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2015年4月 9日 (木)

御殿場線の不思議(最終回)

▼明治33年(1900)5月、鉄道唱歌第一集(東海道編)が発表された。この中に御殿場線(当時は東海道線)の沿線の情景が描かれているので引用したい。

Photo12) 国府津おるれば馬車ありて 酒匂、小田原遠からず
   箱根八里の山道も  あれ見よ雲の間より
13) いでてはくぐるトンネルの 前後は山北 小山駅
   今も忘れぬ鉄橋の  下ゆく水のおもしろさ
14) 遥かに見えし富士の嶺は はや我が傍に来たりけり
   雪のかんむり雲の帯  いつもけだかき姿にて

 15) ここぞ御殿場夏ならば  われも登山をこころみん
    高さは一万数千尺  十三州もただひと目
 16) 三島は近年ひらけたる  豆相線路のわかれみち
    駅にはこの地の名をえたる 官弊大社の宮居あり

                         (以下17沼津省略)

Photo_2写真は手前が箱根駒ケ岳、左の山は愛鷹(あしたか)山塊。箱根外輪山との狭い平地を御殿場線は走る。

▼連載の2回目で少し触れたように、丹那トンネルの工事は、大正7年(1918)に予算770万円、工期7年の計画で着手したが、実際には約16年後の昭和9年(1934)に、総工費2,600万円(当時)の巨費を投じて完成された。この工事は期間で2.3倍、工費で3.4倍に膨れ上がった。さらに事故による犠牲者が67人を数え、いかに難工事であったを物語っている。

▼この、新しい東海道線の完成を見て、現代の御殿場線の国府津~沼津間と比較してみると、距離が60.2kmから48.5kmと約20%短縮。また時間は1時間40から約1時間へ40%短縮した。しかし、この差は数字以上の効果をもたらした。まずは勾配の減少が計られたため、石炭消費量が従来の3分の1に削減され、輸送力は2倍半に上昇した。

▼沿線への波及効果も大きかった。まず熱海が観光地として発展し、東京方面はもとより関西方面からも観光客が押し寄せた。伊東線も開通、伊豆半島の発展に繋がった。しかし、忘れ去られていた小田原に再びスポットを当てる結果となった。江戸時代城下町として、また東海道第一の宿場駅として栄えた小田原は明治維新後、その地位から没落、御殿場線の開通(明治22年)と共にその存在が薄れ、細々と政財界文化人達の保養地、別荘地として生き延びてきたが、昭和9年東海道線が国府津~小田原~熱海~沼津に開通すると、息を吹き返し、神奈川県の西の拠点として復活した
御殿場線の変遷を見ていると、人と地形の関わりが歴史に大きく影響することを垣間見るような気がしてくる。(終り)

 

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