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2015年5月16日 (土)

上野公園の隠れた魅力(2)

・上野東照宮・・寛永寺が建立された2年後の寛永4年(1627)に、籐堂高虎と天海僧正のコンビは徳川家康を祀る神社「東照宮を寛永寺の境内に建立した。パンフによると、現存する社殿は慶安4年(1651)に三代家光が造営替えをしたものだとある。「ウソだ~、30年ほど前来た時は、朱も瑠璃も金箔も剥脱し、こんな金ピカじゃなかったよ。しかも社殿の中に通してくれて、懸かってある額も古くて歴史を感じたよ。」 
ところが、今回再訪し、拝観料500円を払って、透塀で囲まれた玉砂利の敷地内に入ってみると、立派な社殿を外から眺めることはできても、扉や戸はピッタリと閉ざされて中を望むことはできない。「詐欺だ~」と思い、数日後電話で確認した。それによると、2年ほど前、5年の歳月をかけて修復したと云う。それならそうと書けばよいのに。いずれにしろ豪華絢爛に改修された社殿唐門透塀は寛永年間に諸大名が奉納した48基の銅灯籠とともに国重要文化財に指定されている。



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 東照宮社殿                   東照宮 透塀

・上野大仏・・寛永8年(1631)、粘土漆喰塗の釈迦如来坐像が原型。その後青銅製となり、修復を繰り返す。大仏殿もできたが、焼失して露座の大仏になったり、関東大震災で頭部が落下。戦時中には顔面部を除く頭部、胴体を金属供出。可哀そうな運命を辿ったが、昭和47年寛永寺に保管されていた顔面部がレリーフとして現在地に安置され、ようやく安穏の日々を迎えることになった。しかし何だか包帯で頭部や顔の輪郭を巻かれているように見える。この大仏は受験生の間で、「合格祈願大仏」とされ、秘かなお参りスポットになっているという。そのこころは? 「これ以上落ちない」だって。

Dscf0993 上野大仏

上野公園にはこの他にもいくつもスポットがある。

・旧播州池田屋敷表門 
威風堂々とした造りは黒門とも呼ばれ国の重文に指定
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・奏楽堂 東京音楽学校の演奏会場として明治23年建設。昭和63年重文。残念ながら平成30年まで保存修復のため一般公開中止。
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・黒田記念館:日本洋画界の先駆者黒田清輝(1866~1924)の作品を収蔵展示した記念館。昭和3年に遺産をもとに建てられた。有名な「湖畔」の浴衣美人は彼の奥さんで箱根芦ノ湖湖畔で製作されたもの。

・弁天堂:不忍池の中之島に天海僧正が琵琶湖の竹生島を模して、弁財天を祀った弁天堂がある。当時は船で渡って参拝したという。


こうして見てくると、政治の中心が江戸に移ったと言っても、江戸時代までは比叡山や琵琶湖など上方文化の影響を色濃く受けていたことがよく分かる。明治になって西洋文化を取り入れた日本は絵画や音楽などにおいても、日本独自の文化と融和させ、その果実が上野を中心に花開かせたと言えるのではなかろうか。

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