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2015年5月13日 (水)

横綱のはなし

★大相撲は国際的になったとはいえ、モンゴル出身力士が全盛を強め、喜び半分、寂しさ半分といった所だろうか。国産横綱は第66代若乃花(2000年3月引退)、第65代貴乃花(2003年1月引退)以来、実に12年4ヵ月も出ていない。その間ハワイ出身が1人(武蔵丸)、モンゴル出身が白鵬はじめ4人連続輩出。モンゴルはさらに有望な候補者2人を抱えている。残念ながら次の国産横綱として期待が持てそうな力士は当分見当たりそうにない。

★国技相撲はもっとも日本人向きの体型と技術、さらに江戸時代から培われたハングリー精神、根性など長年のDNAが累積された「相撲道」であると信じて疑わなかった。ところがハワイ出身やモンゴル出身力士ら外国人力士が陸続として本場所の土俵を踏むようになり、彼らとの差は縮小するだけではなく、白鳳ら一部の力士とは逆に拡がりつつあるように思える。国技大相撲が危機に瀕しているという見方の一方、外見も日本人と殆ど変らず、技も精神面も作法なども日本人以上に日本人らしくあれば、とやかく言うことはないのではないか、「大相撲の精神が正当に引き継がれていけば問題ない」という意見もある。

Fotosutanndosumo71★大相撲は娯楽が少なかった戦後、プロ野球と並んで大人から子供まで熱中させてくれたスポーツの華だった。小学生の頃、戦後の横綱千代の山栃錦若乃花朝潮などの活躍に夢中になり、青春時代には柏戸大鵬の二人が柏鵬時代を築いてくれた。
江戸時代から続く大相撲の歴史で、第4代横綱谷風(1789年11月就任)と昭和の大横綱、第35代横綱双葉山(1938年1月就任、1945年11月引退)は歴代横綱の中で第一人者とされ、力量、品格抜群、この二人の横綱は、別格の存在だと言われている。


★戦後、昭和の大横綱と呼ばれた力士は、48代大鵬、55代北の湖、58代千代の富士の3人。また平成の大横綱は65代貴乃花、69代白鵬の2人だ。一般的に20回以上優勝すれば大横綱と呼ばれるが、横綱になる力士はその地位にふさわしい品格抜群の力量が要求される。その点モンゴル出身の朝青竜は25回の通算優勝にも拘わらず、品格に欠けるところがあり、不祥事を起こして引退に追い込まれた。大相撲の伝統の中でも品格は大切にしたい部分だ。

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★大相撲の伝統が、風前の灯となった頃のエピソードである。戦時下で他のスポーツが禁止されていた中、相撲だけは年2回(春1月、夏5月)の興業が許可されていた。昭和20年3月の大空襲で首都東京は大半が灰燼に帰してしまった。両国国技館は鉄骨だけの姿となったが、後型付けが終った6月7日から7日間に短縮して、空襲を避けるため、一般に非公開で行われた。観客ゼロ、実況放送は行われたが国内に流されない。雨が降れば、検査役はざぶとんを抱え、アナウンサーはマイクを抱えてあちこちに移動したという。

★何故こんなことが行われたのか?国技を残そうとする相撲協会の執念もさることながら、実はその裏に軍部が海外向けにプロパガンダとして利用したというのである。敵地や占領地域に向けて、短波放送で「日本本土では、余裕をもって相撲を楽しんでいるぞ」と誇示するためだったという。この時の横綱は照国、安芸の海、羽黒山、双葉山の4人で、実況放送を担当したのはNHK入局5年目の藤倉修一アナウンサー、31歳の時の放送だった。以上は同氏が「話題が豊かになる本」に寄稿した一文を要約したものだが、因みに50歳頃の藤倉アナはTVでもよく拝見した。2008年1月、満93歳で没したという。(合掌)





               

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