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2015年4月 8日 (水)

御殿場線の不思議(3)

Dscf0956_2_3▼御殿場線のルートを「ランドサットから見る地形図」で眺めていると、人類の歴史が見えてきて面白い。静岡県の三島・沼津の平地から富士山の南の愛鷹山塊と箱根連山の間を通り、富士の裾野を左に見ながら北上すると、やがて山間の隘路を東へ抜けるルートが見えてくる。人は遠回りで、時間がかかっても楽な道を選ぶか、厳しくても時間が短縮される近道を開拓するか、この課題は人類の歴史に関わってくるようだ。
(写真は平凡社「日本大地図帳より)

▼話は古代に遡る。畿内から関東に向かう時、人は前者の道を選んだ。即ち今の御殿場線のルートだ。楽な道といっても勾配の厳しい箇所はあちこちにあった。そのうち多少きつくとも、近道を通ろうとして、現代でいえば駿河小山町あたりから、足柄峠(標高736m)を越えて足柄平野に入り、酒匂川沿いに南下し、国府津の海岸線に出て、海沿いを辿るルートを取った。この足柄峠から坂を東に下れば関東だったから坂東とも云われた。足柄峠が西国と東国を分ける分水嶺だったことから、この峠が万葉集にも多く詠われている。また足柄峠から東に向かい、秦野方面に出て、大山街道(現在の国道246号)のルートもできた。(写真は:足柄古道の一部)

2009_1009▼平安後期から鎌倉時代になると、もっと大量に人と物資を運ぶため、箱根山の尾根道に道幅が広い、所謂「平安・鎌倉古道」が開設された。江戸時代になるとこのルートは殆ど使われなくなったが、秀吉や家康が小田原攻めの際に通った記録が残されている。江戸時代になると家康はこのルートを使わず、距離は多少短縮されるが、通行に厳しい沢道に石畳を敷設して、所謂旧東海道箱根路を完成させた。

▼明治維新になり、西欧技術が入って馬車道や鉄道が出現すると、急激に近代化が進められた。その名残は箱根の国道1号線の随所に近代土木建築遺産として残っている。そして現在は古代の人々には想像すらできなかったであろう、箱根の山中深くにトンネルを通し、多くの車道を完成させた。つまり人類は文明の発展とともに早くて楽な道(途)を選んだのだ。二者択一ではなくて、同時に達成する途を。(続く)

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