲次郎の遺言状

◆「武相荘」に着くまでは、もう少し田園風景が残されているかと思いきや、70年余の歳月はその余地を全く残してくれなかった。館の裏側の庭に自然の山里の一部が残っているようだったが、雨のため見学を断念した。

2 「武相荘」

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